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チョウキジェ監督、あの問題から京都J1昇格まで 再起を懸けた葛藤と苦悩、覚悟と決意“2年間の記録”

REAL SPORTS / 2021年12月3日 11時58分

2022年、京都サンガF.C.は12シーズンぶりのJ1の舞台へと挑む。就任1年目にして昇格の大役を果たした男は、あの問題で全てを失ったかのように見えた。だが一度の“失敗”で人生が終わるわけではない。むしろ失敗から何を学び、いかに成長していくのか。この2年間、その姿をもって示してきた。曺貴裁(チョウキジェ)の葛藤と苦悩、覚悟と決意の記録がここにある――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

あの問題から2年……曺貴裁が指導者として再び歩み始めた京都での闘い

生まれ故郷にあるクラブを監督就任1年目で12シーズンぶりのJ1昇格へ導いた曺貴裁(チョウキジェ)は、プロの指導者として再び歩み始める時に抱いた覚悟と決意を、決して消去できない自らの過去に常に帰結させてきた。

「成功と失敗という言葉が世の中に相対したものとしてあるとすれば、僕は間違いなく失敗した人間だと思っている。その中で自分が何をしなければいけないのか、ということに向き合ったときに、失敗から目を背けてはいけないと常に思ってきた」

11月28日のジェフユナイテッド千葉戦で引き分けて勝ち点1を上乗せし、今シーズンのJ2戦線で2位を確定させた敵地・フクダ電子アリーナから都内のホテルへ移動。対面形式で実施されたJ1昇格記者会見の最後にこんな質問が飛んだ。

――1年間の資格停止処分で得た教訓と、それを今回のJ2の戦いでどのように生かせたのか? そして来年以降に待つJ1での戦いへ、肝に銘じていきたいのは何か?

左右をアクリル板で仕切られたひな壇の中央で、京都サンガF.C.のチームカラーである紫色のマスクを外した曺監督は真っ先に冒頭の言葉を発し、さらにこう続けた。

「その中で自分の失敗から選手たちへ伝えられるように、何を学びながらどのように立ち上がっていくのか、ということをずっと考えながら大学生の指導に携わってきた。京都さんに話をもらった時にも選手の成長を応援するというスタンスは変えずに、その中でできるだけ選手が……何て言うのかな、前進だけになってしまわないように。いい意味でどこかに逃げ道があるように、日々の指導へ取り組んできたつもりです」

今も鮮明に記憶に残る、欧州行脚の日々

失敗とは、8シーズン目を迎えていた湘南ベルマーレの監督を、志半ばで退任するに至った原因に他ならない。Jリーグが主導した調査で指導中の言動の一部がパワーハラスメント行為と認定され、2019年8月以降の活動自粛期間を経て同年10月に退任した。

ほぼ同時期に日本サッカー協会(JFA)から、Jクラブの監督を務めるために必要な公認S級コーチライセンスの停止処分を1年間にわたって受けた。ゼロからの再出発を期した曺は昨年1月中旬から、シーズン真っ盛りのヨーロッパへ足を運んだ。

まだコロナ禍が深刻化する前のドイツ、ベルギー、オランダを2カ月にわたって行脚。スタンドの一角で25試合ほどを観戦した記憶が今も鮮明に残る。

「監督を務めている時には、スタンドの上から試合を見る機会がほとんどなかった。そうした中でファン・サポーターの方々はどのようなときに喜ぶのか、点が入るときにはどのような形が多いのかを自分なりに考えながら見ていた。当たり前だけど勝つチームは相手ゴール前に人が多く、自陣のゴール前ではミスが少ない。そうしたサッカーを流通経済大学でチャレンジしてきた中で、自分なりの実感があった」

2012シーズンから監督業をスタートさせた湘南では、ピッチ上でプレーする選手たちとスタンドを埋めるファン・サポーターが明確な価値観を共有。湘南に関わる全員が「これがオレたちのサッカーだ」と胸を張れる瞬間を追い求めてきた。

3度のJ1昇格に2018シーズンのYBCルヴァンカップ制覇を加えた軌跡で、湘南が躍動する姿はいつしか「湘南スタイル」と命名され、サッカー界で幅広く認知された。

攻守を常にスピーディーに切り替え、なおかつ攻守両面で常に数的優位な状況をつくり出しながら、特に攻撃面では勇気を込めて繰り出す縦パスをスイッチに変える。戦術面での特徴をより前面に、明確に押し出すサッカーを志向して帰国した。

共に失意からの再起を期す。流通経済大学での1年間

コーチとして再スタートを切った流通経済大学サッカー部とは、それまでほとんど面識のなかった同大学の中野雄二監督から「再び堂々と胸を張って、Jリーグの舞台に立ってほしい」と記された直筆の手紙を受け取り、背中を強く押された縁で結ばれた。

前年に降格したことで17年ぶりに関東大学サッカーリーグ戦2部を戦う流通経済大学と、失意のどん底からの再起を期す曺との共闘。目指す頂をはっきりと思い描いていた一方で、曺は指導する上での選手個々へのアプローチを湘南時代から大きく変えた。

端的に表現すれば減点方式を加点方式に改めた。具体的には「こうすべきだ」とトップダウン式に指導するのではなく、それぞれの性格を把握しながら「こうした方がいいんじゃないか」と、前へ進んでいくための気付きを辛抱強く与え続けた。

京都の昇格記者会見の席で言及した「前進だけになってしまわないように。いい意味でどこかに逃げ道があるように」の真意が、流通経済大学で実践された加点法に凝縮されている。

関東大学リーグ2部で優勝しよう、絶対に1部へ復帰しようと目指す目標を強調し過ぎれば、選手たちは失敗を恐れるマイナス思考にどうしても陥りがちになる。

対照的に日々のトレーニングで成長を続け、その積み重ねが目標と一致していれば、チームも選手も充実感を膨らませながらポジティブなベクトルが描かれる。

果たして、流通経済大学は昨年の関東大学リーグ2部を制覇。1年での1部復帰を果たした軌跡を「自分なりの実感があった」と位置づけた曺は、手を差し伸べてくれた中野監督、失敗した自分と向き合ってくれた選手たちへの感謝をこんな言葉に込める。

「スタッフや選手一人一人の気持ち、思いの深い部分まで理解する姿勢を学べた」

京都との浅からぬ縁。「一緒に高みを目指したいと声を掛けてもらった」

そして、公認S級コーチライセンスの停止処分が明けた曺の元へ、2011シーズンからJ2の戦いに甘んじてきた京都から監督就任へのオファーが届いた。

「一緒に高みを目指したい、と声を掛けてもらったのはこの上ない喜びだった」

当時の心境をこう振り返る曺は、下鴨神社の近くで生まれ、府立洛北高を卒業する18歳まで過ごした町のクラブの指揮を執る決断へ、「ノスタルジーで引き受けたわけではない」と断りを入れる。ただ、ある種の縁を感じずにはいられなかった。

トップチームの監督として初めて采配を振るった2012年3月4日。ホームのShonan BMWスタジアム平塚で、試合終了間際のゴールで破った相手が京都だった。

その2012シーズンの最終節でFC町田ゼルビアに快勝し、前節まで自動昇格圏の2位につけていた京都を逆転した湘南は涙のJ1昇格を決めた。2014シーズンに再びJ1昇格を決めたのも、敵地・西京極で引き分けに持ち込んだ京都戦だった。

J1の年間総合順位で8位へ躍進し、堂々の残留を決めた2015シーズンのオフには、京都から監督就任のオファーを受けた。この時はサイン寸前まで交渉が進みながら、湘南が直面した激震を鑑みた曺が断腸の思いで断りを入れている。

悲願のJ1残留とともに一つの節目を迎えた湘南からは、キャプテンの永木亮太が鹿島アントラーズへ、日本代表にも選出されていた遠藤航が浦和レッズへ移籍。さらに曺を支えてきた大倉智社長、田村雄三テクニカルディレクターまでもが退任した。

ここで自分までが去れば湘南はどうなるのか。アカデミーの指導者として2005シーズンから在籍してきた湘南を愛するが故に決めた続投が、強い責任感と相まって「こうすべきだ」という減点方式の指導方法をより色濃く打ち出させた。

「自分一人ではできなかった」。共に京都で歩んだ同志たちの存在

流通経済大学コーチとして軌道修正したマインドを継続させながら、京都で実践し続けた新たな指導を、曺は「自分一人ではできなかった」と昇格会見で位置づけている。

「選手の共感と会社の理解、そしてコーチングスタッフのサポートがないとできないと、僕はあらためて失敗から学んだつもりです。自分のやるべき仕事は最後の決断の部分であるとか、どのように進んでいくのかというメッセージを出すことであり、その他の細かい部分はコーチングスタッフに任せた方が船はスイスイと進むんだろうな、と」

新たに組閣されたコーチングスタッフには気心が知れていて、なおかつ曺に対してしっかりと進言しながら、さまざまなサポートをしていく男たちが集った。

例えば長澤徹ヘッドコーチ(元FC東京コーチ)は1968年度生まれの同学年となる。曺が早稲田大学、長澤ヘッドコーチが筑波大学と関東大学リーグでプレーしていた1980年代後半から気が合い、曺は親しみを込めて「テツ」と呼んできた。

湘南がJ2へ降格した2016シーズン後半。10連敗を喫した苦境で、愚痴をこぼしたくなった曺がメールを送った相手が、J2のファジアーノ岡山を率いていた長澤だった。

同じくコーチとして加わった杉山弘一(元奈良クラブ監督)は、曺の元チームメートとなる。プロの舞台でプレーしたいと望んだ曺が、当時JFLの柏レイソルから浦和レッズへ移籍した1994シーズン。大阪商業大から加入したルーキーが杉山だった。

当時の浦和を率いていたメキシコ五輪の銅メダリスト、横山謙三監督は厳しい指導を課した。練習中でささいなミスを犯しただけで怒声が飛ぶ中で、センターバックの曺、プロでフォワードからサイドバックにコンバートされた杉山がいつも標的にされた。

「過去に何かがあったからと再びやったところでうまくいくとも思わないし、逆に何も検証せずに未来へ向かっても現実離れしたことしか起こらない。優秀なスタッフと相談しながら選手たちの意見も聞き入れて、ピッチで見せるものを磨いていきたい」

石川隆司コーチ(元AC長野パルセイロヘッドコーチ)、西形浩和フィジカルコーチ(元東京ヴェルディフィジカルコーチ)と、かつて湘南で同じ時間を共有した同志が集った中でこんな抱負を語っていた。

「失敗とは挑戦しない姿勢」。チームと自身に込めた決意

京都での始動初日、曺はこんなメッセージを選手たちへ発信した。

「失敗とはミスをすることではなく、挑戦しない姿勢なんだ」

京都が進んでいく道を示したのと同時に、自らへ向けられたげきも込めていたのだろう。チームだけでなく自分自身も生まれ変わっていく決意は、同じく始動初日に選手たちに伝えた今シーズンのスローガン『HUNT3』にも反映されていた。

日本語に訳せば「勝ち点3を狩りにいく」となるスローガンの英語部分は、実は『HIGH INTENSITY』『ULTIMATE』『NEWBORN』『TOUGH』の頭文字を組み合わせたものだった。

この中で『NEWBORN』だけが、ピッチ上で実践するプレーと概念を異にする。京都というチームが、プレーする選手たちが、関わる全員が、そして誰よりも自分自身が手を取り合いながら、生まれ変わっていく先に待つ未来を『NEWBORN』に込めた。

2019シーズンはアカデミー出身のFW宮吉拓実、昨シーズンはレジェンドの安藤淳(現京都ブランドアンバサダー)が務めたキャプテンを、曺を慕うようにJ1の湘南からJ2の舞台に求めて移籍してきた26歳のMF松田天馬にあえて託した。

サッカー人生で初めて大役を、しかも新天地で担った松田は、口下手な自分を「何もできないキャプテンでした」と自嘲気味に笑う。それでも曺には明確な意図があった。

「あいつは本当に強い選手で、逆境に直面したときも自分のプレーができないときも1ミリたりとも他者のせいにしない。あいつの一番のストロングポイントが京都を変えていき、京都の基準になってほしかった。話はあまりうまくないけど、若い選手や今まで京都にいた選手にとって、あいつの精神的な強さは非常にいい影響を与えてくれた」

敗れれば自信を失った可能性もある――。今季のターニングポイント

4月4日の第6節・千葉戦を、曺は今シーズンのターニングポイントに位置づける。もし昇格組のブラウブリッツ秋田を圧倒しながら0-1で敗れた前節に続いて敗れ、2勝1分3敗と黒星を先行させていたら――今とは違う京都になっていたと曺は想像する。

「そのままズルズルと自信を失っていった可能性もあると思っている」

千葉戦の前半33分に先制点を奪ったのはキャプテンの松田だった。敵陣の高い位置でボールを奪い取り、そのままドリブル突破して左サイドのFWピーター・ウタカとワンツー。折り返しをニアサイドへ飛び込んで泥臭く押し込んだ。

自陣からロングカウンターを発動させ、ボールを一度失いながら奪い返し、左ポスト付近まで攻め上がった末に2点目をアシストした37歳のウタカは、自らを「ディフェンスをしないとか、ディフェンスができないとよく言われたよ」と自虐的に振り返る。

「そんな自分を監督は変えてくれた。自分だけでなく、みんなのいい部分を引き出すすべに非常に長けている。監督はみんなのメンタルをうまく操るメンタリストだと思う」

曺を慕うウタカの折り返しを押し込み、千葉戦で勝利を決定づける68分の追加点をゲット。松田の先制点とともに、曺をして「今年のサンガが進むべき道が示された」と喜ばせたのは、約50m近い距離を全力でフォローしてきた21歳のMF福岡慎平だった。

「湘南時代に気が付かなかったのは情けない」。新たなマネジメント手法

今シーズンのヤングキャプテンを任されている福岡の他にも、23歳のDF麻田将吾、20歳のMF川﨑颯太、21歳のGK若原智哉のアカデミー出身者が台頭する中で、松田やウタカ、DFヨルディ・バイスらがしっかりと軸を担い続けた。

特に川﨑はチーム内で2位タイの40試合に出場し、同じく2位のプレー時間3391分をマーク(第41節終了時点)。松田がベンチスタートだった秋田との第39節ではゲームキャプテンを託され、第5節のリベンジとなる3-1の快勝に大きく貢献している。

曺から「おまえたちアカデミー出身者が、チームを勝たせていくんだぞ」と声を掛けられ続けた川﨑は、充実したプロ2年目のシーズンをこう振り返る。

「自分たちアカデミー出身者が昇格に貢献したといえばおこがましいけど、年間を通じてプレーできて幸せでした。ただ、僕は波に乗るときはいいですが、ミスが続くと少し落ち込む試合が序盤にあったので、もっともっと精神的に大人になるととともに、がむしゃらさや貪欲な姿勢、サッカー少年のような気持ちは忘れないようにしたい」

将来を期待する若手にゲームキャプテンを任せ、責任感を育ませる曺の手法は、湘南時代の遠藤へのアプローチとも一致する。成功したと思える部分は残し、失敗だったと結論づけた部分は迷わずに変えた試行錯誤の跡がここからも伝わってくる。

ミスをしてでも挑戦する姿勢を求め、同時に強制しない形で選手個々に気付きを与える。これらをコーチングスタッフとの共同作業で押し進めた曺は開幕から一度も連敗を喫することなく、監督としてリーグ歴代最多タイとなる4度目のJ1昇格を成就させた。

「そうしたマネジメントの部分を、湘南時代に気が付かなかった自分は情けない。ただ、今のマネジメントが全て正しいとも、今年結果が出たから全部がいいとも思っていない。逆に足りなかったところを日々反省して、選手たちと、コーチングスタッフたちとまた一緒に進んでいくことが大事かな、と」

J1昇格は、目標ではなく通過点。感謝の思いを込めて、走り続ける

京都が12年ぶりに挑むJ1の戦いへ。ガッツポーズを繰り返した昇格決定の瞬間を「間違いなく目標ではなく通過点」と位置づける曺は、来シーズンをこう見据える。

「金閣寺や銀閣寺がある京都にサッカーもある、という印象は世界的に見ても薄いかもしれないけど、より大きくフットボールの文化を伸ばしていけるように、フットボールとはこんなにも面白いんだと京都の皆さんにもっと分かってもらえるようにしたい。そういうものを根づかせないといけない町であり、クラブだと思っている」

ホームのサンガスタジアム by KYOCERAにツエーゲン金沢を迎える、12月5日の最終節をもってチームはオフに入る。もっとも鋭気を養う期間に、曺は感謝の思いを込めて流通経済大学の練習に顔を出し、インカレを観戦する予定を立てている。

実は流通経済大学も関東大学リーグ1部に復帰した今季、いきなり12年ぶりとなるリーグ制覇。共に失意からはい上がった昨年の感謝の思いを込めて、京都が悲願を成就させたフクダ電子アリーナには部員たちが駆けつけ横断幕を掲げていた。

曺の薫陶を色濃く受けた最上級生では、浦和とサンフレッチェ広島、サガン鳥栖に2人ずつ、川崎フロンターレに1人、実に7人の主軸が加入内定している。彼らがチャンスをつかみ、J1の舞台で曺と再会すれば新たなドラマが紡がれていく。

<了>







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