羽生結弦、4回転アクセルで示す生き様。身体への負担、見合わぬ基礎点、それでも挑み続ける理由
REAL SPORTS / 2022年1月4日 19時5分
その瞬間、全ての視線がリンクに注がれた。人類がいまだ成し遂げたことのない神の領域へ、歴史を創る大きな一歩だった。今季初戦となった全日本選手権で圧巻の優勝。つかみ取った北京五輪の切符。だがこの男にとっては、それよりも大切なことがある。4回転アクセルへの挑戦は、羽生結弦の誇りを懸けた、生き様そのものだ――。
(文=沢田聡子)
羽生結弦が“使命”と語る4回転アクセル、向き合い続けた4年間羽生結弦が4回転アクセルを跳び、着氷する。見守る報道陣からは、どよめきが起きた。
昨年の12月23日、さいたまスーパーアリーナで行われた全日本選手権の公式練習。目の前で、羽生が誰も成功したことがない大技に挑み、完璧ではないとはいえはっきりと4回転アクセルの形になる跳躍をしている。少々のことでは感情を表に出さないよう努めるメディア関係者にとっても、それは感嘆せずにはいられない光景だった。
「正直いって、おとといの段階で『アクセルが決められなかったら、もうオリンピックまで頑張るしかないのかな』って思いながらやっていました」
その後リモートで取材に応じた羽生は、そう語っている。
「本当は、自分の中で『これくらいのアクセルでもいいんじゃないか』っていう思いもあります。クリーンな判定ではないと思いますし、GOEもプラスがつかないかもしれないですけど、でも形として4Aにはなっているので、だから『よく頑張ったんじゃない』って。4Aに向かって3年、特にこの2年間ですかね、かなり練習をして向き合ってきた中で、このぐらいなので。だから『もういいんじゃない』って思う気持ちもあるんですけど……」
でも、やはり羽生はそこで歩みを止めることはしなかった。
「でも最後の練習で、ギリギリまで踏ん張って1時間半くらいずっとアクセルを跳んだ上で跳べなかった時に『ああ、せっかくここまできたのにな』っていう思いと『疲れたな』っていう思いと、いろいろぐちゃぐちゃになりながら。『いや、でもやっぱり、僕だけのジャンプじゃないな』っていう。跳ぶのは僕で、結局言い出したのも僕なんですけど、でも皆さんが僕にしかできないって言ってくださるのであれば、それを全うするのが僕の使命なのかなって思いました」
基礎点はわずかに12.5。「でもこれはやっぱり僕自身のプライドなので」2018年平昌五輪で連覇を果たした翌日の記者会見で、羽生は4回転アクセルの成功を目指す決意を表明している。一方、平昌五輪が行われた2017-18シーズンまで15.0だった4回転アクセルの基礎点は、ルール改正の結果2018-19シーズンから12.5に下がってしまった。
その後、2019年12月に行われたグランプリファイナル(イタリア・トリノ)の公式練習で4回転アクセルに挑戦した羽生は、その成功を最優先に置いた道程を進むようになる。2019年グランプリファイナルの約2週間後に行われた全日本選手権の記者会見で、羽生は4回転アクセルを“それ”と表現し、次のように語っている。
「“それ”っていうのは、言わなくても多分分かると思うんですけど、本当に今圧倒的な武器が必要で。それは4回転ルッツに比べたら1点しか違いがないですし、それぐらいの価値のある、やるべきものなのか、じゃあ4回転ルッツを2回やった方がいいんじゃないかって、自分自身も思います。ただ、でもこれはやっぱり、僕自身のプライドなので。今のスケートを支えている芯なので、絶対に跳びたいなと思っています」
4回転アクセルの難しさ、その成功の価値の高さに対して、12.5という基礎点は十分とはいえないだろう。しかし、羽生はそれを理解した上で4回転アクセルに挑み続けてきた。
4回転アクセル習得への苦心と葛藤。一歩ずつ前に進んできた小学校2年生から高校1年生まで羽生を指導した都築章一郎さんは、「アクセルは王様のジャンプ」だと羽生に教えたという。唯一前向きに踏み切る特別なジャンプを羽生は得意にしており、美しいトリプルアクセルを武器に世界へと飛び出していった。世界のトップレベルでは4回転ジャンプを多数跳ぶことがスタンダードになった現在でも、4回転アクセルを組み込もうとする選手はほとんどおらず、「もし誰かが跳ぶことができるのであれば、それは羽生しかいない」というのが共通認識だろう。羽生は、効率的に勝つ方法とはいえない4回転アクセルの習得に、選手としての誇りを懸けて挑んでいる。
コロナ禍の状況下、無観客・バブル方式での異例の開催となった2021年世界選手権(3月、スウェーデン・ストックホルム)で、羽生は万全の状態ではない中でも3位に踏みとどまり、北京五輪出場枠“3”獲得に貢献している。きっちりと使命を果たした一方、羽生は出発直前まで4回転アクセルに挑んでおり、構成に入れない決断をしたのは「出発の3日前ぐらい」だと明らかにしている。
「自分としては4回転半をこの試合に入れたかったっていうのが本当の気持ちで、かなりぎりぎりまで粘って練習はしていたんですけれども、最終的に入れることはできなかった」
2021年4月に行われた国別対抗戦(日本・大阪)の公式練習でも4回転アクセルに挑んだ羽生だが、着氷することはできなかった。その時と比較すると、両足着氷で回転不足気味とはいえ、4回転アクセルという形をはっきりと見せた今季の全日本では、羽生が着々と進んでいることを感じさせている。
4回転アクセルさえ跳べれば“善し”とはしない。全日本で見せた強さそして2021年全日本選手権・フリー、羽生の予定構成表冒頭には、“4A”の表記があった。4回転アクセルを入れて初めて完成するフリー『天と地と』の冒頭、会場の最上段まで埋め尽くした観客が固唾(かたず)をのんで見守る中、羽生は4回転アクセルの軌道に入る。跳び上がり、もう少しで4回回り切るかというところで両足着氷。重度の回転不足と判定されたが、4回転アクセルの形を保った跳躍だった。
そして重要なのはその後の演技を完遂することで、羽生はそれをやり遂げている。4回転アクセルの直後に跳んだ4回転サルコウは、4.30という高い加点を得る出来栄えで成功。続いて組み込んだトリプルアクセルも、4回転アクセルの後では難しいのではないかと懸念されたが美しく着氷、2回転トウループをつけて成功させる。後半に組み込んだ4回転トウループ2本、トリプルアクセル1本にも全て3点を超える加点がつき、『天と地と』の世界を十二分に表現してプログラムを滑り切った。
フリーを滑り終えて優勝を決めた羽生は、テレビのインタビューで「正直ほっとしています」と答えている。
「とにかくアクセルって本当に難しいですけど、それよりも全部がちゃんとプログラムとして、『天と地と』という楽曲とプログラムにちゃんとリスペクトを持った上でできたのでよかったなと思います」
4回転アクセルさえ跳べれば善しとする羽生ではない。高難度ジャンプが流れに溶け込む形で組み込まれ、曲と一体となって世界を創り上げるプログラムが、羽生の目指す理想だ。高すぎる理想を崩さずに全日本という結果を求められる試合を戦い抜くことができたのは、羽生ならではの強さがあったからだろう。
「本当に死ににいくような……」。全日本フリー後に吐露した本音ミックスゾーンでは、フリーを終えた後だから話せたのだろうと思われる羽生の言葉があった。4回転アクセルの出来栄えについて問われた羽生は、「まあ、頑張ったなって感じです」と口にしている。
「初日(23日)のあのアクセルを皆さん見ていて『羽生、めちゃくちゃアクセル上手になったじゃん』って思われたと思うんですけど、あれができるようになったのが、本当まだここ2週間ぐらいなんです。それまではずっとぶっ飛ばして跳んでいて、軸がつくれなくて、回転ももっともっと足りなくて、何回も何回も体を打ちつけて、本当に死ににいくようなジャンプをずっとしていたんですけど、やっとああいうふうになり始めて、でもそれが毎日できるわけじゃないんです。だから皆さんの中で『これは跳べるんじゃないか』みたいな感じで思っていただけたと思うんですけど、正直結構まだいっぱいいっぱいです、あそこまでで。軸をつくるということがどれだけ大変なのかということと、その軸をつくり切れる自信ができて、それから100パーセントで回し切るということをやっていかないとダメなので。まあ、試合の中であれだけできたら、まだ今の自分にとっては妥協できるところにいるんじゃないかなと思います。悔しいですけどね(笑)」
また羽生は、欠場したNHK杯の前に4回転アクセルを跳んで立てるようになったものの、その数日後に捻挫し、ストレスで食道炎になったことも明かした。
明言を避けていた3回目のオリンピック出場を決意した覚悟出場を明言していなかった北京五輪の代表として会見に臨んだ羽生は、3回目のオリンピックに臨む覚悟を語っている。
「正直いって僕にとっては、あまり考えていなかったオリンピックです。ただ、ここにくるまでの過程、ここにくるまで支えていただいた方々への思い、また現在も支えてくださっている方々への思い、そういうものを含めて、出ることを決意しました。そして、全日本で勝ち取りました。出るからには、勝ちをしっかりとつかみ取ってこられるように。また、今回のようなアクセルではなく、ちゃんと武器として4回転半を携えていけるように、精いっぱい頑張ってきます」
「もちろん1位を目指してやっていきたいと思います。ただ、自分の中ではこのままでは勝てないのは分かっています。そして、もちろん4回転半というものへのこだわりを捨てて勝ちにいくのであれば、他の選択肢もいろいろあるとは思います。ただ、自分がこの北京五輪というものを目指す覚悟を決めた背景には、やはり4回転半を決めたいという思いが一番強くあるので、4回転半をしっかりと成功させつつ、その上で優勝を目指して頑張っていきたいと思います」
オリンピック連覇を成し遂げた羽生が競技を続ける原動力となった4回転アクセルが、羽生を3回目のオリンピックに導いた。誰も成功させたことがない4回転アクセルを決め、優勝する。羽生は強い決意を持って、北京へと向かう。
<了>
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