追悼・水島新司「ありがとう!ごめんなさい!」美辞麗句だけでは足りない球界・郷里の大恩人への“謝意”
REAL SPORTS / 2022年1月18日 17時53分
『ドカベン』『あぶさん』などの野球マンガ作品で知られる水島新司さんが、肺炎のため82歳で死去した。多くの野球ファンを魅了し、日本のマンガ界に一時代を築いた水島さんは、エンターテインメントの世界だけでなく野球界にも大きな影響を与え、その功績は計り知れない。水島さんと同郷の作家・スポーツライター、小林信也氏は野球界と郷里の大恩人である水島さんには、追悼、感謝を伝えるだけでは十分ではないと語る。
(文=小林信也)
羨望の眼差しで見上げた偉大なる先輩(水島さんは幸せな気持ちで天国に旅立たれたのだろうか)
水島新司さんの訃報に接して、真っ先にそういう思いが胸に去来した。
多くの名作を残し、たくさんの読者に愛された。
やり遂げた人生だった、夢に描いた以上の愉快な人生を過ごしたことだろう。
はたから見ればそう思う。『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』などなど、誰もが知っている作品がすぐいくつも頭に浮かぶ。有名プロ野球選手との親交でも知られた。友だち以上の関係で、野村克也さん、江夏豊さんらスーパースターに寄り添った。
江川卓さんが大学時代、試合が終わると水島さんの自宅に直行し、当時まだ珍しかったビデオで試合を振り返るといった逸話を聞いた時の羨望(せんぼう)は忘れられない。見上げる私たちにとっては、これ以上ないうらやましすぎる存在だった。
現在につながるパ・リーグ隆盛の仕掛け人初めて水島さんに会ったのは、《熱パ》キャンペーンの発表記者会見だ。正確には《エキサイティング・リーグ・パ》と題してパ・リーグを盛り上げようと博報堂が広告キャンペーンを仕掛けた。そのキャラクターに水島さんが起用された。
都内の一流ホテルに設(しつら)えられた会見場に現れた水島さんは、およそホテルの厳かな雰囲気とは不似合いな、派手なユニフォーム姿だった。よく見れば、パ・リーグ6球団のユニフォームをつなぎ合わせた、オリジナルユニフォーム。特定の球団でなく、パ・リーグ全体を応援する意思を表した衣装だった。
言うまでもなく、当時はセ・パの人気格差が大きかった。知名度も注目度も恐ろしいほどの差があった。そんな時代に、水島さんは南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の代打を主人公にしたマンガ『あぶさん』をヒットさせ、読者にパの魅力、パに生きる選手たちの武骨さや人間味を伝える役割を果たした。
まだ26歳の私は、スポーツ誌『Number』のスタッフライターになって半年くらい。そのNumberが45号(1982年2月20日号)で特集『熱パじゃ!』を組み、水島さんがそのユニフォーム姿で仁王立ちし、吠える姿を表紙に使った。その特集や熱パ・キャンペーンですぐセの人気に追いついたわけではなかったが、パ・リーグを主役に据え、パの面白さを真正面からアピールした、それが最初だったのは間違いない。
ちょうど40年がたったいま、セ・パの人気は拮抗し、格差などという概念を持たない若者が増えているのではないか。日本シリーズは昨秋ヤクルトが勝つまでパ球団の8連覇が続いていた。かつては、負け惜しみも少し含んだ「人気のセ、実力のパ」という言葉がよく使われたが、いまはもう「実力のパ、人気もパ」としてもセ・リーグは文句のいえない状況になっている。その先鞭をつけたのが水島さんだ。
神宮外苑で対戦して感じた野球への情熱複数の連載を抱えて猛烈に忙しいはずの水島さんだが、毎週の草野球は欠かさなかった。私もそのころ同じ神宮外苑軟式野球場でプレーしていたから、南海と同じ緑のユニフォーム姿の水島さんをしばしば見かけた。
一度水島さん率いるボッツと対戦したこともある。私が先発完投し、2対1くらいの僅差で敗れた。久しぶりに悔しくてたまらなかった。すると、試合後すぐに水島さんがガッカリする私のところに歩み寄り、配球の何がいけなかったか、詳細に助言してくれた。野球に対する熱の高さに、私は啞然とした。あまりの迫力に、「実は私も新潟の出身で、長岡高校で野球を……」などと、自己紹介することはできなかった。
水島さんは新潟市内の中学を卒業し、家が借金を抱えていたため進学できず丁稚奉公に行かされ、働きながらマンガ家を目指したと聞かされている。そのような境遇から、「野球マンガといえば水島新司」と言われる存在になった水島さんは私にとっては故郷の星であり、遠い憧れそのものだった。せめて野球で勝ちたかった。私が所属するチームも、神宮外苑ではボッツや後のたけし軍団らとともに強豪に挙げられる一つだったが、水島さんのボッツは一枚上だった。
実現しなかったドカベン・スタジアム「それはないだろう」と、私が悲しい怒りに打ちのめされたのは、2009年に完成した新潟県立野球場の名前が、ネーミングライツで「HARD OFF ECOスタジアム新潟」に決まったと聞いた時だった。
球場建設の話が持ち上がったころから、当時の平山征夫知事が「ドカベン・スタジアム」構想を打ち上げていた。水島さんも大喜びで、無償使用を快諾していると聞かされていた。ところが知事が代わり、味の素スタジアム、日産スタジアムなどの流れに沿って「ネーミングライツで直接収入を上げるべきだ」との判断もあったのか、ドカベン・スタジアムは幻となった。
さまざまな要因が複雑に絡んでいたという話もあるが、議論の間ずっと、水島さんがどんな苦渋を飲まされたか、想像するのも申し訳ない気持ちになる。それまで、故郷・新潟のためなら、頼まれればなんでもする、という姿勢で協力を惜しまなかった水島さんの気持ちを踏みにじり、恩を仇で返す振る舞い。
その後、知人があることを頼みに行って、「二度と新潟の頼みは聞かない」と断られたと聞いた。
同じように故郷を想い、いつか故郷に恩返しをと強く願って東京で生きている私にとって、水島さんの傷ついた気持ちは痛いほどわかる気がする。
新潟の繁華街・古町に設置されていた通称・ドカベン像が、水島さん側の要望で撤去するとのニュースもあった。結局、和解がなり、いまも山田太郎や岩鬼、殿馬らの像は街の名物になっているが、これもドカベン・スタジアム問題が尾を引いているのではないかと思う。
ドカベン・スタジアムと命名し、ドカベン像を球場の周りに配置すれば、野球の試合がない季節でもファンが訪れ楽しめる観光スポットになっただろう。売店で、ドカベン・キャラクター・グッズを販売してもいい。現在のネーミングライツ契約料は年間3000万円。キャラクター・グッズの販売収入や、付随する広告価値や文化的発展性を考えたら、その金額などはるかに上回る効果が生まれただろう。それを考えても残念でならない。
美しい言葉での追悼だけでは足りない大恩人への“謝意”ここ数年は、野球殿堂入りのニュースに打ちのめされた。
2018年から3年続けて、「特別表彰」の候補に挙がりながら、票数が足りず、見送られたとニュースは伝えた。そして水島さん側から「心境の変化があった」と、21年以降の候補者辞退の申し出があったと訃報とともに報じられた。
なんと、失礼な所業だろう。3年も落選の憂き目にあい、老齢の水島さんがどんな空しさを味わったことか。
野球界は水島さんに冷たい。もしかしたら、権威や出自を気にする日本社会はまだまだ排他的で、一代で、しかも筆一本で多くの人々を幸せにしたマンガ家という存在を素直に認めないのか。
野球界は必要な敬意を表さず、故郷も冷たく、水島さんには申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
最後にお会いしたのは、たしか9年前。吉祥寺・井の頭公園に近い自宅兼仕事場に訪ねたときだ。「水島」と表札のある立派な門構え。思わず後ずさり、全景を見上げてしまうような豪邸。まだ雑誌連載を精力的に続けていた水島さんはこう言った。
「孫がかわいいんだ。この家をね、なんとか孫の代まで住めるようにしてやりたい。そのためにさ、いまも一生懸命マンガを書いているんだ」
人懐っこい顔、どこか新潟弁の調子が残る飾らない口調でつぶやいた水島さんの表情がまぶたに焼き付いている。その思いこそは、かなってほしいと願う。
野球界は、そして郷里・新潟は、美しい言葉で追悼するだけでは足りない。
「水島さん、ありがとう! ごめんなさい!」
大声で叫んで、野球界の大恩人、郷里を愛した大先輩を天国に送りたい。
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