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藤澤五月「カーリング人生で快心の一投は?」の意外な答え……切望する世界一へ、背負う覚悟

REAL SPORTS / 2022年2月15日 13時28分

10代でそう誓った藤澤五月は今、北京の舞台で世界一を目指して戦っている。平昌五輪で日本カーリング史上初めての銅メダルを獲得する原動力となったが、そこからの4年間、彼女の口から漏れるのは満足とは程遠い言葉ばかりだった。「カーリング人生で会心の一投は?」。その答えにこそ、藤澤五月のスキップとしての矜持(きょうじ)が詰まっている。

(文=竹田聡一郎)

10代から世界を目指すも……国際舞台で結果を出せず葛藤する日々

「世界で戦えるカーラーになりたい」

18歳の藤澤五月はそう宣言した。高校卒業後、地元・北見(北海道)から軽井沢に引っ越し中部電力に入社した頃だ。

藤澤擁する中部電力は2011年から日本選手権4連覇という目覚ましい成績を残す一方で、国際舞台では結果が出なかった。

ジュニア時代を除いて初の世界挑戦は2011年のパシフィックアジア選手権(中国・南京)だったが、そこでは参加4カ国中、最下位の4位。世界選手権初出場の2013年大会(ラトビア・リガ)も7位に終わる。

その後、藤澤はロコ・ソラーレに加入することになるが、その理由の一つにジェームス・ダグラス・リンド(以下JD)ナショナルコーチの存在があった。

JDコーチは2013年夏に北海道庁の「北海道女子カーリングアカデミー」でヘッドコーチを務めていた。道内のトップカーラー約30人を集め、チームの枠を超えて個人の強化を目的とするプロジェクトだ。

「あの人にあらためてカーリングを教わりたい。そう強く思いました」

北海道に戻ることを決断した藤澤はロコ・ソラーレ加入直後、2015年のアジアパシフィック選手権(カザフスタン・アルマトイ)を制し初の国際タイトルに輝くと、2016年の世界選手権(カナダ・スウィフトカレント)では準優勝し日本カーリング史上初の世界選手権でのメダルを獲得。さらに2018年平昌五輪での銅メダルと、世界への階段を駆け上がり、Fujisawaの名前は世界に知られることになった。

「いい結果じゃなかった。本当に下手で…」。口をつくのはいつも課題と改善点

以下は平昌五輪後の藤澤本人の談話だ。

「もちろんその舞台がオリンピックだったらいいんですけれど、とにかく世界一になってみたいと思うようになりました。世界選手権でもグランドスラムでもいいから勝ちたい。勝って世界一になりたい」

このシーズンからは平昌五輪で正式種目に採用されたミックスダブルスにも本格的に取り組み始める。山口剛史(SC軽井沢クラブ)をパートナーとして、2018年の世界選手権(スウェーデン・エステルスンド)でミックスダブルスでは初の世界挑戦で5位入賞を果たす。

しかし、藤澤の口から漏れるのは満足とは程遠い言葉ばかりだった。

「いい結果じゃなかった。私は本当に下手で。今すぐアウトターンの練習したい」

もちろんその過程で好ショット、藤澤でしか決められないスーパーなフィニッシュも幾度もあった。それでも本人は「決まってよかったですけれど、もうちょっと曲がってほしかった」などと、改善点を口にする。

では、これまでの人生で会心の一投はあったのか? そう聞かれたこともある。しかし本人は少し考えた後、「ないかもしれないですね」と静かに言う。

「スキップってみんなそうかもしれませんけれど、自分のショットは割と忘れちゃうんですよ。むしろ『決められなかった』という悔しさの方が多いです。いつかそれ(会心のショット)ができたらまたお話しします」

「あの子、『カーリングが楽しい、うまくなりたい』だけで生きているからね」

それでも、カーリングを語る藤澤はいつも楽しそうだ。

冒頭の「世界で戦えるカーラーになりたい」という宣言を受けた張本人で、当時の中部電力のコーチだった長岡はと美さんが教えてくれたことがある。

「あの子、基本的に『カーリングが楽しい、うまくなりたい、勝ちたい』だけで生きているからねえ」

また、北海道コンサドーレ札幌のスキップ・松村雄太が、藤澤五月とロコ・ソラーレ独特の強さをこう解説する。

「例えば、ラストロックにドローを投げて勝つために1投目にランバックやガード(ストーン)を払うクリアリングが必要になってくることが多いのですが、ロコ・ソラーレの場合、藤澤選手が2投ドローを投げることがよくあります。これは世界的にも珍しいかもしれません。藤澤選手の正確なショット、優秀なスイーパー陣、適切なラインコールがないと成立しないですね」

藤澤とバックエンド(サードとスキップ)を組む吉田知那美の言葉も紹介したい。スキップの最終投で迷い、チーム内で意見が分かれた場合、その結論の出し方について話してくれた。

「基本的には納得するまで話します。全員が納得するまで議論は続ける。どっちかが毎回折れるとか、誰かの意見を重んじるということはありません。ベストは4人全員が納得する形でショットに向かうことだから。でも、最終投を実際に投げるのはさっちゃん(藤澤)なので、彼女のファーストインプレッションは覚えておきます。迷ったときに最後にあらためて『最初のにする?』と提案することはありますね。それがベターなケースも多いです」

この北京五輪でも2月14日の朝の時点で、藤澤のショット率は10人のスキップ、フォースの中でトップの83.8%だ。彼女の技術と決定力ありきで同じドローを続ける。仮に1投目にミスが出ても、アイスの状態を共有し最新のものにアップデートしてリトライできる。その情報集約力こそがロコ・ソラーレの、いわば“戦術・藤澤五月”の源だ。

「ストイック、ストイック、ストイックの努力家」。本橋麻里が見た姿

10代で北見を飛び出して、世界で勝つためにカーリングに向き合った。

藤澤をロコ・ソラーレに誘った本橋麻里が藤澤を「ストイック、ストイック、ストイックの努力家」と評すように、これまで所属したチーム、師事した人物、取り組んだカーリング、フィニッシャーとしての彼女を理解して支えてくれるチームメート、全てから貪欲に学び、それを血肉としてきた。世界一までもう一伸びだ。

ただ、意外なことにロコ・ソラーレは平昌以降の4年間で、日本代表としての世界挑戦は2019年のワールドカップ(1シーズン限りの興行で以降は開催されず)ファイナル1回のみ。中部電力や北海道銀行といった国内のライバルに屈したシーズンもあれば、日本選手権を制して迎えた2020年の世界選手権は新型コロナウイルスの影響で中止になってしまうなど不運にも遭った。

「いい準備ができていたから本当に残念でした。試合したかったなあ」

その幻となった世界選手権について藤澤はそうボヤいていたが、同時期に「試合をするたびにチームとして強くなっていると感じる」と日本代表としての自信や覚悟に満ちた口調で話もした。

「ジャパンのラスト2投を投げるのは緊張するし、怖いと思う。でもその喜びはさっちゃん以外の誰にも味わえない。どちらも目いっぱい感じてほしい」

本橋は北京に向かう藤澤にそんなエールを送ったという。緊張と怖さ、喜びと誇り。それを受け入れ、自覚した先に世界一は待っているのだろうか。あと3試合、そしてプラス2試合、どんな展開になるのか楽しみでならない。

<了>







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