なぜ異例? 38歳・長谷部誠が破格の5年契約。好待遇の裏にある“求められる理由”とは
REAL SPORTS / 2022年3月9日 17時0分
ドイツ・ブンデスリーガのフランクフルトでプレーする長谷部誠が3月2日、クラブとの契約を2027年まで5年間延長したことを記者会見の場で明かした。すでにドイツでB級ライセンス取得コースを受講し、引退後の身の振り方も視野に入れる38歳のベテラン選手に対する破格の長期契約に込められたクラブのメッセージとは?
(文=中野吉之伴、写真=Getty Images)
長谷部誠への破格の待遇と、バイエルンに見る現実長谷部誠がフランクフルトとの契約を2027年まで5年間延長した。30代後半の選手に対して、現役の段階で引退後のポストまで組み込まれた長期契約が提示されるというのは破格の待遇といえるだろう。
現役時代、長年にわたり所属クラブのために戦い続けた選手がその功労を称えられ、引退後もクラブとの結びつきが揺らぐことなく、新しい役割と立場でクラブを支え続ける。そんな関係性は理想的にも思える。しかし、選手時代の貢献がそのまま引退後のクラブ内でのキャリアの保証に直結するわけではない。
元ドイツ代表キャプテンで、バイエルンでも主柱として大活躍していたバスティアン・シュバインシュタイガーやフィリップ・ラーム、少し前だとミヒャエル・バラックやシュテファン・エッフェンベルクといった名選手たちが、現在はバイエルンとは関わらずに、それぞれ別の仕事に従事しているというのは興味深い。
クラブとのいざこざが原因とされる場合もある一方で、仮にクラブがともに働くことを求めても、選手側が「引退後はゆっくりと時間を持ちたい」「ビジネスの勉強がしたい」「自分で事業を立ち上げる」など別ビジョンを持っていたりすることも増えてきている。
いずれにしても、どれだけ選手時代の貢献が大きくても、それぞれの役職にはそれぞれの適正と能力が求められるわけであり、誰でもホイホイと登用することは難しい。バイエルンでは元レジェンドGKオリバー・カーンが2020年1月に執行役員として復帰し、翌年7月からは最高経営責任者(CEO)の座に就いているが、2008年に現役を引退から実に13年もの時間が経っている。
欧州サッカーにおける現在の不文律指導者への道を歩むとしても、「プロ選手の経験がそのままプロ指導者としての資質や特性となるわけではない」というのが欧州サッカーにおける現在の不文律だ。
筆者は2009年にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを所得したが、その時の指導教官であるベルント・シュトゥーバーはことあるごとに、「現役引退後に指導者に転身しようとする選手がよく『経験を生かして頑張りたい』という言葉を口にするが、ここに間違いがある。経験はまだしていないと考えなければならない。指導者としての経験がないという事実を受け入れなければならないのだ」と話をしていた。
あるいはUEFAプロライセンスの元インストラクター主任フランク・ボルモートは、「いい選手がいい監督になるには長い道のりが必要だと考えている。選手と指導者の能力は分けて考えなければならない。元プロ選手も、指導者として最初から学ぶ必要があるわけだ。そして何より監督としての実戦経験がなければならない。指導者の育成に必要なのは、講習会やセミナーでの理論習得や指導実践の向上、そして現場での経験とのコンビネーション。監督としての実践経験がない人間に指導者としてのチャンスを与えるつもりはない。どのように知識を生かすのか。その学び方が大事なのだ」と強調していたのを思い出す。
断っておくが、プロ選手として長く活躍したことで培われたものが指導者としてマイナスに働くというわけではないし、さまざまな苦難を乗り越えた実体験が後進の選手にもたらすものだって小さいはずもない。ただ、それでも「指導者には指導者としての資質が必要で、正しい経験を積み重ねられる現場環境が大切」という考えがやはりドイツでは大切にされているのは間違いない。
特にここ10年間はそうした土壌が大切にされてきたからこそ、選手としては負傷などもあり一線級で活躍できなかったユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘル、ユリアン・ナーゲルスマンといった人たちが、指導者として大成を果たしている。こうした「実績が持つ説得力」は非常に大きい。
指導者の厳しい現実。元プロ選手でも「あれ?」と思われたら…そうした背景があるドイツだけに、現役中に将来の指導者としてのポストが準備されるというケースは稀だ。クラブのレジェンド級の選手、あるいはすでにコミュニケーション能力や論理性、確かな専門知識など指導者としての資質を大きく感じさせる選手でなければならない。近年のフランクフルトでいえば、引退後にクラブから指導者のポストを与えられたのは、元ブンデスリーガ得点王のアレクサンダー・マイアーだけ。
仮にチャンスを得たとしても、指導者としての経験を着実に積み、そこで評価されなければ次なるステップはない。ドイツでは育成年代であっても指導者に対する選手や保護者の評価基準は厳しい。元プロ選手でもその声かけの仕方や指導法で「あれ?」と思われたら、途端に機能しなくなる。最初はみんな期待でわくわくしているけれど、話していることが抽象的だったり、感情的になることばかりだったら、子どもたちは耳を傾けようとはしなくなる。子どもたちは、愚かではない。
逆のパターンもある。クラブサイドが望んでも、選手サイドが指導者になることを望まないこともある。選手による自身のブランディングに対する考え方も変わってきているのだ。
一昔前まで、プロクラブの監督は一人で全権を握る象徴的な存在だった。だが、今は違う。ブンデスリーガでは強化部長やスポーツディレクター、スポーツコーディネーターというさまざまな立場の人が人事権を握っている。それでいて敗戦の責任はすべて監督の両肩に乗せられ、チームがうまく機能していないとすぐに飛ばされてしまう。
そのため監督業はセカンドキャリアとして理想的なキャリアではないと考える元プロ選手は増えてきているという。スポーツディレクターや強化部長という座を将来的に狙うために、現役時代からビジネス関連の資格を取ったり、企業で研修したり、大学で学位を取ったりする例も増えてきている。^
結局のところ、どの選手に、選手として以外でどんな資質があって、どんな適性があって、どんなキャリアが合っているのかは、その時点ではわからなかったりする。だから普通は現役時代の契約とそのあとの契約とは分けて考えられる。
だからこそ今回の長谷部の契約は異例なことなのだ。
「自分でいうのもなんですけど…」どんなクラブからも望まれる選手契約延長に関する記者会見の席で長谷部は次のように経緯を説明していた。
「チームのGMから『話をしよう』と言われて、その話のなかで僕は『選手としてやれるところまでやりたい』と伝えたところ、『引退後、指導者をやりたいのか?』と聞かれました。僕としてはその道も選択枠の一つであり、そのために指導者ライセンスも取ろうと考えている。クラブとしては僕をコーチングスタッフに迎え入れたいと考えてくれていると思う」
長谷部としては、「引退後は指導者になる」と決断しているわけではない。ただ、「次のステップを考えたときに、これだけクラブから評価を受けて、チャンスを与えてもらえている。そのチャンスを逃す手はないかなと……」と心情を明かしていた。日本サッカー界にとって欧州の地で指導する人材を増やすことの必要性も感じているという。
フランクフルトが長谷部のどこに資質を見出したのかに関しては、言わずもがな。
「自分でいうのも何なんですけど(苦笑)。人間性というか、僕がこれまでクラブに対して貢献してきたもの。選手としての評価だけではなく、監督やスポーツディレクターは、僕の人間性の部分を評価してくれていると感じています。彼らは僕が指導者という道を選んだとしても、そのポテンシャルを感じてくれているのだと思います」
長谷部には「ダメなことはダメ」と面と向かって言える強さがある。時に感情を表に出して、強く訴えかける迫力がある。けっして言葉数が多いわけではないかもしれないけれど、一つ一つの言葉に説得力がある。だからみんな耳を傾けるのだ。
そうした言葉は、間違いなく若い選手の心に響く。長谷部の言葉と行動には、何より自身が成長するための大事なヒントがいっぱい秘められているんだから、無限大の価値があるといっても過言ではない。
スポーツディレクターのクレッシェSDはこう話す。
「ハセベはどんなプロクラブも望む選手の一人。一人の人間として特に若い選手に大事な存在だ。お手本として、対話相手として、アイデンティティの象徴として、彼と長期契約を結べることはわれわれにとって重要なことだ」
選手としてだけではなく、人間性だけではなく、どちらも兼ね備えている。それも比類することができないほどのハイクオリティでというのは驚異的とさえいえる。
長谷部の優れた人間性を象徴するコメント「僕自身、政治と…」長谷部の優れた人間性を象徴するコメントがある。前述の記者会見での一番最後の質問に対してのものだ。ウクライナ情勢について一言を求められていた。日本ユニセフ協力大使を務めているとはいえ、発言が難しいテーマなのはいうまでもない。「デリケートな話なので」と言って断っても、誰も文句は言わない。
でも長谷部は躊躇(ちゅうちょ)することなく話し出した。
「僕自身、政治とスポーツは切り離して考えるべきだと思っていた。だからこれまでなるべく政治的な発言はしてこなかった。けれど、この状況はいちスポーツ選手として、いち人間として、小さくても何か影響力があるのであれば、発言しなければいけないと思っていて……。
今の状況は間違っていると思うし、日本ユニセフ協力大使として紛争が終わった地域を訪れて、さまざまなものを目の当たりにしてきた身としては、あってはならない状況だと思います。
本当に、一日どころか一分でも一秒でもこの戦争、といっていいかわからないけど、これが終わればいいと思っているし、終わらなければならないと思っている。
サッカー選手が亡くなられたり、子どもたちが被害にあっていたり、もう、本当に心を痛めています」
正しきことをなすために、正しきことを言葉にする。
意図が間違って伝わらないように注意を払いながら、責任感と勇気を持って地に足をつけて歩いている。
そんな人間性を持つ長谷部だからこそ、フランクフルトは指導者としても間違いなく高い資質を持っていると判断し、クラブの象徴として是が非でもつなぎとめておきたかったのだ。
<了>
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