「SNSが普及している時代だったらヤバかった」中田浩二が振り返る日韓W杯“トルコ戦”舞台裏
REAL SPORTS / 2022年5月9日 11時50分
11月に開幕するFIFAワールドカップ2022 カタール大会への切符を手にしたサッカー日本男子代表は、グループも決まり、開幕まで約半年を切った。森保一監督率いる“SAMURAI BLUE”たちに、これからどんな旅が待っているのか――。
大会に先駆けて、カタールでアディダスの公式試合球「アル・リフラ」が披露され、それを出発点として世界各地をつなぐアル・リフラの旅として一連のキャンペーンを展開する。日本では東京の主要エリアをアル・リフラがさまざまな著名人と共に旅をする「MY JOURNEY」が行われ、トップバッターとして中田浩二さんが六本木のアディダス ジャパンからボールをつなぐ。
2002年と2006年の2大会に出場した中田さんとともに当時を振り返りながら、日本中を熱狂の渦で包んだ日韓大会の舞台裏について明かしていただいた。
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部)
「新幹線で止まらない駅でも…」2002年の前代未聞の大フィーバーを振り返る――今回のFIFA ワールドカップ 2022カタール大会で使用されるアディダスの公式試合球は、「世界をつなぐ旅が、ここからはじまる」がコンセプトです。中田さんは2002年と2006年の2大会に出場されましたが、ワールドカップでの経験がその後のキャリアにおいてどのようにつながっていますか?
中田:特に2002年は日本で行われた初めてのワールドカップでしたし、自分自身にとっても大きな目標にしていた大会だったので、そのような大会に出ることができたからこそ今があるという思いは当然あります。やっぱりワールドカップというのは世界中のトップ選手たちと真剣勝負をする場であり、さまざまな選手たちにとって夢の舞台だと思うので、より世界というのを意識するようになった経験でした。だからこそ海外のクラブでプレーしたいという思いも強くなりましたね。
――2002年の日韓大会は自国開催ということもあって、これまでにないほどの熱狂でしたよね。
中田:想像以上の盛り上がりでしたし、やっぱり日本国民の皆さんからの注目度も非常に高くてすごく応援されているなと感じていたので、それに応えなくちゃいけないという思いも当然ありました。サッカーが一気にブームになりましたし、サッカーを中心に国が一つになって盛り上がったという感覚はありましたね。
――あれほどまでの注目を集める中で、やはりプレッシャーもありましたか?
中田:プレッシャーは正直ありましたけど、大会が始まるまでだったかなと。大会が始まって、ベルギー戦(グループステージ第1戦 2―2)で引き分けてからはあまり感じなくなりました。やっぱり、「初戦で負けたらどうなるんだろう」といろいろ考えていた部分はあったんですけど、勝利はできなかったものの勝ち点1取れたというのはポジティブに考えられたので。実際に戦ってみて、「あ、イケるんじゃないかな」という手ごたえも感じられましたし。
――スタジアムもものすごい空気感に包まれていましたよね。初めてピッチに立った時はどんな気持ちでしたか?
中田:あの時は本当に緊張しました。どちらかというと緊張しないタイプだと思うんですけど、アンセムを聞いて、あのスタジアムの雰囲気を味わったら緊張しましたし、ちょっとフワフワしていましたけど、試合に入ってしまえば少しずつ緊張も解けていきました。
――中田さんは緊張をあんまり感じさせないイメージがありますけども、緊張しないように心がけていることはあるんですか?
中田:“考えない”こと。考えるといろいろなことを思ってしまうし、余計緊張してしまいます。なのでピッチに入る直前から何も考えないようにしているし、「十分やってきたから大丈夫」というふうに考えるようにしていました。
――日韓大会で中田さんは全試合フル出場されていましたが、あの熱狂の中心にいた中で、何が一番「すごい」と感じていましたか?
中田:やっぱり日本国民の方々の盛り上がり方ですね。例えば僕らがバスで移動する時に、ファン・サポーターたちが沿道で声援を送ってくれたり、新幹線で移動する時には、止まらない駅でも応援の声が聞こえて。普段なら、あり得ないじゃないですか。
家族や恩師、友人ももちろんですけど、本当にいろいろな人が応援してくれていましたし、サッカーで盛り上がることで、日本が一つになっていたなというのはすごく感じましたね。
――日韓大会の時に、中田さんはトルシエ監督により本職だったボランチからディフェンダーにコンバートされましたが、自身としてはポジティブに受け入れていたんですか?
中田:最初は嫌でしたけどね(苦笑)。ディフェンスはやりたくなかったですし、そもそもやったことがないのでどうするんだろうと思っていました。
――もともとどちらかというと、前に絡むタイプのボランチでしたよね。
中田:そうですね。なので、帝京高校時代も「守備しないボランチ」って言われていましたし(笑)。最初は嫌でしたけど、ポジションが変わることよりもとにかく試合に出たいという思いのほうが強かったので、とにかくやってみようという気持ちでした。
――最近ではさまざまなポジションをこなすポリバレントな選手が重宝されていますが、その先駆けのような存在だったのでは?
中田:今考えるとそうですね。ボランチやセンターバック、左ウイングバックなど、いろいろなポジションをやりましたから。
――高校時代はいわゆる「王様」のような選手だったと思うので、当時は想像できませんでした。
中田:そうですね(笑)。同世代の選手たちのレベルが高いというのもありましたし、その中で負けたくない……と考えると、とにかく与えられたポジションで試合に出ることが一番重要で。そのポジションで何をしなくちゃいけないかということを考えながらプレーしていたのかなと思います。
当事者が考える、日韓大会「トルコ戦敗戦」の理由――日本代表にとっての初の決勝ラウンド進出を決め、1戦目でトルコと対戦しました。その試合で敗戦となってしまいましたが、今振り返ってみると、勝ち進むことができなかった理由は何だったと思いますか?
中田:日本はそれまでワールドカップでグループステージを突破したことがなかったので、グループステージ突破が当時のチーム全体として最低限の目標でした。それが達成できた時に、少し達成感が得られてしまったんだと思います。本来であればそこからギアを入れていかなくちゃいけなかったんですけど、僕らはまだそこの先の景色を見たことがないので、満足感を感じてしまった。トルシエがあの時、ここから先は「ボーナスステージ」というようなことを言っていたような気がしていたんですよね。だから精神的な部分で、そこで一息ついてしまった部分はあったかなと思います。
あと、ベスト16に進んだ中で、トルコはその先へ進むための可能性が広がる相手というのもあったのかなと思いますね。わりと戦いやすい相手だろうなと。
――ベスト16に進んだ他のチームと比べて少しラッキーな気がしてしまったんですね。
中田:スペインやイタリアなどと当たっていたら「またしっかりやらないとだめだ」と気を引き締めていたと思うのですが。予選3試合も結構いい試合ができたと思いますし。そういうところで、ちょっと隙を作ってしまったのかなと思います。
――逆にトルコはすごくしたたかに、自分たちのサッカーをやるというよりも日本の良さを消すような堅いサッカーをしていましたね。
中田:そうですね。だから僕らのほうがボールは持てていたと思いますが、持てていたのか、持たされていたのかというのも分からないまま試合を進めてしまった。そういうところでも、はめられていたのかなと思います。
「今のようにSNSが普及している時代だったらヤバかった」――あの時、中田さんのバックパスがずれてしまい、コーナーキックから得点されてしまったアクシデントもありました。あれだけ注目された大会だったので、相手のチャンスを招いてしまったというようなさまざまな捉え方をする方もいたと思います。
中田:そうですね。まあ、批判されましたし、実際そうだなと。ワールドカップのような大舞台でああいうミスはしてはいけない。あの時も、いつもだったら慎重にやっているようなところを何も考えずにパスを出してしまったところで相手に引っかかって、慌てて後ろに下げたところでコーナーキックになってしまった。
結果論なので、あれが本当に全てかどうかというと分からないですけども、間違いなく(敗戦の)原因の一つではあると思うので。やってしまったことは事実で、それをどう取り返すかしか考えていませんでした。結果としてその試合で日本のワールドカップが終わってしまったというのは、本当に申し訳なかったです。
――感覚として、その時どれくらい批判されたか聞いてもいいですか……?
中田:いや、めちゃくちゃ言われましたよ。外も歩けませんでしたし、今のようにSNSが普及している時代だったらヤバかったなと。それでも本当にいろんなところから批判がきました。メディアでもたたかれましたし、(当時所属していた鹿島アントラーズの)クラブハウスにも批判の手紙がたくさん届きました。
――それもすごいことですよね。サッカーというスポーツは手を使わずに足で行うということもありミスがつきものではありますが、あの時の経験から学んだことというのはありましたか?
中田:大舞台ではああいうミスが命取りになるんだなとすごく思いましたし、だからこそあのような大会だけでなくリーグの試合や日々のトレーニングも含めて、常に自分の胸にそのことを刻みながら、危機感を持ってやっていかなければならないということを学びました。
通訳もつけず一人でマルセイユの街中を歩いていた――中田さんは、メンタルコントロールが上手な印象がありますが、ミスをした時はへこむよりも切り替えられるタイプですか?
中田:そうですね。楽観主義者ではないですけど、引きずってもしょうがないなと。こういった考え方は、小さい頃からの生活環境も影響していると思います。親が転勤族だったので、学校もよく転校しましたし、そういう中でどうやって受け入れてもらえるかということをいつも考えていました。逆に、これまで高校時代も含めてサッカーを通していろいろな経験をさせてもらってきた中で、考えれば考えるほどネガティブな方向に進んでいくという感覚があるので、あまり深く考えすぎないように意識しています。
――サッカー人生においても、中田さんは鹿嶋、フランス、スイスとさまざまな土地でプレーしてきましたよね。ワールドカップという大会自体も、性別、年齢、人種に関係なく、あらゆる人々が一体となって熱狂する世界最大級のスポーツイベントですが、中田さんが初めて国際的な部分での多様性を感じたのは、いつ頃ですか?
中田:1999年にナイジェリアで行われたワールドユース(現U-20ワールドカップ)直前の合宿でブルキナファソへ遠征に行った時ですかね。その時に、トルシエに「お前らこの環境に慣れろ」というような感じで現地のいろいろな施設に連れていかれたんです。そこで現地の人との交流を通して、さまざまな世界があることを知りました。あとは、2005年にマルセイユへ移籍した時は、本当にいろいろな人がいました。
――選手やクラブ関係者以外にも、現地の人とコミュニケーションする機会はけっこうあったんですか?
中田:街中に住んでいたんですよ。その時は一人でマルセイユに行っていたので、結構一人で街の中をふらふらしていたんです。基本的には「危ないから一人で出歩くな」と言われてはいたんですけど(笑)。まあ大丈夫だろうと思いながら、一人でご飯食べたりしていました。やっぱり、現地のものに触れないといけないというのをすごく思っていたので。マルセイユはアフリカから来ている人が多かったり、フランス人もプライドの高い人が多かったりしてやりづらさはありましたけど、本当にいい経験になりました。
自分から積極的にしゃべるということの大事さも、なかなか日本にいると分からないじゃないですか。でも、海外へ行くと向こうの人と話さなければと思っても、文法も出てこないし発音もうまくないのであまり会話のキャッチボールができないんですよね。だからそれじゃだめだなと思って、覚えたての単語だけでもいいから、どんどん話しかけるようにしていました。そうしていくうちに意外とコミュニケーションが取れるようになっていったので、良かったと思っています。
――やっぱり、世界にはさまざまな生活を送っている方やさまざまな文化、性格の人がいる中で、日本にいるだけでは分からない世界がたくさんありますよね。
中田:そういう狭い価値観を壊したくて、海外へ行ったというのもあります。だから通訳などもつけずに一人で行ったんです。
<了>
PROFILE
中田浩二(なかた・こうじ)
1979年生まれ、滋賀県出身。元サッカー日本男子代表。帝京高校卒業後、1998年に鹿島アントラーズへ加入。11の国内タイトル獲得に貢献した。2005年よりマルセイユ(フランス)へ、2006年にバーゼル(スイス)へ移籍し、海外でもタイトル獲得を経験。2008年より古巣の鹿島アントラーズへ移籍後、2014年シーズンをもって現役を引退。日本代表としては2002年、2006年の2度のFIFAワールドカップに出場。2002年日韓大会ではディフェンダーとして全試合フル出場を果たし、ベスト16入りに貢献。ボランチ、センターバック、サイドバックとさまざまなポジションをこなすポリバレントとして、現役時代は大きな実績を残した。引退後の2015年からアントラーズのC.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)に就任し、その他解説やメディア出演など幅広く活躍している。
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