なぜ、サニブラウンは“どん底”から復活したのか? 専門家が語るフォームの変化
REAL SPORTS / 2022年7月20日 12時17分
アメリカ・オレゴン州で行われた陸上の世界選手権男子100mで、サニブラウン・アブデルハキームが日本人として同大会初の決勝進出を果たした。決勝では、10秒06で7位入賞を果たしたサニブラウンだが、昨年行われた東京五輪では100mで出場権を逃し、200mでも本人が「ひどすぎた」と振り返った走りで予選敗退。不調にあえいでいた日本のエースはなぜ復調し、快挙を達成できたのか? ランニングフォーム分析の専門家、細野史晃氏に聞いた。
(解説=細野史晃、構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)
史上稀に見るハイレベルな予選で勝ちきった日本人初の世界陸上男子100mのファイナリストに、強豪ひしめく激戦の中で決勝でも7位入賞と、サニブラウン選手の快挙には目を見張るばかりですが、オリンピックシーズンの不調、先日明らかになったヘルニアによる低迷を知る陸上関係者にとって、サニブラウン選手の復活は、何重もの驚きとインパクトがあります。
まず、男子100mでの決勝進出という夢のような結果についてですが、さらに驚かされるのが、今大会のレベルの高さ。オリンピックの次の年ということもあって、ピーキングの山を2021年に持ってきていた有力選手は、軒並みタイムを落とすのでは? という予想もありましたが、ふたを開けてみれば予選から好記録のオンパレード。予選2組のフレッド・カーリー(アメリカ)が9秒79というあらゆる世界大会の予選でもお目にかかった記憶がないほどの好タイムをたたき出します。続く3組でもトレイボン・ブロメル(アメリカ)が9秒89でトップ通過するなど、7組のうち5組で9秒台が出るというすさまじい予選になりました。
この予選を9秒98のシーズンベストで勝ち抜き、準決勝でも各組3位以下、上位2人のタイムで決勝進出を果たしました。ハイレベルな予選を勝ち抜いたことでいえば、坂井隆一郎選手も同様。予選4組を10秒12の3位で突破したことは、今後につながる大きな結果だったと思います。
不調の原因は故障、復活の要因は?日本中の期待を背負って挑んだオリンピックシーズン、2021年のサニブラウン選手の走りは、自他共に認める「どん底」に近いものでした。オリンピック代表選考会を兼ねた日本選手権は10秒29で6位に沈み、代表権を逃します。
出場権を得た東京五輪200mでも、21秒41と振るわず、予選2組最下位でいいところなく敗退。後に本人が明かしたところによると、2021シーズンはずっとヘルニアによる腰痛に悩まされ、歩くのもつらい状態だったといいます。
その状態から、今年6月の日本選手権では100mの予選で10秒11、準決勝で10秒04を出してオレゴン世界陸上の参加標準記録を突破し、決勝では10秒08のタイムで3年ぶりの優勝を果たすまでに持ってきた。休息と治療、十分なトレーニングを両立させて世界陸上に照準を合わせてきたことが2つ目の驚きです。
注目はアメリカ留学以降のフォームの変遷では、なぜサニブラウン選手は不調から脱し、快挙を達成できたのでしょう? ランニングフォーム分析の専門家として見逃せないのはやはりサニブラウン選手のフォームの変化です。
2016年からアメリカのフロリダに練習拠点を移したサニブラウン選手は、2017年以降、体が徐々に大きくなり、筋力の最大出力、パワーを利用したフォームに移行していました。フォーム矯正をかなりしているという話で、世界トップレベルのアメリカに身を置いたことで足りないものが見えたということもあったのでしょう。
しかし今大会では、これまでのパワー路線から一転、まるで高校時代に戻ったかのようなスリムな体型で世界陸上に挑んでいたのです。一見してわかるウェイトの変化はもちろん、以前より筋肉もそぎ落とされ、フォームもエンジンの出力を上げてパワーを生かすフォームではなく、流れるような重心移動に主眼を置き、腕振りも前に腕を振り出すような以前の独特なものに回帰。2つの要素が上手に噛み合って生まれたピッチが記録につながりました。
高校時代に近いフォームに戻ったわけですが、身長も伸び、削ぎ落としたとはいえベースがアップしている筋力が加わり、単なる原点回帰ではなく、正統進化したフォームが以前とは違う次元の速さを生み出している。そんな印象を受けました。
6月の日本選手権を制した際は、まだ走りに精彩を欠き、どこか重そうな走りである印象が拭えませんでしたが、短期間で本人の中で大きな変化があったのか、それとも準備してきたものが実を結んだのか、それはわかりませんが、ヘルニアを抱えるサニブラウン選手にとっては、今回のような体重移動と腕振りを組み合わせたピッチでスピードを生むフォームの方が適していると思います。
「速ければ気にしない」とらわれないサニブラウンのさらなる成長に期待実は、2017年の年末に縁あってサニブラウン本人と話をさせてもらう機会がありました。走りの感覚について聞いたところ、「フォームよりも速く走れればなんでもいい。走っていればそれなりにいい感覚がつかめてくる」という趣旨のコメントをしていました。大きな故障を経験し、彼の感覚が変わった可能性もありますが、こうあるべきというフォームの概念やトレーニング方法にこだわることなく、いい流れに身を委ねられるのも彼の強みかもしれません。
今回の決勝後、「準決勝で使い切った感じがあって、体の動きはよかったけど、最後のツメが甘かった」とコメントを残し、メダルへの意欲を見せたサニブラウン選手。
7年前の世界陸上北京大会、16歳172日で200mの準決勝に進み世界を驚かせたサニブラウン選手。ジュニア期の活躍、20代の低迷と故障を経て復活という道筋は、くしくもあのウサイン・ボルト選手とほぼ同じ軌跡。自分の感性を生かした走りで今回大きな成果を手にした彼は来年以降にまた、大きな成長をしてくれるのではないかと期待せずにはいられません。
<了>
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