DeNA・山﨑康晃、史上最年少200セーブの裏側。ハマの番長の背中、三嶋の回想、笑顔の理由…7年半の軌跡
REAL SPORTS / 2022年9月7日 12時0分
ハマの小さな大魔神は、昨季までの不振が嘘のように復活を果たした。8月24日、史上最年少29歳10カ月での200セーブを達成した。これまでの日々は順風満帆だったわけではない。逆風もあった。だからこそ支えてくれた人たちへの感謝を決して忘れることはない。山﨑康晃が歩んだ7年半の軌跡。その全てがこの男の礎となっている――。
(文=石塚隆、写真=Getty Images)
ルーキー山﨑康晃の傍らで、当時現役の“ハマの番長”が伝え続けた言葉チームを変えた、その存在感と影響力――。
8月24日の阪神タイガース戦(京セラドーム大阪)で、史上最年少200セーブを達成した横浜DeNAベイスターズの守護神である山﨑康晃。デビューイヤーの2015年3月31日の広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で初セーブを挙げてから約7年半、紆余(うよ)曲折ありながらようやくたどり着いた誉れ高い記録である。
「監督、コーチ、トレーナー、家族、たくさんの方が支えてくれた大きな数字になったと思うので、支えてくれた方々に感謝の気持ちを伝えたい」
記録達成後のインタビューで、山﨑は万感の思いを込めそう語った。
その凛(りん)とした姿を、目を細めうれしそうに見つめていたのが三浦大輔監督だ。
三浦監督と山﨑は、2015年と2016年の2年間、現役時代を共に過ごしている。ハマのエースだった三浦監督の背中を見て、若き日の山﨑は、準備の大切さや勝負に挑む姿勢、ファンサービスなど多くのことを学んだという。また当時監督だった中畑清から大抜てきされルーキーながらクローザーを任された山﨑の背中を押したのも三浦監督だった。山﨑は当時を振り返りこんな話をしてくれたことがある。
「入団当初、先発として結果を出せず模索していたときにクローザーに選ばれました。クローザーがどういったものなのか分からない時期、三浦さんが言ってくれたんですよ。『もうおまえがチームのクローザーだから、がんばるしかないんだ。おまえが打たれたとしても仕方がない、と諦めがつくピッチャーなんだから思い切って腕を振ってこいよ』って。本当、その言葉が心強かったことを覚えています」
ルーキーイヤーは当時新人最多記録となる37セーブを挙げるとリーグ新人王を獲得。打ち込まれて気落ちすることもあったが、その傍らではハマの番長がこう言い続けていた。
「野球の借りは、野球でしか返せない。やられたらやり返すしかないんだ」
この言葉に宿る精神性は今も山﨑を支え、200セーブという決して簡単ではない道のりを歩ませる、一つの要因となった。
「僕は小さいとき苦しいことから逃げてばかりだった」。いつも笑顔の理由順風満帆ではなく、逆風も襲う日々。しかしデビュー以来、山﨑と接してきてつくづく感じてきたのが、“プロフェッショナルとは何ぞや?”ということだ。マウンド上ではもちろんのこと、山﨑はグラウンドを離れてのメディアやファンへの対応であっても、ブレることなく自分の仕事を誠実に遂行してきた。幾度となく選出されている侍ジャパンでは“広報部長”と称しファンが見ることのできないバックヤードから選手たちの様子や素顔を発信したり、また2020年と2021年は不振からクローザーを外されるなど苦しい思いもしたが、山﨑は決して万全ではない状態であっても取材拒否することなく、真っすぐにこちらを見て状況を話してくれる。
山﨑の言葉を思い出す。
「やはりプロとして今ある姿と向き合うのはすごく大事なことだと思うんですよ。いいときばかりじゃないし、悪いときこそ自分を見つめるという意味で、メディアへの対応というのは重要だと思っています。本心では苦しいなと感じていても、向かっていかないと次はない。悪いときほど多くの人が見ていると思うんです。常に平常心でいることはクローザーとしても必要なことですし、弱っている姿を仲間や周りの方々に見られたり、悟られた時点で負けだな、とも思うんですよね」
プロとしての矜持(きょうじ)。幼いときから恋焦がれ、憧れていた場所でプレーすることの意味。今はコロナ禍でファンと接する機会は限られているが、以前はキャンプともなると日が暮れるまでサインに応じる山﨑の姿があった。これが当たり前のことなのだ、と。特に少年ファンに対しては、山﨑自身が膝を折って同じ目線でサインをしてあげている姿は印象的だった。
「野球をやっている子どもからしたら、わずかな時間であってもプロの選手が書いてくれたサインって大きな宝物になるんです。僕もすごく影響を受けた野球少年の一人でしたし、初心を忘れたくないという気持ちもあって、どんなに忙しくてもサインするんですよね」
だから山﨑はいつも笑顔を絶やさない。苦しい時期は、その笑顔に弱々しさや陰を感じることもあったが、それでも背筋を伸ばし、ポジティブに前を向き自分のなすべきこと粛々と行う。そんな山﨑の確固たるマインドを育てたのが、昨年他界した最愛の母であるベリアさんだ。
「僕は小さいとき苦しいことから逃げてばかりだったんですけど、そのたびにお母さんに首根っこつかまれて『行ってこい!』って(笑)。よく言われていたのは『常に笑顔でいなさい』ということでした。だから僕は苦しいときほど笑うようにしていましたし、逆にそれによって周りから『つらかった』なんて言われることもありましたけど、そういうところも見てくれている人のありがたみを感じることができたり。苦しいこともあったけど、そうじゃないと僕じゃない。楽しいときもつらいときもずっと笑顔でいられるようにしたいですね」
「あんな後輩、見たことない」。三嶋一輝が語る、ブルペンを一枚岩にした山﨑の影響プロになって8年目、気が付けば年長の選手となり、山﨑はかつての三浦監督がそうだったように若い選手に対して背中を押してあげるアドバイスを送るなど、信頼される中心選手としてチームを支える役割も担っている。
チーム事情もあって、ここ数年来、DeNAのリリーフ陣はハードワークを強いられているが、ブルペンの雰囲気は意気軒高でとても明るい。投手たちが互いの役割を理解し、ブルペンをあずかる木塚敦志投手コーチを中心に“一枚岩”の様相を見せている。
ブルペンが今のような環境になったのは山﨑の影響があったと語るのは、2学年上の先輩である三嶋一輝だ。
「僕はルーキーのときブルペンに入っていたので以前の雰囲気を知っているんですけど、ヤス(山﨑)が新人でクローザーを任されたことで『この若い抑えにつなぐぞ』という士気が生まれ、雰囲気が変わったような気がしますね」
確かに山﨑がまだ若い時代、クローザーとして不振に陥ると、須田幸太や三上朋也、田中健二朗といった先輩たちが「ヤスのために」と体を張ってカバーしたことがある。いいブルペンだな、と思ったのを昨日のことのように覚えている。また三嶋自身、過去2年、山﨑に代わってクローザーを務めチームを支えてきた。
三嶋はうれしそうに、山﨑について話してくれたことがある。
「あんな後輩、見たことないですよ。アラを探してもない(笑)。野球に対して自分なりのビジョンや答えを持っているし、一言でいうと、いや本当にすごいなって。オーバーかもしれないですけど、いろんな人に愛されているし、野球をするために生まれてきたんだって思うことすらありますよ」
若手を支えてきたブルペンリーダーの三上も、山﨑の存在の大きさを認めている。
「結果を出していることは言うまでもなく、ヤスは野球以外の部分でもすごく気を使うんですよ。立場がそうさせているのかもしれないけど、若い選手たちへはもちろん、外国人選手のケアだったり、裏方さんへの配慮とか、そういうものも含めて、周りに与える影響は非常に大きいと思いますね」
そんな話を山﨑にすると、柔らかい表情で言うのだ。
「新人がいきなり抑えになるなんて、普通はあまり考えられないことですよね。それを快く受け入れてくれた先輩方、環境をつくってくれたコーチ、仲間、サポーターの皆さんに本当、感謝したいですよね」
あの時があったから、今の山﨑がある。
ハマスタのお立ち台で見せた、これこそが山﨑康晃だという場面8月31日の中日ドラゴンズ戦(横浜)、200セーブを挙げて以来、山﨑は初めてハマスタのお立ち台に上がった。インタビュアーから200セーブについて尋ねられると山﨑は「本当にファンの皆さんのおかげです」と、感謝を込めつつも自身の話を手早く済ませ、難病である胸椎黄色靭帯骨化症を患った三嶋について言及した。
「先日発表があった通り、三嶋さんが本当に一生懸命戦っています。ブルペンとしても一日でも早く(三嶋さんが)復帰できるように一生懸命がんばっていきたいと思っているので、皆さんも三嶋さんにエールを送っていただけると助かります」
これこそが山﨑康晃である。
今シーズンは3年ぶりにクローザーを任され、2年連続セーブ王を獲得したとき以上のピッチングを見せている。オフから試行錯誤してきた結果、生命線であるストレートの球威を取り戻し、さらに代名詞である切れのあるツーシーム(スプリット)が打者の空振りと打ち損じを誘う。いわば原点ともいえるツーサイドピッチで、チームの勝利に貢献している。水を得た魚のように、自分がいるべき場所であるリードの9回を「うりゃっ!」と気合とともに投げる姿は頼もしくある。
開幕前に“集大成”と語っていた今季、辛酸をなめつつたどり着いた史上最年少200セーブの誇りを胸に、山﨑は、チームと自身の夢である頂点へと突き進む。
<了>
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