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「もう生きていてもしょうがない」。レスリング成國大志、世界一を決めた優勝後に流した涙の真意

REAL SPORTS / 2022年10月18日 11時45分

9月に行われたレスリングの世界選手権。男子フリースタイル70kg級で成國大志が優勝を果たして金メダルを獲得し、2018年の乙黒拓斗以来4年ぶりの快挙を成し遂げた。2017年のドーピング違反による出場停止を受けて一度は死をも頭をよぎり、「完全に犯罪者でした」と語る扱いを受け、さまざまな壁を乗り越えた末にたどり着いた今大会決勝。優勝後に流した涙の真意とは――。

(文=布施鋼治、写真=保高幸子)

優勝後の涙。「本当にいろいろありすぎて…」の真意

「20数年間、この瞬間を待ちわびていました。ただ、優勝するまでにもう本当にいろいろありすぎて……、ハイ。やっとここまで来た感じです」

9月16日(現地時間)、セルビアの首都ベオグラードで開催されたレスリング世界選手権。男子フリースタイル70kg級で優勝した成國大志は現地に集まった日本の記者たちに囲まれるや、目に涙を浮かべながら胸中を吐露した。

離日直前に新型コロナウイルスに感染していることが判明し、最終調整に励まなければいけない期間に隔離生活を余儀なくされ、他の日本代表より遅れて単独で現地入りした。さらにその道すがら、預けておいたスーツケースがベオグラードの国際空港に届かないというロストバゲージにも遭遇した。負の連鎖は続く。機内持ち込みのリュックだけを手に指定されたホテルにチェックインを済ませ、食事に出かけると部屋に置いておいた1万円札2枚がなくなっていたという。

前日(15日)、準決勝を勝ち抜いた時点で、連続して降りかかってきたアクシデントについて成國は「本当に焦った」と打ち明けている。「シングレット(レスリングのコスチューム)やレスリングシューズは手持ちのリュックに入れていたので試合をすることは問題なかったんですけどね。結局、スーツケースが届いたのは大会前日(14日)でしたね」。

試合前にこれだけのアクシデントが重なれば、それだけでニュースになる。しかし、「本当にいろいろありすぎて」の真意はそれだけではなかったように思える。むしろ、5年前に起こった事件のほうが成國にとっては大きかったのではないか。

2017年10月に出場した全日本学生グレコローマン選手権に出場したとき、成國は大会後のドーピング検査で引っ掛かり、1年8カ月に及ぶ出場停止処分を受けていた。薬剤師が処方した禁止物質を含んだ薬を服用したことが原因だった。

セルビアから帰国して間もない晩夏の夜、成國は杉並第三小学校でキッズレスラーたちに指導をしていた。指導を母・晶子さんにバトンタッチすると、成國は「この小学校は僕の母校なんです」と切り出した。「荻窪に常設道場ができる前、(成國が所属する)MTX GOLDKIDSはここを拠点に練習していた時期もあったんですよ」。

もう本当にいろいろありすぎての真意について聞くと、成國は「一番はやっぱりドーピングでしょうね」と頷いた。「あの事件があったからこそ今があると言えるところまできたと思います」。

“ダークマッチ”の敗北。帰国後「喉から血の混じった痰が出るほど…」

時計の針は2017年10月のロシア・ヤクーツクへの遠征試合(ドミトリー・コーキン国際大会)までさかのぼる。当時青山学院大学の2年生だった成國はタックルで相手の下半身を攻めることができるフリースタイルの61kg級のトーナメントに出場した。

ロシアはレスリングが盛んな国だが、インフラの整備はいまひとつ。成國が3位決定戦に出場する直前に市内は大停電に見舞われた。成國は「準決勝や敗者復活戦までは電気が点いていた」と思い返す。「でも、3位決定戦の前にパッと消えてしまいビックリしてしまいました」。通常なら大会進行はストップされるが、現地での停電は日常茶飯事のせいか、ダークマッチになっても大会はそのまま進行した。

「スコアを示す電光掲示板も試合時間を計るタイマーもついていない。対戦相手も目を凝らさないと見えないような感じでした」

第1ピリオドが終わると、成國のセコンドに就いた北京五輪の銀メダリスト・湯元健一コーチ(現・日本体育大学専任コーチ)がわざわざスコアを確認しにいかなければいけないほどだった。結局、成國はこの3位決定戦に敗北を喫する。試合をする環境だけでも疑問符がつくのに、その直後さらなるアクシデントが待ち受けていた。大量の汗をかいたにもかかわらず停電は続いていたので温水シャワーを浴びれず、「汗だくのまま、長時間放置されたような感じ」だったので身体を冷し風邪を引いてしまったのだ。帰国後、成國は風邪をこじらせ気管支炎になっていた。「咳が止まらない。喉から血の混じった痰が出るほどでした」。

頭の中を絶望の二文字が支配。「初めて過呼吸みたいになりました」

普段から成國は病院には行かず、自然治癒に任せる自然児だった。しかし喉の調子があまりにも悪かったので、子どものときにかかったことのある病院で薬を処方してもらった。その薬を疑いもせず口にしたことで、成國のレスリング人生はあらぬ方向に進んでいく。そもそも全日本学生グレコローマン選手権後に受けたドーピング検査は、成國にとって生まれて初めて受けるそれだった。「検査って、こんな感じで受けるんだ」その程度の感覚だったが、ふと思った。

「そういえば、俺、薬を飲んでいたよな」 

検査が終わってすぐ自分が飲んだ薬の成分を調べた。その刹那、頭の中が真っ白になった。禁止物質が混じっていたのだ。 

「初めて過呼吸みたいになりました」 

運良く今回はスルーされるといった奇跡が起きるようなことは考えなかった。頭の中を絶望の二文字が支配した。

通常なら処方する薬剤師が「スポーツファーマシスト」の資格を持っているかどうかを確認し、さらに処方された薬の成分を自分で確認する。アスリートにはそういった細やかな手順が求められるが、少なくともそのときの成國にそういった知識はなかった。いや、当時は成國と同程度の知識しかないアスリートや関係者はいまだ世間にごまんといたのではないか。

検査に引っかかった旨を告げる通知が届いたのは検査から2週間後くらいあとだったと記憶している。迷惑をかけたら申し訳ないと思い、その前に成國は通っていた大学の監督(当時)に報告した。

当時の成國はまだ学生の身分だったので、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)も日本レスリング協会も実名は伏せて発表したが、ある関係者が記者の前で成國の名前を出してしまい、一部マスコミには実名で報道された。2017年12月15日付の日本経済新聞は成國がJADAから2年間の資格停止処分を受けたことを報じている。

「本気で死にたいと思ったのは、そのときが最初で最後」

「もう生きていてもしょうがない」。生まれて初めて成國はそう思った。 

「処分を下されたのは大学2年の冬で、処分が解けるのは大学4年。そうなったら、4年のインカレにも出られない。だったらレスリングをやめることはもちろん、就活もしなければいけない。それまでレスリングしかしてこなかった人間がレスリングをとられたら……。本気で死にたいと思ったのは、そのときが最初で最後ですね」

成國の母・晶子(旧姓・飯島)は過去に二度も世界チャンピオンになっている女子レスリングのパイオニア。妹・琴音も元レスラーで、2015年の世界カデット選手権では準優勝した実績を持ち、現在は母や兄とともに東京・荻窪に常設のレスリング道場「MTX GOLDKIDS」を切り盛りする。一方、父・隆大は柔道整復師や鍼灸師などの資格を持ち、現在は東京・南青山でパーソナルトレーニング治療院「南青山PICS治療院」を運営する。

成國は幼少期から母にレスリングの手ほどきを受け、小学校のときには小3のときを除き全国少年少女選手権で優勝する逸材だった。トレーニングのノウハウは父から授かっている。レスリング抜きの人生など想像もできないというのは偽らざる本音だろう。

日本スポーツ仲裁機構が間に入ったJADAとの聴聞会にも出席した。

「一方のひな壇にはウチの弁護士と母親ら証言している人が並んでいて、もう一方にはJADAの人たちがいて、真ん中に僕がいるという感じでした。誹謗中傷まではいかないけど、そこで詰められる。自分が悪いことはわかっているけど、扱いは完全に犯罪者でしたね」

その後1年8カ月に短縮されたが、成國は資格停止処分中の身なので今まで通りに他の部員たちと一緒にマット練習することは許されなかった。このときの明日があることを信じながら黙々と筋トレで汗を流すしかなかった日々のことを考えると、今回の世界選手権直前のアクシデントなんて些細な出来事にすぎなかった。

「盗まれた2万円は高いチップだと思って諦めました」

そう語ると、成國は心の奥底に自信を秘めたような微笑を浮かべた。


<了>







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