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なぜ非サッカーエリートが、欧州でプロ契約を手にできたのか? 異色の経歴が示す“開拓精神”を紐解く

REAL SPORTS / 2022年12月23日 11時45分

多くのサッカー少年と同様に、三浦知良選手に憧れてボールを蹴り始めた田島翔。彼はその後、異色の経歴を歩むことになる。高校卒業までまったく無名な選手であったにもかかわらず、プロサッカー選手としてクロアチア、スペインと渡り歩き、逆輸入Jリーガーという肩書を手にするまで上り詰めた。さらには、フットサル選手や麻雀プロまで目指すようになる。その類いまれなフロンティア精神の源を田島自身の言葉を通してひも解く。

(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=田島翔)

「カズさんのように逆輸入選手としてJリーガーになりたい」

――サッカー選手を本格的に目指そうと決めたのはいつ頃ですか?

田島:小学5年生のときです。もともと野球をやっていたんですが、1993年にJリーグが開幕して、Jリーガーになりたいと思ってサッカーを始めました。そこからは一度もブレることなく、ずっとサッカーでプロになるんだと信じてやってきました。

――高校まで大きな実績は上げられなかったなかで、それでも自分がプロになることを不安に感じることはなかったのですか?

田島:全国レベルの大会に出場したり、なにかの選抜に選ばれたことがなくて、本当に世間知らずだったんですよね。それが逆に根拠のない自信につながって、自分は絶対プロになれると思い続けることができました。もし大きな大会に出たり、選抜に選ばれていたら、同世代にこんなにすごい選手がいるんだと痛感して諦めていたかもしれないですね。

――高校卒業後、シンガポールにサッカー留学をされていますが、もともと海外でのプレーに興味があったのですか?

田島:そうですね。サッカーを始めてからずっと憧れの存在のカズ(三浦知良)さんが中学卒業後にブラジルに渡ったこともあって、僕も小学生の頃にポルトガル語の辞書を持ち歩いて勉強していました。海外志向は、カズさんの影響もあって幼い頃から持っていました。

――海外留学に行く段階で、英語はどれくらい勉強されていたのですか?

田島:日常生活で困らないくらいには身につけていました。高校3年生のときに卒業後はシンガポールに行くと決めていて、学校の英語の先生もそれを知ってくれていたので、僕だけ違うテキストをもらって、違う勉強をさせてくれていたんです。本当に理解のある先生で、そういう道を目指すのであれば、こういうことを勉強したほうがいいよと日々アドバイスをしてくれていました。

――シンガポール留学を通して、その後の海外でのサッカー生活を見据えて、英語を身につけようという考えもあったのですか?

田島:僕自身はそこまで深く考えてはいなかったです。シンガポールで成長して、カズさんのように逆輸入選手としてJリーガーになりたいと考えていたので。ただ、両親は「もしプロになれなくても、英語を覚えてくるだけでも行く意味はある」と言って送り出してくれたので、英語は絶対に身につけて帰ろうと考えていました。

“東欧のブラジル”で開花したチャレンジスピリット

――サッカー留学から帰国後、2004年からのFC琉球所属を経て、2008年に最初の海外でのプロ契約を実現させます。クロアチアのNKヴァルテクスでのプロ生活はどのようにして実現したのですか?

田島:シンガポールから帰国してすぐに、立ち上がったばかりのFC琉球の入団テストを受けて合格し、2004年から2007年までお世話になりました。ただ、開放骨折という大きなケガ明けで2008年は日本のシーズン開幕には間に合わず、それなら夏に開幕する欧州を目指そうと考えました。カズさんがかつてディナモ・ザグレブでプレーしていたことと、“東欧のブラジル”と呼ばれるサッカーにも興味があったので、クロアチア行きを決めました。

――実際にどのような経緯で契約に至ったのですか?

田島:まったくツテがなかったので、最初はクロアチアの大使館に連絡したんです。そうしたら、英語を話せる現地のスポーツ記者の方を紹介してくれました。その方を通じてNKヴァルテクスにたどり着き、練習参加を経て、契約することができました。

――欧州で初めてプレーして、一番苦労した点は?

田島:日本がなにもかも便利過ぎて、日本では当たり前のことが海外では通じないと初めて身をもって体感しました。日常生活ももちろんですが、例えばサッカーに絞っても、総じて時間にルーズだったり、ロッカールームの使い方がすごく雑だったりして、最初はイライラさせられることが多かったですね。これはもうそういう国なんだと理解するようにして、慣れていくしかないですし、それ以降はどの国に行ってもそのように考えることで対応することができました。

――サッカー環境において日本と欧州の違いは一番どこに感じましたか?

田島:とにかく選手たちの主張がすごく強いなと思いました。監督に対しても当たり前のように反論したりしますし。僕はもともと積極的に発言するタイプではなかったのですが、このままだと自分は消えちゃうなと危機感を抱いて、彼らに負けずに積極的にコミュニケーションを取る方法を覚えていきました。

――プレー面では、欧州に合わせてなにか向き合い方を変えましたか?

田島:とにかく自分の特長であるプレーを積極的にどんどん出して、アピールし続けました。あと、向こうの選手ってミスをしても平然と人のせいにするんですよ(笑)。FWの選手なんかは特に。なので、こちらも負けじとミスをしても周りのせいにするぐらいの強気な気持ちでやらなければいけませんでした。

――そういった点を日本の育成年代で学ぶのはなかなか難しいですよね。

田島:そうですね。日本だと自分のミスを他人に押しつけるような選手はやっぱり嫌われちゃうと思うので。ただ、欧州のプロの世界で生きていくためには順応するしかないと割り切って考えました。

「海外ではプレーした国のレベルで判断されることが多い」という現実

――2010年にスペインのTSKロセスに移籍されます。欧州内での移籍は国や言語が違っても共通する部分も多いですか? あるいは改めてゼロからの戦いとなるのですか?

田島:僕にとっては完全にゼロからのチャレンジでした。チームとの交渉時も「クロアチアでやっていた」と言っても、スペインよりレベルが下の国のリーグなので取り合ってもらえないことも多かったです。逆にその後、他の国に行った際には、「スペインでやっていた」という実績がすごく評価されました。海外ではやっぱりプレーした国のレベルで判断されることが多かったですね。

――クロアチアからスペインへの移籍は、どういう経緯で実現したのですか?

田島:ちょうどFCバルセロナのサッカーが世界的にすごく注目されているときで、僕もスペインでプレーしてみたいという熱が高まり、クロアチアのときと同様にツテをたどって道場破りのような感じでの練習参加を経て、契約に至りました。

――クロアチアリーグからスペインリーグにステップアップを果たす選手は他にもいたのですか?

田島:いましたね。クロアチアで一緒にプレーした選手たちはみんな、クロアチアリーグで活躍して、スペイン、イングランド、ドイツなどの欧州トップリーグ入りを目指す選手たちばかりだったので、本当に刺激的な日々でしたし、僕も自然と常に向上心を持ってプレーできました。

Jリーガー→フットサル選手という意外な選択

――クロアチア、スペインでのプレーを経て、2011年に再び日本へ帰国。2012年にはJ2のロアッソ熊本で念願のJリーガーとしてプレーされます。ですが、その翌年、2013年にフットサル転向を選択されます。なぜそういう考えに至ったのですか?

田島:幼い頃からずっとJリーガーを目指してサッカーを続けてきて、ロアッソ熊本に入ってそれが実現して、それで燃え尽きたわけではないんですけど……。1年でロアッソとの契約が切れて、そこからまたJリーガーを目指すという気持ちがどうしても湧き上がってきませんでした。それでもボールは蹴り続けたい、選手でいたいという思いはあったので、新しい挑戦としてフットサル行きを決めました。 

 ちょうど2012年にJリーグ選手枠でカズさんがFリーグに出場していたこともありましたし、僕が高校まで過ごした北海道では、雪の関係で冬は体育館でフットサルをすることが多かったんです。フットサルをプレーすることで、ボールを蹴る原点に立ち返れるかなという思いもありました。

――フットサル選手としては2013年にシュライカー大阪に入団し、半年間サテライトの選手としてプレーされました。このフットサルの経験は、その後、再び戻られるサッカーでのプレーに良い影響を与えていますか?

田島:すごく生きていると思います。フットサルは常に狭い局面での1対1なので、ボールの置き所とかトラップの質とか、細かい動きのこだわりがすごく勉強になりました。当時、その部分を徹底的にこだわってプレーしたことが、いまのサッカー選手としての貯金になっているなと感じます。

――2020年度に全国高校サッカー選手権で優勝を果たした山梨学院高校で、元フットサル選手のコーチの方がセットプレーコーチを担当して結果にも結びついたことが当時注目を集めました。

田島:フットサルでは、コーナーキックも、フリーキックも、セットプレー全部にサインプレーがあるんですよ。そのパターンが多過ぎて僕は覚え切れないくらいで、「フットサルってこんなに組織的な戦術パターンがあるのか!?」と驚きました。そういうフットサルの良いところをどんどんサッカーにも取り入れるべきだなと感じたこともあり、改めてサッカーの面白さにも気づき、サッカーへの復帰を決めました。

――その後、サッカー選手・田島さんの海外挑戦は、ニュージーランド→アメリカ→韓国→サンマリノと続き、現在はサッカー選手でありながら麻雀プロの肩書も持たれています。常に新しいことにチャレンジするため、日頃から意識していることはあるのですか?

田島:僕はあまり状況が整い過ぎていると、次の一歩が踏み出せなくなっちゃうので、常に世界観を広げて、居心地のいい現状に甘んじて満足しないように意識しています。これまでのサッカー人生で僕は代理人をつけたことがないので、チーム選びにしても、興味を持ったらとりあえず自分からすぐにコンタクトをとってみる。そういうやり方でずっと生きてきました。いまがベストなのではなく、さらに自分自身を生かす道があるんじゃないかと、常日頃から感度を最大限に高めて考えを巡らすように心がけています。


<了>





[PROFILE]
田島翔(たじま・しょう)
1983年4月7日生まれ、北海道出身。高校卒業後にシンガポールにサッカー留学。帰国後、2004年からFC琉球、2008年からクロアチアのNKヴァルテクス、2010年からスペインのTSKロセス、2012年にロアッソ熊本に所属。2013年にフットサルに転向してシュライカー大阪のサテライトで半年間プレーしたのち、2014年にニュージーランドのオークランドシティFCで再びサッカー界に復帰。2015年に十勝フェアスカイFC、2016年にアメリカのマイアミ・ユナイテッドFC、2017年にラスベガス・シティFC、2018年に韓国のソウル・ユナイテッドFC、2020年にサンマリノのSSペンナロッサでのプレーを経て、2022年より江の島FCに所属。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUのプロ試験を受け合格した。

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