「子供達にスポーツを通してスマイルの輪を広げたい」レスリング・五輪金メダリスト登坂絵莉が描く未来
REAL SPORTS / 2023年3月24日 12時0分
スポーツ界・アスリートのリアルな声を届けるラジオ番組「REAL SPORTS」。元プロ野球選手の五十嵐亮太、スポーツキャスターの秋山真凜、Webメディア「REAL SPORTS」の岩本義弘編集長の3人がパーソナリティーを務め、ゲストのリアルな声を深堀りしていく。今回はゲストにリオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した元女子レスリング選手の登坂絵莉さんが登場。世界チャンピオンになるまでの道のりやその後の苦悩、子どもとスポーツが大好きな彼女が思い描くこれからの取り組みについて話を聞いた。
(構成=磯田智見、写真提供=JFN)
「私は本当に負けることが嫌いなタイプなんです」岩本:登坂さんは何をきっかけにレスリングを始めたんですか?
登坂:私は父の影響を受けて、9歳のときにレスリングを始めました。最近では小さなころからレスリングを始めるも子どもも増えましたが、当時は親をはじめ、家族のなかにレスリング経験者がいる子どもがやる競技というイメージがありました。
五十嵐:レスリング以外にやってみたいことはなかったんですか?
登坂:私はサッカーがやりたかったんです。小学校から帰宅したら玄関にランドセルを置いて、ずっと自宅の前でリフティングをしていました。でも、当時は女の子が加入できるサッカーチームが近所になかったので、レスリングを始めることになりました。レスリングの他にも、テニス、水泳、陸上などもやりました。ミニバス(ミニバスケットボール)の体験にも行きましたね。とにかく体を動かすことが大好きな子どもでした。
五十嵐:いろいろなスポーツを楽しむなか、いつごろからレスリングと本格的に向き合うようになったんですか?
登坂:小学3年生のときに始めて、4年生の半ばにはもうレスリング中心の生活になっていました。ただ、当時はあまり楽しかった記憶がないんです。レスリングを楽しむというよりは、勝ったときに親が喜んでくれるのがうれしくて、それが自分のモチベーションの一つになっていました。だから、「レスリングそのものがめちゃくちゃ楽しい」という感覚ではなかったんですよね。
岩本:やはり、レスリングを始めたころから圧倒的に強かったんですか?
登坂:いえ、当初は決して強いほうではありませんでした。始めたばかりのころは男の子と試合をすることも多くて、思うような試合運びができないこともたくさんありました。
五十嵐:一方で、「あのころの悔しさがあったから」と思えるような部分もあるんじゃないですか?
登坂:確かにありますね。私は本当に負けることが嫌いなタイプなんです。だから、練習中に男の子に負けたときは、「もう1本、お願いします!」と勝つまで何度でも挑み続けていました。対戦相手の男の子は、「これは自分が負けないと終わらないな……」と思って、きっとどこかのタイミングで負けてくれていたのだと思います(笑)。そして、勝った直後には「ありがとうございました!」とあいさつをして、すぐに次の相手を探しに行きました。
五十嵐:レスリング自体の楽しさというよりも、「親の喜ぶ顔が見たい」「絶対に負けたくない」ということのほうが、モチベーションになっていたんですね。登坂さんのなかでは、いつごろから「トップを目指そう」という感情が芽生え始めたんですか?
登坂:本気で階級のトップやオリンピックに出場することを目指そうと思ったのは、大学1年生のころでした。全中(全国中学生選手権)で優勝して、「私もオリンピックに行きたい」と何となく思いながら至学館高校に進学しました。ただ、至学館高校のレスリング部は、至学館大学の学生と一緒に練習をし、さらに至学館大学出身の吉田沙保里さんも練習の拠点にしているという環境でした。
そんなチームに加わったので、一気に夢が打ち砕かれるというか、入学直後に「ああ、私には無理だな」と思わされました。チームメートたちが強すぎましたし、そもそも練習についていくことができませんでした。入学前は「通用するだろう」と思っていましたが、実際は監督やコーチから全然相手にされず、練習中は先輩の相手としてずっと技を受け続けていたような選手だったんです。
アスリートとしての幸せを感じたあの瞬間岩本:至学館大学の1年生だった2012年には世界選手権で準優勝、2016年のリオ五輪では金メダルを獲得。オリンピックという大舞台で優勝するというのは、アスリートとしてどのような心境になるものなんですか?
登坂:純粋にうれしかったですし、表彰式のときには一緒に切磋琢磨してきた先輩たちの顔が思い浮かびました。また、今振り返ってみると、本当にたくさんの人が私のことを応援してくれました。毎日の生活のなかでは、きっと一人ひとりに悩みがあったり、思いどおりにいかないことがいくつもあると思うんです。でも、私が優勝を決めたあの瞬間だけは、応援してくれていた皆さんも日々のストレスをちょっとだけ忘れて、「わーっ!!」って興奮できたのではないかと思います。その一瞬を皆さんと共有できたことは、一アスリートとして本当に幸せな出来事だったなと改めて感じます。
五十嵐:登坂さんは自分の喜びというよりも、常に周りの人々への配慮や感謝の気持ちを大事にしていますよね。
登坂:私は人が好きなんです。だから、人に喜んでくれたり、人が笑ってくれることが、ずっと私のモチベーションでした。
岩本:残念ながら、2021年に開催された東京五輪への出場権は獲得することができませんでした。
登坂:リオ五輪後に、ずっと痛みを感じていた左足親指の母趾(ぼし)球の手術をしました。でも、手術をしてもなかなか痛みが引かず、まったくと言ってもいいくらい自分のレスリングができなくなってしまいました。もちろん、これが出場権を逃した理由のすべてではありません。ただ、これまでやってきた自分のレスリングができなくなってしまったということは、私のなかでは重大でしたし、何よりもつらいことでした。
岩本:金メダリストとして周囲からの大きな期待も感じていたでしょうし、一般の方々からは「ケガが治れば、また強い登坂が復活するだろう」という見られ方もあったのではないかと思います。周囲の見方と実際のコンディションには、かなり大きなギャップがあったのではないですか?
登坂:正直なところ、そのギャップが一番苦しかったです。私自身も「手術をすればよくなる」と思い込んでいました。ただ、術後しばらくしてもまったくよくなる気配がない。私はもともと、試合で負けても落ち込むようなタイプではありませんでした。敗戦後も、「ここで終わるわけではない」と考え方をすぐに切り替えられるほうだったので。でも、手術をしてもよくならないという問題に対しては、解決方法が何も見いだせなかったので、あのころは精神的にかなりきつかったです。何もしていないのに、なぜか涙がこぼれてくるときもありましたし……。今振り返ると、かなり落ち込んでいたと思います。
岩本:東京五輪を目指すのはあきらめようと思ったことはなかったんですか?
登坂:それはありませんでした。私は、オリンピックで金メダルを獲得することの感動を身をもって体感したので、何とかもがき続け、もう一度あの舞台にたどり着きたいということだけを考えていました。だから、オリンピックに向けた戦いをあきらめようという発想にはなりませんでしたね。もちろん、ときには軽い気持ちで「簡単にレスリングをやめられたら、どれほど楽なことか」と考えたことはありました。でも、本気でやめようとは思わなかったし、「最後に金メダルが取れれば、この苦しみもよかったと思える日がきっとくる。実際にそう思えるように、今は頑張り続けよう」と自分に言い聞かせていました。
現役引退を決断するまでに考えたこと岩本:リオ五輪から東京五輪までの苦しい時期、登坂さんを支えていたものは何だったんですか?
登坂:応援してくれている方々に、もう一度、勝って喜んでいる姿を見せたいという思いが一番大きかったです。リオ五輪までは「家族のため」という感覚がメインで、その思いの範囲はわりと狭いものでした。でもリオ五輪の期間中は本当に多くの方々に応援してもらいましたし、手術後には実戦を離れているにもかかわらず、エールを送ってくれる一般の方もたくさんいました。そういった方々に対して、「再びマットの上に戻り、試合で活躍する姿を見せたい」という思いが、一番のモチベーションになっていましたね。
岩本:苦しんでもやめることなく、何とか乗り切ろうという強い気持ちは本当に感動的です。
五十嵐:その気持ちを手術後3年以上も持ち続けるんですからね。僕なんて、約1年間のリハビリであっても「長いな~」とずっと感じていました。毎日同じようなリハビリのメニューをこなしながら、手術した箇所が今どのような状態なのかと一日中気になっていました。それを2年も3年も続けるなんて……。
岩本:その後、登坂さんは2022年に現役引退を決意することになります。
登坂:レスリングでは、オリンピック後に現役を退く選手も少なくありません。とはいえ、私が東京五輪の予選で負けたときは27歳。続けようと思えばまだ選手を続けられる年齢ではありましたが、心も体もかなり疲弊している状態でした。だから、目標を決めると頑張らざるを得ないので、あえて目標を決めない期間を作ってしばらく過ごしてみたんです。その期間に私は結婚をして、子どもを授かりました。
個人的には、子どもを生んだあとにも競技を続けるということに興味があったので、もしかしたら時間の経過とともにメンタル的にもコンディション的にも、いい意味で変化があるかもしれないと考えていました。でも、実際はあまり変わらなかったんです。出産後に育児をしながら身体を動かしていく中で、現役を引退しようと決断しました。
「あれほど熱くなれる何かに出会いたい」という思い岩本:実際のところ、「またレスリングの試合をしたいな」という気持ちになることもあるんですか?
登坂:先日、子どもたちの大会に招待いただく機会がありました。選手のなかには幼稚園児ながら体重が40kgぐらいある子がいて、あまりにも体が大きすぎて対戦相手がいませんでした。だから、「エキシビションをお願いしたい」と頼まれて、何年ぶりかに掲示板に私の名前を出してもらい、その園児とマットの上で戦ったんです。試合はエキシビションで、相手は園児。それでも、マットに立った私のなかには、一瞬ですが“本当の試合”のような感覚が湧き上がってきて、その感覚が妙に新鮮で「ああ、いいな」と思ってしまいました(笑)。
五十嵐:その気持ち、何となくわかります。元プロ野球選手も、草野球をやると現役時代を思い出すことがあるんです。一瞬だけど、どこか闘争心みたいなものが“ふわっ”とよみがえってくるんですよね?
登坂:そうなんですよ。私も一瞬だけ“ふわっ”とよみがえりました。
五十嵐:長年にわたり世界トップレベルで戦ってきたわけですが、引退後の日常生活に物足りなさを感じることはないんですか?
登坂:やはり、そういう感覚はありますよね。おそらく、多くのアスリートの皆さんも感じるのではないかと思うんですが、あれだけ自分自身が熱中できることってなかなかありませんよね。私としては、子どもを持つということが大きな夢だったので、自分の子どもが生まれたらそういう感情は薄れるのだろうと思っていました。でも、そんなことはまったくありません。今でも、「あれほど熱くなれる何かに出会いたい」という思いが心のどこかにあるような気がしています。
子どももスポーツも大好き。“スマイルの輪”を広げていけたら岩本:登坂さんはこの先どのような活動を行っていくんですか?
登坂:一般社団法人スマイルコンパスという団体を設立することになりました。この団体での活動を通して、子どもたちが継続的にスポーツに携われる環境や、スポーツが楽しいと思えるような機会を提供していきたいと考えています。私自身、長年にわたりレスリングをやってきたなかで、どうしても子どもよりも大人のほうが熱くなってしまったり、大人の過度な勝利至上主義を感じるシーンがいくつもありました。でも、スポーツには試合で勝ち負けを争うだけでなく、「見る」「支える」という関わり方もあります。だからこそ、子どもたちにはスポーツを嫌いになることなく、生涯を通してスポーツを楽しみ続けてほしいと思うんです。そのための第一歩として、子どもたちが純粋にスポーツを楽しめる機会を生み出していきたいと考えました。
岩本:とてもアクティブですね。
登坂:私は子どもが大好きで、スポーツも大好きです。その点では、自分の経験を子どもたちに伝えることも大切だと思っています。同時に、純粋にスポーツを楽しみ、オリンピアンの方々と触れ合えるような機会を作っていくことも、子どもたちにはいい影響を与えられるのではないかと思うんです。だからこそ、私を始めとしたオリンピアンやアスリートが、日本全国の幅広いエリアを訪れて、スポーツを楽しめる機会を創出できたらと考えています。
五十嵐:団体名に「スマイル」という言葉が含まれているところが何よりもいいなと思うし、今も話をしながら登坂さんが見せる笑顔がとても素敵でした。一方で、お子さんがまだ小さいだけに、そういった活動をしていくのは大変な面もあるんじゃないですか?
登坂:そうですね。でも、たくさんの子どもたちの笑顔を見ることができれば、自分自身も大きなやりがいが感じられると思うので、ぜひ“スマイルの輪”を広げていけたらいいなと思っています。
五十嵐:旦那さんは、かつてレスリングの全日本選手権グレコローマンスタイル60kg級でV3を達成し、現在は総合格闘家と活躍する倉本一真さんですから、やはりお子さんにもレスリングの道に進んでほしいと考えているんですか? もしくはもう始めているとか?
登坂:まだやっていません。将来的には、試合での勝利にこだわるのではなく、運動能力を向上させるための一環としてレスリングに親しんでくれたらいいなとは思っています。どのように続けていくかは、息子本人に任せようかなと思っています。
五十嵐:数年後、もしお子さんが「僕もママみたいにオリンピックで金メダルを取りたい!」と口にしたら、そのときの登坂さんはどういう感情になるんでしょうね?
登坂:うれしいかもしれないですね。いや、やっぱり本心としては複雑です(笑)。
五十嵐:自分がやってきた競技だけに、指導も厳しくなってしまいそうですもんね。
登坂:そうなんです。私のほうが熱くなってしまいそうな気もするので、息子にはできれば他の競技をやってほしいなと思います(笑)。
<了>
[PROFILE]
登坂絵莉(とうさか・えり)
1993年8月30日生まれ、富山県出身。小学3年生からレスリングを始め、中学時代に全国中学生選手権で優勝。至学館高校、至学館大学時代にも数々の大会で優勝を果たし、大学卒業後は東新住建に入社。2013~2015年世界選手権48kg級3連覇、2016年リオデジャネイロ五輪同級で金メダルを獲得。2022年に現役引退。
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JFN33局ネットラジオ番組「FUTURES」
(「REAL SPORTS」は毎週金曜日 AM5:30~6:00 ※地域により放送時間変更あり)
パーソナリティー:五十嵐亮太、秋山真凜、岩本義弘
Webメディア「REAL SPORTS」がJFNとタッグを組み、全国放送のラジオ番組をスタート。
Webメディアと同様にスポーツ界からのリアルな声を発信することをコンセプトとし、ラジオならではのより生身の温度を感じられる“声”によってさらなるリアルをリスナーへ届ける。
放送から1週間は、radikoにアーカイブされるため、タイムフリー機能を使ってスマホやPCからも聴取可能だ。
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