「バイスバイラーは必ずそこにいる」元日本代表監督が語る、ドイツを自国W杯優勝へ導くゴールを生んだ名将の哲学
REAL SPORTS / 2023年6月19日 12時0分
サッカーの元日本代表監督が神奈川県・葉山でカフェを経営している。店名の名付け親はフランツ・ベッケンバウアー。オーナーは御年86歳の二宮寛だ。慶應義塾大学在学中に日本代表に選出され、卒業後は三菱重工でプレー。1967年から三菱重工の監督としてJSLと天皇杯をそれぞれ2度制したのち、1976年から2年間、日本代表監督を務めた。ドイツサッカー界に深く精通しており、多くの選手・指導者に強い影響を与えた名将ヘネス・バイスバイラーとの親交も深かった。日々進化を重ねるサッカー界だが、まだまだ偉大な先人から学ぶべきことは多い。レジェンドの言葉に、いま一度改めて耳を傾けてみよう。
(文=中野吉之伴、写真=アフロ)
ベッケンバウアーが名付け親のカフェのオーナー二宮寛神奈川県の逗子・葉山駅から車で10分ほど、落ち着いた住宅街を抜けると趣があるきれいなカフェが見えてきた。
カフェ「パッパニーニョ」のドアを開くと、アンティーク家具が並び、壁にはさまざまなサッカーアートが飾られている。ここは元日本代表監督の二宮寛のカフェだ。穏やかな表情の二宮が慣れた手つきでコーヒーを入れてくれた。販売されているコーヒー豆を手に取るとそこには「カイザー(皇帝)」というラベルが貼られている。
“ドイツの皇帝”ことフランツ・ベッケンバウアーがその名の由来だ。パッパニーニョというカフェの名前もベッケンバウアーが名づけ親だという。店内には店名とサインが書かれた色紙が飾られている。
現在86歳。1937年生まれの二宮は、慶應義塾大学在学中の1956年にサッカー日本代表に選抜され、数々の国際試合で活躍。1970年代には釜本邦茂が主将だった日本代表で監督も務めた。ベッケンバウアーやペレとも深い親交がある。
1978年にサッカー界を退いた後は、欧州三菱自動車の社長としてオランダとドイツに駐在。1980〜90年代は第一線のビジネスマンとして、世界を舞台に日本車の黄金時代をリードした。2015年には、日本サッカー協会により「日本サッカー殿堂」入りに選出。スポーツマンとしても、ビジネスマンとしても、国内外でさまざまな経験を積み重ねてきた。
ワールドカップの決勝点を手繰り寄せたハネス・バイスバイラーの指導故きを温ねて新しきを知る。
これはどの時代にも必要な考え方ではないだろうか。一つ一つの経験にはさまざまな物語が包括されている。そこに目を向け、耳を傾け、頭で考え、全身で感じることで、世紀を超えた知恵と触れ合うことができる。
1970年代に二宮はドイツ最高峰の監督の近くでサッカーを見続けてきた。故ハネス・バイスバイラーがその人だ。数多くの名将が輩出されているドイツサッカー界において、歴代トップレベルに入るとされる偉人だ。
筆者は故デットマール・クラマーからバイスバイラーの逸話をいくつも聞いたことがある。その中で特に印象的だった話がある。
バイスバイラーがボルシアMG監督時代のことだ。当時のボルシアMGはバイエルンを抑えて優勝するほどの強豪クラブ。メンバーにはギュンター・ネッツァー、ベルティー・フォクツ、ユップ・ハインケスら世界最高峰の選手ばかり。
そんな選手たちに対してもバイスバイラーはまるで妥協をしなかったという。FW陣に対しては毎回トレーニング後に居残り練習を課し、何度も何度も同じ形で取り組ませる。サイドを駆け上がりクロス、中央のFWはボールをコントロールしてシュート。
トップクラスの選手たちなので、当たり前のようにゴールを決めていく。それでもバイスバイラーは「違う」と言い続けた。「君のクロスには、シュートには魂がこもってない。上っ面のプレーだ。相手の存在が感じられない。ヒリヒリとした緊張感がない。そんなクロスやシュートだと試合だと絶対にゴールにならないからダメだ」と。そして完璧にタイミングとリズムとスピードが噛み合った形が出るまでトライさせ続けたという。
二宮は懐かしそうにうなづきながら、「それを僕はね、15年間見続けてきたから」と言って笑った。
「センタリングを上げる役はライナー・ボンホフでした。いまやボルシアMGの副会長になった彼だけど、本当におっしゃる通り、毎日毎日やるんですよ。指導者が付きっ切りでやる1対1の練習って選手からすると苦しいんですよ。それをトレーニング後に30分間必ず毎回やり続けていた。
だけど、それがドイツ(当時は西ドイツ)でのワールドカップの決勝点に結びついたんです。1974年でしたね。僕は今でもよく覚えている。右サイドからボンホフが長い距離をドリブルで上って、ゴール前に見事なパスを送ったんですよ。中で待っていたのがゲルト・ミュラー。そんなに背は高くなかったけど、左右への体の回転がとにかくすごく速かった。彼がワントラップして放たれたシュートが決勝点になったんですよ。基本的なトレーニングを本当にきめ細かくやり続ける。本当の一流選手が育つってそういうことなんだと感じ入りました」
選手のポテンシャルを見定めて才能を引き出すためには…厳しさとはなんだろうと考えさせられる。
指導者側が虚勢を張って、大声を上げて、恐怖心を与える指導が厳しさなどではないのだ。妥協なく、選手が本当に自主的に取り組めるところへ導くのが指導者だと、筆者もドイツの指導者講習会で教わった。
見栄えがいい技術に浮つくのではなく、試合で何より大事な基本的なところにフォーカスを当てる。レベルが上がれば上がるほどそこの差が運命を分けたりする。同じことの繰り返しを選手がただやるんじゃなくて、「高い意識をもって自主的に練習に取り組むことが成長につながる」と気づかせることがポイントなのだろう。二宮は続ける。
「バイスバイラーは必ずね、そこにいるんですよ。やるべきことを指示していなくなっちゃうんじゃなくて、ずっと横で見ていたんです。そして同じ失敗があっても絶対に何も言わない。練習が終わったあと、例えば翌日の練習が始まるときにね、感じたことをスッと伝える。選手本人にいかに気付かせるか。その動機をどういうふうに作るかっていうことをとても大切にしていましたね。
指導者が選手のすぐそばで『お前なんでこうしないんだ!』とか、『精度が足らないぞ!』とか言ったところで、それは本当の意味で自分のものにはならない。自分で気づいて、自分で考えながら見つけたものかどうかっていうのは大きな違いがありますよね。そういうふうに導くのが、彼の指導だった。指導者が自分の練習を真剣に見てくれているかは選手だってちゃんと感じるんです」
才能を引き出すためには、選手のポテンシャルを見定めて、選手の今と向き合って、選手に伝えるタイミングと伝え方を見計らうことが大切なのだ。選手それぞれ、性格も違えば、考え方も、価値観だって違う。そうした選手が持つ人となりを引き出し、見極める作業を丁寧に行うことがカギになると二宮はバイスバイラーから学んだと話していた。
すごい才能の選手が入ってきたからといって、最初からレギュラーで出続けて、それがその環境に甘える要因となってしまったら悲しいではないか。コンフォートゾーンがあるから安心して、安全に取り組めるが、いつまでもそこにいたら成長はしない。
選手心理を把握して、丁寧に落としどころを見つけて、セルフモチベーションを高めるためのアプローチを考慮した指導ができているかどうか。「そんな指導者がいまの日本のサッカー界、スポーツ界にどれくらいいるのだろう」。二宮がそんなことをつぶやいた。思うところがあるのだろう。
「勝つことがあれば負けることもある」「負けることに対する勇気が大切」60年前、二宮は日本を訪問したバイスバイラーにこう指摘されたという。
「日本人は対象を観察して、それを自分のものにするのが本当にうまい。だけど独自性のようなものは何にも感じられない。自分の力を解放しようとしない」
これは昔話などではない。いまも大きくは変わっていない事象。
日本人全員がそうだとはいわない。それでも、何か新しいことにチャレンジするのが怖い人、失敗したらどうしようと考える人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。目的があって、やるべきことがあるのであれば、それをどうすれば実現できるのかを考えるのがいわば知恵であって、それを考えるより先に「できなさそう」「合わなさそう」でシャッターを下ろしてしまうことがないだろうか?
そうしたところを突き詰めようとする人が少ないというよりは、育ちにくい環境が日本には今もあるといえるのかもしれない。二宮は「上向き風を作る作業」が必要だと話す。
「サッカーってさ、試合で、戦いでしょ。相手があっての戦いだから、勝つことがあれば負けることもある。それが大切なんですよ。日本人は野球のほうがなじみがあるかもしれないけど、例えば野球だってバッターで生涯打率3割打者というのは称賛されますよね。世界中探しても、それを達成した人はそうそういるわけではない。でも3割ということは、10回中7回失敗しているわけですよ。でもそう見る人はほとんどいないわけじゃないですか?
僕は負けることに対する勇気が大切だと思うんです。負けてもいいよ、とか、負けることがいいというわけではないんです。負けた理由をどういうふうに整理しようかとか、どうやって整理して次につなげていこうかと、考えて取り組むことが成長につながるわけです。その成長というのは、ひょっとしたらコンマ1%の“上向き風”を作るという作業かもしれない。でもそれが大事なんですよ」
二宮の発する言葉の一つ一つからひしひしと熱を感じる。生きた言葉だから胸に響く。滋味深いコーヒーを飲みながら、どんなジャンルであっても、カテゴリーであっても、大事なのは“人”だなと思いを巡らせていた。サッカーでもなんでも、それがないと知識もスキルも役には立たない。そういえば二宮はこうも言っていた。
「大切なのは心意気であって、心根ですよ。それがないとまがいものです」
<了>
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