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失明危機から3年半、ピッチに戻ってきた松本光平。海外で実力証明し、目指す先は「世界一」と「史上初の弱視Jリーガー」

REAL SPORTS / 2023年9月1日 11時0分

「失明しても凹んだのは眼球だけ」――。明るくそう語るプロサッカー選手・松本光平にとって「諦める」という選択肢はない。2020年にトレーニング中の事故で失明危機に陥った男が、3年5カ月の壮絶なリハビリと地道なトレーニングを経て、フットボールのピッチに戻ってきた。松本は今年8月にニュージーランド1部ハミルトン・ワンダラーズへの加入を発表。8月3日に現地に到着し、2日後の5日にさっそく公式戦デビューを果たした。日本滞在時はフットサル・Fリーグ、ロービジョンフットサルの日本一も経験し、満を持してプロサッカー選手としての復帰を果たした波乱万丈の軌跡と、松本光平が目指すこの先のビジョンとは?

(文=宇都宮徹壱、写真=©Kybosh Photography、本文中デウソン神戸時代の写真=宇都宮徹壱)

実は8月9日ではなかった松本光平の復帰戦

《2020年5月に不慮の事故で大怪我を負い、失明危機にまで陥ったDF松本光平(34)は8日にニュージーランドサッカーリーグのハミルトン・ワンダラーズ加入を発表。そして9日にはリーグ戦オークランド・シティ戦にフル出場し、プロサッカー選手として完全復活を果たした。視覚障がいのあるプロサッカー選手は日本人初となる。》

8月9日のゲキサカの記事からの引用である。2020年の5月18日、松本光平はニュージーランドでのトレーニング中に不慮の事故に遭遇。その後は日本で手術を受けたものの、右目はほぼ失明状態で、左目の視力も「輪郭が見える程度」。そうした中、壮絶なリハビリとトレーニングを重ねた結果、実に3年5カ月ぶりとなる、フットボールでの公式戦復帰を果たすこととなった。

実は松本光平の復帰戦は、記事にある8月9日のオークランド・シティ戦ではなく、その4日前の8月5日。対戦相手は、マヌレワAFCであった。まずは日本出国までの、慌ただしいタイムラインを当人に語ってもらおう。

「ハミルトンとの契約は2カ月前に済んでいたんですが、なかなかニュージーランドのビザが下りなかったんですよ。それが8月1日に急に取れて、次の日に関空から発つことになったんです。でも、プレー用のゴーグルを東京に修理に出したばかりだったので、手元に無かったんですよ。それでロービジョンフットサル日本代表の岡(晃貴)キャプテンにピックアップしてもらって、トランジットする成田まで持ってきてもらいました」

ニュージーランドに到着したのは8月3日。ここからさらに怒涛の展開が待っていた。

「木曜(3日)に到着して、その日の夜からトレーニングに参加しました。金曜は試合前日なので軽めの練習。土曜の朝の時点では(トップチームの)ベンチ外で、昼からのU-23チームの試合には90分出たんです。終わってクールダウンしようと思ったら、監督から『ベンチに入ってくれ』って。いいのかなって思っていたら、後半の早い時間帯に出番が回ってきました(笑)」

この3年5カ月、ずっと夢見ていた、プロフットボーラーとしての公式戦復帰。しかしその瞬間は、あまりにも慌ただしく、当人にはほとんど感慨はなかったそうだ。


「フットサルに転向」ではなくサッカーと並行で

公式戦復帰と並んで、松本光平が目標としていたのが「FIFAクラブワールドカップに再び出場すること」であった。

彼はカタールで開催された、2019年大会にヤンゲン・スポール(ニューカレドニア)の一員として出場。その後、オセアニアで最も出場実績のあるオークランド・シティに所属して、日本でトレーニングを続けながらチャンスを待っていた。しかし、コロナ禍により事態は暗転。当時のニュージーランド政府が、出入国を厳しく制限していたため、2大会連続でオークランド・シティは出場を辞退する。FIFAの国際大会に復帰するという、松本光平の夢は、いったん遠のくこととなる。

弛まぬ努力のおかげで、視界が限られた中でも、フルピッチで90分間プレーする自信はあった。ただし、オークランド・シティとの契約は2021年の12月いっぱいで終了となり、松本光平は無所属の状態となってしまう。早く次の所属クラブを見つけたかったが、視覚障がいのある選手を受け入れようというクラブは、なかなか見つからない。

そんな中、思わぬ形で朗報がもたらされる。昨年3月14日にテレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出演。「神回」とSNSで絶賛されるほど話題になり、これがきっかけでFリーグ2部、デウソン神戸からのオファーが舞い込む。そして5月5日、正式に入団が発表された。

「当時は『フットサルに転向』みたいな報道もあったんですが、僕の目標はサッカーでの復帰。だからといって、片手間というわけではなく、Fリーグでは全力でプレーしていました。サッカーとフットサルは、あくまでも並行。デウソンのトレーニングは基本的に夜だったので、日中は大学や社会人、あとはセレッソ大阪のU-18でもトレーニングに参加させていただいた時期がありました」

結果として、Fリーグでの学びは予想以上に大きかった。そう、松本光平は言い切る。

「フットサルで学んだのは、対人での細かい部分、特に距離感のところですね。一つのミスで失点する競技ですから、マンツーマンでの守備のエラーは少なくなりました。それとサッカーでは、基本的に右サイドのラインを背負いながらプレーしていましたが、フットサルでは360度から相手にアプローチされる場面が多いんですよ。空間把握の部分でも、Fリーグで鍛えられたと思っています」

ちなみにデウソン時代、松本光平はパワープレー要員としてゴレイロも経験。また、ハミルトンでは右サイドだけでなくボランチも任されたのも、フットサルでの経験が生かされていると見てよいだろう。


ピッチに戻ってきた松本光平の新たな挑戦とは?

サッカー、フットサルと並行して、松本光平はロービジョンフットサルのCAソルアにも所属。日本選手権大会で優勝を経験し、日本代表の強化指定選手にも選ばれていた。ハミルトンへの加入がなければ、代表メンバーの一員として、8月16日からイングランドで開催された世界選手権にも参加するはずだった。

「視覚障がいっていろいろあって、実は全盲でない人の割合のほうが圧倒的に多いんです。ブラインドサッカーは、全盲の人が聴覚でボールや相手の位置を認識しながらプレーしますが、僕のような弱視はロービジョンフットサルのほうが馴染みやすい。ルールもフットサルとほぼ同じですし」

松本光平がロービジョンフットサルでもプレーするのは、視覚障がいの子どもたちに「弱視でもサッカーができることを知ってもらい、チャレンジのきっかけになれば」という思いがあったからだ。それでも視覚障がい競技の国際大会ではなく、ニュージーランドでの復帰を優先したところが、初志貫徹をモットーとする彼らしい判断といえよう。ちなみに今の時点では、左目の視力を回復させる手術ではなく、保存療法を選択しながらプレーを優先するそうだ。

「手術をして、必ずしも視力が回復するわけではないんですよ。それに今の見え方で、生活でもプレーでもまったく支障を感じなくなりました。リハビリを始めた当初と比べれば、空間認知能力も抜群によくなりましたし、浮き球の処理やヘディングもできるようになりました。走行距離もスピードもまったく落ちていない。むしろ今のほうが絶好調という感じです(笑)」

プロフットボーラーとしての公式戦復帰という、3年越しの目標は果たした。クラブワールドカップへの再挑戦とともに、松本光平にはもう一つの目標があるという。それは「史上初の弱視Jリーガーとなること」だ。

「僕がニュージーランドに戻ったのは、リーグでの実績があったことと、リハビリを続ける僕をハミルトンが気にかけてくれたことが大きかったですね。本当は日本での復帰を考えていて、いくつかのJクラブにも売り込んだんです。でも『目が悪いんだったら無理でしょ』って、テストさえ受けさせてくれませんでした。ですから、まずはここで実績を残すこと。その後、Jクラブにチャレンジしたいと思っています」

今年で34歳。現役のフットボーラーなら、そろそろセカンドキャリアを考える年齢だ。しかし松本光平は、自らに限界を設定することはない。途方もない挑戦は、まだまだ続く。



<了>




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