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<日本人の忘れられない中国>なぜガラス瓶をくれたのか、その意味を知り感動した

Record China / 2024年7月13日 21時0分

<日本人の忘れられない中国>なぜガラス瓶をくれたのか、その意味を知り感動した

幸運にも船内で会話をした朝鮮族の女の子が私の様子を見て同情してくれ、婚約者の家族が迎えに来るから一緒においでと招待してくれました。資料写真。

30年以上前になりますが、当時大学生で中国語を勉強していた私は、夏休みに天津にある南開大学で中国語集中講座を受講することにしました。

当時は交換留学で米国の大学に滞在中で、米国から日本に帰国する飛行機を予約したところ、なぜか韓国ソウル行きのチケットがついてきたので、仁川港から天津行の船で行くことにしました。中国に行くのは初めてでしたが、国際船路なのでどこかで両替が出来ると思いきや、この船は中国から韓国に出稼ぎに行く朝鮮族の中国人が殆どで、観光客は皆無でした。

両替も出来ず、夜天津港に到着してからどうしようか途方にくれました。幸運にも船内で会話をした朝鮮族の女の子が私の様子を見て同情してくれ、自分の婚約者の家族が迎えに来るから一緒においでと招待してくれました。ほんの数時間過ごしただけの方でしたが、溺れる者は藁をも掴む心境でお言葉に甘えることにしました。

彼女は美玉さんという朝鮮族の中国人で、婚約者は漢族でお姑さんとハルビンから天津港に迎えに来ていました。婚約者もお姑さんも優しい方で、初対面の私を彼らがその夜泊まる招待所(中国人専用の宿泊施設)に連れて行ってくれました。当時は外国人と中国人が使える施設は区別されていて、当然外国人は宿泊不可なのですが、彼らが招待所のスタッフを説得してくれ、なんとか一晩泊めてもらえることになりました。

招待所に到着した時にはもう夜中で、ビーチで使うようなベッドが沢山並べられている大部屋で、貴重品を抱きしめて真っ暗闇の中寝ました。外貨は持っているものの、人民元も兌換券も持っていなかった私の宿泊料は美玉さんの婚約者家族が払ってくれました。おまけに南開大学行きのバス停まで送ってくれ、バス代も出してくれた上、お別れにとジャムの空き瓶のような瓶をプレゼントしてくれました。なぜガラス瓶をくれたのか当時は分からなかったのですが、数か月後彼らを訪問した際にその意味が分かり感動しました。

南開大学の中国語夏季講座は楽しく、あっという間に数か月が経ちましたが、住所を貰っていた美玉さんとは文通を続け、遊びにおいでという言葉に甘えてハルビンを訪問することにしました。

当時の中国の鉄道事情は酷く、硬座といわれる2等列車はいつでも大混雑で、トイレに行くのもままならない状態で10時間以上過ごしました。何の前知識もなしに乗った私は、周りの乗客が全員ガラスの空き瓶を持っているのを見て驚きました。彼らは長い道中ガラス瓶をコップ、皿、ボウルのマルチ器具として活用しており、それでお茶を飲んだりお湯を入れてインスタントラーメンを作ったりしていて、車中の生活必需品だったのです。

美玉さんのお姑さんがくれたガラス瓶がどんなに大事なものだったかを知り、それを見ず知らずの私にくれた彼女の心の優しさに感動しました。それと同時にそのために10時間以上の旅をガラス瓶なしで過ごさなければならなくなったことに、今更ながら大変申し訳なく思いました。

ハルビン駅には美玉さんと婚約者さんが迎えに来てくれていて、自宅へ連れて行ってくれました。婚約者さんは3人兄弟で、お兄さん2人はもう綺麗な奥さんと結婚していて、ご両親夫婦と美玉さんと皆一緒に住んでいました。総勢8人のとても賑やかな家庭で、毎日お姑さんが美味しい家庭料理をふるまってくれ、温かい家庭で毎日おしゃべりをしながら過ごす日々は本当に楽しかったです。

ある日の晩、家族のみんなが私をどこかへ連れていくべきかどうか、強烈すぎるのではないか、というような事を深刻そうに相談していました。その翌日、議論を終えた皆さんが私を連れて行った場所は、731部隊跡でした。私は731部隊の事は知ってはいましたが、実際の収容所と実験の様子の展示を目にした時は、やはりとてもショックでした。ただの一介の若者だった私には美玉さんの家族に謝罪することしか出来ませんでしたが、当時でも反日感情は大きかったでしょうに、日本人の私を温かく迎え入れてくれ、家族の一員の様に接してくれた美玉さん家族には大きく心を動かされました。

その後美玉さんとは文通をしばらく続けましたが、お互い引っ越しが続き、いつしか住所が分からなくなってしまいました。以前のハルビンの住所は宛先人不明なので連絡はとれませんが、美玉さんとご家族はどうしているだろうとずっと思っていました。貧乏だった学生時代に巡り合ったので何のお返しをすることも出来ず、今消息が分かれば何かしらの恩返しが出来るのに、と何度も思いました。

広大な中国には色々な人がいますが、日本では考えられないくらい心の大きい善良な人々が居る、そう教えてくれた美玉さんと家族には生涯感謝の念を持ち続けます。

謝謝美玉さん、今もこれからもお元気で幸せでいることを願っています。

■原題:中国で巡り合った素晴らしい家族の思い出

■執筆者プロフィール:大西 裕子(おおにし ひろこ)フリーランス通訳

1971年奈良県生まれ。奈良、東京、台湾で育ち、早稲田大学在学中に南開大学に語学留学。その後アメリカの大学院卒業後結婚し、インド、ベトナム、フィリピン、シンガポール、日本、香港で仕事をしながら3人の子供を育てる。父親は神戸外国語大学中国語科卒業、息子もイギリスの大学時代に北京の人民大学に留学し、親子3代で中国に縁がある。

※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


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