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<日本人の忘れられない中国>「案内する」という青年に付いて歩くこと30分、「相当やばい!」と覚悟したが…

Record China / 2024年10月6日 16時0分

「紹興飯店は分かりますか?」

「分かる」

「どこにありますか?」

「あっち」

「どれぐらいかかりますか?」

「すぐ」

白いワイシャツに黒いズボン、刈り上げた短い髪。どう見ても素朴な労働者にしか見えない青年の答えは簡潔極まりない。そして表情は硬く、笑顔も見せない。彼は早足でどんどん歩く。途中、小さな川を挟んだ向こう側に若い女性が立っていた。知り合いらしいその女性と大声で何事かを言い合う。いや、怒鳴り合う。双方の表情は険しく、口調は激しい。そのやり取りは全く聴き取れなかったが、僕は想像した。

「何やってるの? もう仕事の時間でしょ」

「そんなの知ってるさ」

「あんたの後ろの二人は誰?」

「日本人。これから連れて行くんだ」

「またやるの、あれを。やめなさいよ、そんな真似は」

「うるせえな、お前の知ったことじゃねえよ」

僕の空想はどんどん発酵していった。これはまずい展開じゃないか?彼は歩調を緩めず、僕らが眼中にないかのようにひたすら歩く。終始無言だ。20分歩いてもホテルらしい建物は見えてこない。30分が過ぎた。「すぐ」にしては遠すぎる。曲がるごとに道はだんだん細くなり、どんどん薄暗くなっていく。とうとうやっと一人が通れるような狭い路地に入り込んだ。相当やばい!きっとあのボロ屋の陰から男の仲間たちが躍り出て、さっと僕らを取り囲むに違いない。僕は覚悟を決めた。I君の目にも悲壮な色が浮かんでいる。絶対に来るな、これは!

最後の角を曲がると、突然視界が開けた。大通りに出たのだ。そして彼の指さす先には紹興飯店がでーんと構えていた。疑って、ごめん!

僕は慌ててポケットを探って、なんでもいいから手渡そうとした。指先に触れた黒のボールペンを差し出すと、とんでもないというように左右に手を振った。

「せめて名前を聞かせて!」

彼はこの時初めて笑顔を見せて、しかし、何も答えず、踵を返してさっさと行ってしまった。呆然と僕たちは立ち尽くした。見ず知らずの日本人のために貴重なはずの昼休みを費やして、なおかつ何の謝礼も受け取らずに去って行った白いワイシャツの青年。その後姿が37年の時間の彼方を遠ざかって行く、名前も何も分からないままに。

■原題:君の名は?

■執筆者プロフィール:宇野 雄二(うの ゆうじ) 教員

1955年三重県生まれ。三重県立四日市高校在学中に中国古典の世界に親しむ。静岡大学人文学部卒業後、神奈川県と三重県の県立高校に勤務。三重県在勤中に二度にわたり合計4年間、河南師範大学へ日本語教師として出向した。三重県を早期退職した後は上海の華東師範大学などで10年ほど教壇に立ち、帰国後は再び神奈川県の県立高校で非常勤講師として国語を教えている。

※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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