<日本人の忘れられない中国>「あなたに似合う色、日本の桜の色」=30年前にもらった手編みのセーター
Record China / 2024年12月1日 15時0分
ある夜、突然耳をつんざく大きな音が飛び込んできた。何か反乱が起きたのではないか、この建物が襲われるのではないか。激しい音に驚き泣き叫ぶ幼な子をしかと腕の中に抱え込んだ私も、不安におののいていた。
先に赴任した夫に半年遅れて、私が4歳・2歳・生後3か月の息子3人を連れて上海入りしたのは、1987年12月。研究者として委嘱を受けた夫は上海総領事館に勤め、私たちの住まいは、フランス租界時代に建設された頑丈な建物だった。
日本から近い国とはいえ、私にとって初めての外国暮らし。お手伝いの陳さんが通いで来てくれたが、夫の帰宅は、毎日遅かった。暮らし始めて半月、乳飲み子を抱え、まだ外出の機会を得ないままのある夜、突然耳をつんざく大きな音が飛び込んできた。闇の中で爆発音は次々に続いた。文化大革命も過去のこととなり、平穏に見える中国だが、何か反乱が起きたのではないか、この建物が襲われるのではないか。激しい音に驚き泣き叫ぶ幼な子をしかと腕の中に抱え込んだ私も、不安におののいていた。
帰宅した夫から、轟音の正体が新年を祝う爆竹によるものと教えられ、胸をなでおろし、風習の違いを思い知らされた。今では、私たちの歓迎セレモニーだったのだと笑い話に変えている。
生活が落ち着くと、休日には近くの公園に家族みんなで出かけた。当時の中国は、一人っ子政策のただなかである。3人の息子たちを見ると、すれ違う老若男女の多くが目を丸くし、微笑み、「好」と言って親指を立てた。3人を伴っている珍しさもあったろうか。私は、中国の人々は子供好きなのだろうと感じつつ、第2次世界大戦後、多くの日本人残留孤児を中国の人々が手厚く育てた事実に思いを馳せ、中国人の温かい人間性を肌で知ったのだった。
私には領事館員夫人としての務めもあり、留守の間は家のことを陳さんに任せた。長男・次男は現地の幼稚園・託児所に通ったが、三男は、陳さんの世話になる。自身にも5歳の息子がいる30代の彼女は、すこぶる丁寧に三男の面倒を見てくれ、三男はつかまり立ちから小走りも出来るようになるまで何ら事故もなく健やかに成長した。発語はできなくても彼女の話す簡単な中国語の意味は理解できるようになっていった。2年半に及んだ中国暮らしのなかで、家族同様に親しみ、かけがえのない存在の陳さんであったことは、紛れもない事実だ。
そしてもう一人、忘れられない仲間、林さんがいる。
住宅事情のよくない上海では、2世代・3世代同居も珍しくなく、若い2人がゆっくりくつろげる場は家より公園、年老いた人たちも朝早くから公園に集い、太極拳をし、語り合っていた。私が林さんに出会ったのも公園である。たくさんの人が太極拳をやっている中で、ひときわ上手で私の目を釘付けにした。60代の彼女は小柄だが、まことに流麗な動きで、姿勢も美しく、ポーズも見事、素晴らしかった。
それまでは日中戦争の記憶を抱えたままかもしれない老齢の中国人には気軽に言葉をかけられずにいたのだったが、彼女の太極拳にすっかり魅せられた私は、思い切って言葉をかけた。拙い中国語を彼女は理解してくれ、週1度、太極拳を教えてくれることになる。
楽しい習い事だった。太極拳は大きく呼吸しながらゆっくり動くが、筋力・バランス力を要する。運動の苦手な私が、太極拳の緩やかな動きに惹かれ、私でもやれそう、と指導を願ったのだが、元々武術だっただけに中腰で安定性を求められ、力強い決めポーズもある。安易な気持ちで取り組もうとしたことを反省したが、林さんの懇切な手ほどきを受けながら次第に太極拳の虜になり、ますます中国になじんでいった。
片言であっても意思を伝えあえるようになった頃、彼女から自宅に招かれた。一般家庭を訪ねるのは初めてのことだったが、彼女がふるまってくれた回鍋肉は、レストランの味とは異なる庶民的な美味しさで、私は、中国の豊かさにお腹も心も満たされたのだった。
楽しく習い、林さんとのつながりも深めているうちに2年が経ち、夫の任期の終了が来た。夫の仕事柄、短期間の滞在であることは当初から承知していたが、土地になじみ、心弾む時間を共有できていた林さんとの別れは辛かった。
最後の日、ともに汗を流した後、私の差し出した手を彼女はしっかり受け止めてくれた。力強く握手した手をほどくと彼女は、プレゼントだと言って私に紙袋を渡した。開いた中には、手編みのセーターが入っていた。淡いピンク色。「あなたに似合う色だ。日本の桜の色でもある」と、彼女は、付け足したのだった。
あれから30年。彼女が一針一針丹精込めて編んでくれたセーターは、今も冬の寒さから私を守ってくれる。
■原題:私の宝物
■執筆者プロフィール:喜田 久美子(きだ くみこ)裁判所非常勤職員
1952年宮崎県生まれ。宮崎大学卒業後、宮崎日日新聞社入社。結婚を経て、5年後に宮崎日日新聞社を退社し、上京。東京のレジャー産業研究所に入社、2年後に出産のため退社。1987年、夫の上海総領事館勤務に伴い、中国上海市民となる。1990年、夫の九州国際大学勤務に伴い帰国、北九州市民となる。夫の逝去の後、1996年宮崎に転居。現在、宮崎家庭裁判所勤務(非常勤)。
※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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