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「遅さ」を極めた電動化?「電気でこそやれること」から生まれた“最高に遅い船”の付加価値とは

レスポンス / 2022年10月4日 15時30分

「速さ」に高い価値が付くのはクルマの世界だけでなく、航空機や船舶など、モビリティ全般に通じる定説である。小型船舶業界の世界大手であるヤマハ発動機はその船の世界であえて「遅さ」を極めることで付加価値を生み出すという斬新な試みを行っている。


遅さを極めたシステムとは、電動操船システム「HARMO(ハルモ)」である。エンジン船外機をリプレイスできるサイズの電動動力部とジョイスティックのワンハンドオペレーションが可能なコントロール部を持ち、推進と操船を統合システムとして提供するというものだ。


ダクトファン形状の推進部はプロペラにコイル、ダクトに永久磁石が仕込まれ、それ自体が電気モーターの機能を持つというユニークな構造を持つ。最高出力はわずか3.7kW(5馬力)。プロペラは固定ピッチで、低速性能を重視した深々としたピッチ角を持つ。推進部そのものが電気モーターであるため舵角調整機構より上と機械的な結合がないという特質を生かし、左右それぞれに70度という大舵角を持たせている。


遅さを極めることがどのような付加価値を生むのか。このHARMOを搭載したボートで港湾内を500円で遊覧できるといのワンコインクルーズ実証運航を行っている横浜ベイサイドアリーナで体感してみた。


一般的なプレジャーボートとはまったく異なる感覚


ボートに乗り込み出航。動き始めた瞬間から、一般的なプレジャーボートとはまったく異なる感覚である。まずノイズが皆無。動力船といえば大小を問わず自動車とは比べ物にならないくらいのエンジンの騒音、振動を伴うものだが、それが文字通りゼロなのである。単に電気だから静かというのではなく、従来の電動船のような減速ギアや遊星ギアを持たない直動式なので、ギアノイズすらしない。船上では桟橋にいるときとまったく同じ大きさの声で会話ができる。不思議な感覚である。


滑り出しのスムーズさも特筆すべきものだ。通常、動力船はプロペラの回転速度が一定ラインを越えた瞬間ずいっと動き出すというフィールを示すものだが、この船は静止状態からふわっと超のつく微低速で動き出し、そのままリニアに速度が乗っていく。


ゼロ回転で大トルクを発生させられる電気モーターの特質を生かすため、回り出した時から有効な推進力を出せるプロペラ形状を徹底的に研究したのだという。風を受けて走るヨットのように傾くこともなく、船は水の上を滑るように進む。手漕ぎボートが漕いでもいないのに進んでいるかのようだ。


このボートに乗った後、36フィート級、インボード(エンジンを船内に搭載する)タイプのラグジュアリークルーザーにも乗ってみた。このクラスのクルーザーに乗ると静かで乗り心地が良くて…といい気分になるものだが、この日は航行を終えて船から降りたときに体にエンジンの微振動の感触が残っていることが意識された。


船の電動化がもたらすメリットと需要


ヤマハ発動機が電動船の開発プロジェクトを開始したのはリーマンショック後の2011年。当時すでに自動車の世界ではEV転換へのトライが始まっていたが、船にもそのムーブメントは確実にやってくると予想されたのがきっかけであったという。


が、船や飛行機の電動化はクルマとは比較にならないほどハードルが高い。そもそも普通の船をそのままのスペックで電動化することは現在のバッテリー技術では不可能だ。要求される航続性能を満たすだけのバッテリーを積んでも、その重みで沈没するだけである。


「ならば、通常の船のエネルギーシフトは水素や合成燃料などに任せておいて、電動化についてはそうする意味のある用途を考えながら行うべきだと考えたのです」(ヤマハ発動機関係者)


その回答の第1弾がHARMOだったわけだが、果たして需要はあるのだろうか。実は海外ではシップビルダーに対する正式な供給が始まっているそうだが、ヤマハ関係者によればフィッシング、運河の航行といった分野でニーズがあり、販売実績が出はじめているという。


「まずはフィッシングですが、ほぼ無音であることから航行していても魚が音にびっくりして逃げないというのはかなりのメリット。カナダのブリティッシュコロンビアなどでのサーモンフィッシングに使われ始めています。横浜ベイサイドマリーナの港湾内でも、普通の船なら逃げる小魚がHARMO船だと逃げないんですね。運河航行ではヴェネツィアの水上タクシーなどに使われ始めています」


ヴェネツィアの水上タクシーはスピード命でラグーン内を爆走しているというイメージがあるが、実はゴンドラより低価格で市街地の運河を低速で航行する観光タクシー需要も根強い。もしその水上タクシーがゴンドリアーレの漕ぐゴンドラと同じように音もなく遊覧する乗り物になったら人気はさらに上がるだろうし、左右の首振り角の大きさを生かしてタグボートのように小回りが利くことを考えると、曲がれない角が少なくなって観光コースのバリエーションをより増やせるということが考えられる。


「電気でこそやれること」から生まれた“最高に遅い”船


電動化といえば猫も杓子もSDGs(持続可能な開発目標)と紐づけて語られるのが今日のトレンドとなっているが、電気エネルギーの得意分野と苦手分野を考えると、飛行機や船をやみくもに電動化するのは馬鹿げている。それよりは「電気でこそやれることを考えよう」というスタンスから生まれたこの“最高に遅い”船。日本市場ではこの横浜ベイサイドマリーナ、北海道・小樽の運河での実証運航が始まっている。この先どのような展開をみるか、大いに楽しみなところだ。

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