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幻の360ccエンジン搭載車も、ホンダの4輪進出前夜に何が起きたのか…オートモビルカウンシル2023

レスポンス / 2023年4月19日 19時30分

「オートモビルカウンシル2023」のホンダブースには、「1962年、ホンダ4輪進出前夜」というボードと共に、2台の360ccエンジン搭載車が展示された。


このうち1台はホンダ『スポーツ360』。まさに幻のスポーツカーで、実際に当時作られたものは現存せず、ホンダ社内で復刻されたモデルだ。そしてもう1台は『T360』。こちらはDOHCエンジンを搭載した軽トラックとして今もクラシックカーイベントなどにはよく顔を出す実際の市販車である。


ホンダは1948年に従業員34人、資本金100万円でスタートした会社である。自転車用補助エンジンの製造や耕運機の開発などで事業を伸ばし、本格的に2輪を生産するようになるのが1952年。そして1958年には今も生産される『スーパーカブ』を導入するなど着実に足場を固めた。そうした足場を築いた後にいよいよ自動車の生産に乗り出そうとする矢先、一つの法案が立案される。


立案者は通産省の佐橋滋。その法案の名前は特定産業振興臨時措置法案というものだった。何故これが問題だったかというと、国際競争力強化という目標の元、自動車会社の統廃合や新規参入の制限を加えるというものだったからだ。つまりまだ自動車生産を行っていないホンダにとっては新規参入が出来なくなる可能性があった。このため当時本田宗一郎と佐橋滋は真っ向から対決をしたというが、法案提出の動きが止まらなかったことから、法案が成立する前にクルマを作ってしまおうと急遽自動車開発がホンダ社内で指示される。


そして開発指示から僅か半年で作り上げられたのがスポーツ360とT360であった。


最初のお披露目は1962年6月の第11回全国ホンダ会総会でのこと。その後10月の第9回全日本自動車ショーにおいて、スポーツ360、T360、それに同時に『スポーツ500』を発表した。「経験はないが技術はある」そう本田宗一郎が言って作り上げたエンジンが水冷4気筒DOHC4キャブのものだった。時間もないことだったので、このエンジンがスポーツカーのみならずトラックにも搭載されることになった。最もホンダらしさが現れていたのは2輪の技術の応用で、そのファイナルドライブをシャフトに頼らず、チェーンドライブとしたことだろう。


また、アルミのケース自体がスイングアームの役割を果たし、結果トランクスペースを稼ぎ出すことにも成功していた。、スポーツカーと同じレイアウトを採る必要性からエンジンはシート下に置かれ、キャブオーバー型の形状が出来上がり当時最も広い荷室スペースを持つトラックとなったのもまさに瓢箪から駒である。


結局スポーツ360は生産には至らなかった。理由はいくつかあり一つは世界に通用するものを作るということ。そしてもう一つは軽自動車と小型車を同時に作ることで特振法が定めた3つのグループのうち2つに参入可能(残り一つは高級車)となるからだったようだ。


結果、特振法は廃案となったが1962年はメーカーとしてのホンダを大きく前進させることになったのである。

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