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いすゞは造船所の新規事業だった…1号車から102年、ジェミニ誕生から50年!

レスポンス / 2024年8月22日 7時15分

いすゞ自動車のルーツは、東京石川島造船所自動車部、東京瓦斯電気工業自動車部、快進社自動車工場の発展会社と実用自動車製造の合弁会社であるダット自動車製造に端を発する。この3社が段階的に合併し、いすゞ自動車株式会社が誕生した。


三樹書房は『いすゞ乗用車の歴史』の新装版を刊行した。『ジェミニ』誕生50周年を記念したもので、いすゞ自動車が開発した個性的な乗用車について、当時のカラーカタログ600点以上を収録し、その変遷をたどる内容となっている。


1853年、米国のフィルモア大統領の親書を携えたペリー提督の黒船が浦賀沖に来航した年に、徳川幕府は東京・石川島(現:中央区)に造船所を設立した。明治維新後、明治政府は旧幕府や諸藩から継承した軍需工場や鉱山を官業として育成し、民間に貸与、払い下げた。石川島造船所も1876年に民営化され、1889年に有限責任石川島造船所に改組、1893年に株式会社東京石川島造船所となった。初代取締役会長は新1万円札の渋沢栄一であった。


1914年の第1次世界大戦勃発以来、日本の経済は好景気となり、特に海運業と造船業が恩恵を受けた。東京石川島造船所は戦後の反動不況に備え、新規事業として自動車生産の計画を立てた。1920年に東京・深川区(現:江東区)に深川分工場を新設し、1922年の大晦日に1号車が完成した。しかし1923年の関東大震災で工場は甚大な被害を受け、一時は自動車事業撤退も検討されたが、1924年に造船所本社敷地内に自動車工場が再建された。


1929年5月、自動車工場が独立して株式会社石川島自動車製作所が設立された。関東大震災は日本における自動車普及の転機となった。破壊された鉄道、市電に代えて、東京市が米国車を大量輸入して対処した結果、自動車の有用性が認識されたのだった。



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