死者・不明者1100人超「火の雨で焼かれた」福岡大空襲から79年 戦争の記憶どう語り継ぐ
RKB毎日放送 / 2024年6月19日 18時20分
福岡市の中心部に大量の焼夷弾(しょういだん)が落とされ、死者・行方不明者をあわせて1146人に上った福岡大空襲から6月19日で79年です。
戦争を体験した人が年々減っていく中、記憶を風化させないための活動が続いています。
「火の雨」を今も鮮明に記憶
「火の雨が降るような状態に、あっという間に焼かれてしまった」19日、福岡市南区の玉川小学校で自身の戦争体験を伝えたのは「語り継ぐ会」の高橋英人さん(86)です。
79年前の6月19日、当時7歳だった高橋さんは、福岡市が空襲に見舞われたときの様子を鮮明に覚えています。
高橋英人さん(86)「家におっても危ない。『大濠公園へ避難せえ』ということで。だけどすごい人の中で私は弟の手がいつ離れたか分かりませんけれども、必死で握っていた男の子は別の男の子の手を握っていました」
小学6年の女子児童「私たちが当たり前にようにご飯を食べられたり、勉強ができていることが幸せだと思いました」
小学6年の男子児童「食事とか勉強もサイレンが鳴ったらすぐやめないといけなかったというお話から戦争がない国、世界が一番みんなにとって嬉しいかなと思いました」
体験語る人が減ることを危惧
約30年間、語り部として活動を続けてきた高橋さんですが、戦争の体験者が減っていくことに不安を感じています。
高橋英人さん(86)「体験談というか証言ができる人はあと数年で亡くなるんですよね。それが一番危惧ですよね。あとは『伝え聞いた』ということになりますからね」
「戦争遺構」が伝える戦争の実態
実際に戦争を体験した人が減っていく中で、空襲で被害を受けた建物などの「戦争遺構」から平和の大切さを伝えようと活動を続けている人もいます。
先週福岡市では福岡大空襲の遺構をめぐるフィールドワークが行われました。
防空壕で63人が「蒸し焼き」に
一行が向かったのは現在、博多座になっている十五銀行福岡支店跡です。
この場所では空襲による火災で63人が亡くなりました。
江浜明徳さん(73)「中に銀行の地下室がありまして、そこが防空壕指定場所になっていました。防空壕の外に逃げられなかった方がここで窒息死。その後火災で蒸し焼きになって、もう悲惨な状態だったそうです」
博多区内には、空襲で亡くなった人や戦死した人を供養する戦災地蔵があります。
江浜明徳さん(73)「今ビルの谷間にやっと残っているという感じなので、いつまでもここを守ってもらいたいと私は感じております」
参加した女性「普通に通り過ぎてる道でも、そういう焼け野原になったところがあったんだな、というのがわかったので、ちょっと見方が変わってきました」
「戦争遺構」をガイドブックに
ガイドを務めた江浜明徳さん(73)は元高校の教員で、退職後に九州に残る戦争遺構400か所を巡り、ガイドブックにまとめてきました。
各地で撮影した大量の写真はアルバムに保存しています。
江浜明徳さん(73)「ここに今までの本を出すための写真集(アルバム)があります。あわせて300冊くらいだと思います」
戦後生まれの江浜さんが現在の活動を続けてきた原点は、子供の頃に両親から聞いた空襲の体験だといいます。
江浜明徳さん(73)「山を越えた博多の方で火の手が上がっているのが雲に反射して見えると。父は本当に中心街・博多区の大浜地区に住んでいましたたが、もちろん家はまる焼けで、戻ってみたら何も残っていないと。同窓生をたくさん亡くして戦争は絶対にいけないと私に言っていたのがずっと私の心の中に残っていました」
小学校にも空襲伝える遺構が
福岡市内に残る遺構を江浜さんに案内してもらいました。まず訪れたのは博多小学校です。
江浜明徳さん(73)「焼け焦げたドアが見えておりますけれども、これが福岡空襲の際に焼けた理科実験室のドアになります」
「これこそ、戦争の悲惨さの生きた教材だと私は思いますね。これを見ればですね。子供たちはこんなに戦争は悲惨だったんだとこんな被害を受けたんだともう絶対に戦争はいけないと。やっぱり本当のものを見て感じ取ってくれるのではないかと」
博多小学校には空襲で落とされた焼夷弾や市民がかぶっていた防空頭巾、当時の学校職員が記録していた防空日誌が保存されています。
続いて訪れたのは博多区大博町の立石ガクブチ店です。
RKB金子壮太記者「福岡市博多区に残る防空壕です。当時ほとんどの家で、床下に防空壕を掘っていたということです」
江浜明徳さん(73)「唯一、福岡市内で(床下式の)防空壕が見られるという貴重な場所なんです」
35年にわたって九州各地の戦争遺構を取材してきた江浜さん。これまでに取材した遺構の中にはすでに無くなってしまったものもあります。
もの言わぬ証言者「戦争遺構」
戦争の記憶を風化させないように、多くの人が今も残る戦争遺構を訪れ、自分自身で戦争を感じてほしいと江浜さんは話しています。
江浜明徳さん(73)「戦争遺跡は物を言わぬ証言者といいますけれども、私自身は聞こえないけれども、ものを言ってると思ってるんですよ。こういう戦争遺跡はですね、耳をすませば、必ずその声は聞こえてくると思います」
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