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「平和は願うものではなく、努力して得られるものだ」 米兵を処刑した元戦犯の息子と処刑された米兵の孫 慰霊祭で共に平和を誓う

RKB毎日放送 / 2024年6月20日 19時59分

79年前におきた「福岡大空襲」

この前後、福岡市におかれた西部軍では、墜落したアメリカ軍のB29爆撃機の搭乗員、約40人が処刑されました。

戦後、戦犯として裁かれた男性の家族や、処刑されたアメリカ兵の親族ら日本とアメリカの関係者が20日、福岡市で慰霊祭を行いました。

油山観音慰霊祭

6月20日、福岡市の油山観音で営まれた慰霊祭。

太平洋戦争末期、福岡市におかれた西部軍で処刑されたアメリカ兵を慰霊するものです。

参加者の一人、冬至克也さん(70歳)。克也さんの父、堅太郎さんは、アメリカ兵4人の処刑実行者として戦後、戦争犯罪に問われました。

母を失った息子が米兵処刑を志願

1945年6月19日の福岡大空襲。アメリカ軍のB29による爆撃で犠牲になったのは1000人以上。堅太郎さんの母、ウタさんもその一人でした。

裁判資料(福岡大空襲の状況)より

「冬至氏は『お母さん』と一言軽く声をかけられ、右膝をついて男泣きに泣きくずれました」
翌日、西部軍司令部の大工小屋で、母の棺を作っていた堅太郎さんは、B29に搭乗していたアメリカ兵の処刑に加わります。

冬至堅太郎さんが書いた裁判資料より

「私は処刑者として最もふさわしい者だ」

自ら志願した堅太郎さんは、刀を借り、アメリカ兵ひとりの首を斬り、さらに命令によって3人の命を奪いました。

戦犯としてスガモプリズンに

敗戦の翌年、堅太郎さんは戦犯としてスガモプリズンに囚われます。

堅太郎さんは入所したその日から日記を書いています。

冬至堅太郎さんの日記

(1948年)12月22日 水 晴 ゼーラー(看守)の友情

「私たちのいる六号棟に来る10数名のゼーラー(看守)の中で、特に私の親しい一人がいる。『四人処刑したときはどんな気持ちだったか?』『志願するまでは本当に怒っていたが、処刑の位置についた時にはただ立派に処刑を遂行することより他は考える余地がなかった。あとで私の妻にこの処刑のことを話したら、妻は<その飛行士たちには奥さんや子供があったでしょう>と言った。僕は言葉がなかった。」

横浜軍事法廷判決は絞首刑

一週間後、横浜軍事法廷で、堅太郎さんの判決が言い渡されました。

冬至堅太郎さんの日記

(1948年)12月29日 水 晴

「遂に来(きた)るべき判決の日は来た。絞首刑!これが私に与えられた判決である。」

朝鮮戦争勃発後、終身刑に減刑

死刑囚の棟に移され、死刑が執行されるのために連れて行かれる26人の仲間を見送った堅太郎さん。

1950年、朝鮮戦争勃発後に、終身刑に減刑されましたが、1958年、最後まで止め置かれた18人の一人として出所式に参列しました。

自宅に4体の地蔵を建立

自分が手をかけた4人のアメリカ兵のために、自宅に4体の地蔵を建立した堅太郎さん。

1983年、68歳で亡くなりました。

亡くなった後、地蔵は油山観音に納められました。

「辛くとも生きなさい」住職の言葉

今年2月、東京にあるお寺を訪ねた克也さん。

このお寺の住職だった田嶋隆純さんは、戦犯たちが収容されたスガモプリズンの教誨師(きょうかいし)でした。

隆純さんの長女 田嶋澄子さん(84)「まあお父さんとそっくりね。」

冬至克也さん「兄弟の中で私が一番似てるって周りから言われます」

教誨師として仏の道を説くよりも戦犯たちの助命運動に奔走した田嶋さんへ戦犯たちが贈った文集がありました。

「冬至さんの苦闘記みてください」

「まさしく父の字だなあと」

堅太郎さんが書いた「苦闘記」には、米軍に囚われる前に自決を考えていたところ、油山の住職に止められたとありました。

「苦闘記」より
「敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。生きなさい。短いが仏に頂いた大切な命です。辛くとも生きなさい」

我が子と、私が処刑した米兵の子

堅太郎さんがスガモプリズンで詠んだ歌です。

「わが子らとわが処刑せし米兵の子が相あはむこともあらむか」

油山観音で行われた、20日の慰霊祭には、西部軍が関係する処刑で亡くなった約40人の写真が掲げられました。

冬至克也さんのほか、戦争の歴史を研究する人たちが集い、アメリカからも関係者がウェブ上で参加しました。

「無理やり恨みを持たせて戦わせる 戦争の矛盾」

ヘザー・ブキャナンさんの祖父は、処刑された一人、チャールズ・アップルビーさんです。

ヘザー・ブキャナンさん「私は『平和は願うものではなく、努力して得られるものだ』という言葉を聞いたことがあります。私たちの国同士の友情と交流は、私たち全員が夢見るこの平和を生み出すことに繋がります」

冬至克也さん「国民と国民の間には、人と人との間にはなんの恨みもないんですよね。そこを無理やり恨みを持たせて戦わせるというそういう矛盾が戦争にはあると思います。そういうものを一人一人が感じ取って、戦争を回避していくことが必要だと思います。」

来年は、戦後80年を迎えます。参加した日米の関係者は、平和への誓いを新たにしました。

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