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元毎日新聞オリパラ室長・パリ五輪の「隠れた快挙の裏側」を語る

RKB毎日放送 / 2024年8月16日 16時44分

日本勢が金メダル20個を含む45個のメダルを獲得するなど盛り上がりをみせたパリオリンピックが閉幕した。かつて東京大会で毎日新聞社のオリンピック・パラリンピック室長を務めた山本修司氏が8月16日、RKBラジオ『立川生志 金サイト』に出演し、あえて日本がメダルに届かなかった団体球技、特にサッカーに焦点をあててパリ大会を総括した。

団体競技で日本は「92年ぶりの快挙」

私が現在勤務している毎日新聞出版は今日(8月16日)、パリオリンピック総集編のムック本を発売しますが、表紙は悩んだ末にやり投げの北口榛花選手にしました。そんな中でなぜサッカーの話かということですが、北口選手も含めていろんな競技で「海外で活躍する選手が増えてレベルが上がった」と分析される場面が多い中で、私はそんな単純な構図ではないことをお知らせしたいと思ったわけです。

団体球技は振るわなかったと思われがちで、確かにバスケットやバレーボール、サッカーなどが期待された中でベスト8が最高でした。それでも、実は全ての団体球技に、日本は少なくとも男女どちらかは出場を果たしています。比較するのはどうかとは思うのですが、これはホッケーと水球の2競技のみが行われた1932年ロサンゼルス大会以来ということで、ある意味92年ぶりの“快挙”だったのです。

Jリーグ発足で裾野が広がった日本のサッカー

そういった意味では、日本の球技はなかなかのレベルということですが、団体球技の中で私はサッカーで選手も審判も指導者も経験したので、オリンピックが終わったこのタイミングで、例としてサッカーを取り上げます。

日本サッカーはいまでこそ、当たり前のようにワールドカップやオリンピックなど国際大会に出場していますし、入賞やメダルを期待されるまでになり、選手も優勝や金メダルといった目標を口にしています。

ですが、私がサッカーを始めた半世紀前には、1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを取った実績はあったものの、その後オリンピックになかなか出場さえできない、ワールカップに至っては出るのが夢のまた夢といった時代でもありました。

日本のサッカーの転機は何と言ってもプロのサッカーリーグ、Jリーグの発足です。1993年のことですが、それまでの企業主体ではなく、地域主体でクラブを運営していく形になっており、プロチームを頂点に、ユースやジュニアユースのチームを持ち、小さいときから体系的に高度な練習をする形が出来上がりました。

また多くの選手がヨーロッパや南米などサッカー先進地に渡って活躍するようになり、そういった選手が日本代表を形成するから強くなったのは間違いないのですが、私が指摘したいのはそこではないんです。

ユースや強豪といわれる学校に入れない普通の子供たちが、レベルの高い練習をできる環境になり、サッカーの裾野が想像以上に広がったことが大きな要因になったと考えています。山の頂点は裾野が広ければ広いほど高くなりますので、トップレベルに至らない大半の子供たちがレベルを上げたことが、今のように日本のサッカーが欧州などに迫る高さの山を築いたと私は思うのです。

D級ライセンスでも習得する本場のメソッド

…などと偉そうに言っていますが、私が持っている指導者の資格はD級ライセンスという、最も手軽なもので、講習さえ受ければ誰でも受かるものです。この上にはC~A級、そしてプロを担当できるS級とありますが、実はこの最下級のD級でさえ、内容は欧州などで普通にやってきた中身の濃いものです。

指導面でも重要なことを教わります。昔は小学生のチームでも失敗をすれば罰として走らせる、とにかく点を取られないようにボールを前に蹴っておく、などということが普通に行われていました。ボールを蹴り始める5歳くらいから小学生の年代はゴールデンエージといって、ボールを扱う技術を身につける年代です。「即座の習得」などというのですが、子供にとってすぐに技術を習得できる宝物のような時間で、体力なんて後からでも付けられるのです。

D級の講習会では、こういったことも教わりますし、技術面でも、なかなか口で説明するのは難しいのですが、ボールを受けるときに攻める方向の視野を確保できるように回り込むようにして止める「グッドボディシェイプ」、ほかにもアイコンタクト、相手と目を合わせて意思疎通を図りながらパスを交換するとか、ヨーロッパのクラブチームが通常してきたようなメニューが入っているんです。

D級は必ずしもサッカーをやってきた人ではなく、子供がサッカーチームに入ったからコーチ役を引き受けたなどという、普通のおじさんも少なくないのですが、要は、こうした普通のおじさんがヨーロッパで長年積み重ねてきたようなメソッドを曲がりなりにも実践してそれなりに理解して、地域で子供たちに教える態勢になっているということが重要です。

審判ライセンス取得者に届くFIFAからの通知

よく休日に河川敷をランニングしているときに子供がサッカーの試合をしているのを目にするのですけど、言葉は悪いですが裾のレベルでもこうした基礎ができており、そこが底上げされて頂点、つまり日本代表といったトップチームはより高みに行ったわけです。そのトップ選手は世界の超一流のリーグ、チームでもまれるわけですから、より一層レベルは上がっていったということになります。

これは審判にもいえます。子供の試合に行くと、自分たちの試合の後に別の試合の審判をすることがよくあり、「後審(あとしん)」などと言うんですが「どうせ審判をするなら」と、一日の講習で取れる資格を取る人が少なくありません。実はサッカーの場合、国際組織であるFIFA(国際サッカー連盟)から、ルールの改正などがあると直接通知が来るんです。

実際には、FIFAがフランス語で出した通達を日本サッカー連盟が日本語に訳して、各審判に通知するという形なのですが、いずれにしてもサッカーの審判は世界で一つにつながっているんです。「このあいだFIFAから通達が来たんだけど」なんて、なんかちょっとカッコいいですよね。

おそらく、他の球技もいろんな努力の末にいまのレベルにあると思いますので、その進化の過程を見れば、競技の発展にも役立つと思いますし、これから始まるパラリンピックもより楽しめるのではないかと思います。

◎山本修司(やまもと・しゅうじ)

1962年大分県別府市出身。86年に毎日新聞入社。東京本社社会部長・西部本社編集局長を経て、19年にはオリンピック・パラリンピック室長に就任。22年から西部本社代表、24年から毎日新聞出版・代表取締役社長。

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