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復興進まぬ能登半島地震 福岡の志賀海神社が能登・志賀町に義援金

RKB毎日放送 / 2024年9月3日 18時38分

元日に発生した能登半島地震で大きな被害を受けた石川県志賀町は、海の民・阿曇族の一部が福岡市東区の志賀島から移り住んだのが始まりとされています。

阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は縁のある志賀町を支援しようと義援金を送りました。

「志賀町をどうか助けてあげてください」

8月26日、石川県志賀町を訪れたのは福岡県東区にある志賀海神社の宮司と氏子たち6人です。

志賀海神社 阿曇幸興 宮司「『志賀町をどうか助けてあげてください』と多くの義援金をいただきました。」

志賀町の稲岡健太郎町長に義援金200万円を手渡しました。

志賀町 稲岡健太郎 町長「町内も復旧が道半ばですし、生活の再建もまだ途中です。義援金を頂くことは町民にとっても大変励みになりますし、大きな助けになるとも思っています。

志賀町 7人が死亡、104人がけが

石川県の日本海側に位置する志賀町。

元日に発生した能登半島地震では、震度7を観測、557棟が全壊し、7人が死亡、104人がけがをしました。

「復興進んでいない心痛む」

能登半島地震から8か月、実際に被災地をみた宮司は。

志賀海神社 阿曇幸興 宮司「正直言うとあまり復興は進んでいないところでもあって、家は建っているんですけど、基本的にはもうここには住めないので、解体しないといけないという貼り紙が貼られている家がほとんどで、つぶれている家とかを見たりするととても心が痛ましい気持ちになりました。大阪万博とかぶったりして、建設・解体業者がそっちのほうに向かっていて、なかなか人が能登の方に行きづらい、志賀町の方に行きづらいという話を伺いました。」

志賀海神社に義援金箱

およそ1300年前、海の民・阿曇族の一部が福岡市東区の志賀島から対馬海流に乗って北上し、能登半島に移り住んだことが石川県志賀町の始まりとされています。

阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は「海神の総本社」と称えられ、古代より海上交通の要である博多湾の総鎮守として信仰されてきました。

縁のある志賀町を支援しようと志賀海神社と氏子らは今年2月、義援金箱を本殿の前に設置しました。

募金した人「大変だなと思って。志賀島も大地震がありましたので、他人事じゃない」

志賀海神社も2005年の地震で被災

2005年3月に発生した福岡県西方沖地震。

最大震度6弱を観測し、志賀島ではおよそ750戸の建物が被害を受けたほか、志賀海神社も灯籠や狛犬が倒れたり、鳥居の一部が折れたりしました。

「続いてきた支援、感慨深い」

当時は志賀町の住民らが志賀島を訪れ、無形文化財の「志賀疾風太鼓(しかはやてだいこ)」を披露して、被災者を勇気づけました。

志賀町 稲岡健太郎 町長「いろいろと話を伺って知ったことばかりだったんですが、当町にも『安津見』という地名がありますし、そこに神社もあります。お祭りでお付き合いができたらいいなと思いますし、支援をし合うネットワークが連綿と続いてきたことが大変感慨深いなと思います。」

志賀海神社 阿曇幸興 宮司「先祖がつながっているというつながりをもっと大事にしていこうと思っておりまして、地域としても交流をどうにか深めていけたらと考えています。」

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