死刑目前 特攻隊長の歌「わが最後の夜とも知らず 帰りつつあらむ老母思ふ」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#64
RKB毎日放送 / 2024年10月18日 16時58分
1950年4月6日。特攻隊長・幕田稔大尉は生涯最後の朝を迎えた。石垣島を空襲していたグラマン機の搭乗員を殺害し、敗戦後にBC級戦犯として囚われて3年余り。スガモプリズンでの死刑執行は、深夜0時半と告げられている。31歳、独身の幕田大尉は家族への遺書を書き出したー。
◆最後の朝、床の中で煙草をくゆらせ
幕田稔大尉の遺書は、1953年刊行の「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会)に収録されているが、長文だったためか家族に向けた遺書は割愛されている。「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>によると、幕田大尉が処刑を言い渡されてから綴った遺稿は、「漫談」と「昨日今日の日記」と題する二篇があり、「漫談」は「世紀の遺書」に掲載されたもののようだ。そして、「刀剣と歴史」では、家族に向けた「昨日今日の日記」を紹介している。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>※現代風に書き換えた箇所あり
稔は、今朝は五時少し前、目をさまし、今日は煙草はいくらでも吸えるのだから早速、煙草を床の中でくゆらし、復員した時、母上が私の為に買っておいてくれた甘い煙草を毎朝床の中でふかした事などを連想していました。 昨夜は全くよくねむりました。夜半にちょっと目を醒し、ぼんやりしている時思いついた短歌を書き留めて、またぐっすり今朝まで熟睡しました。下手なその時の短歌を紹介します。
◆「わが最後の夜とも知らず」母を思い歌作
スガモプリズンでは短歌を詠むことが盛んに行われ、部屋を訪ねての歌会もあった。幕田稔大尉も多くの歌を遺しているが、これが遺書に書かれた最後に詠んだ歌だ。
<幕田稔の歌>※「世紀の遺書」より
網越しに今日見し母の額なる深き皺々(しはじは)眼はなれず 老母(おいはは)のかけし前歯が悲しけれ最後(つい)の別れと今に思へば 吾が最後(つい)の夜とも知らず陸奥(みちのく)に帰りつつあらむ老母思ふ 夜半にめざめ思ひ浮べる母の歌ついのかたみと書き留めにけり
◆春雨にけぶる最後の日
戦犯死刑囚が処刑の朝、最後に見た景色。1950年4月6日。幕田大尉はスガモプリズンの窓から塀の向こうへ目を向け、ゆったりと景色を描写している。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 今朝は全く私の最后の朝にふさわしく気持よくめざめ、ちょっと家に帰って寝ていた様な錯覚を起していました。それから窓をあけて、娑婆をみてやろうとしましたところ、柔かな、暖かな春の雨がけぶっています。今日の夜半は月が出てくれればよいと考えていましたが、春雨もなかなか風情があるもの、場所柄に似ず、何だかなまめかしい感じなどがして可笑しなものです。まあ、月もよし春雨もよいでしょう。 向うの高い煙突から煙が静かに春雨の中に流れています。合羽を着て自転車に乗った人が塀の外のこみ合ったバラックの角をまがってみえなくなりました。右手の方に何やら銀行のコンクリートの建物が見えます。ねむくなる様なうっとりとする春雨の景色をながめ終って簡単に朝食をすまし、最后の今日だけは、私の朝のお勤めの後一時間ばかりの座禅をやめてこれを書いているわけです。 堅苦しい事を書くのは全く苦手であり、難しい事も知りませんから思いついた事をありのままに書き留めてみるつもりです。順序もありません。
◆死刑執行言い渡し 直前に帰った母
幕田稔の母・トメは、この前の日、山形からはるばる巣鴨へ面会に訪れていた。半年ぶりの訪問だったという。久しぶりに見た母の額には深い皺が刻まれ、前歯が欠けていた。夜になって死刑の執行を告げられた幕田大尉は、母の様子を思い出して詠んだ歌を夜中に書き留めて、遺書に織り込んだ。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 昨日は偶然の幸運か、仏の知らせか、半年ぶりで母上に会って本当によかったと考えています。大体、覚悟という覚悟はしていませんでしたが、どうも近い中に処刑があるかも知れないとは考えていました。昨日会った時は実の所もう一度ぐらい会えるかも知れないなど考えていたわけです。まさか昨日の晩、言渡しがあるとはあの時知らなかったもので極めて朗らかな気持ちで会えて本望です。 この前、風邪を引いて寝ていると、○子さんから手紙が来たので心配していましたが、会ってみるとやや肥っ顔にやや安心しました。ただ額の皺が急に目に立ったのと、前歯が欠けていたのとが、少し年寄りになった様な印象を私に与え、家の将来を考えるとちょっとじっとしておれない焦燥を感じました。
◆死刑告げられるまで読書で過ごした
幕田大尉は読書好きで、図書係も務めていた。スガモプリズン在所者の歌を選んでまとめられた「歌集巣鴨」には、
最后(つひ)の日まで図書の整理を續くるはわれに残されし幸福とぞ思ふ
という歌も遺されている。幕田大尉は処刑を言い渡されるその日も本を読んでいた。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 午後は曇りで気分がパットしなかったもので午後中、大仏次郎の「鞍馬の火祭」の痛快な、肩の凝らない小説を読んでおりました。夜はとばしとばし読んでいた「正法眼蔵」を読もうかと思いましたが、便秘のため頭がはっきりせず、尾崎士郎の「人間形成」なる、これまた肩の凝らない短編集を読んでいました。
◆月曜からおかしな気配
国立公文書館の石垣島事件のファイルにあった資料によると、死刑執行の指示が出されたのは4月3日月曜日だった。スガモプリズンでは約5ヶ月ぶりの死刑執行。しかも7人同時にという大量執行に所内の空気も変わっていた。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 月曜頃から気配がおかしいと感じていたのですが、昨日もいつまで経ってもいつもの様に訪問(注・夕食後の死刑囚同士の部屋の訪問)がないのでおかしいと思っていると「準備が出来たか」など言って来たので「さては」と思い、直ぐ僅かばかりの遺品と寝具を毛布にくるみ、たちまち準備定る。 まず一本残っていた煙草を吸い、佐藤さん(同室の佐藤吉直大佐)と名残の言葉を一言、二言交す。初め「さては」と思った時、ちょっと「あっ」と思ったが、たちまち気持ちが落着いたのは、吾ながらうれしかった。後に何の事はない、来るべき所に来たという安堵感を覚えるだけ。二年間の同友に順次に挨拶し、清水君と伊勢君に煙草をつけて口にくわえさせてもらったのは有難かった。 皆さん悲惨な顔をして送ってくれたが、かえって私が恐縮する思いであった。言渡式を待っていた時の心境は別紙の通り(注・「世紀の遺書」に収録された遺書)、井上(勝太郎)君や田口君と談笑。少しも深刻な感じがしないのには私自身いささか気脱けした。随分横着になったものだと吾ながら少しあきれ気味。てんで死ぬ様な実感が湧いて来ない。今も少しもその心境に変りはない。死ぬまでこのままである事が理の当然として、そのまま今の私には信じられる。
まだ31歳。死ぬという実感がないまま、幕田大尉は家族へ言葉を託していくー。
(エピソード65に続く)
*本エピソードは第64話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。
◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。
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