今夜、絞首台に上る特攻隊長「人生は量にあらず、質にあり」最後の日に綴ったこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#66
RKB毎日放送 / 2024年11月1日 14時57分
スガモプリズン最後の処刑となった石垣島事件の7人。その一人、幕田稔大尉は1950年4月6日深夜(日付を越えた7日午前0時半)の死刑執行を前に、遺書を書いていた。山形県出身の31歳、独身。海軍の特攻、震洋隊の隊長として1945年4月に石垣島に居合わせたことが、幕田大尉の運命を分けた。故郷には、老いた母と弟、妹たちがいた。スガモプリズンにとらわれて3年余り。執行までの人生の残り十数時間に記したのはー。
◆天皇も人民も頼りとしては居られず
幕田稔は死刑執行の前夜、目覚めたときに年老いた母との面会を思い浮かべて書いた短歌を遺書に書き留めているが、1953年に巣鴨短歌会から出版された「歌集巣鴨」には、「深山椿(みやまつばき)」と題して項目をたて、故・幕田稔の歌として20首が掲載されている。
天皇も人民も頼りとしては居られず孤独を生きしこの二年半 岩蔭の深山椿(みやまつばき)が幽けくも地に落つるごと吾は死なむか
◆人生は量にあらず、質にあり
1948年3月16日の判決から2年あまりを死刑囚として過ごし、いよいよ今夜、執行を迎える幕田は、弟や妹へ人生訓を書き遺している。
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>※現代風に書き換えた箇所あり
「人生は量にあらず、質にあり」です。百歳生きても夢を生きた様にはかない人生を終る人もあり、道元禅師の言われている様に「七歳の龍女」といえども、道を得た者は千年万年どころか永遠の生命を得られるのです。人の話を鵜呑みにしないで、よく自分の理性に問いただし、自分で納得のゆくまで考える習慣をつけなさい。 「道は難しいものではなく」「近きにあり」日々の平凡な生活の中にあるのです。ただ本人が本当に命までも投げすてる覚悟で全身の注意を集中し、平凡な生活の中に深く喰い込む爪がかりを発見出来るか出来ないかの話です。難しい難語や言葉の中に血の通った生命ある仏の教えはありません。日常の生活にある事をくれぐれも注意して下さい。
どんなつまらない事でも自分の全霊を打ち込んで一生懸命やる事です。遊ぶもよし、本を読むのも結構ですが、一日一度は自分自身で真剣に物事を考えてみる事です。やがて届くだろうと思いますが、私の日記を参考に読んでもよいと思います。ときどきぼんやりしてつまらない事など沢山暇にまかせて書きましたが、一つぐらい御参考になる事もあると思います。
◆くれぐれも悲しまない様に
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 私が永生を得て常任不断皆様と共にある事を書き出したら、こうして書いている事が生死を超越して永久に続く様な感じになり、意のおもむくまま脱線してゆく様です。とにかく私は少しも世間のいわゆる死という事に関しては、全く無関心で、朝から「ブンガワンソロ」など口ずさみながら全く朗らかですから、くれぐれも悲しまない様にして下さい。
私の最大の心配は母が年寄りなので余生を私がみてやれぬ事にあります。皆様も世相険悪な折から生活の苦労は莫大なものがあり、将来も苦しいと思いますが、私の代りに一致協力して母に孝行して下さい。唯それを考えると腹わたが煮えかえる様に悲しく、且つ私の今の唯一つの心配なのですから。皆さんが仲よく協力して狭いながらも楽しい我家を守って下さい。私も必ず守りますから。
◆妹よ、弟よ、一致団結して
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> ○子さんも早くよいおむこさんを見つけなさい。○も出来るだけ早くよいお嫁さんをもらい母に安心さして下さい。○子さんは早くから苦労のし通しで全く可哀想と存じます。波風の荒い世路ですが、いつまでもいつもでも一致協力したら不可能な事はないと存じます。 艱難(かんなん)も何ぞ恐るるに足らんやと存じます。若い時の苦労は薬と昔から云いますから、必して怖じけずたじろがず、朗らかに生活されん事を祈っています。何時も言う事ですが、身体だけはくれぐれも大事に。身体あっての物種です。○子も便秘だそうですが、どうですか。過度の無理をくれぐれもしない様に。
◆葬儀や墓は不要なので形だけに
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 私の葬儀や墓の件も別紙に書いた通り、私は余り好きませんから私個人としてはしてもらい度くないし、不要ですが、どうしても気がすまないのなら本当に形だけにして下さい。爪遺髪も残そうか残すまいかと随分考えましたが、私の人生観はそんなケチなものでなく、活々と永遠に生きているものでありますから、今のところ不要と思います。皆さんが陰気な気分でも起したら私の主旨に反しますからやめようと思うのです。ひとつ私の残っている生きのいい写真でも飾って、必ず生きているのだと考えていて下さい。
◆相談事は田嶋先生が快諾
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 私の家に残っているものは適当に母に配けてもらいなさい。どうも少しも死ぬ様な気がしないで困ります。実感が湧いて来ない。やはり死なないのです。私の内の深い底から湧いて来る確固たる実感ですから。いろいろな悩みや、仏教上の疑問や、人生上の相談事は田島先生が快諾されましたから、その都度手紙ででも問合せなさい。先生の様な人と話しながら死ねる事は私の最大の幸福です。
「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>に掲載された幕田の遺書は、スペースの制限があり、ここまでの掲載となっている。
「巣鴨の父」と呼ばれた教誨師の田嶋隆純は、死刑囚の執行まで寄り添っただけでなく、その遺族たちの相談にも乗り、心の拠り所となった。死刑囚たちの助命嘆願の活動にも熱心に取り組んだ。その田嶋師の遺品の中に、幕田稔ではないかと思われるスーツ姿の写真があった。敗戦後、スガモプリズンに囚われる前に撮影されたのだろう。穏やかな表情からは、戦時中、米兵を斬首したことは想像もできない。そして田嶋教誨師が「わがいのち果てる日に」(1953年7月31日発行)に掲載した幕田の遺書はこのあとも続く。手が疲れて少し休みながらも幕田は「執行」ぎりぎりまで書き続けたのだったー。
(エピソード67に続く)
*本エピソードは第66話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。
◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。
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