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「暴力の源は戦争を生む近代文化と個々の心にひそむ」戦犯たちの最期を見届けた教誨師が訴えた~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#69

RKB毎日放送 / 2024年11月22日 15時15分

1953年12月に巣鴨遺書編纂会から発刊された「世紀の遺書」。太平洋戦争に敗戦後、連合国によって戦犯として囚われ、死刑執行や獄中での病死や事故死、あるいは自死した人たち、合わせて1068人のうち、701人分の遺書や日記などをまとめたものだ。その序文は、「スガモの父」と呼ばれた田嶋隆純教誨師が執筆したー。

◆平和条約発効で文芸活動が活発に

福岡県出身でBC級戦犯としてスガモプリズンにいた冬至堅太郎の手記には、1952年8月16日に、「戦犯死没者遺稿編纂を企図す」と書かれていて、ほか二人と共に3人で発起人になったとある。「世紀の遺書」をまとめた巣鴨遺書編纂会のメンバーは冬至を入れて8人だった。そして顧問には、スガモプリズンでの死刑執行の際、最後まで戦犯たちに寄り添った田嶋隆純教誨師が就任した。

1952年といえば、サンフランシスコ平和条約が発効した年だ。前年の9月8日午前、サンフランシスコで52カ国が参加して開催された平和会議で、吉田茂総理は平和条約に署名した。そして午後には日米安全保障条約の調印も行われた。この二つの条約は1952年4月28日に発効した。

これにより、スガモプリズンの管理はアメリカから日本へ移管された。移管後は、戦犯たちの実体験を元に戦犯裁判の記録を作ったり、(「戦犯裁判の実相」1952年巣鴨法務委員会)や「歌集巣鴨」(1953年巣鴨短歌会)を出版したりするなど文芸活動も活発になっていった。

一方で、アメリカとソ連の冷戦構造の下、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は53年7月の休戦まで続いており、「世紀の遺書」編纂の時期は、まさに熾烈な戦闘の最中だった。

◆暴力の源は近代文化に内在

こうした状況の中で田嶋教誨師(肩書きは巣鴨教誨師・大正大学教授)は、「世紀の遺書」の序文を次のように記した。

(「世紀の遺書」序文) 第二次大戦の終結の中にすでに次の大戦の兆が生れ、正義と平和を実現しようとする国々の努力が、却って世界を自殺的な危機に駆りたてるとは何と云う大きな矛盾でありましょうか。今日の日本の政治経済或は思想上の混乱も、謂わばこの世界的矛盾の一環に過ぎません。 第三次世界大戦が起れば幾千年の文化は破壊され、人類は滅亡に瀕すると云われていますが、このような暴力の源は原子兵器でもなければ細菌戦でもなく、実にかかる戦争を生むに至った近代文化に内在するものであり、更に遡れば現代人個々の心にひそんでいるものと云わねばなりません。

◆戦犯は世界を覆う矛盾の所産

(「世紀の遺書」序文) 私たちはこの混沌の底に在って、理性と善意に絶望する前に今一度赤裸々な人間に立ちかえり、一切を見直す必要に迫られております。然るに、ここに強制された逆境を契機として、この様な深い内省をして来た一群の同胞があります。それは所謂「戦犯」として斃(たお)れた人々であって、その最後の声に私たち同胞は心から耳を傾けるべきだと思います。 戦犯者に対する見方は種々でありましょうが、高所より見ればこれも世界を覆う矛盾の所産であって、千人もの人々が極刑の判決のもとに、数ヶ月或は数年に亘って死を直視し、そして命を絶たれていったと云うことは史上かつてなかったことであります。恐らくこれ程現代の矛盾を痛感し、これと苦闘した人々はありますまい。一切から見離された孤独な人間として単身この矛盾に対し、刻々迫る死を解決しなければなりませんでした。それは自身との対決であり、同時に真理を求める静かな闘いでもあったのです。

◆戦争は相手の死を求め、自身の死をも要求

田嶋教誨師は真言宗豊山派大僧正で、13歳で仏門に入ってチベット語とチベット仏教を学び、1931年、フランスのソルボンヌ大学に留学。1941年夏、仏教界を代表して渡米し、太平洋戦争開戦を何とか止めようと、各地で日米両国間の平和維持を訴えた。願い叶わず、真珠湾攻撃直前の最後の船で帰国したという。花山信勝のあと、二代目のスガモプリズン教誨師となってからは、戦犯死刑囚たちの助命嘆願運動に力を尽くした。

(「世紀の遺書」序文) 戦争は直接の目的として相手の死を求め、手段として自身の死をも要求します。このため日本人は「死」そのものを最高善の如くさえ教え込まれて来ました。然るにこの人々は強制された死に直面して生きる喜びを知り、最後の瞬間まで自身をより価値あらしめようと懸命に努力しております。それは自己の尊厳と生命の貴さへの覚醒でありました。「己の如く隣人を愛せよ」と云われますが、自己を真に愛することを知らずして他を愛することは出来ず、最高の徳とされる犠牲的精神も正しい意味の自愛の反転に外なりません。「死に直面して一切が愛されてならない」と云う或遺書の一節は端的にこれを物語っております。 この心は即ち肉親愛でもありまして、すべての人が言葉をつくしてその父母妻子に切々たる情を伝え、身の潔白を叫ぶのも寧ろ遺族の将来の為に汚名を除かんとする努力なのであります。更に愛は郷土へ祖国へと拡がり、遂には人類愛に迄高められております。人道の敵と罵られ祖国からも見離された絶望の底に於て、尚損なわれることのなかった純粋なこの愛国心は改めて深く見直されるべきであり、この基盤なくしては人類愛もまた成立し得ないものと思うのであります。

◆戦犯と共に一切の批判は将来に委ねる

(「世紀の遺書」序文) この書に収められた七〇一篇の遺書遺稿は何れも窮極に於て日本人は何を思い、何を希うかを赤裸々に訴え、同時に人間の真の姿を如実に示しております。固より思考力の差や死刑囚生活の長短によって、その到達している段階は種々でありますが、そこには力強い一つの流れが明かに感じられます。そうして純粋にして豊かな人間性の叫びは、私共の徹底的な反省を促し、新たな思惟(しい)に貴重な示唆を与え、更に私たちを鼓舞して止まないのであります。 戦犯死刑囚の多くと接しその最期を見送って来た私には、この人々のために戦争裁判について訴えたいことが鬱積しておりますが、この書の目的がこれらの人々の切々たる叫びを世に生かさんとする未来への悲願であることを思い、寧ろ黙して故人と共に一切の批判をも将来に委ねたいと思うのであります。

◆滂沱たる涙を禁じえず

(「世紀の遺書」序文) この書を読んで私はその一篇々々に滂沱たる涙を禁じ得ませんでした。それは悲痛の涙であると同時に美しく逞しい日本人の心に浸った感激の涙でありました。かくも厖大な資料により人間窮極の叫びを集成したこの書は世界に例のない貴重な文献として、国境を超え時代を超え、不易の生命を以て絶えず世に叫びかけるものと信ずるものであります。 昭和二十八年八月十五日 巣鴨教誨師 大正大学教授 田嶋隆純

こうして「世紀の遺書」には、石垣島事件で死刑執行された7人全員の遺書が収められたのだったー。
(エピソード70に続く)

*本エピソードは第69話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。

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