「人間として最大の恐怖は何かーそれは死である」26歳で死刑執行された下士官の信仰と安心~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#78
RKB毎日放送 / 2025年1月31日 14時52分
1950年4月7日、東京都豊島区にあったスガモプリズンでBC級戦犯として死刑執行された成迫忠邦は、まだ26歳の元海軍下士官だった。こどものころから母の真似をして仏像に手をあわせていた成迫は、スガモプリズンに囚われた後も、教誨師の指導を得て信仰を深めていた。いつ執行を告げられるかわからない死刑囚の生活の中で、いざその時を迎えたとき、平常心で絞首台に向かうだけの覚悟を成迫はどうやって身につけたのか。死を目の前にして成迫が自らの信仰体験について書いた文が残されていたー。
◆何人といえども悩みは絶対とれない
スガモプリズンの二代目教誨師、田嶋隆純が「わがいのち果てる日に」に収録した成迫忠邦の宗教体験。1950年4月7日、石垣島事件の7人の死刑執行が、スガモプリズン最後の処刑となった。しばらく死刑執行がなかった上、一度に7人が処刑されたことで、所内には相当な衝撃が走ったようだ。田嶋隆純にとってもこの7人は忘れがたい人々だったようで、井上乙彦、井上勝太郎、榎本宗応、幕田稔、田口泰正、成迫忠邦、藤中松雄の7人全員の遺族から了承を得て、遺書の中から本に掲載した。このうち成迫忠邦が最年少だ。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
田嶋隆純編著「わがいのち果てる日に」(大日本雄弁会講談社1953年・講談社エディトリアルより2021年復刊)より
肉身のある以上何人といえども悩みは絶対とれない。しかしそれに倒れてはいけない。その悩みに左右されてもいけない。そのためには有限の生命なる自己の一切を無限の生命に託してその大いなる力によって生活することがどうしても必要になってくる。私達が幾分でも仏に近づき真理を探究すると、おのずから自己の力の余りにも弱いのに驚き、偉大なる力に総てを捧げずにおれなくなるのである。ここに宗教の本領がある。自分自身を否定することはややともすれば厭世感が起こり勝ちであるが、その否定することによって真の自己を把握することができるのである。
◆人間として最大の恐怖は死
成迫に死刑が宣告されたのは、1948年3月16日。それから執行まで2年あまり。成迫はどんな苦しみを味わい、気持ちを落ち着かせるに至ったのか。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) 一体人間として最大の恐怖は何か。それは死である。生きたい、飽くまで生きねばならないということが人間最大の本能であるからだ。私は極刑の宣告によって人間のもつ最大の本能を切断され、最も恐ろしき死に直面させられた。判決当初、私はこの死に悩み、死と過去の生活、希望等のあらゆる感情が錯綜して、立っても居てもいられぬ苦しみを味わった。 昼間は読書をしたり英語の勉強をしたりして、どうにか心を紛らわすことができたが、夜周囲が静まり、枕に頭をつけると、昼の間紛れていた心痛苦悩が再び浮かび上がり、苦しさの余り転々と寝返りを続け、その恐怖の猛威に悶えたのであった。私は自然にこの煩悩に打ち勝つべき他の何ものかを求めるようになった。これが二、三ヶ月も続いたであろう。
◆信仰に目覚めたきっかけは「永遠の生命」
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) その後友人と讃美歌を歌ったり読経したりしたのが、その間は何もかも念頭から去り三昧の境に入っていても、止めると煩悩はますます自分を苦しめ、揚句の果ては神を怨み仏をなきものにし、自暴自棄にさえなりかけたのだった。それに耐えきれず絶対の力にすがろうとするが、見出し得ず、遂にはまたも世の中には神も仏もあるものか、こんなものは人間が勝手にきめたもので絶対ないとまで思った。 また若し神や仏があったならば、この自分をこんな境遇に陥れる筈もなく、仮に何かの間違いにしてもかくまで俺を苦しめるのかと思うとき、一切が信じられなかった。ただ朝夕、故郷の老母や縁者に詫び、感謝を捧げることによって心を慰めていたのである。私はかくて絶望のどん底に叩き落とされていたのであるが、計らずも或る日、友人から永遠の生命というものについて話を聞き、私は今までの自分の考えに大きな疑問を抱いた。これが後日、私が信仰に目覚め心の平和を得る機縁になったのであった。
◆感謝の気持ちが自己の幸福
自暴自棄になりそうな苦難の時期を乗り越え、成迫は信仰の道を進む中で、考え方が変わっていったという。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) その後、この死刑囚の棟に信仰に厚い方が新しく入って来られたので、その方に教えを受け、また花山先生の指導を得て信仰の道をひたすら進むことができるようになり、初めて自己に目覚めた。そして人生の価値を独房生活の中に見出し、そよ吹く風にさえ、いつしか感謝の念が起こり、周囲の白壁は体操の要具代わりとなり、屋外運動では日光に歓びを覚え、桜花緑葉を心から賛美し、しみじみと自然の恩恵の大いさを感じ、かつては敵視して来た米兵を兄弟友人の如く思い、ときには感謝状を送る等、心境は一変して来た。要するに感謝の気持ち、これがとりもなおさず自己にとっての幸福ではなかろうか。
◆地位や財産は幸福そのものではない
スガモプリズンの獄中で、死刑執行を目前にしながら、成迫は幸福とは何かを語っている。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) では一体幸福とは何か。これは人生の最高理想であろう。一般に幸福を地位や財産に求めているようであるが、これらは欲望満足の材料ではあっても幸福そのものではない。私達の真の幸福は信仰の生活の中にある。世間には幸運に恵まれて巨万の富を獲得したもの、或いは稀なる高い地位を得たものもあろう。彼らは果たして自分の財産や地位に満足したであろうか。
◆欲望に追われる人間は満足を感じ得ない
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) 教主釈尊はいう「人生は苦なり」と。一つの欲望の後に他の欲望が待期し、充たされても充たされても窮極の満足はない。羨望された巨万の富も、そして地位も、時代の変転の前には、はかなく壊れて行くのであり、幸不幸は表裏一体の如く循環して果てしがないのが人生の常態である。限りなき欲望に追われる人間は今日一日の満足を感じ幸福を味わうことすらなし得ない。常に未来に向かって満足を求め、幸福を追って生きている。これでは永遠に真実の幸福を得ることができる筈がない。
◆最も大切なことは現実の生活に感謝すること
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦) 最も大切なことは現実の生活に感謝して生きるということであり、これは仏を戴いた生活にのみ味わい得る境地であろう。仏を見失い信仰に逆らった生活こそ最も悲しく苦しい日々ではなかろうか。そしてこの信仰の道は老若男女を問わず、およそ人たるものが正しく美しく生きるために不可欠の道である。若し世の人々が私達の境遇を想像し、それと自分を比較するとき、たとえ直ちに仏恩を感ずるに至らなくても、幾らかの幸福感を抱くことであろう。ましてや、その人達が信仰に目覚めたならば、自分が自由の天地に生きていることを知り、眼前には極楽浄土が展開され、その環境に於て活達自在に飛び回る真の力を自覚し、今までの冷たい人生観や世界観に温かい血流を戴き、幸福を満喫するに違いないと思う。 私はこの気持ちを一人で抱いているのが勿体なくてならず、この機会を通じて少しでも世の人々に解って戴きたいと思って菲才(ひさい)を顧みず拙筆をとった。万一にもこれが世の人の幸福、平和日本、世界平和の実現に少しでもお役に立つならば、私としてこれ以上の喜びはない。
まだ26歳ながら、より若い人たちに遺言として信仰と幸福について語った成迫。そして最愛の母には、「永遠の生命」について遺書をしたためたのだったー。
(エピソード79に続く)
*本エピソードは第78話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。
◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。
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