【おはよう短編小説】消費している側だと思っていたけど「消費される側」だった私

ロケットニュース24 / 2012年3月13日 7時0分

私は加納いずみ(25歳)。布団に入るといつもこんなことを考えています。人は消費をして生きていると思うのです。「自分が他のものを消費する」のは当然としてありますが、逆の考えとして「自分が消費されている」と意識している人は少ないものです。でも自分が他のものを消費しているわけですから、自分が消費される対象になるのは当然のことです。

まず会社です。会社員でもアルバイトでも、自分の貴重な時間と労力(エネルギー)を会社に与えているのです。与える行為は、自分を消費させている行為になります。その対価として現金(日本銀行券)を得ます。

日本銀行券をもらっているのですから、完全なる消費だと思わない人もいるでしょう。ですがよく考えてみてください。私が思うに、自分が会社に与えた時間と労力の対価として支払われる日本銀行券の金額は、対価ではあっても等価ではないのです。少ないのです。

私の貴重な時間と労力は、もっと価値のあるものなのです。ですから、時間と労力を消費して日本銀行券を得る際に、大きなロスが発生するんです。そのロスは会社側には発生しません。会社は会社員やアルバイトを使って対価として支払った日本銀行券以上の利益を得ているはずだからです(赤字でなければ)。

時間と労力を消費して日本銀行券を受け取る際、あらゆるものを消費して会社に貢献した自分にだけ一方的にロスが発生するのです。このようなことを言うと知人は「お金は少なくても経験を得られるじゃないの。損しているわけじゃないよ」と言ってきます。しかしそれは間違いです。

経験なんてものは行動をすれば必然的についてくるものであり、対価として「経験」を受け取ったと考えるのはおかしなことなのです。寝ていても、笑っていても、泣いていても、お風呂に入っていても、ぼーっとしていても、すべてが経験なのです。それを自分を消費して得られる「価値のあるもの」という考え方はやめてほしいです。

人間は、消費しているようで消費されているのです。恋愛も、性の対象として異性から肉体を消費されているのです。むさぼるように肉体を求められたとき、「幸せ」と感じているかもしれませんが、それは幻想です。相手は「あなた」というより「あなたの性」を消費しているのです。つまり食っているのです。

残念ながら、自分の性を消費した対価として得られるものは「仕事で得られた日本銀行券」よりもロスが大きなものとなります。ロス率がとても高いのです。そこに「希望」と「幻想」と「欲求」という概念が発生し、エネルギ―を消費してストレスがたまっていくからです。冬に布団に入ると、布団が冷たいですよね。でも布団に猫が入っていたとします。猫の体温で布団が温められて、自分が布団に入ったとき温かさを得られます。

それは、猫が自分の体温を消費して冷たさを吸収し、温かさを布団に与えたのです。その布団の温かさをあなたが得るのです。つまり猫の体温を消費してあなたが温かさを得たことになります。わずかながら、猫は冷たさを吸収したことにより数秒ほど寿命が縮んだのではないでしょうか? あなたは猫の生命を消費して温かさを得たのです。

私が何を言いたいのかわからない? 私も何を言っているのかわかりません。でも私は、布団に入っていつもそんなことを考えているのです。

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