入稿は時空を超える:ブックデザインと納期に関する3つの事例
Rolling Stone Japan / 2020年11月26日 22時0分
左から、『小説版 韓国・フェミニズム・日本』〈河出書房新社〉、ハハノシキュウ『ビューティフル・ダーク』〈星海社〉、猪原秀陽『We're バッド・アニマルズ』〈KADOKAWA〉。『ビューティフル・ダーク』は、プリンターから出力した普通紙を巻いたもので実際の製品とは仕上がりが異なる。
トーべヤンソン・ニューヨーク(TJNY)のギタリスト、アートディレクター/グラフィックデザイナー森敬太による連載第8回。時空のゆがみから生まれた納期を、目の前のMacで倒せ!
※この記事は現在発売中の「Rolling Stone Japan vol.12」に掲載されたものです。
食事をしている最中に厨房から火が出て店が全焼したことはありますか? 私はあります(旧ココイチ恵比寿西口店)。
まるでデブリをすり抜け泳ぐマグロ、我々が生きる出版宇宙では、様々なスピード感で案件が同時進行しており、白煙があふれる店から避難する最中にも入札中のヤフオクの終了時間を忘れなかったほどのマルチタスク人間の私でさえ、刻一刻と姿を変える濁流に飲まれそうになることがしばしばあります。
ひとつの案件が手を離れるまでの時間は、2年だったり2晩だったり様々なのですが、その進行をごくごく大まかに分類すると、共通して依頼→鐘→入稿という3つのフェーズで構成されているということが見えてきます。全体の行程に時間的余裕があればあるほどいい仕事が出来ると誤解されることがよくありますが、全くそんなことはなく、大事なのは鐘のタイミングのみです。長めに用意していただいた時間の大半を、鐘を待ちながら申し訳ないと叫んで転がりまわって費やす案件もあり、目を開ければ足元は十三階段の10段目、3ステップの死刑台のような極短納期案件でもいい鐘さえ聞ければなんとかなるものです。
一般的に、最もスムーズに事が進むのは、依頼メールを読み終わった直後、あるいは読んでいる最中に鐘が鳴った場合とされていますが、実は、依頼を頂く前に鐘を聞く方法があります。ウェブ上で個人から発信されていた作品に編集者が目を付け、パッケージングし直されて出版される書籍は数多くあります。過去、個人発信の作品に人知れず感銘を受け、頼まれてもいないのに商業出版された際のデザインを組み立て、超身勝手ながら他の誰かの手にかかるのはマジで辛い、と1980年のマーク・チャップマンさながらの感情に身を焦がして書籍が並んだ書店の棚で絶望、汚い涙で枕を濡らす夜を幾度となく経験しました。しかし今や私も出版砂漠に生きるデザイナーの成獣。グッとくる作品を見つけたら、耳を貸してくれそうな編集者を脳内検索、この作品は最高だから本にしましょうよと脊髄を迂回してURLと共に直メールを発射。この手法はブックデザイン業界では「ナイジェリアの手紙」と呼ばれています。『Were バッド・アニマルズ』の場合、「実はその作品、私が担当していまして、書籍化を目指しています!」との旨の返信を受信成功。その瞬間に鐘は鳴り、数カ月の蜜月を経てえびす顔でスーパーファンシーな入稿を済ませました。
浴槽で、角川シネマの客席で、逃避した真冬のJR軽井沢駅北口で。全ての案件で大なり小なり鐘が鳴るタイミングは必ず訪れますが、いつまで経っても鳴らない鐘を待ちながら近づく締切の気配に身を震わせるのは本当に辛い。近年稀に見るほど思いつめ、瀕死で干し草の山を焼いて金の針を拾ったのが『小説版 韓国・フェミニズム・日本』でした。今から考えると、そのテーマの重みに完全に腰が引けていたのだと思います。韓国にも日本にも胸を晴れるほどの関心がない上に、去年のベスト映画はラース・フォン・トリアー作品だった私。この本のデザインをする資格はあるのかとわりかしシビアに自問自答を繰り返し、時計の修理を頼まれたゴリラの心持ちになって、図書館でフェミニズムに関する文献を焦り読みしたりもしました。更に、複数の作家の小説が収録されるオムニバス形式であるという点もまた難易度を上げます。それぞれの作品の芯に共通するものを捉えて、ひとつのビジュアルに出力するという手法は、主題に対して高度な理解が必要となります。
マンモス・泣き沈む・盂蘭盆……
鐘の気配は一向に見えないまま迎えたラフ出し当日。冴えない文字組みを映し出したディスプレイの前で、「マンモス・泣き沈む・盂蘭盆……」とブクブクと怪しい韻を踏んだデザイナーの顔に浮かぶ死相。柱の三要素に明るい同業者に頼んでいたらもっと鮮やかな本が仕上がるだろうに、自分が不甲斐ねえ、第二頚椎直上の軟骨を狙って刃を落として頂ければ諸々スムーズだと聞いたことがありますよ、といった内容のメールをしたためていたところ、「それ詳しい人に聞けばいいんじゃね?」と突然フランクに去来した鐘。テーマに萎縮して視野が狭くなり、ビジュアルを根本から自分ひとりで組み立てなくてはいけないと思い込んでいた1秒前は遥か彼方、そういえばめちゃくちゃ適役の友達いるじゃん、と鐘を突き散らかして友人のフォトグラファーに電話したら泣けるほど軽やかに話に乗ってくれました。タイミング悪く緊急事態宣言が発令されてしまい、新規の撮影は流れてしまいましたが、「38度線付近で行われたフェスで撮影した、噴水を浴びて踊る女性たち」というこれ以上ないほどの写真を提供してもらえたので、同アングル3枚レイアウトで躍動感3倍増。同会場で撮影したというビニールカーテンの写真からムクゲの花と蝶の柄を抜き出して金箔押で重ね、生命感あふれるハイ・エナジー物体を仕上げることができました。
「ご無沙汰しております。マジで申し訳ないんですが、4日後に一式入稿してもらえないですか?」という電話をかけてきたのは、一度打ち合わせして使用イラストの候補を提案したきり、10カ月間連絡が途絶えていた案件の編集者でした。こう見えて下請け根性が異常に強いので、無茶かつ切実なお願いを目の当たりにすると、感情をすり抜けて手が勝手に作業を開始します。なんだよそのタイム感、十七年ゼミかよ、と呟いた自分に小ウケして鳴った小鐘が小一発。小ウケを引っ張ったまま、一度も保存せずに完成まで走りきる社会人失格ムーヴをキメてスケジュールの前倒しに成功。出来上がったデザインはとても気に入っているので、大抵の仕事は鐘さえ鳴ればどうにでもなるという思いを強くしました。色校は出ないと聞かされたので、黒のインキを3種類使ったシュレディンガーデータを入稿したことを思い出すとまだ胸がドキドキします。蠍座のアンタレスが555年前に放った赤い輝きは今夜我々の網膜に届き、9日前に印刷所に渡ったデータは間も無く本の形に組み上がるでしょう。ナパーム弾を抱えて神保町をうろつくチーター、紙見本を捲るフォガットゥン・ボーイ。君に見てほしいんだ、俺が使うテクノロジーを。『ビューティフル・ダーク』、まだ仕上がりを見ていませんが、事故がなければ超かっこいい仕上がりで書店に並んでいるはずです。
森 敬太
京都府生まれ、デザイナー/アートディレクター。小説、コミック、CDなどの装丁を手がけながら、2011年から自主制作漫画レーベル「ジオラマブックス」を主宰、漫画誌「ユースカ」を発行。2017年、合同会社飛ぶ教室を設立する。
Instagram : @m_o0_ri
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