ブライアン・イーノを今こそ再発見 アンビエント/ポップの両側面から本質に迫る
Rolling Stone Japan / 2020年11月19日 19時30分
ブライアン・イーノがサウンドトラック作品を集めた初のコレクション・アルバム『フィルム・ミュージック 1976-2020』をリリース。ポップとシリアスを横断する稀有な音楽家の魅力を、音楽ディレクター/ライターの柴崎祐二に解説してもらった。2020年代にイーノを聴くべき理由とは?
コロナ禍が深刻化していく中、不安にまみれる世界へそっと差し出されたアンビエントという「安らぎ」。今年4月末にニューヨーク・タイムズのweb版で公開されたブライアン・イーノのアンビエント作品をプレイリスト形式で紹介する記事は、彼が長いキャリアに渡って作り出してきた音楽が、この混乱の時期にあっていかに優しく人々を慰撫しうるかを示したものだった。……そうやって世界中が悲しみ(と怒り)に浸された2020年だが、一方で、イーノ本人は果敢にもその歩みを緩めることはなかった。
まず3月には、弟ロジャー・イーノと初の共同名義による新作アルバム『ミキシング・カラーズ』を、クラシック音楽の名門ドイツ・グラモフォンよりリリース。これまでもコラボレーションを重ねてきた彼らだが、本作では一層お互いの音楽性を深いレベルから混ぜ合わせるような作風となっており、大きな称賛を受けた。弟の耽美的(ニューエイジ的といってもいい)ピアニストとしての個性が、兄の精緻な音響操作と相まみえることで、近年の作品の中でもひときわの穏やかさを湛えた作品となっている。
続いて8月には、1990年にジョン・ケイルとの連名で発表した『ロング・ウェイ・アップ』、1995年にジャー・ウォブルと共に制作した『スピナー』という2作のコラボレーション・アルバムが、ボーナス・トラック付き高音質エディションとしてリイシューされた。前者は、一般的に認識されるアンビエント作家のイメージにとどまらないヴォーカリストとしての魅力を再提示することになったし、ダブ・テクノ色の強い後者は、共作者の個性を活かしながら無二の作品を作り上げていくイーノの鋭敏なプロデュース・センスを改めて知らしめることになった。
そして、先だって11月13日には、これまで映画やテレビ番組等へ寄せてきたサウンドトラック作品をコンパイルした音源集『フィルム・ミュージック 1976-2020』をリリース。
イーノによる映画音楽集というと、長年のファンであればまず1978年の名作『ミュージック・フォー・フィルムズ』を思い起こすことだろう。実はそのアルバム、特定の作品に使用されたあるいは描き下ろした楽曲を集めたものではなく(B-⑨「ファイナル・サンセット」を除く)、もともとはソロ・デビュー後から細かく録り溜められ、1976年に業界向けにプロモ・リリースされた初出し音源集を元にしている。78年の一般リリース盤のジャケット裏を見ると、ライセンス許諾窓口の記載があるなど、実際にはいわゆるライブラリー・ミュージック的なアルバムとして発表されたものだった。
その点、今回リリースされた『フィルム・ミュージック 1976-2020』は、タイトルにある通り1976年から2020年にかけて使用されたスコアを収録しているという点で、「純正」の映画音楽仕事集ということができる(①②③⑤⑦⑫⑮が初音盤化曲:曲目一覧はこちら)。
まず聴きどころとなるのが、収録年間が長期間に渡ることからくるバラエティに富んだ音楽性だろう。もっとも古い音源はデレク・ジャーマン監督のカルト作『セバスチャン』(1976年)に提供した⑯「ファイナル・サンセット」で、これは上述の通り『ミュージック・フォー・フィルムズ』にも収められていたもの。⑬「ドーバー・ビーチ」も同じくジャーマンの『ジュビリー/聖なる年』(1978年)へ書き下ろされた楽曲。これらのトラックが制作されたのは、ちょうどイーノがアンビエントというコンセプトを磨き上げていく時期とも重なっており、1975年の『ディスクリート・ミュージック』から一連のアンビエント・シリーズへ続く作品の内容とも相互的な影響関係を見出すことが出来る。元々アンビエントが必ずしも意識的な聴取を前提としない「後景的」な音楽の可能性を拓くものだったことを考えると、当然、背景音楽としてのフィルムスコアの手法ともその本質は重なり合ってくる。ゆえに、オリジナル・アルバムでの実践がこうした外部仕事にも少なからず漏れ出ているという事実はもちろん、同時にその後のイーノの各作品に対して映画音楽制作の経験が与えたであろう影響の大きさも改めて教えてくれる。
他にも、例えばデヴィッド・リンチ版の『デューン/砂の惑星』(1984年)における⑥「予言のテーマ」は、デジタル・シンセサイザー導入後に特徴的な(ある意味時代がかった)トーンが興味深いし、ジョナサン・デミの『愛されちゃって、マフィア』(1988年)でのウィリアム・ベルによるソウル名曲のカヴァー⑩「ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター」は、おそらくザ・バーズのバージョンを下敷きにしたであろう静謐なフォーク・ロック調ヴォーカル曲で、この後に続く久々のヴォーカル作品『ロング・ウェイ・アップ』の予兆として聴くこともできる。
⑤「ディクライン・アンド・フォール」(2017年)、⑦「リーズナブル・クエスチョン」(2020年)、⑭「デザイン・アズ・リダクション」など近年の仕事に目を転じても、このところの作品に親しんでいるリスナーにとってはごく馴染み深い電子音のトーン/ミックス・バランスに彩られていることがわかるだろう。現在に渡ってなお様々な仕事を通じて自らの音楽性/コンセプトに新しいアイデアを取り込み続けるイーノの姿を活写する作品集としても、この『フィルム・ミュージック 1976-2020』は、是非とも聴いておきたい好コンピレーションだ。
また、本作をじっくりと味わったのちに、イーノのオリジナル・アルバム各作の自律的特色へじっくりと立ち戻ってみるのも面白いだろう。たとえば、『ミュージック・フォー・エアポーツ』(1978年)を始めとする一連作における極上の静謐、あるいは盟友ロバート・フリップと作り上げたフリップ&イーノとしての各作における硬質のアンビエンス、他にもドイツのクラスター(メビウス、ローデリウス)との共作で聴かせる静かなテクノ的律動。それらがどのようにイーノの映画音楽と似ているのか、あるいは似ていないのかを丁寧に弁別してみること。その体験は、おのずとイーノの映画音楽観並びにアンビエント観をあぶり出すことにもなるだろう。
ニューヨーク・タイムズによるアンビエント作品のプレイリスト
2020年に再浮上したグラムと「メタ・ポップ」な感性
ところで、ある時期から、イーノの音楽を聴く/語るにあたっては、どうしてもオリジナル・アンビエント作家としての一面ばかりが取り沙汰される傾向があるようにも思う。しかし、今年リリースされた様々な作品を振り返ってみるだけでも分かる通り、彼の音楽的特性は決してアンビエントの「内部」に収束するような性質のものではない。もちろん、私自身もこれまで彼のアンビエント作品に深い感銘を受けてきた一人であり一連の作品に崇敬に近い念を抱いている者だが、ここではあえて、彼の「アナザー・サイド」を突き合わせながら、その本質的魅力について考えてみよう。
そのきっかけとして見てもらいたいのが、先日、YouTubeに突如アップされた1973年制作のミニ・ドキュメンタリー映像作品『Eno』だ。ロキシー・ミュージック脱退直後、初めてのソロ・アルバム『ヒア・カムズ・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973年)の制作を追った本映像は、当時のイーノへの貴重なインタビュー音声を交えつつ、その独自のロック/ポップへのアプローチを開陳する。ロキシー・ミュージック時代の鮮烈なライブ映像、トレードマークであったEMSシンセサイザーやテープを操作する様子、参加ミュージシャンのクリス・スペディングをディレクションしていく様子などが切り取られている。極めてグラマラスなファッションとメイクをまとい、当時チャートを席巻してきたグラム・ロック・ムーヴメントの一員としてUKロック・シーンに登場し(たように見せ)ながらも、バブルガム/キャンディーとしてのグラム観からは大きくはみ出すコンセプチュアルな作風を聴かせる初期ソロ作こそは、その後の彼の歩みの原点としても今改めて発見の多いものだ。
多様な音楽性を持つ様々なミュージシャンを混交的にコーディネートし、そこに発揮される「偶然」を拾い集めるように構築された彼のロックは、ある種の「メタ・ポップ」を、もっといえばポスト・パンク以降のオルタナティブな表現を先取りするものといえる。特定の音楽語彙を援用しようとも、本質的に「〇〇風」の音楽を構築することを避けるような方法論……。フィル・スペクター風、ハードロック風、ビートルズ風など様々な要素が現れるが、それらを貫通するロマンがどこかに置き忘れられたかのような世界なのだ。
続くセカンド・ソロ『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)、そして1977年の『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』も、そうしたイーノ流ポップ・ロックを深化させた作品として、非常に刺激的だ(特に『ビフォア・アンド〜』はその後のトーキング・ヘッズとのコラボレーション等充実のプロデュース・ワークを予感させる大傑作)。
さて、こうした音楽性/コンセプト設定を振り返って想起するのが、昨今活躍する「グラム」的表現を取り込むアーティストたちだ。
鬼才・イヴ・トゥモアが今年4月にリリースしたセカンド・アルバム『Heaven To A Tortured Mind』は、それまでのIDM的方向から逸脱し、かなり自覚的にグラム・ロック的意匠へサウンド/ビジュアル両面からアプローチした問題作だ。しかし、そこにおける「クイア」や「キャンプ」的表象の転倒的(あるいは確信的)援用は、一口にグラム・ロックといえども、例えばブギー/ハード・ポップ系譜への懐古的な接近ではなく、やはり初期イーノ(あるいは初期ロキシー・ミュージック)を彷彿とさせるハイ・コンテクストなものだ。また、そのイヴ・トゥモアとも近しく、予てよりノンバイナリーのトランスジェンダー女性を自認するアルカが今年リリースした最新作『KiCk i』も、表層的な要素こそエレクトロニックであるにせよ、「ディーヴァが流動的ジェンダーのサイバーパンク・レゲトンを未来的にアップデートしたらどういうサウンドになるか」という思考実験的コンセプト設定からして、初期イーノ作品にあったSci Fi的かつ文脈超越的な方向性と少なからず重なっているようにも感じる。
では、この2020年において、なぜこのようにグラム的手法を取り入れようとするアーティストが目立ってきたのだろうか。
そもそも、グラム・ロックというのは、よく知られる通り、長大化あるいは過剰にロマン主義化するロック・ミュージックへのアンチテーゼとして出現したムーヴメントであったと言われる。そこにおいては、仮にその音楽がどれだけキャンディ・ポップ的即物性にまみれていようとも(いや、だからこそ)、「たかがポップであり、それゆえに尊い」というメタ・レベルでの転倒があった。これをすぐさまフェイク/シミュラークルを内蔵したポスト・モダン的音楽と呼ぶとしたら、確かにそうなのかもしれない。しかしここで丁寧に再フォーカスしてみるべきは、その逆転的発想がエレクトロニック・ミュージックを能くする現代の先端的なアーティストたちによってリヴァイヴァルしているようにみえるという点だ。ここには、浮動する身体感覚を係留しフィジカルへと再回帰していこうとする誘惑と、あくまで自らの視点を消費/情報社会おけるメタに据え続けていたいというポップ・アート的欲望(マナー)の拮抗/分裂を見て取ることができるのではないか(当然、この混迷的方法論は、いうまでもなく「現代的」である)。そう、ここでイーノに戻るのだ。この拮抗/分裂をデビュー当時からもっとも尖った問題系として抱え込んでいたのが、ブライアン・イーノという「ノン・ミュージシャン」だと思うのだ。
ポップとシリアスを横断するイーノの分裂性
よく言われてきたように、イーノは、アンビエント(シリアス)とポップを横断する分裂的なアーティストだとされる。それをあらためて言い換え得るなら、理知的コンセプトと(ロック的)肉体性との拮抗/分裂、とすることができるだろう。
これは彼の若かりし頃の遍歴を参照すると分かりやすい。サフォーク州ウッドブリッジでの少年時代に触れた米国産の躍動的音楽(ドゥ・ワップやロックンロール、ビッグバンド・ジャズ等)を愛し続けながら、その後イプスウィッチとウィンチェスターのアートスクールにおける教育を通じてポップ・アート/コンテンポラリー・アートの思想/方法論を学んだというイーノの経歴は、そっくりそのまま彼の音楽表現における拮抗/分裂と重なりあっている。だからこそ、当時のグラム・ロック・ムーヴメントというのは、彼本来のそうした二面性を擬制的に注入する対象としてこれ以上無いものだったのだろう。
そう考えていくと、彼の発案したアンビエントというコンセプトと一連の作品についても、これまでの一般的理解とやや趣の異なる感想が導き出されてくる。一見シリアスな実践にみえるアンビエントも、その実、他の現代音楽プロパーの作家達による静謐なドローン作品などとくらべてみると、極めてポップ(ときに主情的にすら)に響いてくる。ここに見いだされるのは、いわば、「コンセプトを再度消費財として包装し直す態度」だ。このコンセプトの「リパッケージ」というべき手付きこそが、彼を他と分ける特異なアーティストにしてきた最大の要素であろうし、たとえどんなにしかめ面の(ように見える)音楽を送り出してもなお、彼の音楽から「ポップ」の虹彩が絶えることがない要因だろうと考える。
概念を磨き上げて芸術として固有に屹立させるのがノン・ポップのシリアスな作曲家達だとしたら、消費社会以降のポップ・アート感覚を引き受けた上で、概念を食べやすい大きさに切り分けて、クールな包み紙に入れて(大衆にも手の届く価格で)郵便してくれるのが、ブライアン・イーノという人なのだ(アンビエント・シリーズのデザイナブルなジャケット・パッケージを見よ)。これも、グラム・ロック的やり方とは逆側からアプローチした、拮抗/分裂といっていいだろう。
映画音楽を手掛けるにしても、時折思い出したようにヴォーカルを聴かせようとも、また、自らの据えたアンビエントを磨き上げるにしても、彼の音楽にはこうした自覚的な「キッチュ」の輝きがある。それは「ポスト・モダン」や「メタ」という使い勝手の良いタームを超えて、というか、本来それらの語が持つ意味にもっとも密着的であるがゆえに、常に真摯な実践でありつづけているように思う。
いわば、安定的に分裂的である人、ブライアン・イーノ。ポップで軽やかであるのに、決して「軽薄」とは切り結ばない。彼の音楽は、味わおうとするそばから常に、スルスルと指の間をこぼれ落ちてしまうようであるけれど、実はその滴る様子の鮮やかさこそが、長く我々を魅了してやまないのかもしれない。
ブライアン・イーノ
『フィルム・ミュージック 1976-2020』
価格:2,500円+税
購入・視聴:https://umj.lnk.to/brian-eno-filmmusicpr
BRIAN ENO CAMPAIGN
以下の対象作品を3枚以上お買い上げで応募すると、先着でブライアン・イーノによるアートプリントをプレゼント。
さらに対象商品を6枚以上お買い上げの方に、抽選でイーノが70年代に考案したクリエイター必携アイテム『オブリーク・ストラテジーズ』をプレゼント。
応募〆切:2020年11月末日消印有効
対象作品
Eno/Cale - Wrong Way Up [Expanded Edition] (BRC-649)
Eno/Wobble - Spinner [Expanded Edition] (BRC-650)
Brian Eno - Another Day On Earth (BRC-128S)
Brian Eno - Small Craft on a Milk Sea (BRC-275S)
Brian Eno - Drums Between the Bells (BRC-298S)
Brian Eno - Lux (BRC-356S)
Brian Eno - The Ship (BRC-505S)
Brian Eno - Reflection (BRC-538S)
詳細:https://www.beatink.com/user_data/brianeno_campaign.php
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