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エルヴィス・コステロが語る、キャリア屈指の最新作と「過去に縛られない」自身の歩み

Rolling Stone Japan / 2020年12月4日 18時0分

エルヴィス・コステロ(Photo by Ray Di Pietro)

通算31枚目のアルバム『ヘイ・クロックフェイス』が各所で絶賛されているエルヴィス・コステロ。本日12月4日にはイギー・ポップとのコラボで、フランス語でカバーした「No Flag」(最新アルバム収録)を公開している。ここではローリングストーン誌オーストラリア版のインタビューを完全翻訳でお届け。即興的なアプローチのレコーディング、コロナ禍に思うこと、そしてこの先の展望までコステロが大いに語る。

若きエルヴィス・コステロがニック・ロウと共にロンドンにあるパスウェイ・スタジオを初めて訪れた時、これからレコーディングするデビューアルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー』がどのような評価を受け、その後の自分にどのような未来が待っているかなど、全く想像も付かなかったに違いない。それから43年が経ち、コステロは31枚目のアルバム『ヘイ・クロックフェイス』のレコーディングのためのセッションに入った。

2020年の初め、まだ世界がコロナ禍におけるシャットダウン状態に入る前、新作の下地だけは完成していた。ヘルシンキにあるスオメンリンナ・スタジオで3曲のソロトラックをレコーディングしたコステロはパリへ飛び、レ・ステュディオ・サンジェルマンで週末のセッションに臨んだ。

【動画を見る】コステロがイギー・ポップとコラボした「No Flag」フランス語カバー

明らかな確信の無いままスタジオ入りしたものの、クリエイティビティが一気に湧き出て、さらに9曲の作品が生まれる。スティーヴ・ナイーヴ、ミカエル・ガシェ、ピエール=フランソワ・”ティティ”・デュフール、アジュ、ルノー=ガブリエル・ピオンといった、コステロが「ル・クインテット・サン・ジェルマン」と名付けた面々が集結し、アルバム『ヘイ・クロックフェイス』の制作に取り掛かった。

「ビビッド」な音楽を目指した彼らは、セッション中にほとんど言葉を交わすことなく、スタジオ内に溢れるクリエイティビティの雰囲気に応えながら作業にあたった。その結果、これまでのコステロ作品にはないユニークなアルバムに仕上がったのだ。脅迫めいた口調の歌詞から、チェック・ベリー的な感情表現、陽気でジャジーな楽曲までバラエティに富む。正にコステロが待ち望んだ作品だと言える。

ニューアルバムのリリースに合わせて、エルヴィス・コステロがバンクーバーでローリングストーン誌とのインタビューに臨み、自然の流れに任せたアプローチのレコーディングからキャリア史上最高レベルの作品に仕上がるまでの裏話を語ってくれた。

才能豊かな音楽家たちと、自然の流れに任せたアプローチ

―まずは、最近言い尽くされたありきたりの質問から始めさせていただきたいと思います。2020年に起きたあらゆる状況に、あなたはどのように対処してきたでしょうか?

コステロ:そうだな。正直に言うと、僕は本当に恵まれていたと思う。ヨーロッパにいたからヘルシンキでレコーディングして、ニューヨーク、パリへも行けた。確かイングランドで行った最後のツアーの直前だったと思う。ツアーの最後の3公演は、ファンに不条理を強いることになってしまった。

その時、政府はまだ劇場の閉鎖などは決めていなかった。チケットは完売していたが、空席も目立ち始めていた。友人の何人かが電話してきて言うんだ。「今晩のショーへ行こうと思うんだが、正直に言うと安全だとは思えない」ってね。そこで僕は、バンドやスタッフ、それからファンに会場へ来てくれと言うのは無責任ではないだろうか、と考え始めたのさ。

結局ツアーの日程を短縮し、予約していたロンドンのレコーディングスタジオもキャンセルした。それからカナダへ帰ったんだ。移動後に皆がしているように隔離生活を経て、その後は毎年春や夏のほとんどを過ごすバンクーバー島のキャビンに、家族と一緒に滞在していた。とはいえ大都会ではなく、そこで家族と一緒にいられたので、僕はとても運が良い。

友人たちやイングランドにいる母親のことも気に掛かった。母は90歳代の高齢で、最も脆弱な立場にいるからね。けれども、彼女の自宅に通って世話をしてくれている人たちが、本当に良くやってくれている。だから僕は音楽に専念して、今の贅沢な時間を最大限に利用しようと思った。妻や子どもたちと過ごし、友人たちと連絡を取り合い、状況を見ながら自分にできることを始めた。

明らかに、誰もが想像できないほど長引いている。それでも僕は時間を無駄にする訳にはいかないので、制作活動に没頭した。そうしている内に、僕らがレコーディングした作品の出来が良かったことに気づいたんだ。コンサート中だった上に、マイケル・レオンハートから共演の誘いもあったから、ゆっくり聴き返す時間がなかったんだ。彼が送ってきた作品のひとつが、最終的に「レディオ・イズ・エヴリシング」になった。さらに彼がもう1曲あるんだと言って持ち込んだのが、「ニューズペーパー・ペイン」だ。

僕は彼に「君のレコード用の作品だということは承知しているが、君と僕の両方のレコードに収録してもいいかな。君はジャズ・ミュージシャンだし、君と僕のファン層は被らないしね」と頼んだのさ。恐らく彼と僕が別々にリリースしても、聴くのはそれぞれ違った人たちだと思う。滅多に無いことだ。でもこれでパズルのピースが完成したと思う。彼の作品は、僕がヘルシンキでレコーディングした楽曲やパリで仕上げた曲と上手く融合した。とにかく僕には自然に聴こえた。それからアルバムの曲順を決め、プロデューサーのセバスチャン・クリスがミックスした。そうやってこのアルバムが出来上がったのさ。




―ヘルシンキのスタジオへ入った時に、ニューアルバムの全体的な構想について話していただきました。元々ヘルシンキでアルバム全部を仕上げるつもりだったのでしょうか? それとも数曲をレコーディングする予定だったのでしょうか?

コステロ:レコーディングに入る時は、どうなるか想像もつかない。他のミュージシャンを入れずに自分だけの場合には特にそうだ。しかも周りの人たちは、自分のやり方を知らない。初めてのスタジオで、エンジニアに会うのも初めてだった。ヘルシンキのメインストリートを歩いて、小さなフェリーでスタジオのある島へ渡ると、たちまちそこが気に入ったんだ。

とてもすがすがしい冬の日で、以前訪れた時のように雪に覆われていることもなかった。気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。スタジオへ入ると、そこにはただ必要なものしかなかったが、しっかりと使えた。全てが揃っていたが、驚くような豪華な設備ではない。僕はスタジオの中で自由に遊べた。僕はドラムを叩けないので、代わりにドラム・パートを歌った。するとエンジニアが「これをリズムのベースに使いましょう」と言うので、実際の楽曲に採用することになった。

さらに僕は「この部屋にある全てをドラムにしよう」と提案した。ギター、オルガン、ピアノなど何でもだ。どんなものでもリズムを刻むことができる。決められた楽譜通りではないロックンロールさ。「まずベースとドラムがあって……」というノーマルな進め方ではない。こんな感じの曲だからこうプレイしよう、という予定調和的なプレイからの脱却だ。

自分一人で全部のパートがこなせれば、3日で3曲を仕上げる早技も可能だし、その内の1曲に1週間かけることだってできる。エンジニアのイエトゥ・セッパラの働きが見事で、作業が迅速に進んだ。2人のエンジニアが本当に素晴らしかった。だからヘルシンキでのレコーディングを終えた時は「これで一段階終えたが、パリではどうなるだろう?」と楽しみだったよ。

そして翌日パリへ飛んだ。何だかまるで僕が、ジェット機で世界を飛び回る生活を送っている人間のようだろう? 今は、新聞を買いにちょっと出掛けることすら気兼ねするような時期だ。無神経な発言だったかもしれないが、その時はまだそれができた。パリではちょうどスティーヴ・ナイーヴ(ピアニスト)の誕生日で、彼の自宅でパーティーを開いた。パリ中から友人たちが集まり、フランスのパスポートを取得したばかりの彼を祝って、皆でフランス国歌を合唱したよ。今となっては信じ難いことだが、その時は皆で肩を組み、顔を見合わせながら歌い、ケーキもシェアして食べたのさ。

パーティーの翌日からスタジオに入って、レコーディングを始めた。サンジェルマンの伝統ある立派なスタジオで、ミュージシャンの内の2人は以前にも一緒にやったことがあった。その他の2人は初対面だったが、スティーヴもそうだった。だから、人選が間違っていたら大変なことになっていたよ。でも全員が、僕のやりたい方向性を理解してくれていたようだった。スティーヴがコード表を用意してくれたが、その時点ではどのパートのアレンジもできていなかった。

とにかく歌い出して、彼らの演奏を聴いてみたかった。彼らの演奏は僕の理想としていたそのもので、彼らも僕のやり方を理解してくれた。僕も彼らのやり方を理解して、2日間で9曲を仕上げた。でもとにかく何度か合わせてみるというジャズ・レコードのようなやり方で、素晴らしいテイクが録れたのさ。

「作り込んだアルバム」を経て辿り着いた境地

―才能豊かなミュージシャンが集まったという証拠ですね。でもこのような自然の流れに任せたアプローチは、他のミュージシャンよりもあなた自身が楽しんだのではないでしょうか?

コステロ:僕はいろいろなやり方でレコードを作ってきた。最初にスタジオ入りした時は、何の計画もなく、何の準備もしていなかった。ヘルシンキに到着した時は、僕が初めてレコーディングに臨んだ時と同じ感覚だったよ。初レコーディングの時は専属のバンドもいなければ、何をどうすればよいかも考えられなかった。右も左もわからず、とにかくスタジオへ入り、自分よりも年上で経験豊かな素晴らしいミュージシャンたちと共演した。

彼らは僕のアイディアを受け入れて、曲も気に入ってくれたようだった。彼らはスタジオでの僕のやり方を理解し、後にジ・アトラクションズを結成した。バンドとして毎日ツアーで一緒に演奏しながら、お互いのプレイスタイルを理解していった。そしてまたスタジオ入りして次のレコードを作る頃には、お互いができることを既に理解し合っていた。しかし僕らは、スタジオを最大限に活用していたとは言えなかった。ただ演奏して、録音していただけだった。

だから過去の経験に頼るのでなく、まっさらだった初心に返って新たな発見をすることも、たまには良いことだ。凝った作りのアルバムもあった。例えば『インペリアル・ベッドルーム』や『スパイク』などは、かなり複雑なプロセスでレコーディングした。

前作『ルック・ナウ』もそうだった。事前にかなり作り込んでからレコーディングに入った作品だ。60年代のロサンゼルスでのレコーディングのようだった。リズムセクションを固めてアレンジを決め、どこでコーラスが入ってどこでどの楽器が入ってくるかが予めわかっている。ここでホーンが入り、ここにストリングスが来るとかね。事前に準備されたものに合わせて歌うのさ。その時々によって、エネルギーも違ってくる。どの作品が良いか悪いかなどとは言えない。どちらのアルバムも良い。でもそれぞれに特徴がある。僕は、その違いが気に入っている。どれも同じであって欲しくはないからね。



―それぞれが異なるものだとしても、今回のアルバム全体を通じて共通したスタイルというものが無いのに驚きました。「ノー・フラッグス」で陽気なサウンドを聴かせたと思えば、次の「ゼイア・ノット・ラフィン・アット・ミー・ナウ」は情感的な雰囲気です。物事はより自然発生的だということを理解するのは、大きな意味があります。でも、今回はより「ビビッド」にしたいというあなたのコメントに一致します。

コステロ:前のアルバムより「もっと」ビビッドにしたいという意味ではないが、「ノー・フラッグ」で歌っている内容は自分でよく理解していた。この曲は、自分が何も信じられない場所で目覚めた日のことを歌っている。僕は今、自分の声で伝えている。通常の暮らしの中で感じるのではなく、特別な時期だからこそ感じることだ。今は誰もが、自分たちが思う以上にこう感じることが多いと思う。信じるべきものが無く、敬意を表すべき国家もない。神もいないし、将来も希望も無い。そんな日常を歌った曲だ。

「ウィ・アー・オール・カワーズ・ナウ」では、「お互いに愛しあえず、愛するよりも憎む方がずっと楽な状況では、我々は臆病者になる」ことを歌っている。シンプルに言えば「臆病」と表現できる。それから「アイ・ドゥ」のようなラヴソングもある。永遠の愛について共に考える曲だ。正に人生の瀬戸際と言える。静かで表現豊かな曲だが、生半可な気持ちでは歌えない。

だから僕はビビッドという表現を使った。スローなテンポで、激しい感情を込めて献身的に歌わなければならないからだ。曲が始まってホーンのメロディが流れる。唯一、誰もが理解しやすい曲だと思う。ミュージシャンたちは、僕の頭の中に浮かんだメロディを演奏している。それから僕のヴォーカルへと続く。僕らはアルバム全体を通じて、この雰囲気を維持したいと思っていた。

「ヘイ・クロックフェイス」はまた別で、もっと単純な内容の曲だ。愛する人を待つ間は時間の流れがとても遅いが、会ってから帰ってしまうまでの時の流れは非常に早く過ぎるという、誰もが経験する話さ。一緒にレコーディングしたミュージシャンたちの得意な、もっとのんびりした時代の音楽スタイルを採り入れた。歴史を辿るというよりも、彼ら自身がこの音楽を初めて作りました、というような感じで演奏している。曲の最後ではファッツ・ウォーラーの「ハウ・キャン・ユー・フェイス・ミー?」を引用している。どちらの曲にも共通したユーモアが感じられるからね。

陽気な曲の後は、「ザ・ラスト・コンフェッション・オブ・ヴィヴィアン・ウィップ」のような曲もある。スティーヴ・ナイーヴとミュリエル・テオドリの作った曲に、僕がショートストーリーを加えた。テンポの速い曲や遅い曲、リズム中心の曲やメロディ中心の曲など、さまざまな曲があるが、どの曲に対しても、それぞれの特徴を最大限に引き出そうと努力している。

「過去に縛られない」コステロの歩み

―結末を見れば全てがわかる、ということですね。このアルバム全体として、静かな中にとても情熱が感じられます。私個人の意見ですが、これまでのあなたの音楽で、これほど特定のサウンドにこだわった作品は無かったように思います。誰もがアーティストをジャンル分けしたがる傾向にありますが、あなたの作品は常に自由な志向を持っています。自由な感覚を楽しんでいるのでしょうか?

コステロ:2つの要素がある。ひとつはサプライズ。もうひとつは昔を振り返ること。聴く人を感情的にさせられる。僕は意識してそういった曲を書いている。かなり前に書いた曲を聴きたいという人がいるのは、誇らしいことだと思う。ただ、過去に作ったり歌った曲だけに縛られない新しい曲を作りたい、という欲求もどこかにある。

古い曲が受けるからといって自己満足に浸ることなく、釣り合いを取っていきたいと思う。僕自身もそうなので、誰かをジャンル分けしたい気持ちは理解できる。好きなアルバムはあったが、以前は他人の作る曲に興味が無かった。その後、気になるアーティストが現れて、最新の作品が出るたびに聴きたいと思うようになった。でも誰に対してもそうだという訳ではないだろう? だから僕も人々の気持ちは理解できるよ。

何か違ったことをするのを制限されたくはない。そんなのは受け入れられない。もちろん人気の出ないこともあるだろう。僕も音楽スタイルを変えた時期もあった。でも常に学び、経験したいという気持ちでやってきた。それが不誠実だとは思わない。だから「このアルバムはどうやって作ろうか?」などと決めてから取り掛かったことはない。ただ作りたいものを作る。それが僕のやり方さ。


Photo by Lens OToole

僕の作品が気に入らなくても、世の中には聴くべき音楽はたくさんある。あれは良かったがこれは良くない、という感じかもしれないし、あるいはこれから出てくる作品が気に入るかもしれない。だからといって僕は止める訳にはいかない。自分に向いているからだ。そうでなければ楽曲ではなく、数式や製品を作っているのと同じだ。それではつまらない。

自分の意見に同調して欲しいとは思っていない。それがこれまでのやり方だ。アルバムを何枚か出してキャリアを積んできたとしても、今いる全てのファンが全部の作品を聴いているとは限らない。8枚目か9枚目から聴き始めたファンもいるだろうし、年齢によっては今回が初めてというファンもいる。

「今回のアルバムがベストではないよ。君はこっちのアルバムをまだ聴いたことがないだろう」と誰かに言われたのがきっかけになるかもしれない。もちろん勧められたアルバムは聴いたことがない。まだ生まれる前の作品かもしれないし、自分がまだ小学生だったかもしれない。僕にも経験がある。ある曲の良さがわかるまでに、長い時間がかかることもある。幼い頃は、父親がトランペットを吹いていたから、周囲の人々はビーバップを好んで聴いていた。皆が楽器を演奏できるようになる頃、僕はまだ小さな子どもだった。アルバムを聴いても何がどうなっているか理解できなかった。

その後それらのアルバムの良さがわかるぐらいに成長すると、別のものが見えてきた。素晴らしいことだった。あらゆる音楽が自分を導いてくれた。あらゆるジャンルから少しずつスキルを集められる。音楽で表現したかったので、まず知っておくべきことや編曲方法を学んだ。今回のアルバムでは、正確に言えば、それらの才能や能力は必要なかった。ミュージシャンたちには、こんな雰囲気でテンポはこの位でやってみよう、と伝えるだけでよかった。

言葉と即興の新しい挑戦

―あなたは「ザ・ラスト・コンフェッション・オブ・ヴィヴィアン・ウィップ」のために、ショートストーリーを書いたと言いました。歌詞についても自然発生的な成り行きを重視しているのでしょうか?



コステロ:そういう時もある。「ザ・ワールウィンド」や「バイライン」などがそうだ。あまり長い時間を掛けず、短時間で書いた。「ザ・ラスト・コンフェッション・オブ・ヴィヴィアン・ウィップ」は特にそうだった。ロンドンに着いてレコーディングのためにヘルシンキへ出発する前に曲が送られてきた。スティーヴとミュリエルから曲を受け取った時、僕にはヴィヴィアン・ウィップのストーリーのアイディアがあった。この曲はぴったりだった。フレームワークができあがれば、あとはストーリーを語る言葉選びだ。

しかし「レディオ・イズ・エヴリシング」の場合は、全く違った。マイケル・レオンハートが送ってきた曲は、Aメロ、Bメロといった構成がなく、切れ目のない楽曲だった。僕は何度も聴き返した。彼が送ってきた時点で、レコーディングはかなり進んでいた。僕はノートを広げて、いつもとは違うやり方で書いた歌詞を眺めた。書いた歌詞の長さを調整し、楽曲にはめ込んでいくのが通常のやり方だ。

そして曲を流しながら歌詞を読んでみて、レコーディングに入った。どこから始めてどこで終わるかは、楽曲が教えてくれる。僕は歌うのではなく、語りかけているんだ。ある意味で最終的に普通の楽曲に仕上げようとしていたら、その代償として僕の理想としていたイメージが損なわれていたかもしれない。

だからこれは、2つの意味で「普通とは違う」曲だ。ひとつは、歌詞の長さが1行ずつ全て不規則な点だ。僕は曲に合わせているだけで、メロディは付けていない。朗読だ。このようなやり方は初めてだった。ただ、「レヴォリューション#49」でも全く同じ方法を採っている。自然の流れに任せた即興で、オープニングのテーマだけをトランペット奏者へ伝え、彼が蛇のような形をした中世の楽器セルパンを演奏した。アルバムの冒頭で聴けるこの曲は、僕が演奏を先導している。上手い言葉が見つからないが、指揮者のような感じだ。僕の場合はもっと情熱的だった。ただ「語って」いた訳ではない。狂ったように両手を振り回し、何かに促されてノートに書き留めた歌詞を見ながら語った。僕は芝居がかった朗読はしなかった。ただただ無表情に淡々と読んでいった。楽曲がそのようにさせたのだ。

だからこの2曲は、即興で作られた楽曲だと言える。音楽に促されて出てきた言葉を書き留めて、言葉と音楽と演奏方法とのつながりを意識した。「レヴォリューション#49」の場合は特にそうだ。このようなやり方は初めてで、僕にとっては完全に新しい経験だった。

マジックのような話に聴こえるかもしれないが、聴き返してみて僕は、「これはインストゥルメンタルにすべきか、それともこのまま話し続けるべきだろうか? 感傷的な最後が気に入った。愛は私たちが救える唯一のもの、というフレーズも好きだ」と思った。僕はセバスチャンに「この曲はアルバムの最初か最後にしよう」と提案した。彼は最初がいいと言うので、「OK、君がいいと思うならそうしよう」となった。彼の顔も立てる必要があるからね。上手く行って良かった。



―とても印象的なアルバムの始まり方です。「レディオ・イズ・エヴリシング」と並び、アルバムの中で最もパワフルな2曲だと思います。

コステロ:邪魔になる歌を排除したからパワフルだ、と言っているのと同じだな。その通りだ。これからはずっと歌わずに語ろうかな。というのは冗談だ(笑)。つまり、目新しかったということさ。もしも僕がずっとあのやり方をしていたとすれば、それはただの平凡な方法に過ぎなかった。でも実際は初めてだったから、斬新で奇抜に感じられたんだ。僕にとってはハプニングだった。「普通じゃないから、レコーディング中の僕の姿を見るな」という感じさ。ずっと歌ってきたが、あのような朗読には慣れていない。マイケルとの2曲目の「ニューズペーパー・ペイン」でいつものやり方に戻ったはずが、なんだかいつものやり方との中間のように感じた。「ヘティ・オハラ・コンフィデンシャル」もむしろそうだった。歌っている訳でもなく、語っている訳でもない。ハイピッチの語り口調か、あるいは叫び声だな(笑)。

でもロックンロールの世界には、そのような音楽がたくさんある。チャック・ベリーがその代表だ。「ヘティ・オハラ・コンフィデンシャル」の”On the night he came home from the debutante ball, passed out drunk on the bathroom floor”という箇所などは、チャック・ベリーのリズミカルな歌い方そのままだ。楽曲がチャック・ベリー風だという訳ではなく、マシンガン調の歌い方が似ているということさ。長年の間に何度かやったことがあるが、完成してみると全く違ったものになった。

コステロが思い描く将来の展望

―先程、セッションへの今回のアプローチ方法について伺いましたが、将来的にも今回と同様のやり方を採用しようと思いますか? あるいは、再びマジックを起こそうとするでしょうか?

コステロ:実はB面用に、もう1曲用意してある。シングル「ウィ・アー・オール・カワーズ・ナウ」のB面だ。僕にとってはアナログ盤が理想なんだけどね。「フォノグラフィック・メモリー」という曲で、既にリリースされているが、アルバムには収録されていない。同時にレコーディングした単独の曲で、アコースティックギターをバックに語っている。未来の大統領就任式をテーマにした奇妙な話で、内戦後にインターネットが遮断され、全ての本が焼かれるか大学に封じ込められている。就任スピーチができる品格のある人が見つからないので、議会図書館へエンジニアを派遣し、シリアスな語り口調のオーソン・ウェルズの録音から言葉を切り貼りしてスピーチを作らせる話だ。彼の声はまるで案内放送のようだった。

スピーチの原稿を書いたものの、威厳をもって話せる人間がいなかった。そこで録音された音声を機械的につなぎ合わせて、新大統領の就任スピーチをでっち上げる。この曲を歌っているのは、スウィフトという名の若き女性大統領で、これが誰かは想像にお任せする。今自分たちが生きている世界を想像できる。僕にはすぐにこのアイディアが浮かんだから、書き残しておかなくては、と思ったのさ。荒唐無稽なストーリーを作るのは愉快だった。



―5年前だったらクレイジーな話だと思ったでしょう。でも今なら、将来ありがちな話のように思えます。

コステロ:5年間、ミュージカルに取り組んできた。来月公開予定だったが、この様子では来年になるだろう。振付師や衣装デザイナー、楽譜に台本と、準備は進めている。バッド・シュールバーグ原作の『群衆の中の一つの顔』をベースにした作品で、楽曲は20曲使用する。

何年もコンサートで歌ってきた曲で、ファンにも受けが良い。レコーディングするとは誰にも言っていないが、次にはこれらの曲をレコーディングすると思っている人もいるだろう。でもミュージカルが延期されたので、いつか僕のバージョンをレコーディングすることになるかもしれない。でも今すぐではない。ミュージカルがいつになるかわからないからね。今年もずっと仕事を続けてきた。このアルバムが完成した後も、ただ働き続けている。

来年リリースを予定しているアルバムを既に何枚か用意している。生きている証を示す方法を考えねばならないからね。今の状況にただ屈するのでなく、ひたすら前へ進み続けなければいけない。他に選択肢はあるか? さもなければ、ただ状況に苦しめられるだけだ。劇場へ安心して出掛けられるようになるまでには、しばらく掛かる。オーストラリアはどんな状況だい?

―完全には再開していません。ソーシャルディスタンスを保ったイベントは始まっていますが、感染が再度拡大しているため、いくつかはキャンセルされました。

コステロ:ドライブインでのイベントに車で出掛けて、拍手の代わりにヘッドライトを点滅させるようなのもあった。少々異様な風景だ。僕に合うかどうかはわからない。スティーヴ・ナイーヴが数週間前にある映画祭で演奏した。エンニオ・モリコーネの追悼で、ピアノの即興曲を弾いた。客席はひとつおきだったと思う。まるでチケットの売れなかった劇場で演奏するようで、奇妙な感じだ。でも今はそれが精一杯なのだろう。ステージから見たら異様な景色だろうな。客席からもそうだろう。かつての状況とはまるで違う。

音楽が流れ続ければ、しかも予期せぬ形で登場すれば、噂を聞きつけてその曲を探そうとするだろう。素晴らしいことだ。疑いを持つ人もいるが、ストリーミングがその良い例だ。耳障りな会話を排除したラジオのようなものだと思う。いつでもスイッチをオンにして、何らかの発見がある。僕はレコードも好きだ。僕が言うのはアナログ盤のことだよ。知っての通り、最近ではまたアナログ盤が流行っている。

『アームド・フォーセス』の9枚組セットが再々リリースされる。このアルバムの決定版となるだろう。誰もが求める訳ではないだろうが、欲しいと思う人もいるはずだ。ライヴ盤とオリジナルのリマスター盤の他に、オリジナルの手書きのノートをたくさん収録したコミックブックも付いている。このアルバムがどのように出来上がったを知りたい人もいるだろう。オーストラリアで収録した『Riot at The Regent』の音源も含まれる。悪名高いコンサートの記念だ。家族みんなで楽しめるってやつさ。

―この暗い時期においても、あなた自身から音楽という形の光が発せられています。

コステロ:今は誰もがレコードを買うのかどうかわからないが、欲しければそこにある。公共サービスの一環として音楽を作り続ければ良いと僕は思う。僕はここにいるぞという証を皆に示しておかないとね。

―インタビューのお時間を頂き、ありがとうございました。そしてニューアルバムのリリースも、改めておめでとうございます。

コステロ:話せて楽しかったよ。元気でね。オーストラリアへ行ったのは数年前だったかな。また行きたいが、あらゆる計画が全て延期になってしまった。いつになるかはわからないが、必ず行くよ。楽しみだ。

「元気で過ごして、テレビは窓から放り投げてしまえ」というのが、僕から皆への最高のアドバイスだ。テレビなど見てはいけない。何の役にも立たないからね。

From Rolling Stone au.



エルヴィス・コステロ
『ヘイ・クロックフェイス』
発売中
視聴・購入:https://jazz.lnk.to/ElvisCostello_HeyClockfacePRF

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