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素顔の浜田省吾 水谷公生と紐解く最新ミニアルバム

Rolling Stone Japan / 2020年12月15日 15時35分

浜田省吾

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年12月の特集は、浜田省吾2020。今回はFairlife名義でリリースされたアルバムの中から浜田省吾がボーカルを担当した楽曲を中心に集めてリメイクし、2020年11月11日に発売となった浜田省吾の最新ミニアルバム『In the Fairlife』を、アレンジャーでありFairlifeのメンバーである水谷公生と共に語っていく。



田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、浜田省吾さんの「みちくさ」。先月発売になったミニアルバム『In the Fairlife』の一曲目です。今週の前テーマはこの曲です。

2020年12月の特集は浜田省吾。毎年12月というのは、恒例の忘年会企画というものをやっておりまして。あなたと私の忘年会、楽しく一年を終えましょうという月なんです。浜田省吾さんは、2020年11月11日に8曲入りのミニアルバム『In the Fairlife』を発売しました。Fairlifeというのは、様々なアーティストが浜田さんの曲を歌う、ソロ活動とは別のユニットですね。2004年、2007年、2010年に出たアルバムの中から、浜田さんが歌っている曲を集めたアルバムです。このアルバムを入り口にお送りしようと思っております。この12月の忘年会企画は一人でやることが多いんですが、今年は新型コロナウイルスの影響もあって一人で番組をやらなければならない月も多かったので、最後は楽しくゲストをお招きして終わりましょうと、この方をお招きしました。アレンジャー、プロデューサーとして、1970年代から浜田さんの制作活動に参加しているFairlifeのメンバー、水谷公生さんです。

水谷公生(以下、水谷):よろしくお願いします。

田家:水谷さんは現在ベルリン在住の現代音楽家です。今年はコロナもあって、日本にいらっしゃったんですか?

水谷:3月22日に外務省から、帰れなくなる前に帰りなさいっていうお達しがあって。乗ろうと思っていた飛行機がキャンセルになったりして、慌てて帰ってきました。

田家:今年は色々なアーティストがツアーをできなくなったりしておりまして、浜田さんもファンクラブツアーの開催予定がなくなってしまって。代わりと言っては何ですが、今まで手をつけられなかった企画というものが実現して、その一つがこのミニアルバム『In the Fairlife』なんですね。Fairlifeというユニットのメンバーは浜田省吾さんと水谷公生さん、作家の春嵐さんで、毎回ゲストボーカルを招いているわけですね。作詞が春嵐さん、作曲が浜田さん、アレンジ・サウンドプロデュースが水谷さん。このユニット名は公生さんに由来するんですよね?

水谷:僕の名前の漢字が、公に生なんですね。「スタジオの名前はそういうのがいいんじゃないの?」ということで、造語なんですけどFairとLifeをくっつけてFairlifeと。浜田さんが名付けてくれました。

田家:水谷さんのスタジオの名前がついたユニット。2004年、2007年、2010年にアルバムをリリースされてきて、今流れた「みちくさ」は今回の『In the Fairlife』の一曲目ですね。オリジナルバージョンは2010年の『みちくさ日和』に収録されています。オリジナルでは、ポルノグラフィティの岡野昭仁さんが歌っているわけですが、今回は浜田さんが歌ってます。

水谷:同じ楽曲なのに、聞こえ方が全然違うというか。岡野くんが歌うと皆で歌おうっていう感じなんですけど、浜田さんが歌うと、皆を温かく包み込む感じになるのがすごい面白いなと思いました。

田家:この曲を歌い直そうというのは浜田さんからのアイディアだったんですか。

水谷:そうです。やっぱり、歌詞をよく聴いていると、コロナ禍の今に、慌ててV字回復しようとか言う人たちも多いですけど、そうじゃなくて、もう一回落ち着いてということを浜田さんは感じていたみたいで。この時期にこれを選ぶというのは、さすがだなと思いました。

田家:今日はミニアルバム収録全8曲を水谷さんの解説とともにお送りしようと思います。まずは一曲目、「みちくさ」。



田家:そもそも2004年にFairlifeを結成されたわけですが、どういう経緯で結成したのでしょうか?

水谷:日本で初めてプロツールスでシングルを作ったメジャーなアーティストが浜田省吾さんなんですよ。僕がプロツールスのスタジオを作ったということで、浜田さんが面白がってくれて。楽しかったですし、勉強にもなりました。その頃僕のパートナーの春嵐が、小説を書きたいと言ってたんですよね。そしたら浜田さんが見せてよって言ってくれて。当時は雑誌に短編とか寄稿していたんですね。それを読んだ浜田さんが絶対面白いよって認めてくれて。浜田さんがたくさん持ってる曲の中で、女性が歌った方がいいのかなって思う曲もあったりしているときに、彼が「ユニットやらないか?」って言ってくれたのが最初です。

田家:水谷さんがスタジオを作ろうと思ったのは、プロツールスを自分のものにしたいということで作られたんでしょうか?

水谷:僕が一緒に仕事をしているアーティストは、SONYのスタジオを使うことが多くて。プロツールスの展示会があって音を聞きに行ったんですよ。初期のものなので今とはちょっと違うんですけど、スタジオに行って音を聴いたら、立ち上がりのキレが全然違ってびっくりしたんです。それまではデジタルのテープだったんだけど。その速さにびっくりしてどうしても手に入れたくて。大借金をしました(笑)。

田家:借金の話は置いておくとして(笑)。ここで次の曲、『In the Fairlife』から「てがみ」。



田家:これも2010年のアルバム『みちくさ日和』の曲ですね。Fairlifeが今まで出した3枚のアルバムの中で、浜田さんが歌った曲を集めてリメイクしたのが今作『In the Fairlife』です。今作に収録するにあたって、それぞれの曲に手は加えられてますね。

水谷:あまりいじってない曲もありますけど、ほとんどの曲はドラムやパーカッションのサンプリングの音が新しくなっています。半分くらいは全面的に変えた曲ですね。「てがみ」はほとんど変わってないんです。元々ピアノとチェロだけの伴奏で、書き譜でガッチリ固めていて、別のモノを入れるとぐちゃぐちゃになってしまうんですよ。今回間奏だけにエレクトリックのパーカッションが入ってるんですけど、ベルリンに住んでいることを思い出して入れたんです。

田家:ベルリンにいる時のことを思い出したんですか。

水谷:結構煮詰まっちゃったんですよ。何か加えるとめちゃくちゃになるし、これ以上は引けないし。それで悩んでスタジオを出たら、空がすごい綺麗な夕焼けだったんです。その時に、ベルリンにいたらどんなアレンジするんだろうって思ったんですね。その発想の転換をした時に、向こうでは現代アート的な音楽をやっていたことを思い出したら、一瞬で閃きました。8時間考えて何も出なかったのが、スタジオに戻って20分くらいで全部解決できたんです。

田家:なるほど。ベルリンを思い出すとこういうアレンジになると。

水谷:ベルリンは日本の3倍くらい空気がゆったりしてるんです。だからベルリンに住んでる人が日本に来るときは、3週間いてくれっていうんですよ。大体、旅行って1週間くらいじゃないですか。でも、向こうが3倍ゆっくりしてるから、3倍の時間滞在しないと日本の良さは分かんないだろうなって思って。

田家:日本人が慌ただしいっていうこともあるでしょうしね。



田家:続いて3曲目の「砂の祈り」。2004年のアルバム『Have a nice life』の曲です。この曲で思い出されることは?

水谷:当時はイラク戦争の直前でした。実は僕もデモに参加したことがあって、その後に自衛隊が派遣されたじゃないですか。それに疑問があって、浜田さんとも話す機会が多くて。そうやって3人で話してるうちにできた曲ですね。

田家:砂というのは、中東の砂漠ということもあるんでしょうしね。Fairlifeは、作詞は春嵐さんが手掛けることが基本ですが、この曲の作詞は春嵐さんと浜田さん。浜田さんらしい曲ですね。浜田さんは曲のストックが、かなり多かったんですか?

水谷:僕は彼の全てを見ているわけじゃないけど、たくさん持ってると思いますよ。その中で、時代のことを考えたりしながら、自分の歌いたい曲を選ぶんじゃないでしょうかね。

田家:曲の作り方っていうのは、どういうやり取りをしているんですか?

水谷:3枚のアルバム全部一緒なんですけど、浜田さんがやりたいっていう曲をいただいて、僕が譜面に起こして、薄い伴奏を作っておくんですよ。歌う人が決まったらキーを考えて、歌ってくれる方には必ずうちのスタジオに来てもらって、仮歌を歌ってもらって、その歌を聞いてからミュージシャンとか皆でアプローチを考えてますね。

田家:スタジオに来ると言っても、半分は水谷さんのお宅に来るようなものですよね?

水谷:そうそう。だから、生ドラムとか弦やブラスを入れたいっていう時は外のスタジオに行きますけど、基本は家でこそこそやってました。

田家:奥さんの手料理があったりしながら。

水谷:途中から皆それが楽しみで来るようになって(笑)。

田家:とてもアットホームなレコーディングであり、ミーティングであり。

水谷:1970年代、1980年代のカリフォルニアのレコーディングって割とそういうのがあったみたいでね。向こうは自宅にスタジオがある人が結構いたりして。ガチガチに固まってテンションを上げてのレコーディングっていうのもたまにはいいんですけどね。でも、それだとこういう作品を作るにはちょっと違うものになっちゃうんじゃないかなっていう感じがしますね。

田家:なるほど。そういうアルバムの4曲目をお聴きいただきます。



田家:これも2004年の第一作『Have a nice life』の中の曲です。このギターも、全ての楽器が水谷さんの演奏ですか?

水谷:今作のリメイクが始まる時に、浜田さんが僕のギターは変えないでくれと言ってくれて。とてもありがたいことですね。今から13年前くらい、僕が首を患ってギターを弾けなくなったんです。『Have a nice life』の頃は全部僕がギターを弾いていたんですけど、2007年の頃にはもう弾けなくなってきた。でも、浜田さんは僕のギターを愛してくれていまして。なので、他のことは変えてもいいけど、ギターだけは変えないでくれって言ってくれたんです。制作が始まる前から嬉しさが弾けちゃって。

田家:この曲のバッキングボーカルは浜田さんということで、本当に3人で作った曲なんですね。4曲目、「アイラブピース」でした。



田家:気持ちいい曲ですね。

水谷:いい声だね。

田家:これも2004年のアルバム『Have a nice life』の曲です。この曲で思い出されることは?

水谷:最初に浜田さんが詞を見た時に「これはやばい! とてもいい詞で直すところが何もない」と仰ってくれました。

田家:この曲は春嵐さんの作詞家デビューの曲になるんですか?

水谷:そうですね。彼女は元々ポップスとか聴いてない人で。クラシックとかは聴いていたんですけど、流行の歌はほとんど聴いてないので。作詞がどういうものなのかあまり分かってなかったみたいなんですよ。でも、文字を仕事にしている人ですからね。1、2曲くらい浜田さんにアドバイスもらったら、もうこの詞が出てきてびっくりしちゃいました。

田家:Fairlifeには、これまで色々なアーティストが参加しておりました。大橋卓弥(スキマスイッチ)さん、岡野昭仁(ポルノグラフィティ)さん、奥田民生さん、岸谷香さん、CHEMISTRY、ゴスペラーズ、宮沢和史さん、曽我部恵一さん、我那覇美奈さんなどたくさんの方が参加されていますが、どのアーティストにどの曲を歌ってもらうという振り分けはどのようにされてるんですか?

水谷:それは浜田さんが曲に合うミュージシャンを決めて、それから彼・彼女たちのことを考えて僕がアレンジしてきました。

田家:なるほど。歌詞が上がってきて、この曲を誰に歌ってもらうか決めると。中にはポップス系じゃない歌手もいらっしゃいますね。Chie Umezawaさんとか。

水谷:彼女はボサノヴァの人ですね。NUUちゃんもどちらかと言えば流行歌的なものは歌わない人ですよね。とてもユニークで面白い人です。

田家:色々なアーティストへの関心は、浜田さんの音楽の視野の広さでもあると思っていいですか。

水谷:もちろんその都度初めて会った人もいらっしゃるでしょうけど、浜田さんは歌を歌う人をとても大事にするので、それぞれ認めていて。楽しかったですね。

田家:そういう色々な方が歌っているアルバムの中に浜田さんが歌った曲が入っているのと、今回のように浜田さんの歌だけ集めたものを聴くのとでは、浜田さんの歌の印象は違うものですか。

水谷:Fairlifeをやってる時の浜田さんはすごくリラックスしていて。もちろん彼にとっては、自分の中にこんな一面もあるんだよっていう提示だと思うんですけど、浜田さんの中には盛り上がる曲も静かな曲も当然あって。今回みたいに全部癒される曲が多いと、違う世界が見えるのかなっていう感じがします。

田家:そのアルバムの中でも、印象深い曲をお聴きください。



田家:これいい曲ですね。

水谷:ポップスをやる上で、昔から色々な重鎮たちの言葉に「シンプルイズベスト」っていうのがあると思うんです。ポップスでは一番大事なことで。簡単にギターやピアノを弾ける曲という意味では、本当によくできてる曲ですよね。

田家:とってもシンプルではありますよね。水谷さんは、この曲のギターについて「僕の歌の伴奏ではベスト」って仰っていませんでした?

水谷:はい。僕も浜田さんの横にいて一緒にのめり込んで、この曲は完全に入り込めると言いますか。自分でアレンジしてますから、詞のこともコード進行とかも全部把握してるわけじゃないですか。完全にステージ上で何回もやったような感じで弾ける、色々なことを考えないでできて。変な言い方ですけど、魂だけで弾けたっていう感じなんでね。後で振り返っても、自分のギターはあまり好きじゃないことが多いんですけど、この曲はいいなあって思いました。スペインに僕のファンがいるんですけど、レコードとは思えない、ライブのような音だねっていう手紙をもらって、とても嬉しかったです。

田家:スペインのファンですよ(笑)。この曲の参加ミュージシャンも、ベースが岡沢茂さん、キーボードが西本明さん、もう一人のギタリストが古川望さんという実力派揃い。

水谷:皆さん、歌をよく聴く人たちですね。素晴らしい方々です。

田家:「木霊」っていう字の発想が素晴らしいと思うのですが、これは春嵐さんがお書きになったものですか? 春嵐さんが書いていますけど、浜田さんが思ってることとか心にあることがちゃんと重なり合ってる歌詞でもあり、アルバムなんでしょうね。

水谷:そうです。制作中には、参加ミュージシャンと一緒にご飯を食べる時もあるので、そういう時の話題を春嵐も聴いて、「浜田さんが何を考えてるんだろう?」っていうこともあったし、浜田さんも自分の意見と食い違う歌詞だったら歌わないと思うんですよね。まして、彼女を選ばなかったと思うし。やっぱりどこか共通点があるからだと思うんです。

田家:同じようなことを感じたり考えていても、男性と女性では選ぶ言葉が違ったりもするでしょうし。

水谷:生まれた環境や世代もあるし、色々なことがあるけど、根本的に肝になる部分は同じ仲間だなっていうのがあるんじゃないですかね。

田家:この曲は特にそんな曲だと思います。そして、今回のミニアルバムにはインストになった曲がありました。7曲目「野に咲く花」。



田家:オリジナルは3枚目のアルバム『みちくさ日和』に収録されていて、その時は宮沢和史さんがボーカルでした。ですが、今回はインストにしようと。

水谷:歌ってすごく強いんですよ。もちろん歌の下に伴奏があるんですけど、これは浜田省吾さんのライブでピアノを弾いてる河内肇くんとオーケストラと宮沢さん、全て同録だったんですね。そのサウンドを改めて浜田さんが聴いて「後ろで弦が動いたりする音が素晴らしい。でも、歌があると歌のバックに演奏が隠れてくる」っていうことで、オケだけでやってみないかって言われて。僕としてはアレンジャー冥利に尽きますから、尻尾を振ってきゃんきゃん叫びました(笑)。もちろん宮沢さんの歌も素晴らしいので、是非そちらの方も聴いてみて下さい。

田家:オーケストラアレンジというのは、水谷さんは頻繁におやりになるんですか。

水谷:もうキャリアも長いですからね。

田家:1960年代にグループサウンズのギタリストでプロになっている方ですもんね。

水谷:僕は別に音楽大学を出ているわけじゃないので、最初はわからないことが多かったんです。でも、スタジオミュージシャンだったのでね。この前亡くなられた筒美京平さんとか、前田憲男さんとか皆さんの演奏に参加させてもらったので、オーケストラってどういう風になってるんだろうと耳で覚えてました。ギターって楽譜よりも実音がオクターブ低いんです。だから、弦を譜面に起こす時に、全部オクターブ上で書いちゃったんですよ。初めてやった時に。オーケストラの人たちがもう泣きそうな顔になっちゃって、僕も真っ青になったんですけど。でもその時のストリングスのリーダーの方が「写譜ミスなんじゃないですか? オクターブ下げたらすごくいいですよ」って言ってくれたんですよ。そしたら皆から拍手もらって(笑)。

田家:それは何歳頃ですか?

水谷:30歳手前ぐらいかな? 何も分かんなかったんですけど、レコード会社のディレクターの人に可愛がってもらって、こういうことも勉強しなさいって言われてやったんですけどね。

田家:浜田さんと出会う前ですか。そういう経験をして、今はこういう関係になっております。続いてアルバム最後の曲です。



田家:これは2007年のアルバム『パンと羊のラブレター』に入っていた曲ですが、「ソウルメイト」という言葉は春嵐さんが?

水谷:そうですね。でもすごく大きなテーマで、仏教にも繋がりますよね。当時、僕は音ばかりに集中していたのですが、歳を重ねて今聴くとすごいことを歌ってるんだなって感じます。

田家:当時よりも今の方が刺さりますか?

水谷:僕がわかるようになってきたということですね。

田家:浜田さんは1952年生まれ、水谷さんは1947年生まれで、1970年代からの付き合い。来週からは、そのあたりの話もお聞きしていこうと思います。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、浜田省吾2020。今週は1週目です、ゲストにアレンジャー、プロデューサー、そしてFairlifeのメンバー水谷公生さんをお迎えしました。そして先月発売のミニアルバム『In the Fairlife』をご紹介をしました。今流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

2020年12月です。100年に一度、人類史に残るという年の締めくくりをどう終わろうかと思っている中で、こういう企画になりました。夏からは、エルヴィス・プレスリー、佐野元春さん、矢沢永吉さん、氷室京介さんと特集してきたのですが、今月はもう浜田省吾さんしかないでしょうと思いました。浜田さんは1975年にバンドAIDOのドラマー・ボーカリスト、ソングライターとしてデビューしました。ソロデビューは1976年。吉田拓郎さんのバックバンドでAIDOがデビューしたのは1974年。来年はソロデビュー45周年という年になるんですね。1970年代に思うような結果を得られなかった方でもあります。

その頃から思い入れを持った人たちが彼の周辺に集まってきて、その関係が今も変わらない。これは日本の音楽業界の奇跡だと私は思っております。水谷公生さんはそういう中の一人でした。Fairlifeというとても日常的で、誰もが知っている浜田省吾とは違う、素顔の浜田さんのユニットを支えている人でもあります。キャリアの長いアーティストは、若い頃に聴いた時と大人になってから聴いた時で印象が変わったりします。浜田さんの曲も新しい発見がたくさんあるんだなということも、最近思ってます。Fairlifeというのは、まさにそういうグループではないでしょうか。来週は水谷さんに1970年代の話をお聞きします。そして、ささやかな忘年会気分で年末を過ごしましょう。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
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