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スマパンのビリー・コーガンが語る不変の音楽愛、父になって訪れた変化、日本への想い

Rolling Stone Japan / 2020年12月16日 18時30分

スマッシング・パンプキンズ、左から2番目がビリー・コーガン(Courtesy of ワーナーミュージック・ジャパン)

スマッシング・パンプキンズが最新アルバム『CYR』(シール)をリリースした。中心人物のビリー・コーガンがプロデュースした今作は、2018年の前作『No Past, No Future, No Sun』に続く「Shiny and Oh So Bright」シリーズの第2弾となる。さらに現在は、『メロンコリーそして終りのない悲しみ』と『マシーナ/ザ・マシーン・オブ・ゴッド』の続編を制作中というビリーにインタビューを実施。聞き手は音楽ライターの鈴木喜之。


ブラック・サバスとABBAを融合させたい

−パンデミックで大変な年になりましたが、近頃はいかがお過ごしですか?

ビリー:1年の大半は大丈夫で、ポジティブに考えるようにして来たけど、この1カ月はかなりこたえたね。終息する様子もなく、まだ真っ只中にいることがわかってきたから。僕が住んでいるイリノイ州はロックダウン状態で、カリフォルニア州もまたロックダウンになった。だから、すごいフラストレーションだよ。一体いつ終わるんだって感じなんだもの。とらわれの身になっている気がする。

−早く終息することを願うばかりです。さて、最新作『CYR』は、エレクトロニック・サウンドが前に出て、新鮮な響きをもたらしていますね。こういう作風にチャレンジしたいという気持ちはずっとあったものの、外部からのプレッシャーなどで実現できないでいたような状況が続いていたというようなことはあったのでしょうか?

ビリー:いや、意識的にこうしたわけじゃない。むしろ、興奮させるものを追い求めていたんだよ。例えば、アルバムからの1stシングル「Cyr」は、もともとヘヴィなギター・リフで出来ていた。だから、デモでは同じリフが延々と続いている。超ヘヴィで、ブラック・サバスみたいな感じなんだ。でもそれをシンセサイザーでやってみたら、「シンセサイザーの方がエキサイティングだな」と思えた。頭で決めたことじゃない。「どうして恋に落ちるんだろう?」「どうしてあの人じゃなく、この人と恋に落ちるんだろう?」と同じことだよ。もっと感情的な反応なんだ。今回は、シンセサイザー・サウンドの方に感情的な反応を示したんだ。それは現代生活のせいかもしれないし、みんながネット社会に生きているからなのかもしれない。ただ、ビッグなギター・リフよりもそっちの方が、当時の僕の気持ちに近かったんだ。



−では、今作の曲作りを始めた際には、青写真は特に無く、オーガニックに発展して行ったんですね。

ビリー:そういうこと。でも、それには時間がかかるんだよ。取り組めば取り組むほど、僕が進んでいた方向性に対する自信がついたんだ。もちろん、それを聴いた人達はショックを受けた。「これは、思ってたのと違う」ってね。

−今作の作曲作業はギターで? それとも、キーボードや他の楽器を使ったり、コンピューターを使ったりしましたか?

ビリー:僕の曲はほとんど、アコースティック・ギターかピアノで書いている。昔から言われていることに、「アコースティック・ギターやピアノで弾いていいと思える曲は、必ず別の表現手段に置き換えることが出来る」というのがあるんだけど、僕はこれを大いに信じているんだ。

−では、曲作り自体は以前と同じだったのですね。

ビリー:そうだよ! 今回の曲を『メロンコリーそして終りのない悲しみ』の収録曲みたいにすることだって簡単にできたさ。僕が選んだプロダクションがたまたまこうだっただけで、書き方は同じだったんだ。

−アレンジのプロセスにおいて、今作はこういう方向性に進んでいったと。

ビリー:そう、そういうことなんだ。どんなものにでもなり得るよ。曲作りはコロナ禍の前に行なったんだけど、もちろんみんな不安がっていた。特にアメリカでは、ここ数年間の政治情勢のせいで、みんなすごく不安を感じていたんだ。だから、通常の生活を送ってるとしても、みんなやっぱり自分達がいかに不安であるかを語っている。



−あなたと、ジミー・チェンバレン、ジェームス・イハ、ジェフ・シュローダーという編成になって2作目ということになりますが、全曲あなたが主導しているのは変わらずとして、他のメンバーたちとはそれぞれ今回どのようなコラボレートがあったのでしょう?

ビリー:最初に作ったデモの段階では、みんなが期待する僕たちと完成した今作との中間くらいで、ギターとシンセサイザーが混在していたんだ。それからしばらく僕1人で作業して、どういう方向に進みたいかを決めた。そのプロセスの途中から、みんなが参加し始めて、プロセスの最後でも参加した。ずっとこのやり方でやって来たんだ。曲を書いて、一緒に取り組んで、それからしばらく僕1人で作業して、それからそれぞれが別々のタイミングで貢献するんだよ。

−ジミーは、ヘヴィでパワフルなロック・ドラマーとして高く評価されていて、そういうイメージも強いのですが、今回のアルバムを聴くと、エレクトリックでライトなドラム・サウンドとの組み合わせも非常に良いということに改めて気づかされました。彼は今作のドラムに対し、どのようにアプローチしていったのですか?

ビリー:ジミーは常に曲をサポートしたいと思っているので、今作ではよりシンプルなドラムを叩いた方がうまく行くことに気がついたんだろう。彼にとってこれは、よりシンプルなアプローチで、ビート主導のアプローチなんだ。

−もうひとつ、アルバムを通して非常に印象的なのが、ケイティ・コールとシエラ・スワンによるバック・ヴォーカルです。女声コーラスに関するアイデアは、どのようにして思いついたのですか?

ビリー:ケイティはこの4年間いっしょに何度もツアーしてきたし、シエラとは15年来のつきあいだ。彼女もまた僕たちとツアーしてきた。だから、ライブで彼女たちが歌うのを聞いて、そのフィーリングが音楽に欠けていることに僕は気がついたんだろう。それで今作に取りかかると、このアルバムをエモーショナルなものにするためにはヴォーカルをさらに加えたらいいんじゃないかと思ったんだ。そこでケイティに連絡して、ヴォーカル・アレンジを頼んだんだ。彼女は素晴らしい仕事をしてくれたよ。そして、ナッシュヴィルで1週間かけて3人でアルバムのバッキング・ヴォーカルをやったんだ。

−では、そのアイデアは、曲作りを終えてから思いついたのですか?

ビリー:最初から頭の片隅に、アイデアとしてあったんだと思う。ちょっと変に聞こえるかもしれないけど、僕はかつて「ブラック・サバスとABBAを融合させたい」と言った。そんなのやったことのある人、いないよね。これを想像すれば、「Cyr」でその組み合わせが聞けることがわかると思う。ヘヴィなリフで、今回はギターではなくシンセだけど、あのリフがギターだと想像すれば、僕が言っているブラック・サバス+ABBAにかなり迫ったものになっていたはずだ。

『メロンコリー』『マシーナ』続編の展望

−なるほど。ちなみに『CYR』は、前作『No Past, No Future, No Sun』に続く「Shiny and Oh So Bright」シリーズの第2弾という位置づけになるわけですが、ジャケットこそ同じイメージを踏襲しながら、サウンドはかなり変わった上で、ヴォリュームも倍になっています。

ビリー:前作には8曲しか入っていなかったからね。今作は12曲も多いんだ。

−作品の構成が変わっても、全体の流れに影響はないと判断したのだと思いますが、そうした判断の基準が何かあったりするのでしょうか?

ビリー:別に秘密にしているわけじゃないけど、今ちょうど第3弾に取り組んでいるところなんで、そのアルバムが出たら第1弾から第3弾までのコンセプトについて話すよ。第3弾が出るまでは、話すわけにはいかない。まだ表面的には、何の関連性もないように見えるかもしれないけど、僕の中では関連しているんだ。

−では、第3弾が出た暁に、全てが明らかになるわけですね。

ビリー:明らかにされるアルバムが出ることを願おうじゃないか。



−それから、前作でプロデューサーを務めたリック・ルービンの仕事に対し、「リックは、我々が首を突っ込む時間を与えてくれなかった」という発言もあったようです。

ビリー:(笑)

−前作が短いアルバムになったのは彼の指示によるもので、本当はもっとスマッシング・パンプキンズらしく、たくさん曲が入ったものにしたかったという反動が今回は出たということだったりもするのでしょうか?

ビリー:そうだね。さっきも言ったように、個人的には、時間をかけた方が当然いいものが出来ると思ってる。でも、早く作業することによって得られるものもあるんだ。違うことが起こるんだよ。これは最適な例ではないけど、1992年にロンドンで『Peel Sessions』をやった時は、レコーディング時間が4時間しかなくて、全てライブ録り、後で手早くヴォーカルを加える程度だった。そういう、素早くやった時のエナジーも好きだ。僕たちは、アーティストに求められるものが多い世界に住んでいると思うから、スポンテニアスにやって成功を収めるのは難しいと思うけど、それでも僕はスポンテニアスであることのフィーリングが好きだよ。

−さて、現在は『メロンコリー〜』と『マシーナ/ザ・マシーン・オブ・ゴッド』の続編、そして「Shiny~」シリーズの第3弾に同時進行で取り組んでいるということですが、前者が先にリリースされるのですか?

ビリー:そう、『メロンコリー』と『マシーナ〜』の続編の方を、来年の暮れまでにはリリースしたいと思っている。「Shiny~」シリーズの第3弾は、その後のどこかでリリースされるよ。

−あなたの多作家ぶりに改めて驚かされますが、たくさんの曲を書くだけでなく、それらをどのアルバムに入れるかは最初から確定できているのですか?あるいは特にこの作品用だと決めずに曲を書いていても、それが収まるべき位置をすぐ判断できるのでしょうか?

ビリー:大抵は曲作りの道筋を立てておくんで、何をやろうとしているのかわかってるよ。たまに何のためでもない曲を書いて、いい曲だなと思うこともあるけど、多くの場合それが何のためかは把握できている。僕の中では、映画を作っているようなものなんだ。ある映画を作ろうと決まれば、全てのエナジーはその映画のアイデアへと向かっていく。心の中にあるイメージ、体のフィーリングは全て同じ映画を表わしている。視野が定まって、そのことしか考えられなくなるんだ。他のことは考えられない。

−異なるプロジェクトに同時進行で取り組んでいても、気持ちの切り替えは簡単にできるのですか?

ビリー:休暇をとっているようなものさ!(笑。1つのことにすごく夢中になって、次に行くと「これは別の島みたいだなあ」って思えるんだ。『メロンコリー』の続編よりも第3弾の方がピリピリしないで済むけどね。


『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』収録曲「ジ・エヴァーラスティング・ゲイズ」

−さらに『マシーナ』の20周年記念エディションも進められているそうですね。

ビリー:そうなんだ。ここ数週間はそれに取り組んでいる。大変な作業だけどね。

−最初の解散前のラスト・アルバムとなった同作に向き合い直してみて、何か改めて気づいたことや、感慨深く思い出したことなどはありますか?

ビリー:どれだけクレイジーだったかを思い出したよ。僕たちは、アルバムを作る前に解散することを決めていたんだから。バンドが解散することがわかった上でアルバムを作るのは、すごく変な気分だった。悲しみに覆われたよ。恋愛関係にあった人間が別れることを決めたのに、まだいっしょにいる、みたいな感じなんだ。あのアルバムを作っている間中、「解散するのに、どうしてアルバムを作っているんだ?」って思っていた。

−すごく違和感があったんですね。

ビリー:そう、それが音楽に染み込んだんだ。音楽に悲しみが宿っている。これはとても珍しいことだ。いろんな意味で、このアルバムはとてもダークだね。そしてこれはコンセプト・アルバムでもある。ある意味、頭がおかしくなっていく男についてだけど、頭がおかしくなっていく男についてのアルバムを作っている間、僕も頭がおかしくなっていったんだ。

父親になったことによる変化

−最近のあなたを見ていると、スマッシング・パンプキンズ再結成以降も続けてきた苦闘からようやく解放され、とても落ち着いた穏やかな心境にある様子に見えるのですが。

ビリー:(笑)

−間違っているかもしれませんが、そう思えたんです。

ビリー:いやいや、君は間違っていないよ。怒りっぽい人間が丸くなった、みたいな感じかな。

−やはり父親になったことが大きいのでしょうか?

ビリー:う~ん……いいや。子供達のことはよく考えるよ。そしてそれが僕の幸せに大きく関わっているとは思う。けど、単にこれは僕が歩んで来た旅なんだ。生き延びて、これだけ長い間成功してきたことが肝心なんだと思ってるのかもしれない。だから僕は、音楽を世に送り出すことに幸せを感じているし、それについて話すことを誇りに思っている。誰に対して怒るでもない。僕には何の意図もない。単にミュージシャンであって、しかも自分の分野で成功していることが嬉しいんだ。このインタビューが終わったら、クレイジーなアルバム『マシーナ』に取り組まないといけない。忙しいけど、それはラッキーなことなんだ。だからこういうことが言えるんだよ。

−お子さんは5歳と2歳ですよね。

ビリー:そう。おかしい話があるんだ。この間、息子を車に乗せて運転していた時、僕は息子に「おまえが生まれた日は、お父さんにとって最も大切な日だったんだよ」って言ったんだ。でも息子には「そうだね、これからオモチャ屋さんに行くの?」って言われたよ(笑)。そこが素晴らしいんだ。息子が僕にとっていかに大切な存在なのか、僕にはわかっているけど、息子は小さいからまだ理解出来ない。それが素晴らしい。僕たちの年齢差はかなりのものだからね。48歳差かな。だから、僕たちには半世紀の隔たりがあるわけで、それで年とった父親と幼い息子という、とてもユニークな体験が出来るわけ。というわけで、君に言えるのは、全てが意味を成したということ。「なぜこんなに必死に仕事をし続けているんだろう?」と思った時、その意味を理解するための骨組みを子供達が与えてくれる。家族の一員としても、アーティストの僕としても、これまでになかった視点でとらえられるようになったんだ。

1人だった頃は、「充分にできなくてもかまわない」と思っていた。簡単に忘れ去られるかもしれないと思ったりもした。ロックンロールの歴史から僕を抹殺しようとした人達がいたことを、僕は間違いなく見てきた。そうすると、全て何の価値もないんじゃないかって思うようになる。「青春時代を犠牲にして、夢を追いかけてきたことの意味は何だったんだろう?」とね。でも子供を持ったことによって、今では自分の労力や音楽に対する努力をより健全かつハッピーな視点でとらえられるようになったんだ。要するに、僕は音楽に見返りを求めないってこと。音楽は単に僕がやっていることであって、あとは家に帰るだけ。わかるかな?

トレンドに流されない音楽愛

−ところで、「好きな曲は聴きすぎて燃え尽きてしまって、以前ほど聴けなくなってしまった。今は無名のものばかり聴いていて、何か波を捕まえたいと思っている」と語っていましたが、その後、何か具体的にキャッチできたものはありますか?

ビリー:もちろん! 最近、レコードをたくさん買ったんだ。Spotifyとかでは聞けないようなものを売っている店でね。YouTubeにすらアップされていない、無名のものもある。1つは、僕が発掘してから数年前に再発されていたことを知ったんだけど、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのディノ・ヴァレンテ。彼は、1971年頃にEpicでソロ・アルバムを1枚作ったんだ(編注:実際は1968年)。当時はものすごくクレイジーでアーティスティックなアルバムがメジャー・レーベルで作られていた。メジャー・レーベルは、ヒッピーがどういうものかわかっていなかったんで、その手のアーティストと契約して、すごく変てこなLSDタイプのアルバムを作っていたんだ。



ビリー:それから最近は、60年代にファミリーで作ったゴスペル・レコードを見つけたよ。このファミリーについては何の情報も得られなかったけど、そのゴスペル・レコードはとっても良かった。カーター・ファミリーみたいな感じなんだ。カーター・ファミリーはカントリーのパイオニアで、1920年代か1930年代に始めたんだよ。ジョニー・キャッシュは、カーター・ファミリーのオリジナル・メンバーの娘のジューン・カーター・キャッシュと結婚したんだ。彼らはおそらく、カントリーの世界ではナンバーワンのファミリーだね。だから、60年代にあの手のカントリー/ゴスペルのフィーリングを持ったファミリーを想像してごらん。ネットで調べても、このグループのことは全くわからなかったんだけど、彼らの出身地のとあるファンがそのファミリーの出所を突きとめてくれたんだ。あれはとても嬉しかったな。そのレコードを作った、まだ健在のファミリーの人達とも話をすることが出来たんだ。

というわけで、こういった超無名のものさ。ググることさえ不可能なほど無名なもの。網の目をすり抜けた音楽を聞くのは興味深い。たまにサプライズがあるからで、こんな時代にこんなものが作れたんだって思うもの。音楽ビジネスは、ヒット曲が出ようが出まいが進んでいく。だから、メインストリームの時代精神にあまり影響されていない音楽を見つけられると嬉しいんだ。

−あと、『CYR』に関して、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、シスターズ・オブ・マーシー、ジョイ・ディヴィジョンといったバンドの名前を挙げていましたが、この3つのバンドの特に好きなアルバムや曲はどれか教えてもらってもいいですか?

ビリー:もちろん。タイトルが間違っているかもしれないけど、シスターズ・オブ・マーシーは『First and Last (and) Always』が超オススメだね。これは素晴らしいアルバムだよ。僕が持っているアルバムで最高の出来じゃないかな。



ビリー:スージー・アンド・ザ・バンシーズは、確か『Dazzle』っていうアルバムを作ったと思うけど(訳注:アルバム『Hyaena』の1曲目に収録された曲)。オーケストラと共演した作品で、1984年頃だったかな。あれは本当に素晴らしい。大好きだ。あともう1つは何だっけ?

−ジョイ・ディヴィジョンです。

ビリー:僕は、ジョイ・ディヴィジョンがやったことは全て素晴らしいと思っている。『Unknown Pleasures』は、みんなが一番よく話題にするアルバムだよね。彼らが作ったアルバム中、最も画期的だからだ。あのアルバムも間違いないね。

日本のファンに伝えたいこと

−昨年には、ソロ名義のアルバム『Cotillions』をリリースしていますが、現在ではソロ作品は、スマッシング・パンプキンズとしての作品に対して、どのような位置づけなのでしょう?

ビリー:僕は音楽をやっているけど、商業的な面に関心はない。ただ、作りたい音楽を作っているだけだ。それは、僕をより良いポップ・メーカーにしてくれる(笑)。実は僕は、そのプロセスの方を楽しんでいるんだ。妥協している気がしないからだよ。わかるかな。僕には両方できるんだ。ポップ・アルバムを作るのもすごく得意だし、楽しめる。アーティスティックなアルバムを作っていると、逆にポップ・ミュージックを楽しめるんだ。



−最近、残念ながら亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンについて、かつてインタビューした時の思い出を語っていましたが、彼のギター・プレイや楽曲から具体的にどういう影響を受けたのか教えてください。

ビリー:エディは、僕が11歳か12歳の頃に出てきて、僕がいた地域では突然みんなヴァン・ヘイレンを聴きだしたんだ。1978年から1984年に解散するまで、彼らは支配力を持つバンドだったけど、その頃まだ僕は学校に通っていた。みんな彼のことが大好きだったし、彼らのTシャツを着ていた。その後、1982年頃にギタリストになった僕は、ギターを学ぼうとあの素晴らしいミュージシャンを観て、彼がどうやってああいうことをやっているのか突きとめようとしたよ。今はYouTubeを観れば分析してくれる人がいくらでもいるけど、1982年にはラジカセとギターしかなくて、そこにクレイジーな速弾きをする男がいたんだから、みんなにとって彼はまるで神のようだったよ。そうやって彼は、ギターに対する僕の考え方に影響を与えたんだ。練習の仕方とか、より良いミュージシャンになるためのことを学んだんだよ。その後、彼に会うことができて、インタビューもした。ファンである僕にとっては、かなりすごいことだったね。あんなに彼の音楽を聴いていた僕が、彼のことをちょっとは知るようになったんだから。

−先日、マイ・ケミカル・ロマンスのジェラルド・ウェイにインタビューを受けていましたね。感想を教えてください。

ビリー:ジェラルドとは長いつきあいになるよ。共通の友達がいるし、いっしょにライブをしたこともある。彼のことが大好きだし、すごく才能がある男だ。ある雑誌が彼に僕をインタビューしてもらいたくて実現したんだけど、とても良かった。アートについて素晴らしい会話を交わすことができたよ。1997年に彼と弟がスマッシング・パンプキンズを観にマディソン・スクエアに行ったことを話してくれた。その時バンドをやろうって決めたんだって。僕たちが彼らの成功に何らかの影響を与えられたのは、とっても光栄なことだ。彼らのことは人としても尊敬しているんで、嬉しいね。誰かにインスピレーションを与えるだけじゃなく、その人達といい関係になれるなんて誇れることじゃないか。



−さて、状況が落ち着いたら、また日本へ来てくれるでしょうか? 前回の来日時にあなたが気分を害したという話が広まっていて、まだ日本にもたくさんいるスマパンのファンは気を揉んでいたりします。

ビリー:僕たちとしては、あのフェスの出演順がすごく悪かったと思っている。未来あるバンドを、午後5時に駐車場にいさせはしないはずだ。残念ながら、あれ以来日本には行けてないけど、僕たちは本当に行きたいんだ。素晴らしいファンが日本には大勢いるからね。しかるべき状況になればいいと思ってる。ジェームス・イハが戻ってきてから、僕たちはオーストラリアに行っていないし、ニュージーランド、東南アジア、日本、香港にも行っていない。すごく不思議だよ。ジェームスが戻って来たんだから、また東京みたいなところでプレイするのにはうってつけのチャンスなのにさ。だから、とっても残念だ。でもね、1ついいことを教えてあげる。僕たちは過去のライブ音源をたくさん持っているんで、来年はアーカイヴ・ライブをリリースしようと思ってるんだけど、その最初のリリースは、1992年に名古屋でプレイした時の演奏なんだよ。

−おお。それは素晴らしいですね。

ビリー:ああ、かなりクールだよ。『Gish』ツアーの音源なんだ。

−今日はどうもありがとうございました。

ビリー:ありがとう。素晴らしい1日を!



スマッシング・パンプキンズ
『CYR』
発売中
ダウンロード/ストリーミング:https://japan.lnk.to/SP_CYR

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