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マイリー・サイラス激白「生死を分ける27歳」で気づいた本当の自分

Rolling Stone Japan / 2020年12月20日 20時0分

マイリー・サイラス、2020年11月撮影(Photo by Brad Elterman for Rolling Stone, Production direction by Richie Davis. Produced by Rachael Lieberman. Wardrobe styling by Blaine Halvorson. Styling by Bradley Kenneth. Hair by Cervando Maldonado at the Wall Group. Makeup by J

波乱に満ちた数年間を経て、ワイルドなニューアルバム『プラスティック・ハーツ』を完成させたマイリー・サイラス。新たな展望、語り尽くせぬヒーローたちへの思い、禁酒生活、アーティストとしての正当な評価の渇望まで、そのヴィジョンと野望について彼女が語った。

ロサンゼルスのサンフェルナンド・バレーに太陽が沈み始めた頃、マイリー・サイラスは「ハーモニーの微調整に没頭中」だった。彼女はプロデューサーのアンドリュー・ワットと共に、午後からずっと自宅スタジオにこもっている。彼女のニューアルバム『プラスティック・ハーツ』は随分前に完成していたが、発売を控えているコンピレーションに収録されるメタリカの1992年作「ナッシング・エルス・マターズ」のカバー等、2人は今なお様々なプロジェクトを進めている。ここ1時間ほど、彼女はコーラスパートの録音に臨んでいる。かつてウェイロン・ジェニングスは、彼女の父親であるビリー・レイ・サイラスが当時3歳だったマイリーにタバコを吸わせているのを見て呆れたというが、彼女のドスの効いた歌声はその賜物なのかもしれない。

「わたしの声、ここまで聴こえてる?」。その歌声がゼブラ柄の吸音板をものともせず、古いプレイボーイ誌を飾った階段を挟んだリビングにまで響いていることに、彼女自身も驚いているようだった。一見アットホームなその空間には、ネオンカラーのサイケデリックな絵や、デヴィッド・ボウイとピンク・フロイドのハードカバー本の隣にあるカラフルな彫刻物など、あちこちに極彩色の「クレイジーなガラクタ」が見られる。彼女は2019年9月に、カーダシアン一家やドレイク、ジェシカ・シンプソン等が住むヒドゥン・ヒルズの一角にあるこの家に引っ越してきた。彼女は当初、その閉ざされた上流階級のコミュニティが「ノームコアっぽい」と感じていたという。ダーティブロンドのマレットヘア、コンバットブーツ、CBGBプリントのベストという服装の彼女は、ニューヨークのイーストビレッジのTrash & Vaudevilleでパンクスたちに紛れている方が自然だろう。

過去数カ月の間に、彼女はその歌声で多くのリスナーを魅了した。8月にスティーヴィー・ニックスをサンプリングしたゴージャスな80sポップ「ミッドナイト・スカイ」を発表すると、彼女はヴォーカリストとしての圧倒的な実力を見せつけるカバー曲を立て続けに公開した。配信ライブでお披露目されたブロンディの「ハート・オブ・グラス」と、クランベリーズの「ゾンビ」はネット上で大きな話題となり、『プラスティック・ハーツ』のリリースが発表された頃には、ファンは彼女のロックアルバムを渇望していた。だが彼女のヴィジョンは、彼らが予想した以上に壮大だった。







ジョーン・ジェット、スティーヴィー・ニックス、デュア・リパ、ビリー・アイドル、マーク・ロンソン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス、フー・ファイターズのテイラー・ホーキンス等の豪華ゲストを迎えた『プラスティック・ハーツ』は、シンセやパワーバラードに象徴される80年代の放蕩なシーンへの熱烈なラブコールだ。そのエキサイティングなコンセプトは、決して気まぐれや思いつきではない。「わたしの初めてのコンサート体験はポイズンとウォレントだった」。そう話すサイラスは、ステージをもっとよく見ようとして折りたたみ椅子の上に立とうとし、危うく足の骨を折るところだったという。ティーンポップのイメージを脱ぎ捨てた彼女が、1人のアーティストとして発表した最初のアルバムとなった2010年作『キャント・ビー・テイムド』には、ポイズンの大ヒットバラード「エヴリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン」のカバーが収録されていた。





自分の声こそがわたしのアイデンティティ

筆者と会った時、彼女は28歳の誕生日を数週間後に控えていたが、セレブとしてのキャリアの長さを考えると、彼女がまだその若さであるという事実に改めて驚かされる。ディズニー・チャンネルのTVドラマ『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』(2006年〜2011年)で何百万というキッズのハートを射止めた彼女は、それ以降ドラッグについて歌ったり、半裸姿で巨大な金属球の上で歌ったり、フレーミング・リップスのウェイン・コインとサイケデリック・ポップの一大叙事詩を作り上げたりと、アメリカンスウィートハートのイメージを徹底的に拭い去ろうとしてきた。





ロックが最もワイルドだった時代のひとつへのトリビュートという『プラスティック・ハーツ』のコンセプトとは対照的に、現在の彼女はかつてなく冷静で落ち着いている。「ついこないだ、ある人から『君は何にも縛られない自由な鳥のイメージだ』って言われたの」。彼女はそう話す。「わたしはそんな風に思ってない。しっかりと地に足がついてるって感じてる。自由だけど、ちゃんと責任を負ってるから。今のわたしは心と体の両方の健康を、以前よりもずっと強く意識してる」

現在でこそそういった状況だが、彼女の過去2年は波乱に満ちていた。2018年末、彼女と当時のフィアンセだったリアム・ヘムズワースが暮らしていたマリブの家が、ウールジー火災によって全焼した。6年前から婚約していた2人はその1カ月後に結婚したが、わずか8カ月後には離婚を申請している。サイラスはその後、『ザ・ヒルズ』への出演で知られるケイトリン・カーターや、旧友のコーディー・シンプソンとの交際でタブロイド紙を賑わせた。

そして2019年11月、彼女は全く異なる事態で世間の目に晒されることとなる。声帯の酷使を原因とするラインケ浮腫の治療のため、彼女は緊急手術を受けなくてはならなかった。手術は成功したが、27歳でこの世を去った有名人たちの仲間入りをするかもしれないという恐怖感は、彼女に酒とドラッグを断つことを決意させた。

「自分の声こそがわたしのアイデンティティ。他の人にとってもそうだと思ってる」。スタジオにあるU型のソファの上に横たわった彼女は、「ヴァイブスを上げるため」だというノンアルコールのハイネケンを飲みながらそう話す。その長いキャリアにおいて、サイラスは自分の存在意義である歌声と言葉がようやく真摯に受け止められるようになったと感じている。名声を放棄することなく誠実さに満ちたレコードを生み出したジョーン・ジェットやドリー・パートン、そしてデビー・ハリー等を、サイラスは『プラスティック・ハーツ』のインスピレーションとして挙げる。「わたしをインスパイアしてくれるものや、カオスの権化のようなわたしを形作るものを、ファンや同世代の人々に全部知ってもらいたいの」


音楽だけで勝負できるようになってきた

ー10代の頃にニルヴァーナをカヴァーしたり、昨年のクリス・コーネルのトリビュートコンサートで「Say Hello 2 Heaven」を歌ったりと、あなたは過去にもロックへの傾倒ぶりを示してきました。こういったアルバムを作る機会を待ちわびていたように感じられますが、なぜ今なのでしょう?

わたしは天才的な戦略家で、随分前から計画はあったって胸を張って言えたらいいんだけどね。実際にはこのアルバムを作り始めた時、どんなレコードにしたいのかも分かってなかった。わたしはいつも、自分が置かれている状況やその時のライフスタイルを作品に反映させるようにしてる。なんてったって、わたしはカントリーを聴いて育ったんだから。ミュージシャンは皆ストーリーテラーであって、あらゆるレコードは物語なの。

ー現在のあなたは、これまで以上にアーティストとしてリスペクトされていると思います。それについてどう感じていますか?

皆そうだと思うんだけど、今わたしは音楽がプライオリティになってるっていう状況を噛み締めてる。(2013年に撮影された、彼女がアイスクリームのコーンを舐めている巨大な写真を指さして)あの壁に飾ってあるやつを見てよ。あの頃のわたしは、ミュージシャンだとみなされてなかった。音楽が中心のようでありながら、『バンガーズ』(2013年)は特にそうだったけど、あの頃の作品は完全にポップカルチャーの影に隠れてしまってた。音楽だけで勝負できるようになったっていう事実に、わたしは興奮してるんだと思う。それ以外のことで注目されてた原因がわたし自身の行動だったことも、今はある程度自覚してる。



こう言われたことがあるの。「君はものすごく才能のあるシンガーなのに、なぜ裸になったりお尻を振ったりして注目を集めようとするんだ?」。でも『シェール』を観て育ったわたしは、単純にショービジネスが大好きなの。エンターテイメントとポップカルチャーに夢中で、人々の記憶に残る瞬間っていうのがとにかく好きなの。メディアを騒がせてやりたいっていう願望が、自分の中にあることは自覚してる。でも時々、「わたしの曲ってちゃんと聴いてもらえてるのかな」って悲しくなることもあった。(2013年発表の)「レッキング・ボール」を聴いても、わたしが感じてる痛みは伝わらない。カメラを直視して、壁をぶっ壊し、涙を流し、手を伸ばそうとするわたしの姿は見えてこない。皆が連想するのは素っ裸のわたしで、それが誰の責任なのかはわかんない。わたし自身のせいかもしれないし、人間の脳みそがすぐにセクシュアリティに結びつけるよう仕組まれてるせいかもしれない。言い方を変えれば、裸がアートに勝るってこと。

【画像】マイリー撮り下ろし写真「皆が連想するのは素っ裸のわたし」(写真8点)



大人になるっていうのは、過去の自分を受け入れるようになるってこと

ー「trumps」(勝る)という言葉の本来の意味が、最近は戻りつつありますね。

まさにぴったりの言葉よね、特にこのケースには。わたしはセクシュアリティのパワーだって信じてる。「陳腐なポップスター」って聞くと、誰もが裸同然のボディスーツを着たアイドルを思い浮かべる。それはポップカルチャーじゃないし、ポップでもない。ポップスターっていうのは、スーパーヒーローみたいなものなの。

わたしはドリー(・パートン)のキャラクターが大好きなの。音楽こそが真実だってことを体現しているから。ボウイもそう。鴨の羽色のスーツと厚底履姿のデヴィッド・ボウイはまるで宇宙人のようで、人はその美しさに魅了される。彼のような一般人とはかけ離れた存在が、ファンタジーと逃避主義を生み出すの。才能の使い方を間違えなければ、そういう人物はオーディエンスに夢を見させることができる。特に今みたいな時代にはね。

ーそういう「音楽以外の要素」こそが、楽曲を神格化させることもあります。ディズニー時代のあなたの作品にも、今も愛されている曲がありますよね。

だからこそ、わたしはジョーン(・ジェット)のようなアイドルを求めるの。わたしにとって、ザ・ランナウェイズはティーンバンドなの。10代の女の子の集まりでありながら、他の女性が誰もやらなことをやった彼女たちはものすごくラディカルだと思う。彼女たちはもっと評価されるべきだと思ってる。



わたしのセラピストはいつもこう言うの。「お姉さんはあなたにそんなこと言った?」って。自分自身に向けた馬鹿みたいな言葉を、大切な人に伝えたりする? わたしはしない。わたしはこれまで、ずっと過去の自分を否定してきた。『マイリー・サイラス・アンド・ハー・デッド・ペッツ』(2015年)の時には『バンガーズ』(2013年)をけなし、『バンガーズ』の時には『ハンナ・モンタナ』をディスった。「マリブ」(2017年)の時も『バンガーズ』を否定した。自分が成長するたびに、過去の自分のことを恥じるような感じだったの。大人になるっていうのは、過去の自分を受け入れるようになるってことだと思う。

ー「ミッドナイト・スカイ」を発表した時点で、アルバムは完成していたのですか?

してた。「ミッドナイト・スカイ」以外の曲のほとんどは既にできてたの。最初は「エンジェルズ・ライク・ユー」を1stシングルにするつもりだったけど気が変わって、スタジオに入ってもう1曲作ることにしたの。スティーヴィー(・ニックス)が「ミッドナイト・スカイ」を気に入ってくれて、これをシングルにすべきだって思った。あの曲には時代を超えた魅力があるって、太鼓判を押してもらったようなものだから。



あれはわたしにとって転換点だったと思う。禁酒を決意したのは、26歳になったばかりの頃にこう思ったからなの。「27歳になるまでにちゃんとしよう。27歳は生死を分ける境目のようなものだ」って。27歳でこの世を去ったレジェンドの仲間入りなんて、わたしはまっぴらごめんだった。26歳半ばには素面でいることが苦じゃなくなって、(2019年11月に)27歳になった時にはほぼ完全に酒を断ってた。でもパンデミックの最中に、多くの人と同じように、わたしはやらかした。精神的にものすごく追い詰められて、自分を見失った。でも今は持ち直して、ここ5週間は素面を保ってる。


マイリーのドラッグ体験

ー「やらかした」というのは、酒を飲み始めたという意味ですか?

そう、酒。ドラッグはもう何年もやってない。マジで、もう2度と未来を占おうとなんてしないし、あっさり騙されたりしない。クソみたいな目に遭うのはもう懲り懲りだから。今あなたとこうして話していても、ドラッグに溺れた自分の姿を想像するとゾッとする。マッシュルームくらいならやるかもしれない。アヤワスカをやった時は信じられないくらい気持ちよかったけど、もう2度とやらないと思う。

ー強烈らしいですね。

マジでヤバいよ。やったことある?

ーありません。

わたしがこれまでにやった中で、アヤワスカは間違いなく最高のドラッグのひとつ。あれをやった時、そこにいた全員に向かってこう言ったの。「あんたら一体どうしちゃったの? 全員生まれ変わった?」って。みんな呆れた様子でこう言ってたわ。「完全にイっちゃってるな。お前みたいなぶっ飛んだやつは、生半可なトリップじゃ満足できないんだな」って。その場にいたシャーマン曰く、ああいうトリップを経験するにはアヤワスカを3〜4回、場合によっては30回くらいやらないといけないらしいの。

それからすぐ蛇が見えた。そいつはわたしを捕まえて、ママ・アヤのところに連れて行くの。トリップの間中、ずーっとそいつが側にいて、マジで狂ってた。最高の気分だったけどね。

ー「エンジェルズ・ライク・ユー」の「わたしは世間のイメージの産物」というフレーズが印象的でした。人生の半分をセレブリティとして生きてきたあなたに対するイメージは、それこそ千差万別に違いありません。現在の自分はどんな風に見られていると思いますか?

以前とは大きく変わった。「ミッドナイト・スカイ」の影響が大きかったと思う。これまではリスペクトされていても、わたしにはクレイジーっていうイメージが常につきまとってた。イカれてて冷酷で、ひとときもじっとしていられない女っていうね。「エンジェルズ・ライク・ユー」はそういうことを歌った曲なの。わたしはステレオタイプで、世間が作り上げる偶像なんだってこと。あの曲を書いてた時は罪悪感を覚えたり、自分のことを恥じたりもしたけど、今ではあれは懺悔の曲だって思ってる。「わたしが全てを台無しにするのも、あなたが求めるものになれないのも、決してあなたのせいじゃない」っていうフレーズは自己中心的な意味に取られてしまうかもしれないけど、それはわたしが誰にも縛られないってことと、サバイバリストしての本能の表れなの。

ーあなたを無責任だと糾弾する声については不思議に思っていました。17歳の頃に付き合い始めた相手と結婚する人なんて、あまりいないですからね。

その通りね。過去2年で状況は大きく改善したと思う、特に女性と体のイメージについては。ビッチなキャラクターをディスることも、最近じゃ許されないのかもね。どうなんだろう? わたし自身、ここしばらくはメディアから叩かれてない。「わたしが16歳だった頃には胸ばっか撮ってたくせに、今じゃわたしは悪者ってわけ?」なんて思ってた時もあったけど、最近はそれが間違いだって皆気づき始めたんだと思う。誰が敵で誰が被害者なのか、みんな悟り始めたのよ。


マイリーが10歳の頃に初めて書いた曲とは?

ー大人になりきる前から、自身のセクシュアリティや体について好奇の目を向けられてきたことは、何かしら長期的な影響をもたらしたと思いますか?

それに傷ついてたかどうかは覚えてない。常に監視されてるように感じてた覚えもないし。本当の自分がどういうものかは自覚してたと思うけど、そういうことによる影響はあったはず。自分がこれといった個性のないティーンエイジャーで、(20代)前半の冒険も取るに足らないものなんだって感じてたのは、そういう批判がトラウマになってたからかもしれない。

ーあなたのプライベートな写真がリークされたり、キッズ・チョイス・アワードでのパフォーマンスがストリッパーのポールダンスに例えられたりした時、あなたのご両親はどう対処していましたか?

パパは無視してた。10代の娘を持つ父親の大半と同じように、「その話はしないでおこう」って感じだった。ママはものすごく怒ってたかな。わたしの声と才能を信じてくれてたからこそ、ママはわたしの行動が理解できなかったんだと思う。「一体何やってんの? せっかく才能に恵まれてるのに。あなたは音楽以外のことで注目を集めるのはやめるべき。ストリッパーに例えられるなんてうんざりでしょ?」って言われたの。 

ー初めて書いた曲のことは覚えていますか?

「ピンクとは色じゃなくてアティテュードのこと」「輝きの中の煌めき、目の覚めるような緑色の草」っていう曲がわたしの処女作。アヴリル・ラヴィーンっぽい、ポップロックの曲だった。「真夜中の鬼母」っていう曲もあったな。幸せをショッピングモールで買おうとしてたママのことを歌った曲なの。買い物に何時間も付き合わされて、わたしはいつもマネキンを演じてた。長時間ポーズを取らされてたから、買い物客がゾロゾロ集まってきてた。ママのそういう浅はかなところを歌った曲ってわけ。家に帰ってすぐ日記に歌詞を書いて、ママの前で歌ったらこう言われた。「このリトルビッチ」

ー当時あなたはいくつでしたか?

曲を書き始めたのは10歳の頃くらいだと思う。発表できなかったのは、著作権の問題があったからじゃないかな。どっかのフェアで買った何かにプリントされてた「Pink isnt a color, its an attitude」っていうフレーズをそのまま使ってたから、正式にリリースしてたら訴えられてたはず。これを考えた人は天才だなって思った。しばらくしてBlue Rosesっていうバンドを始めたんだけど、最初に書いた曲は「Pink Isnt a Color」ってタイトルで、メンバー全員ピンクと青の服しか着なかった。それがわたしにとって最初のバンド。全員女の子のガールロックバンドだった。


恐怖感を全部飲み込んで、吐き出してやった

ー『ハンナ・モンタナ』が始まってからも、曲作りは積極的に続けていましたか?

曲はずっと書いてた。『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ2/ミート・マイリー・サイラス』(2007年)の曲は、「7 Things」(2008年作『ブレイクアウト』収録)のコラボレーターと一緒に書いたの。今の自分の尺度で見ても、「7 Things」はすごく真摯な曲だと思う。彼との初めてのセッションで、わたしは元カレのムカつくところを7つ挙げた。それで彼が「じゃあ”7 Things”って曲を作ろう」って言ったの。「フライ・オン・ザ・ウォール」は、メディアに対する苛立ちを表現した曲だった。わたしはその頃すでに、「おかしくなってしまったアメリカン・スウィートハート」っていうレッテルを貼られてたから。「あなたが壁に止まった蝿だったら、どれだけつらいかわかるはず」っていう風に感じてた。世間の目にはグラマラスに映ってたとしても。



ー番組と切り離してポップスターとしての実力を証明するのは、きっと困難だっただろうと思います。

ハンナのイメージがあまりに強かったから、わたしは進化しなくちゃいけなかった。自分はハンナ・モンタナのような成功を収めることはできないだろうって思ってた。リル・ナズ・エックスがパパのことを知ったきっかけは、あの番組だったらしいの。彼は子供の頃に『ハンナ・モンタナ』を観てて、いつかロビー・レイと曲を書きたいって思ったんだって。クィアのキッズたちのアイドルとしてのリル・ナズ・エックスのアイデンティティをインスパイアしたのが、子供の頃のわたしが出てた番組だっていう事実。あとトロイ・シヴァンは、わたしがカミングアウトした「マイ・ハート・ビーツ・フォー・ラブ」を聴いて、自分のセクシュアリティを受け入れられるようになったんだって。



幼かった彼らに自分が大きな影響を与えたって知るたびに、わたしはやっぱりハンナ・モンタナなんだって思い知らされる。マジな話、ハンナ・モンタナは架空のキャラクターなんかじゃない。あれはウィッグを身につけた普通の女の子の話で、要するにわたし自身のことなの。あの番組のコンセプトは素の自分。わたしはその事実を受け入れるしかなかった、架空のキャラってことにするんじゃなくてね。

ーマイリー・サイラスというポップスターとしても、同様の恐怖感を覚えますか? 過去の自分のイメージが常につきまとうということに。そういう恐怖感は克服できたと思ってる。今やってることと、今の自分に自信を持ってるから。わたしが欲してたのは、アーティストとしてリスペクトされること、そして自分の表現に誇りを持てるようなることだけ。それが献身と精励に付随するものだって知ってるから、わたしは本気でやってる。全力でね。

最初のうちは執着してた数字やヘッドラインも、だんだんどうでもよくなっていった。でも世間にもてはやされたり、ニューススタンドのあらゆる雑誌の表紙を飾ったりすると、今でもドーパミンが出るのを感じる。ちょうどいいバランスを見つけたことで、随分と楽になった。恐怖感を全部飲み込んで、吐き出してやったの。


Photo by Brad Elterman for Rolling Stone



ステートメントはもういらない

ー『バンガーズ』以来アリーナツアーを開催していませんが、それは意図的なことだったのでしょうか?

ニーズの問題だと思う。膨大な数の客席を埋めるには、膨大な数のファンがいなくちゃいけないんだから。

ー2017年に『ヤンガー・ナウ』をリリースした後、あなたはツアーに出るのではなく、飼っていた豚とリアムと共に自宅で過ごすことを選びました。当時の生活について教えてください。

2018年の上旬は家事ばかりやってて、当時はそれが心地よかった。今は以前にはなかった、健康的なヴィジョンを持ってるの。自分にしかできないことと、自分が受け入れられることとそうでないことについて、わたしはたくさん学んだから。数年前、わたしは夢のような人生を歩んでると思われてた。でも、それは事実とは程遠かった。ドラッグも酒も、当時つるんでた仲間も、全部不毛で刹那的だった。自分の可能性を最大限に引き出したり、目的を達成するための糧にはならなかった。

ー酒とドラッグに溺れていたのは、家で家事をしていた頃ですか?

そう。『ヤンガー・ナウ』の頃のわたしはピュアだった、とか言われるの。メディアはわたしの精神状態を、髪型や容姿でしか判断しないから。「ロングヘアでブロンドの今の彼女は正常で、ドラッグはやってない。髪を染めるか、脇毛の処理をやめたら、ドラッグをやり始めたということだ」みたいなね。



ーフェミニティと女性に対する、露骨な偏見ですね。

間違いなくね。「結婚した彼女は妻として家事に勤しんでいる」ってわけ。実際にはあの頃のわたしは思いっきり道をそれて、精神状態がかつてなく不安定だったのに。わたしはどんなことでも断言するのが好きじゃないんだけど、今わたしが素面を貫いてるのは、目覚めたときにいつも100パーセントの自分でいたいから。バランスの取り方を学んで節度を保てるようになったら、その時はまた酒を飲むと思う。でも今のところ、わたしはやらかすたびに自分に失望してるから。

毎朝枕の上に座って、親指と人差し指で瞼を抑えながら「酒をやめられますように」って願うなんてまっぴらだから。わたしはやると決めたら徹底的にやる。あの頃のわたしは、本当の自分とは程遠かった。あらゆる面でね。

ー酒を断ったのは自らの意思か、それとも必要に駆られてのことでしたか?

わたし自身の意思。見方によるかもしれないけど。今は自分の目的を達成することが不可欠だって感じてるの。わたしは今、あらゆることに区切りをつけようとしてる。さもないとそれがステートメントになって、継続しなきゃいけないっていうプレッシャーを感じることになるから。「ミッドナイト・スカイ」の「もう2度とない、永遠に」っていうフレーズはそういう意味だと思ってる。ステートメントはもういらない。


曲を書くことは犠牲的行為だと感じる

ー自分にとっての喜びを再定義したということでしょうか?

何かをやめるのは得意なの。そこにマリファナ吸引機があるでしょ。わたしはそれで吸ったことはなくて、中身は満タンのまま。でもそれがもしコカイン吸引器だったら、中身は減ってるかもね。そういうこと。わたしは決して依存してるわけじゃない。欲しかったら吸ってもいいよ、ご自由に。わたしにとって一番の喜びは、自分の可能性を最大限に発揮できてるっていう実感なの。見えない壁を突破した瞬間に、わたしは何よりも興奮する。

ー野火で自宅を失ったことは大きなショックだったと思います。2018年末の時点で、それはあなたの生活にどう影響していましたか?

あれはある意味、わたしが自分でできなかったことを代わりにやったのかもしれない。本来の目的を果たせなくなったものを、ひと思いに消し去ったわけだから。人は溺れそうになったら、自分を救うために救命胴衣に手を伸ばす。結局のところ、わたしにとって結婚はそういうものだったんだと思う。自分を救うための最後の手段ってわけ。

ーあなたが声帯の手術を受ける前に発表した最後のソロ曲「スライド・アウェイ」は、結婚生活の終わりを告げるリアルなステートメントのように思えました。あの曲はいつ書いたのですか?

当時は結婚生活がまだ続いていて、マリブの家に住んでた。だから「丘の上に家を建てたい」って歌ってるの。「ウィスキーもピルもいらない」っていうフレーズは、あそこから出たいっていう気持ちの表れ。あの頃のライフスタイルを、わたしは終わりにしたかったの。アートと暮らしのどっちが先に来るべきなのか、わたしにはわからない。アートは暮らしの模造品なのか、それとも暮らしがアートの模倣なのか。あるいは、ただ口にしたことが現実になってしまうのか。曲で歌ったことが現実になってしまうほど、わたしは力を持ってるってことなのか。



わたしは時々、曲を書くことは犠牲的行為だと感じるの。その曲は誰かを傷つけるかもしれないけど、作り手は少しだけ寂しさを紛らわせられるから。とことん真摯な曲を書くことに、意味なんてあるのかなって疑問に思うこともある。ドリーが言ってたの、あらゆる物語には2つの面があるって。自分の物語を語るとき、それがフェアなのかどうか。そんなつもりじゃなかったとしても、その曲は誰かを傷つける。「エンジェルズ・ライク・ユー」のような曲は、共感できる人ほど聴くのがつらいかもしれない。「わたしが去っていく日、2人が出会わなければよかったのにとあなたは願う」。音楽は犠牲になり得るの。


次の世代のアーティストや博愛主義者たちのために、新たな道を切り拓きたい

ー「ヘイト・ミー」では、自分が死ぬ時のことについて思いを巡らせています。死について考えることは多いのでしょうか?

多かれ少なかれ、誰もが自分がいつか死ぬってことは意識してると思う。生きることと死ぬことについて考えを巡らせるのは、感謝っていう行為の一部だとわたしは思ってる。決して避けられないものを恐れるなんて、時間の無駄でしかないから。人生のあらゆる瞬間を意義のあるものにしようと、わたしは必死で努力してる。不安や嫉妬、怒り、悔しさとかを伴ったとしても、結果的にそれが自分を癒してくれることを知ってるから。



わたしが禁酒したり誘惑に負けたりを繰り返してたのも、そのことと大いに関係してた。とことんいい気分になって、その瞬間を思いっきり楽しみたいけど、記憶をなくすほど酔いつぶれることが人生を謳歌するってことだとは思わない。「生き急ぎ、若くして死ぬ」っていうのに、わたしは興味がないから。わたしは自分の限界に挑戦したい。この肉体に閉じ込められた魂をできる限り柔軟にすることで、自分の枠を押し広げたい。音楽はその手段だと、わたしは思ってる。

今日みたいな日には、そういうのを実感できるの。今日は「プリズナー」の公開日で、アルバムのリリースが目前に迫ってることを肌で感じてるから。わたしの肉体じゃなくて魂が、これまでとは異なる方向に広がっていこうとしてる。放っておくとどこかに飛んでいってしまいそうになるから、確固たる何かで自分を押しとどめてないといけないんだけど、それって生半可なことじゃないの。いろんな意識によって体があちこちに引っ張られる感覚って、それぐらい強烈だから。

ーどのような形で人々の記憶に残りたいと思いますか?

次の世代のアーティストや博愛主義者たちのために、新たな道を切り拓きたい。デビー・ハリーがそうだったようにね。それまで存在しなかった何かを確立したり、誰も求めても欲してもいなかったけど、一旦知ってしまえば2度と手放せないようなものを生み出したい。それがアーティストとしてのわたしの野望。

でも自分が誰かの記憶にどんな形で残りたいかなんて、見当もつかない。手のつけられない娘かもしれないけど、わたしは家族のことをすごく大切にしてる。自分が本当に欲しているもののために、わたしは戦い続けてるつもり。それは権利の主張や不正の是正、Happy Hippie Foundationでの活動だったりする。願わくば、常にそれがわたしにとってのプライオリティであって欲しい。道を切り拓くパイオニアでありたいけど、まだやれてないことがありすぎるから、今それを言葉にするのは難しいかな。自分が人の記憶にどんな形で残りたいかを説明できないのは、わたしが思い描いてることがまだ実現してない証拠だから。

from Rolling Stone US

<INFORMATION>


『プラスティック・ハーツ|Plastic Hearts」』
マイリー・サイラス | Miley Cyrus
ソニーミュージック・インターナショナル
2020年11月27日 配信・輸入盤発売
2020年12月16日 日本盤CD発売
●SICP-6368 / ¥2,200+税
●歌詞・対訳・解説付き
●初回仕様限定封入ポスター付き ※日本盤CD初回生産分限定

1. WTF・ドゥ・アイ・ノウ
2. プラスティック・ハーツ
3. エンジェルズ・ライク・ユー
4. プリズナー feat.デュア・リパ
5. ギミー・ホワット・アイ・ウォント
6. ナイト・クローリング feat. ビリー・アイドル
7. ミッドナイト・スカイ
8. ハイ ...プロデューサー:マーク・ロンソン
9.ヘイト・ミー
10. バッド・カルマ feat. ジョーン・ジェット ...プロデューサー:マーク・ロンソン
11. ネヴァー・ビー・ミー ...プロデューサー:マーク・ロンソン
12. ゴールデン・G・ストリング
13. エッジ・オブ・ミッドナイト (ミッドナイト・スカイ・リミックス) feat. スティーヴィー・ニックス
★14. ハート・オブ・グラス (ライヴ・フロム・ザ・iHeart Music Festival)
★15. ゾンビ (ライヴ・フロム・ザ・NIVA・セイヴ・アワー・ステージズ・フェスティバル)
★16. フー・オウンズ・マイ・ハート (ライヴ・フロム・ザ・iHeart Music Festival)☆
★...日本盤 CD&配信アルバム限定ボーナストラック(輸入盤には収録されていません)
☆...日本盤 CD 限定ボーナストラック(輸入盤・配信アルバムにも収録されていません)

購入リンク
https://lnk.to/MCPlasticHeartsRS
 
●マイリー・サイラス 海外オフィシャル・サイト:  
https://www.mileycyrus.com/

●マイリー・サイラス ソニーミュージックによる日本公式サイト:  
https://www.sonymusic.co.jp/artist/mileycyrus/

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