1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

メイド・イン・ジャパンは誰をエンパワーしたのか? 日本の楽器メーカーがもっと誇るべき話|2020年ベスト

Rolling Stone Japan / 2021年1月3日 16時45分

スヌープ・ドッグとドクター・ドレー。1994年、ニューヨークで撮影(Photo by mark peterson/Corbis via Getty Images)

2020年(1月~12月)、Rolling Stone Japanで反響の大きかった記事ベストを発表。この記事は「音楽部門」第5位。自分たちの困難と、そのなかで感じている苦しみや辛さを音楽として表現するためには、それまでにはない「新しい声」が必要になる。東の果ての島国からやってきた、性能がよくて安価で、西洋の歴史性を背負っていないツールは、理想的な武器だった。もしかしたら、日本のプロダクトは理念的にはずっと「デモクラティック(民主的)」なものだったのかもしれない。テクノロジー・ビジネス・音楽・出版など世界の最前線に触れてきた編集者、若林恵(黒鳥社)による楽器メーカーのもっと語られるべき話。

※この記事は2020年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.10』の特集企画「いまこそ『楽器』を」に掲載されたものです。

●【画像を見る】ジミヘンからプリンスまで、ミュージシャンたちが愛した歴史に残るギターの名器20選


既存のヒエラルキーを壊すために

「君たち日本人は、日本の楽器メーカーがどれだけ世界を変えたのかわかってなさすぎる。 YAMAHA DX7やROLAND TR-808、あるいはAKAI MPC1000……自分たちがそういう楽器を生み出したということに、もっと誇りを持たなきゃダメだ」。ある外国人にこんなふうに怒られたことがあるんですけど、これを言ってくれたのはルーク・ウッドさんという人で、この人が何者かというと、Beats by Dr. Dreの社長さんなんです。なので続けて、「そういう特集を雑誌でやるべきだ。そのときにはドクター・ドレーとかつないでやるから!」と言ってくれたんです。結局まだ実現できてないんですが、いつかやりたいんですよね。「音楽を変えた日本の楽器」って、Netflixのシリーズにでもなると思うんです。

この叱咤は、自分のなかにずっと残っていて、それは「戦後日本のものづくりなりビジネスが世界に一体どんな価値をもたらしたのか」という話でもあるんです。日本はとかく「技術立国」だとか言って技術力が世界に支持された理由だ、とずっと言ってきましたし、自己認識としても、そう思っちゃってるところがあるんですけど、ルークのことばにハッとさせられたのは、実はそういうことではなかったのではないか、と気づかせてくれたからなんです。結論から言っちゃうと、日本のものづくり、ここでは楽器に絞って言ってもいいんですけど、その価値は、「それまで声を持てなかった人たちに声を与えた」ということのような気がするんです。要はエンパワーメントということです。そこ、実は日本人のほとんどが気づいていないんです。

唯一ただ一人、それを価値として、ビジネスとして展開できた人がいたとしたら、自分が知っている限りでは楽器メーカーの「ESP」やDJ機器メーカー「Vestax」を創業した椎野秀聰(ひでさと)さんなんじゃないかと思います。1947年生まれの椎野さんは、ウッドストックに大きな衝撃を受けた世代なんですが、椎野さんが、ウッドストックの何に一番衝撃を受けたかと言えば、それがある意味で強烈な民主化運動だったところだそうです。音楽の訓練をまったく受けていないような若者が、自由に自己表現ができる。ロックというのは、それまで非常にハードルの高かった「器楽演奏」というものを、あらゆる人に解放したわけです。

それまでの音楽というものは楽器自体が高額だったこともあって、必ずしも「誰でも」アクセスできるようなものではなかったわけですよね。たとえば「家にピアノがある」ということは──僕の世代でこそ、ヤマハのような会社のおかげである程度、それなりに行き渡っていましたけど──ある時期までは裕福な家庭のステータスシンボルだったわけじゃないですか。楽器代のほかにも授業料やレッスン料が必要となるという意味では、音楽へのアクセスは経済的に豊かな人に限定されていたわけですが、ギターが電子化されて大量生産品になり安価になっていくことでどんどんアクセシブルなものになっていくわけです。つまりエレキギターというのは、それまで音楽から排除されてきた人たちが、従来のヒエラルキーを壊すためのツールというか「武器」だったんですよね。


プリンスが愛したエレキギター「Mad Cat」を製造したギターブランド、H.S.Andersonを立ち上げたのも椎野だった(写真は"プリンス、ストリーミングで聴ける後期の傑作10曲"より Photo by Kevin Winter/Getty Images for NCLR)

椎野さんは、それに感化されて、フジゲン(当時・富士弦楽器製造)という会社で、レスポールのすごく安価なコピー・モデル「Greco EG360」をつくり日本中で流行らせました。「日本のジミー・ペイジ」として知られたドクター・シーゲルこと成毛滋の教則カセット・テープを付録にして、深夜ラジオで広告を打ち、エレキギターがすごくヒップなものなんだという認識を世の中に作り出したわけです。ロックが「反体制の音楽」であると言われるのは、必ずしも反政府ということばかりではなく、実は、エレキギターというものを通じて、それこそ音楽学校に通ったり、家庭教師をつけなくてもお小遣いを貯めて楽器を買って、コードを3つ覚えたら、好きに演奏もできて曲だって書ける、ということを世界に知らしめたからなんです。それまで音楽なんていうのは自分とは関係のない世界のものだと思っていた人たちに、「なんだ、おれらがやってもいいんだ」と思わせたこと。エンパワーメントってそういうことですよね。

MTRと「録音」の民主化

で、エレキギター以降の楽器も、特に電子楽器は、同じようにそれまであった音楽をめぐるヒエラルキーを壊し、民主化を起こしていくという形で、音楽の中身そのものにも作用していくことになります。椎野さんは、Vestaxを創設後には、4トラックや8トラックのMTRなども製品化していきますが、そこにあった理念は、エレキギターと同じで、音楽を「みんな」に解放するというところでした。エレキギターでは「楽器」へのアクセシビリティを高めた。そして次に椎野さんが必要だと考えたのは、「録音」というものへのアクセシビリティを高めることだったわけです。Vestaxは、本社内にアマチュアバンドでも使えるレコーディングスタジオを持っていたそうで、いまとなっては当たり前のことのように聞こえますけど、それをいち早くやれたのは、やっぱり「音楽をみんなに解放する」という理念が成せるわざだったと思うんです。


Vestaxによる4トラックのカセットレコーダー「MR44」

MTRと録音の民主化ということで言えば、US版『WIRED』の元編集長のクリス・アンダーソンも同じような話をしていて、彼は『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』という本のなかで3Dプリンターなどのデジタルファブリケーションツールを用いた「製造の民主化」を謳ったんですが、彼自身がそのDIY精神をどこで培ったか、というとバンド活動を通じてだったと証言しています。というのは、彼は学生時代をワシントンDCで送り、バンドマンとして、いわゆる80年代の「DCパンク」のシーンのど真ん中にいたんです。70年代後半〜80年代のDCの草の根的なDIYなパンクシーンをドライブしたのは、彼に言わせると、4トラックのMTRとゼロックスのプリンターで、それらの普及によって誰でも音源を録音し、ライブのチラシを作れるようになったのだと言うんですね。3Dプリンターのような技術を使って製作者が好きなものを作ることで、新たな「メーカー」になるという可能性、その基本的な思想を、彼は音楽から学んだと明確に語っています。ハードウェアの価格が下がりアクセシビリティが高まったことでこれまで入って来れなかった人たちも参入し、新しいアイデアを持ち込んでいくことで、「なにかをつくる」という行為がどんどん拡張していく。まさに音楽で起きたことが、彼は製造業で起きることを夢見たわけです。

「誰でも何かをつくれる」という世界をつくりたいという夢を描いて巨大化した企業といえばアップルでしたよね。スティーブ・ジョブズは「マッキントッシュ」に「クリエイティビティの解放」という夢を授けたわけですが、ジョブズも椎野さんも60年代のロックの影響を受け、そのエトスを引き継いだという意味ではとても似ているんだと思います。

ところが、椎野さんが想定していたような「創造性の解放」は実は日本ではなかなか起きなかった、というのが椎野さんの見立てで、本当はみんなが楽器を手にするようになったら、みんなが誰も聴いたことのないような新しい音楽をつくり始めるんじゃないかと期待してたら、案外多くの人が「コピーバンド」に走ってしまったわけです(笑)。それはそれで楽しいからいいんですが、誰かのモノマネをするために武器を渡したんじゃないぞ、との思いがあったんじゃないかと思います。

そんな時に出てきたのが、ヒップホップという新しいカルチャーでした。ヒップホップのDJたちはそれこそ、楽器はなくとも、ターンテーブルという装置さえあれば音楽をつくり出せることを証明したわけですね。で、椎野さんはすかさず、それに反応するわけです。「誰もが好きに音楽を作れるようになる」という期待を、彼は70年代後半に勃興しはじめた新しいカルチャーのなかに見出して、そちらに踏み込んでいくことになります。結果として、Vestaxという会社は、世界のDJカルチャーを支える最重要ブランドに成長していくことになるわけです。DJ機器を作り始めたあとのVestaxのタグラインって「Give DJs What They Want」だったんですけど、いまのことばで言えば、これ「アーティスト・ファースト」ってことなんですよね。言うはやすしですけど、これを標語に掲げて、その約束を守り続けた日本のメーカーって、やっぱり稀有だと思うんです。

歴史のない音、誰のものでもない音楽

そもそも日本の楽器メーカーは、世界の楽器メーカーのヒエラルキーのなかでいえば後発も後発ですし、西洋のものですらないわけです。「ストラディヴァリウス」や「スタインウェイ」といった欧米の名門工房が権威としてヒエラルキーの頂点にある。そんな世界に、日本のような非西洋国から数多くのメーカーが生まれ、それなりの規模の産業へと育っていくことがどうして可能だったのか実は謎ですし、どういうモチベーションだったのかもよくわからないんですが、とはいえ、非西洋の国でこれだけ楽器メーカーをもっている国って、他にないんですね。しかもそれが今となっては世界中で売られ、弾かれているんですよ。よくよく考えると、おかしいじゃないですか(笑)。で、さらにおかしいのは、日本人はほとんど誰一人それをおかしなことだと思ってないことなんですよ(笑)。クルマや家電はわかりますよ。国が貧困から抜け出して行くためのテコとしてそうしたものを国産で賄おうと考えるのは国の経済政策としては真っ当だとは思うので、そのモチベーションはわかるんですけど、楽器ですよ?(笑)。意味不明なんですよ、ほんとは。

加えて、日本の楽器メーカーは、西洋的な音楽の伝統のなかにそもそもいませんから、西洋の伝統的ブランドと比べるとはるかに身軽なはずですし、自由度も高かったはずなんですね。ですから、国全体としてエレクトロニクス技術が向上していくなかで、新しいチャレンジをどんどん試みることができた。浜松の駅前に楽器博物館っていうのがありまして、そこに世界中のさまざまな楽器が展示されているんですが、そこで一番面白いのは、戦後の日本の楽器メーカーが手がけた電子楽器のコーナーで、初期のギターシンセとか相当に珍妙なもので、笑っちゃうとともに、日本のメーカーのクリエイティビティの高さ、自由奔放さがよくわかるんです。



で、そうしたある種の身軽さのなかで、日本は電子楽器にどんどん取り組んでいくことになるんですが、そのなかで、やはりひとつのエポックとなったのはおそらくYAMAHA DX7というもので、これは最初期のデジタルシンセサイザーなわけですが、当時デジタルシンセといえば、それこそフランク・ザッパが『Jazz From Hell』で使ったシンクラヴィアは値段が1億円とかまことしやかに言われていましたし、ケイト・ブッシュが『Hounds of Love』で使ったFairlight CMIも相当に高価だったと聞きますから、要は、限られた超一流のアーティストしかアクセス権がなかったわけですね。ところがヤマハのDX7って、当時の定価が24万8000円だったそうですから、まあ、もちろん楽器として安くはありませんが、シンクラヴィアと比べたら桁が3つ少ないわけですから、やはり画期的だったわけですね。80年代にはヤマハやローランド、KORGなどが一緒になってMIDIの規格を作ったように、日本の企業が音楽のデジタル化を牽引し、その結果、やれることは無数に広がりながら、制作のコストはどんどん下がっていったわけです。

またDX7に先駆けて、1980年にはローランドのTR-808が発売され、「808」に代表されるドラムマシンの音色は、ヒップホップ〜トラップなどでいまでもよく耳にしますけど、デトロイト・テクノにも大きな影響を与えるなど、テクノミュージックの不可欠な要素のひとつにもなっていくわけですよね。


"伝説のドラムマシンTR-808が起こした、ポップス史における8つの革命"より(Photo by Courtesy of Atlantic Records)

テクノについて自分はそんなに詳しいわけではないんですが、ベルリン在住のある先生が教えてくれたことがとても印象に残っていまして、それはどういう話かというと、ベルリンの壁の崩壊後にテクノミュージックが果たした役割の大きさについてなのですが、テクノが重要だったのは、それが歴史性のないものだったからだ、と言うんですね。

どういうことかと言うと、これは一部自分の解釈が入ってしまうんですが、1991年のベルリンの壁の崩壊は、同じベルリン市民でありながら、それまで40年近くに渡って互いに相手の生きている環境を「悪魔に操られた地獄のような生活」だと吹き込まれてきた人たちが、いきなり今日から一緒に暮らしていく状況をもたらしたわけです。当然それは簡単なことではなく、いまだにドイツでは東ベルリン側への差別があるとも聞きます。南北朝鮮がいきなり統一して、南北の人びとが一緒に暮らしていくことを想像すれば、その大変さは想像できるかとも思うんですが、要は経済力も文化も習慣も思想もまったく違うわけです。

そういう非常に混乱した社会のなかで、東と西の人間が、お互いの歴史性や文化性をいったん脇に置いて出会うことのできる中立的な空間が重要な意味をもっていて、その役割を果たしたのがクラブだったというんです。そして、そこで鳴らされていたのは、非人間的であるがゆえに歴史的にも文化的にも中立的だったテクノミュージックだった、と。機械によって作られた「歴史性を背負わない音」であることがそこではとても重要で、そのときに、その音楽を生み出す楽器が、ある意味第三者的で中立的な、非西洋国によってつくられたことは、もしかしたら大きな意味をもっていたのかもしれません。

自分たちの困難と、そのなかで感じている苦しみや辛さを音楽として表現するためには、それまでにはない「新しい声」が必要になるわけですが、そのとき、誰かが使い回して、そのコンテクストがこびりついてしまったものではない、新しいツールが必要になるわけですよね。楽器がエンパワーメントになるというのは、そういうことじゃないですか。インターネット世代が自分たちの新しい感情を発露するためにはパソコンやAbletonのようなツールが不可欠であることとそれは同じだと思うんです。


テクノの重鎮、オービタルのセットに設置されたRoland Jupiter 6。1991年、ロンドンで撮影(Photo by Martyn Goodacre/Getty Images)

NARUTOはいかにナイジェリア人を勇気づけたか

日本人は自分たちが、ある独特なやり方で、世界のなかで「声」を持てずにいる人たちにさまざまなツールを授けてきたということに、実はあまり気づいていなくて、恥ずかしながら自分も実はそうだったんです。冒頭のルークさんのお叱りは、それに気づかせてくれるきっかけだったんですが、もうひとつ大きなきっかけがあって、それは、『WIRED』日本版という雑誌でアフリカの特集(2017年VOL.29「ワイアード、アフリカにいく」)をやったときにナイジェリアに取材に行った編集部員から聞いた話なんです。

彼が、ナイジェリアで漫画を描いてるコレクティブに取材していたら、彼らが『NARUTO』の大ファンで、日本の漫画が大好きだと言っていたそうで、なんで日本の漫画が好きなのかと問うと、彼らはこう答えたというんです。「日本の漫画やアニメと出会うまで、『主人公は金髪の白人じゃなきゃいけないんだ』と思っていた。でも、日本の漫画を見て始めて『そうでなくてもいいんだ』『日本人が主人公でもいいんなら自分たちでもいいんだ』って気づいた」

この話、結構感動しちゃったんですね。コミックという表現チャンネルは、アメリカの金髪の白人にしかアクセスができないもので、そこに自分たちは入っていくことは許されていない、と彼らは思っていたわけですが、日本人はおそらくそんなこと思ったこともないし、漫画というものが入ってきたごく初期から、ずっと日本人が主人公のものをつくってきたし、なんなら主人公が学校一のいじめられっ子やすぐにお尻を出す小学生やサッカー少年が「国民的漫画」のヒーローとして認知されていたりするわけですよね。それは日本では、ごく当たり前のことなんですが、そのナイジェリアの若者たちの話を聞いて思ったのは、世界ではもしかしたら、そこまで当たり前のことではなかったのかも知れませんし、ともすれば誰も思いつきもしなかったことだった可能性すらあるのか?ということなんです。だとすると、日本のそうしたコンテンツというのは、実は彼らに、それまでとはまったく異なる視野を与えたことになりますし、大げさな言い方をするなら、コミックという武器を、彼らのものとして、彼らに与えたということにもなるわけです。それって、本当にすごいことだと思うんです。日本が世界にもたらした価値って、実は、世界で声を持てずにいる人たちに、彼ら・彼女らが自分なりの「声」を発見することを助けたということでもあるわけですから。


テクニクスのターンテーブルを操るアフリカ系の何者か。1988〜90年、オックスフォードで撮影(Photo by Universal Images Group via Getty Images)

そうやって考えると、AKAIのサンプラーMPC1000や、テクニクスのターンテーブルがもたらした価値の大きさは、さらに大きくなるように思うんです。これまで、「人がクールだって言ってくれるから”クール”って言って売り出そう」みたいなことしか言えてこなかった日本のコンテンツ産業やメーカーは、自分たちがやってきたことの重さ、価値の大きさを、そういう観点からもう一度定義し直した方がいい気がします。そして、そのなかに日本の楽器産業をちゃんと位置付けて、それがいかに巨大な文化変容を世界にもたらしたかを、もっと誇りに思うべきだし、そのことをもっと自慢して発信してもいいように思うんです。

メイド・イン・ジャパンはデモクラティック

音楽の話からは少し遠ざかりますが、2009年にユニクロとジル・サンダーが提携して新しいライン(+J)をつくった時に、ジル・サンダーが日本で会見を行なったことがありまして、いまだによく覚えてるのですが、「なぜユニクロと組むことにしたのか?」という質問に対して、彼女は「ユニクロの服はデモクラティックな服だと思う」と即答したんですよ。それに結構感動したんですよね。というのも、ユニクロの服って「安いわりにものはいい」っていう認識だったからなんですが、これって、別に自分だけじゃないと思うんです。自分は、その言葉を聞いて、なんでユニクロは自分の口から、それを一度も言ったことがないんだろうって思ったんですよね。

ユニクロが海外で人気の秘密は、実は、それが「デモクラティック」だと認識されているところが大きいんじゃないかと思うんです。というのも、欧米のファッションって基本的に、価格帯がそのまま階級のヒエラルキーに対応していて、本質的には階級格差というものと強く結びついているように思うんですね。ところが、日本人にとって、洋服というものはデモクラシーという概念と同時に入ってきたものなので、洋服を着ることが即、それまでの身分制度からの解放を意味していたわけですよね。なので、ハナから日本の服はデモクラティックであり得たんだろうと思うんです。ジル・サンダーは、それをしれっと「民主的」ということばで価値づけしたわけですが、それが価値であるということは、そのあり方が逆に言えば稀なものだからなんですよね。

ところが、日本人自身はあんまりそのことがわからないんですね。というのも一億総中流を目指して経済成長した国では、クルマも家電もそれこそ洋服も「みんなに行き渡る」ことがおそらくは大事とされてきたからで、そこでは金持ち向けとか貧乏な人向けといったセグメントが存在しないんですよね。そういう設定をすることがはしたないみたいな感覚すらあるような気もします。だから、なんとなく、貧しい人も着るけど、金持ちも着るという状況設定が自明のものとしてあるように思うんですが、これが欧米に行くと、ちょっとした驚きになるわけですよね。

そう考えると洋服に限らず、クルマだって、家電だって、楽器だって、日本のプロダクトは理念的にはずっと「デモクラティック」なものだったのかも知れません。で、実は、海外ではそれが非常にラジカルなメッセージとして届いていた気がします。西洋の根強い既成の価値観みたいなものを、自分たちも気づかないうちに壊していた可能性があって、しかも、そうしたディスラプションが、アフリカの若者までをも勇気づけていたかもしれないわけです。


ヒップホップがいかに求められていたのかを示す写真。観客が待つのはウルトラマグネティック・MCズ。1989年、ロンドンで撮影(Photo by PYMCA/Universal Images Group via Getty Images)

21世紀の楽器スタートアップ

日本の楽器産業っていうのは、こうして考えてみると、21世紀のビジネスにおいて重視されているようなコンセプトを、長いこと体現してきたように思うんです。椎野さんのVestaxは「創造性の解放」「クリエイティビティの民主化」という意味で、スティーブ・ジョブズがアップルに注ぎ込んだ理念と完全に響き合っているわけですし、YAMAHA DX7やROLAND TR-808、あるいはAKAI MPC1000といった楽器は、言うなれば「インクルージョン」とか「ダイバーシティ」をエンパワーするためのツールであったわけです。同時にそれは、クリス・アンダーソンが語っていたように、メーカームーブメントを受けて徐々に広がり続けているハードウェアスタートアップのDIY精神の源流にも連なるもので、なんなら、日本の楽器メーカーは、新しい楽器スタートアップのモデルですらあるのかもしれません。

実際、楽器スタートアップというのは面白い領域で、最近では中国のエフェクターのメーカーがかなり大きなシェアを取りはじめているとも言われていますし、フィンランドのTeenage Engineeringは、おもちゃ的な小さなモジュラー・シンセを作るスタートアップだったのが、いまではかなり大きくなっています。映画『ラ・ラ・ランド』のなかで、ジョン・レジェンド扮するキースというミュージシャンが弾いているSeaboard RISEという、すごく変わったシンセサイザーがありますが、あれを作っているのもROLIというロンドンのスタートアップ企業です。開発者のローランド・ラムはジャズピアニストで10代の頃に日本の寺に修行に来て、僧侶になろうとしたこともあるという変なキャリアの持ち主です。




知人から聞いた話ですが、ある時期からゴルフの世界では「地クラブ」というものがずっと流行ってるそうなんです。この場合の「地」は「地酒」と同じ意味の「地」なんですが、大きなメーカーに勤めていたクラブ制作者が独立して始めた、要はスタートアップなんです。野球のグローブなんかでも同じような現象は起きていて、高校野球を本格的にやっている学生さんとかも最近はそういうところでグローブをつくっているとかで、「半年先まで予約が取れない」というようなことすら起きているそうなんです。

そう聞いたとき、「それってメーカームーブメントじゃんか!」と思ったりしたんですが、いままでそういう工房や職人は、「スタートアップ」ということばではあまり認識されてこなかったですし、メーカームーブメントのコンテキストでもほとんど語られてきてないんですよね。でも本当は、彼らも、そういう文脈で語ってもよいのではないかと思うんです。そして、そのなかで楽器というものも、新しい音、新しい声を生み出していくことができるんじゃないかと思うんです。日本は、そうした観点からみると、一大楽器スタートアップ国なわけで、ここまで長々としゃべってきた通り、文字通り世界を変えてきたわけです。もしかすると他のどんな業界よりも大きな変革を世界にもたらした可能性すらあるわけですから、その、誇るに足るレガシーをですね、まずはちゃんと日本のビジネス空間において定義すべきだと思いますし、加えて面白い優秀な若い子らが、それをいいかたちで引き継いでいってほしいな、と思うんです。アメリカからアフリカまで、世界中のストリートで声なき声を秘めて生きる来るべきクリエイターを直接的にエンパワーできるビジネスなんて、ほかにそんなにないと思うので。


【若林恵によるコラム】
●2020年代の希望のありか:後戻りできない激動の10年を越えて
●メンタルヘルス問題から考える、産業から解き放たれた音楽の役割



若林恵
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店)。責任編集『NEXT GENERATION GOVERNMENT』(黒鳥社/日本経済新聞出版社)。

「blkswn jukebox」と題して気になる新譜を黒鳥社のSNSで毎日紹介、連動したポッドキャストもApple Podcast、Spotifyなどで配信中。
https://lnkfi.re//blkswn-jukebox

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください