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ローリン・ヒルが語る、アーティストの「名声」と「自己犠牲」

Rolling Stone Japan / 2021年1月20日 17時45分

ローリン・ヒル(Photo by Anthony Barboza/Getty Images)

90年代末のローリン・ヒルの軌跡は、ポピュラー音楽における物語そのものだった。彼女は女優、そしてザ・フージーズ(2作目にして最終作『ザ・スコア』は90年代屈指の名盤として知られている)のメンバーとして、その名を広く知られることとなった。

そして彼女は22歳の若さで、ソロ活動という大胆な行動に出た。1998年にリリースされた、彼女の滑らかな歌声と強烈なライムに満ちた『ミスエデュケーション』は、ダンスフロアや各ラジオ局、そしてMTVを席巻した。ヒルは音楽以外の面でも脚光を浴び、ファッションアイコンとしても崇められた。映画出演のオファーも次々に舞い込んだが、彼女はそれらを辞退する。

『ミスエデュケーション』はグラミー賞5部門を受賞し、その後は長期に及ぶツアーも行われた。しかし2000年代初頭の時点で、ヒルは名声に背を向け、シーンからほぼ完全に姿を消してしまう。彼女は同作以降スタジオアルバムを発表しておらず、フルレングスの作品としては2002年リリースの『MTV Unplugged No. 2.0』が最後となっている。同作で彼女は新曲群をアコースティックスタイルでプレイしていたが、オーディエンスの反応は鈍かった。

しかし、『ミスエデュケーション』の魅力は今なお色褪せていない。発表から20年が経った現在でも、同作は音楽史に名を残す名盤として記憶されており、昨年秋に本誌の読者投票に基づいて決定された「歴代最高のアルバム500枚」では10位にランクインした。同作に収録された曲の多くは今もシーンと共鳴しており、シングルカットされた「エックス・ファクター」はドレイクやカーディ・B等のヒット曲でサンプリングされている。また、同作が後続のアーティストたちに与えた影響は計り知れない。リアーナからセイント・ヴィンセントまで、多種多様なアーティストが同作にインスパイアされたと語っている。

『ミスエデュケーション』の発表以降、彼女は数多くのトラブルを経験してきた。同作のリリース後、彼女は自分たちの功績が正当に認められていないと主張するコラボレーターたちから訴訟を起こされる。詳細は明らかにされていないが、両者は3年後に和解している。また2012年に、彼女は脱税の罪に問われ、3カ月間にわたって収監された。最近ではツアーに出ることも増え、不定期に楽曲を発表してもいるが、活動の柱となっているのは今なお広く愛されている『ミスエデュケーション』の再現ライブだ。

本誌の「500 Greatest Albums」ポッドキャストの最新エピソードで、貴重なインタビューに応じたミズ・ヒルは、『ミスエデュケーション』の制作過程とそれ以降の出来事について語ってくれた。Eメール形式で行われたインタビューで、彼女は家族を守らねばならなかったことや、アルバムのプロモーション期間以降はほとんどサポートを得られなかったことなどについて率直に語っている。

【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選で10位にランクインした『ミスエデュケーション』



最もクリエイティブになれたのは妊娠期間中だった

ー『ミスエデュケーション』の制作に着手した頃、あなたはまだ22歳でありながら、ザ・フージーズのメンバーとして巨大な成功を収めていました。あなたは同作で何を成し遂げようとしたのでしょうか?

自分の存在を証明するという意味では、後で語られることになる広義でプライベートなストーリーの方がわかりやすいと思うけど、『ミスエデュケーション』で成し遂げたかったのは、フージーズと同じぐらいの成功を収めることだった。私がソロでやりたいっていう意向を表明した時、支えてくれるべき組織や人々からものすごく反対されたり抵抗されたりしたこともモチベーションになった。でも私がやりたかったのは、自分の力を証明するということよりも、自分がこの目や耳で感じ取りたいと願うものを自ら生み出すことだったの。この世界に存在すべきアイデアや概念やコンセプトがあり、私は見定めた方向へと進んでいった。当初は他のプロデューサーやアーティストと組むつもりだったけれど、私の頭にあった言葉や音が当時としてはあまりに特異で、それを形にするには別の人々が必要だった。より慣例的なやり方で生み出さなくてはいけなかったの。結果的にあの作品に関わることになった人々は、何もないところから曲が生まれていく過程を見届けた。とてもユニークで、エキサイティングな経験だったわ。



ー自分が最もクリエイティブになれたのは妊娠期間中だったと、以前あなたは話していました。その経験は、ソングライターとしての自分にどういった影響を与えたと思いますか?

大胆な発言だけど、妊娠期間中は基本的にそっとしておいてもらえたから。普段何かと要求してくる人々も、私が妊娠している間だけは気を遣ってくれてた。そういう平穏さの中で、私は自分がよりクリエイティブになれるのを感じていたの。『ミスエデュケーション』を作っていた時に、私は第一子を妊娠していて、とても複雑な状況に置かれている中で、私自身とお腹の中の子供が必要としていた平穏と安全を得るためにはどうすればいいかを必死で考えた。その経験は確実に、自分の可能性を押し広げてくれたと思う。それが自分を救うためでしかなかったなら、私はきっと身代わりを立てていたわ。その頃に、私の第一子の父親で、当時は家族を守ってくれる存在だったローハン・マーリーも世間から注目されるようになった。私が何かを生み出すのを妨害する人々や権力から、彼は身を呈して私を守ってくれていたの。

その頃は特に、私はポジティブな変化を先導する存在になりたいと思ってた。あらゆる曲の歌詞には、私たちのコミュニティが自ら未来を閉ざすことをやめ、内部と外部の障害を特定した上で立ち向かい、変革の引き金となる他者と自分に向けた愛の本当の力に気づいて欲しい、そういう思いが込められてた。そういう気持ちで歌うことで、私はその喜びと快感だけでなく、それまでの人生で経験した失望や苦難、それに教訓を分かち合おうとした。私は若き賢者として歩み始めたの。


今でも疑わしき慣習には従わない

ー今振り返ってみて、『ミスエデュケーション』はあなたが思い描いていたレコードになりましたか?

私はアーティストとしての自分に対して常に厳しくあり続けてきたから、思い通りにならなかった部分はもちろんあるけれど、あのアルバムに込められた愛と情熱、それに意思は揺るぎないと思ってる。私の目的は、自分たちが手にしているものが誰かの犠牲の上に存在していることを、音楽や社会や政治における先人たちが悟るきっかけになったものを提示し、私たちがその真実の元に、誇りと自信を持って歩んでいくべきだと伝えることだった。あの頃の私は、それが自分の義務であり責任だと感じてた。黒人のコミュニティにおける経済や教育の質の格差を目の当たりにして、私はまだすごく若かったけれど、音楽というプラットフォームを通じてそのギャップを埋め、「私たち」が求めていることにさえ気づいていなかった概念と情報に触れる機会を作ろうとした。「私たち」というのはもちろん概念的な意味合いよ。そういったことは私にとって大きな意味を持っていたし、それは幼い頃から変わっていなかった。

また、あのアルバムは当時受け入れられやすかった型やクリシェに収まらなかったと思う。私は既成概念に挑戦し、新たなスタンダードを提示した。『ミスエデュケーション』はそういうレコードだったし、私は今でも疑わしき慣習には従わない。大きな資本を後ろ盾として確立されていた機能不全の体制を相手に、私はより迅速かつ大きな志を持って行動しなくてはいけなかった。かつて抑圧されていたものに宿る美に光を当て、異なる文化のパラダイムが共存しうることを証明しようとした私は、持たざる人々のために解決策や選択肢を提供するのではなく、社会秩序を乱す存在と見なされた。体制に対抗するために、目にもとまらぬ速さで動き続けなくてはならなかった私と家族は、常に大きな緊張感に晒されていた上に、世間から理解してもらえなかった。私は自分の人生を犠牲にしてでも、それまで手の届かなかった何かを人々に知ってもらおうとした。でも私が犠牲にしたものを人々が理解できずにいると知った時、私はそこから退き、自分と家族の身を守らなくてはいけなかった。私は今でもそれを続けているの。



ーアルバムは過去にほとんど例を見ない形で文化に浸透し、あなたを国民的スターの座に押し上げました。世間からの注目に、当時のあなたはどのように対処していましたか?

スターダムを満喫する一方で、それを苦痛に感じていたのもまた事実ね。多くの人は自分の作品と犠牲が世間に認知され、評価されることに喜びを覚えると思う。私はそれを手にしたけれど、現実から乖離することなく、人々に大きな影響を与える作品を生み続けようとするすべてのアーティストにとって、地に足のついた生活を送るというのは不可欠なことなの。人々が「スター」を崇める「空間」においては、それは簡単なことじゃない。

自分に向けられる賞賛に対する抑制と制御、それが私を支えてた。理想的なバランスと明瞭さの確立、そして禁欲の実践というのは、誰もが容易にできることじゃない。例えば、何にでもイエスと答えるのはいいことではなく、スターダムを経験するとそれを余儀なくされる思われがちだけど、本音がイエスであるにも関わらず、イエスマンだと思われたくないがためにノーと答えるのは馬鹿げてる。答えがノーなのに他人を失望させまいとイエスと答えることは、自分を映し出す鏡を歪ませてしまう。一方で、明確なヴィジョンを持っている人は世間のずっと先を行っているから、後に自分が間違っていたことを認めることになるのを恐れる人々から断固たるノーを突きつけられることもある。

アーティストは公共の財産だという考え方も、私は以前から理解できなかった。私は作品を共有することに同意したけれど、自分自身まで共有するつもりなんてなかった。自分という存在、あるいはその一部を大衆が所有できるという考えはものすごく危険だと思う。私はそういう圧力に苛立ちを覚えるし、ありのままの自分を表現するのではなく、人々を安心させるために低俗で予定調和の存在を演じるべきだという考え方を受け入れたりしない。また私は、自分を決して困難な状況に置こうとしない人々からの非現実的な要求に対しても徹底的に抗う。私は如才なく、とても忍耐強い人間だと思ってる。それでも、絶えず自分を卑下して萎縮し、自分を安売りするようなことはできない。


人は誰もが成長しなくてはならない

ー世間が望む「ローリン・ヒル像」が存在すると思いますか? それは本当のあなたとどう異なるのでしょうか?

間違いなく存在するし、先述の質問への回答でも少し触れているわ。人生は身をもって経験するものであり、あらゆるダイナミズムと色を存分に味わうべき。何かで人々を楽しませることができた場合、周囲から同じものを何度も求められがちになる。生身の人間がバランスを取らずにそれに応じようとすると、自分を抑圧しなくてはならず、成長することを完全にやめてしまう。人は誰もが成長しなくてはならないし、できる限り正直かつ誠実に自分を表現する必要がある。セレブリティはいつだって、食用に太らされる子牛のように犠牲にされ、型にはめられてノーマルだと批判され、アブノーマルな状況に対する解決策にされてしまう。

ステージに立つ前に感じる不安について語ったある人が糾弾されるのを見たことがあって、まるで有名人が不安を知っているはずがないというような言われ方だった。レコードを出しているアーティストは風邪をひいたことがないと言ってるようなもので、ものすごく馬鹿げてる。アートに心を奪われた人々は恐れや不安を感じないわけではなく、それらを昇華したり乗り越えたりすることで、作品や情熱をマニフェストとして成立させようとベストを尽くしているにすぎない。時には素晴らしい経験に恵まれ、時間とともに状況が改善していくこともあれば、そうでない場合もある。その不公平さと無慈悲さは、耐え難いほどだと私は感じてる。自分がどんな風に扱われているのか、私は自覚していない時もあった。私はひどい扱いを受けていたし、私が得たものに貢献した誰かから非難され、凄まじいほどの嫉妬と対抗心に晒されてた。それによって消耗したりフラストレーションを抱えた状況からは、怒りに満ちた音楽しか生まれ得ない。

そういう攻撃性を喚起させることは、相手が意図したことだったと思う。そういった醜いものに晒されている時でも、自分を奮い立たせる理由を見つけないといけない。世間は全てを手に入れた人、多くを手にした人に対してはどんなイメージを植え付けても構わないと思い込みがちなの。ヒーローを崇めるという行為は、自分のことを棚にあげるための言い訳にされてしまう。人が自尊心を自分以外の誰かに支えてもらっている場合、賞賛の裏にはものすごく醜くて粗暴な敵対心が潜んでいる。それに耐えるか立ち向かうかはその人次第。そういう状況を何年も経験してから、私は立ち向かうことに決めた。ノーと言うことを覚え、いつしか絶対にノーという言い方に変わり、やがて死んでもノーだと口にするようになった。


アーティストへの圧力は確かに存在する

ー22歳当時の自分と話ができるとしたら、何を伝えたいですか?

今の自分が知っていることを、22歳の頃の自分と共有するわ。私が今知っていることをあの頃既に知っていたなら、物事は異なる結果になっていたと思う。私はきっと人々に投資し続けたでしょうけど、私の才能とウェルビーイングをしっかりと管理してくれる、愛と逞しさ、そして誠意を持った人々だけを側におくように心がけたはず。この世界は誘惑に満ちていて、もし誰かをその気にさせることができなければ、相手はその人物が愛する人や頼りにしている人を狙おうとする。当時の私がそういうことを理解できていれば、私は自分と愛する人々を守るために、より多くの手を打とうとしたはず。



ー当時の自分の人生を振り返って、後悔していることはありますか?

悲嘆にくれ、悲しみと痛みに支配されていた時期があったことは事実だけど、後悔はしていない。そういう経験がなければ、私ははっきりとした考えを持つことができなかっただろうから。でももし過去に戻れるとしたら、やり直したいことはいくつかあるわ。子供たちを守るために、自分を守ろうとより必死になったと思う。私を操ろうとする人々や不当な圧力を、より早い時点で拒絶しようとしたはず。名声の危険さをもっと知っていれば、いろんな問題を回避できたかもしれない。『ミスエデュケーション』に本格的に携わった全ての人々としっかりと意思疎通を図り、誠実な表現のために戦ったと思う。私が求めるものをはっきりと伝え、敵対する人物をより早い段階で解雇したはず。

ーあなたは『ミスエデュケーション』以降も作品を発表し、ライブもこなしています。新たにフルアルバムを発表する計画はありますか?

信じられないことだけど、私のレーベルの人間の誰1人として、次のアルバム制作に向けて自分たちにできることはないかというような電話を1度もかけてこなかった。ただの1度もよ。信じられる? 本当に何の音沙汰もなかったの。『ミスエデュケーション』は過去に例を見ない作品だった。大半の面において、私は好きなだけ模索し、実験を重ね、自分を表現することができた。『ミスエデュケーション』以降は、数えきれないほどの障害や複雑な力関係、問題意識の抑圧、非現実的な要求、あの手この手の妨害で、私はがんじがらめにされてしまった。あのアルバムに携わった人々が自身のサクセスストーリーに私を含み、それが私自身の見解と異なっていた場合には、私は敵だと見なされた。

アーティストへの圧力は確かに存在する。詳しく語るつもりはないけれど、私は与えられるべき堅固なサポートをまるで得られなかった。私がツアーに出るようになったのは、クリエイティビティを発散するとともに、家族を支えなくてはいけなかったから。周囲の人間の目的は私の活動のサポートではなく、私を挫折させたり、自分の目的を果たすために私を利用することだった。私が確立しているインスピレーションのフローやそのスピードは、伝統的なシステムの中で機能しないこともある。何かを成し遂げようとする時は必ず、私は必要なものを自ら作り出さないといけなかった。その行為、あるいは私が健全でクリエイティブでいるために必要とするものに敬意を払い理解しようとする姿勢の欠如を、私は見過ごすことはできない。誰もそれを理解しようとせず、プロセスから生まれる利益のことばかりを考えているのでは、物事はたやすく悪い方向に進んでしまう。酷使、虐待、軽視といったことが起きるようになる。私は体系的な人種差別と、それがいかに人間の成長を妨げ害を及ぼすかについてのアルバムを作った(私の全てのアルバムは、多かれ少なかれ体系的な人種差別について言及している)。世間がそういったテーマについて堂々と議論するようになる以前にね。私はクレイジーだと見なされた。あれから10年以上が経ち、そういった声は今やメインストリームの一部になった。リーダーシップの力やシステムの変化による部分もあったとは思う。私は明らかに時代の先を行っていたけれど、あからさまな否定がその芽を摘んでしまったことは否定できない。私を公然と虐げ、排斥し、口を封じ、私が成し遂げたことを正当に評価せずにただコピーするというのは、あまりにも酷い仕打ちだった。

私は今でもツアーに出て、世界中のオーディエンスと交流を続けているけれど、当時のトラウマや抑圧、妨害、そして私自身と家族が経験したことを、私は片時も忘れたことはない。いろんな意味で、今私たちは与えられるべき自由が奪われてしまっていた年月を取り戻そうとしている。不当な抵抗、欲深さ、恐れ、そして人間のただ醜い部分を、私は嫌というほど見てきた。私にとって、自由よりも大切なものはほとんどない。スターダムには抑圧がつきまとい、仕事をしたり投資してもらう上で相手の言いなりにならないといけないのだとしたら、それに伴う様々な悲劇なしには本当に意義のある音楽が生まれ得ないことになる。私はそんなのは願い下げだわ。

最後に、あのレコードに胸を打たれたと言ってくれる人々に感謝の気持ちを伝えたい。愛、経験、知恵、家族、コミュニティからの支援など、あの時点での私が知り得ていたことがあのアルバムには詰まっていた。恋愛、夢、インスピレーション、野心、絶えることのない神のご加護、愛しい人、20代前半にしてそういったことを経験していた賢者のような自分のヴィジョンを要約したもの、それがあのレコードだった。私は大きな夢を描き、限界を設けようとせず、アーティストとしての自分の可能性と、当時の私が必要としていたものを形にすることだけを考えていた。また才能あるアーティストたちのコミュニティ、策士、実践者、友人たち、そして家族も私をサポートしてくれた。彼らは(少なくとも当時は)私が進むべき道を共に切り拓き、私を守ろうとしてくれているようだった。けれど、くだらないものを押しやるだけの力を持った何かを生み出すと、それをよしとしない人々があちこちから現れる。彼らは私たちの行く手を阻み、情熱を削ぎ、堕落させ、分断し、内部から崩壊させようと目論むかもしれない。私たちはそれをこの目で見たのだから。ヒップホップカルチャー、ソウルのレガシー、教育への熱意、他者との知恵の共有に情熱を注いだ若き黒人女性アーティストだった私は、世界に愛とタイムレスで不可欠なメッセージを届けようとした。

ごく限られた数の人々が大勢の人間の命運を握っている音楽業界では、いろんなことが複雑に絡み合っている。そういう環境で、公平さを実現させることは難しい。今の私は、できる限りの平等さと公平さを望んでいるの。私が残した作品が愛されていることには感謝しているけれど、私はありのままの自分が人として愛されることが等しく重要だと思っていて、そういうすごくデリケートなバランスを確立することはとても大切。それを実現させることが重要なの、私にとってはね。



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