マシン・ガン・ケリーが語る時代精神「ロックンロールにはロックスターが必要なんだ」

Rolling Stone Japan / 2021年1月21日 19時15分

マシン・ガン・ケリー(Photo by Alexandre Faraci)

「ロックンロールは止まらない。ロックはポップカルチャーにおいて最も重要で予測不可能なものであり、そこにルールはまったく存在しない」1983年に刊行された米ローリングストーン誌の『Encyclopedia Of Rock & Roll』にはこのように記されている。しかしここ10年近く、アメリカのメインストリームを席巻していたのはヒップホップ/R&Bであり、ロックは若者の音楽としての求心力を失いつつあった。そんな逆風を吹き飛ばすように、ロックの救世主として急浮上したのが「MGK」の愛称で知られるマシン・ガン・ケリー。すでにラッパーとして一流のキャリアを築いていた彼は、2020年の最新アルバム『Tickets To My Downfall』で自身のルーツであるポップパンクに回帰。疾走感に満ちたサウンドで、約1年ぶりにロックを全米チャートの頂点に連れ戻した。彼はなぜこの時代にギターをかき鳴らしながら歌うのか?

※この記事は2020年12月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.13』に掲載されたもの。取材は同年11月にZoomで実施。

●【コラムを読む】ロックで全米チャートを制覇、マシン・ガン・ケリーとは何者か?




ポップパンクが体現した自由「今は絶対的な存在が欠けている」

―僕は2002年のWarped Tourに足を運んだことがあります。バッド・レリジョンやNOFXといったベテランの貫禄、新しい価値観を体現したグッド・シャーロットとニュー・ファウンド・グローリー、サーズデイやザ・ユーズドのようなバンドが持つ多様性。そして新興勢力だったレーベル「Drive-Thru Records」の躍進。まさにポップパンクやエモといった音楽がアメリカで爆発していたタイミングで、とても刺激的でした。

MGK:ワーオ、行ったんだ。俺は2001年のWarped Tourに行ったよ。その後、俺自身も何度かパフォーマンスしてるけど、カリフォルニアのヴェンチュラでパフォーマンスした時に、ゲストでリンキン・パークが出てきたことがあって、あれは最高だった。2000年代のポップパンク/エモのムーブメントはベストだったよな! マジで最高! あれはすごく新鮮だった。(それ以前の)パンクは怒りに満ちてて政治的、もしくは超反政治的で、楽しさとは無縁だったからね。あれはあれで最高だったと思う。でも、ポップパンクのバンドは誰もがすごく楽しそうにしていたから、聴く側もそこに心地よさを感じることができたし、彼らが作っていた曲がみんなをハッピーにしてくれた。パンクの場合、みんなで一つになって何かのアンチにならなきゃいけなかっただろう? 「○○なんてクソだ!」とかさ。でも、どこにも属さず、どちらかに偏ることなく、ただ自分自身でありたい人たちだっていたわけだ。エクストリームになりたくない人たち。ポップパンク/エモの場合、音楽にその強要がなかった。それによってサブジャンルへのアクセスがすごくしやすくなったし、音楽を純粋に楽しむことができるようになったんだ。グリーン・デイを聴く時は、右寄りとか左寄りとか、そういうことを一切考えなくてよかっただろう? マジでめちゃくちゃ楽しいムーブメントだったと思う。



―blink-182とグリーン・デイがジョイントツアーをやったり、マイ・ケミカル・ロマンスやテイキング・バック・サンデイなどの作品がチャートの上位に登場したりして、当時は若者からも熱烈に支持されていた音楽スタイルだったと思うんだけど、それがいつからかヒップホップに変わっていきました。あなたは ラッパーとしてデビューする前に、パンクバンドで活動していたそうですね。

MGK:ガレージバンドにいたときの俺はものすごく若かった。曲の主題はめちゃくちゃ子供っぽくて、11歳や12歳が聴いてちょうどいいくらいの内容だったんだ(笑)。でも、14歳~15歳くらいでラップバトルにハマりだした。そこからよりデカいリスペクトを得るために、言葉をうまく使うことに没頭していったんだ。誰が一番言葉を操り指揮をとることができるかに魅力を感じるようになっていった。そのときの経験が、俺をこんなに支配的なパフォーマーにしたんだ。20人程度の少ない観客をいかに納得させられるか、みたいな環境でずっとパフォーマンスしてきたからね。その規模の中では、俺はベストだった。だから、マシン・ガン・ケリーの初期の作品を振り返ってみると、気持ちの表明みたいなものが多かったなと思う。周りのみんなが不可能だと言った夢を実現していく、小さい街から出てきた少年についてとかね。


MGKが2010年に発表した活動初期の楽曲「Chip Off the Block」

―ラップに移行したのは、バンドにうんざりした部分もあったんですか?

MGK:ああ。当時はたくさんの人から「お前歌えないな」と言われたものさ。ホイットニー・ヒューストンみたいに歌えない限り、シンガーとは見做されない時代だったから。でもさ、カート・コバーンだってちゃんとしたシンガーというわけではない。彼のハーモニーや声の使い方を気に入らない人もいる。俺もそうだったんだ。「歌詞はよくても歌い方がイマイチ」とか言われてさ。でもそこから、パンクシンガーにとって大事なのは、歌の上手さじゃなくてフィーリングとエモーション、そして口から出てくる言葉なんだってことに気がついたんだ。

最近はロックンロールに勢いがないよな? それはなぜかというと、絶対的な存在が欠けているから。フー・ファイターズだったらデイヴ・グロール、グリーン・デイだったらビリー・ジョーといった存在がいて、彼らの音楽と結びつきを感じ、彼らの言葉を聞きたいと思えた。でも今は、バンドがバンドでしかなくなってしまって、そのメンバーが誰かなんてどうでもよくなってきている。ニルヴァーナのファンは、ニルヴァーナだけじゃなくて、カート・コバーンのことも大好きだろう? そのバンドの中に自分が繋がりを感じられる存在がいることはすごく大切なんだ。最近はみんなルールに従いすぎて、ロックスターが消えてしまったんだと思う。社会の声を気にしすぎて、自分の言葉を持たないアーティストが増えてしまったんだろうな。それこそがロックンロールの魅力だったはずなのに。「周りなんて気にしてられねえ! 誰が何を言おうが俺は好きな格好をするぜ!」みたいなさ。

この時代にギターを鳴らす意味「今こそロックスターが必要」

―実際、ここ10年のメインストリームでは、ずっとロックに逆風が吹いていたと思います。フォール・アウト・ボーイも以前、『Save Rock And Roll』(2013年)という名前のアルバムを発表していましたが、あなたのなかにもロックやギターミュージックを救うことへの使命感があるのでしょうか?

MGK:もちろん。若者たちにはそれが必要だから。俺がある街でライブをしたとき、ラップのトラックに合わせてギターを弾いたんだ。その1年後、同じ街にまた戻ってきたとき、一人の若い観客がやってきて、人生で初めてギターを弾いてるアーティストを生で見たのが去年のライブで、それをきっかけに自分もギターを始めて、今も弾き続けてるんだと言ってきた。そのとき、俺がライブで提供しているのは音楽だけじゃないってことに気づいたんだ。彼だってその前から、ギターサウンドをかっこいいとは思っていたはず。でも、ギターを「弾くこと」の魅力はそれまで知らなかったわけだよな。ジミ・ヘンドリックスの曲は知らなくても、ギターを弾く彼の姿がいかに魅力的かを知ってる人ならたくさんいるだろう? ギターを持った彼のあのイメージは本当に印象深くて、人々にギターを弾かせたくなる。だから俺の髪型とか、痩せた体型とか、脚の広げ方とか、すっごい低い位置でギターを構えるとか、そのすべてが合わさったシルエットを見て、ギターを弾いてみたいと思うキッズたちがいるのであれば、「自分も同じことをしたい!」とみんなをインスパイアしたいと思うね。ブリトニー・スピアーズの二つ結びもそうだろう? あれを見て、女子たちがみんな同じ髪型をしたいと思った。自分よりも素晴らしいギタリストたちが山ほどいるのは百も承知だけど、俺はそんなこと気にせず、俺ができることをやる。俺はそのフィギュアの一人になりたいんだ。さっきの話に戻るけど、ロックンロールにはロックスターが必要なんだよ。

あと、ロックスターってのはロックミュージックだけに存在するわけじゃない。例えば、カニエ(・ウェスト)だってロックスターだと俺は思うんだ。彼は神であり、キングのような存在だろう? 人々は彼を見ることで何かを感じ取る。それがロックスターなのさ。ケンドリック(・ラマー)だってそうだ。彼が発信していることはリアルだし、彼の言葉で貧困や政治問題に触れることによって、この世界中、特に若者の世界観に大きな刺激を与えている。それこそが俺たちに必要な存在、ロックスターなんだ。



―たしかに、ポスト・マローンやダベイビーが「Rockstar」というヒット曲を発表しているように「ラッパーこそが現代のロックスターである」という見方は一理ありますよね。ロックとヒップホップを二項対立のように捉える発想自体が古いというのもその通りだと思います。では、あなた自身はどんなロックスターになろうとしているのでしょう?

MGK:それは俺じゃなくて、みんなが決めることだと思う。でも、ここ最近ジャンルというものがなくなってきているように、俺自身も可能性を広げていきたいんだ。ヒップホップ、ロック、クラシック……誰がどんな音楽を作ってもいいと思うし、例えばそれが「ヒップホップ」としては他のヒップホップ作品に敵わなくても、「ヒップホップを取り入れた新しい何か」として何よりも素晴らしいものになることだってある。

俺が映画( 『ザ・ダート:モトリー・クルー自伝』)でトミー・リーを演じることが公表されたとき、「酷評するのが待ちきれないぜ」と言ってる連中がいた。そういう奴らは、一人の人間が様々なことが出来るという可能性を信じたくないんだ。何か自分が得意なことにみんな固執するべきだと思ってる。自分の限界を試すことを怖がっている連中がたくさんいるのさ。でも、俺は自分の可能性を制限したくない。だからこそチャレンジするんだ。もちろん失敗することだってある。それでもたくさんのことに挑戦してきた。自分の可能性を試すことにビビってなんかいられないよ。サウンドもそうだし、見た目もそう。ラッパーなのにモヒカンなんておかしいとも言われたし、「Netflixにもラジオにも出てくるってどういうわけだ?」とも言われた。それを疑問に思う頭の固い人たちもいるわけだ。でも同時に、それを見ている15歳のキッズだってたくさんいる。俺がそうしているみたいに、誰かが境界線を越えようとしている姿を見て「自分も怖がらないぞ!」って思ってほしいんだ。それに影響を受けた若者たちが、俺よりもすごいことをやってくれたら最高だよな。


『ザ・ダート』サントラに収録、MGKが参加したモトリー・クルーの新曲「The Dirt (Est. 1981)」

―モトリー・クルーは80年代のLAメタルを代表するバンドだったわけですが、ハードロックやヘヴィメタルといった音楽は、あなたにどんなインスピレーションを与えてくれましたか?

MGK:あの映画のストーリー自体から受けたインスピレーションの話になるけど、あの映画を見て、自分が何かを築き続ければ、それは必ず返ってくるということを学んだね。彼らは本当に小さいバーからショーをやり初めて、それがどんどん膨らみスタジアムでショーをやるまでになった。大きな目標を実現するためには、わがままだったり、狭い考えをもっていてはいけない。何かデカいことを実現させたければ、それに向かって自分に出来る全ての小さなことをこなし続けていくことが必要なんだということを、あの映画を通じて気付かされたよ。

「託す」ことで広がった可能性、収穫と喪失の一年を振り返る

―最新作の『Ticket To My Downfall』ではポップパンクに回帰。あなたのルーツでもある音楽と今このタイミングで改めて向き合い、それが多くの人に受け入れられた。そして全米1位になった。このことについてはどう感じていますか?

MGK:言葉にできないくらい感謝している。1位になれた理由は、元々いたファンが聴いてくれただけでなく、これまで俺の音楽を知らなかった人たちが、俺の音楽を聴いてみようと思ってくれたから。そして、みんながこのレコードの誠実さを理解してくれたからだと思うんだ。それを感じ取ってくれた人たちが、人から人へと広めてくれたから1位になれた。人の言葉がもつ力ってすごいなと実感したよ。例えば聖書はみんなにシェアされているストーリーで、人が人に伝えるということが繰り返され、誰もが知る作品になった。ある一つの場所で起こったことが、人から人へと世界を旅して広がっていったわけだよな。口伝というものがどんなに効果的なものなのかを実感できたのは、本当にありがたい。それも、デジタルが全てを支配する今の時代にね。今回の俺のアルバムは、でっかいデジタルのキャンペーンをやったわけじゃなかった。どちらかというと、リスナーに託したんだ。

―『Tickets To My Downfall』には今日的なラップミュージックの要素も入っていますよね。トラップのビートも聞こえてくるし、トリッピー・レッドなどラップアクトも複数参加しています。

MGK:俺はそのバランスが好きなんだ。トリッピーのことはもう長く知っているけど、彼とは同じ部屋で作業した。トリッピーは彼が何をしているのか、この目でずっと見ていたいと思わせるくらい素晴らしい。自分が住んでいる世界の中に、そういった新しい世界、素晴らしい世界を取り入れるのは大切なことだと思う。彼らのような存在から刺激を受けるからこそ、俺自身も興味深いアーティストであり続けることができるんだ。

プロデューサーについても同様だね。今回はトラヴィス・バーカー(blink-182のドラマー)が可能性を広げてくれた。俺がこれまで挑戦したことのなかったキーを試すように背中を押してくれたんだ。俺たちは何百万人もの人々が気に入ってくれている、すでに定着したカタログを持っている。そこにファレル(・ウィリアムス)やジェイ・Zのようなアーティストやプロデューサーが入ることで、新しくて面白いものが生まれるんだ。俺の場合は、ポップパンクの神であるトラヴィスがそれを助けてくれた。彼のガイドのおかげで特別な作品を作ることができたと思う。自分以外の信頼できる人間に託すということも、いい作品を作るうえでは重要なんじゃないかな。そういう意味では、俺もいつか誰かのアルバムをプロデュースしてみたいと思うしね。



―2020年はトラヴィス・スコットが『フォートナイト』で行ったバーチャルライブのように、オンラインやバーチャルの可能性が大きく注目された年でもありました。あなた自身はそのあたりに興味はありますか?

MGK:いや、やってみたんだけど俺はエンジョイできなかった。やっぱり、みんな同じ空間にいて一緒に逃避やハピネスが経験できないと、カタルシスを感じられないんだよね。

―バーチャル以外のやり方で、自分の音楽をこれまでとは違うようなやり方でプレゼンテーションするようなアイデアも考えていたりしますか? 

MGK:むしろ、何もすべきじゃないと思う。ニューノーマルを無理に作り出そうとしなくてもいいと思うんだ。オーディエンスやコンサートがなくなってしまった事実は変わらない。直接音を聴くのと、スクリーン上や何かを通して音を聴くのとはやっぱり違うよ。ライブでは、リアルさを感じるんだ。同じ空間にいると衝撃を受ける。「今」という時間を感じるだろう?


2021年1月に公開された、『Tickets To My Downfall』を元にしたミュージカル映画『Downfalls High』。MGKとトラヴィス・バーカーがナレーションを担当している。

―2020年はパンデミックの影響がとにかく大きかったわけですが、あなたから見てこの一年の音楽シーンはどんなものだったでしょう?

MGK:すごくいい音楽がたくさん生まれたと思う。今年はいろいろあったからこそ、多くの人たちが語るべきこと、語りたいことがあった。心から感じる怒りや、吐き出したいものがあったと思うし、それこそが優れたアートを作り出すんだ。戦争が起きていたときも、多くの素晴らしい絵画が生まれたりしたわけだしね。張り詰めた緊張感や、その中で伝えたいことがアートに深みを出す。だから、俺は今年はアートにとっては逆にいい年だったと思ってる。でも怖いのはやはり、ライブというアートがなくなってしまったこと。あれはその空間で作られるものを直接感じることが出来るからこそ成り立つアートで、その代わりになるものを探し出すのは難しいだろうね。

今年じゃなかったらやらなかっただろうけど、(3月末に)俺とトラヴィスとバンドで、パラモア「Misery Business」のカバーを演奏してビデオをリリースしたんだ。全員がそれぞれの部屋で演奏して、その映像をくっつけて、みんなでジャムしてるビデオ。それから同じような形態のビデオがどんどん出てきたけど、あの形式でジャムをやってビデオをアップしたのは、俺たちが初めてだったと思う。ジミー・ファロン(アメリカの人気TV番組「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」)とかが同じ形を使うようになって、それが皮肉にもニューノーマルになった。それに、ポップパンクというメインストリームには存在しなかったジャンル、10年くらい眠っていたジャンルのアルバムを今リリースしたことで、2020年という奇妙な年にさらなるひねりを加えられたとも思う。人々をちょっと驚かすというか。例えばカニエが『808s & Heartbreak』(2008年)をリリースしたときみたいに。彼があのアルバムをリリースしたとき、みんな「なんでカニエが歌ってるんだ!?」と言ってたのを覚えてる。そんなサプライズを経て、あのアルバムはカニエのなかで最も愛されている作品の一つになった。そういった衝撃と驚きが、より多くの人々にその作品を聴いてみたいと思わせるんだ。



―2021年は音楽にとってどんな年になると思いますか? あるいは、どんな年になってほしいですか?

MGK:希望に満ちた年になってほしい。今年はみんなが多くのものを失ったと思う。それを取り戻せる年になるといいな。

―2021年にやってみたいことは?

MGK:映画を監督すること、新しいアルバムを作ること、あとはステージに戻れたら最高だね。

マシン・ガン・ケリーとは何者か?

Text = Machizo Hasegawa

”クソダサい野郎だな/お前がやっていることは辞書を引きながら家に引きこもっているだけ/ラップ・ゴッドなんてクソ、俺はラップ・デビルだぜ/心臓発作は起こさないでくれよ/誰か、奴を助けてやってくれ/歳をとって膝がガタガタなんだから”

あのラップ・ゴッド、エミネムに対してこのような辛辣なディスを浴びせる恐れ知らずの男、それがマシン・ガン・ケリーである。

MGKことリチャード・コルソン・ベイカーは1990年生まれ。父親は宣教師だったが、国内外を渡り歩く生活に疲れた母親が出奔したため、叔母の住むコロラド州デンヴァーで暮らすことになった。こうした家庭環境からかイジメのターゲットとなり、それが彼を音楽へと駆り立てるようになったという。

ロックとヒップホップを同じくらい愛聴していた彼がラッパーを目指すようになったのは、高校時代を過ごしたオハイオ州クリーヴランドにヒップホップ・シーンが存在したからだろう(母校シェイカーハイツ高校の6年上にはキッド・カディがいる)。16歳のときに1930年代に悪名を轟かせたギャングから名前を頂戴したMGK名義の活動を開始した彼は、2009年にニューヨークのアポロシアターのアマチュアナイトで優勝を果たしている。

そんなMGKに注目したのが、あのノトーリアスB.I.G.を発掘したショーン・パフィ・コムズだった。コムズのバッドボーイ・レコーズと契約したMGKは、2011年に『Lace Up』でメジャーデビュー。全米最高4位を記録する快調なスタートを飾る。2017年に発表した3rdアルバム『Bloom』からは”俺ら二人とも若いんだし夜はまだ始まったばかり/お前は俺のドラックだ/この顔の感覚がなくなるまでお前を吸い尽くしたい”とデュエット相手のカミラ・カベロを誘惑するシングル「Bad Things」が大ヒット。イケてるバッドボーイ・ラッパーとしての地位を確立した。



順風満帆だったそんなMGKの前に立ちはだかったのが、少年時代に崇拝していたエミネムだった。もともと2012年にエミネムの娘ヘイリー(当時16歳)の写真に「クソエロいなあ」とTwitterで呟いてエミネムの怒りを買っていたMGKだったが、エミネムの怒りは収まっておらず、2018年に発表されたアルバム『Kamikaze』収録曲「Not Alike」で「俺になりたがっているけど絶対なれない奴」とディスられてしまったのだ。

尊敬してはいるけれど売られた喧嘩は買う。MGKはこの曲に対してわずか3日後にアンサーソングをYouTubeでアップする。それが冒頭にリリックを引用した「Rap Devil」だった。同曲は最高13位のスマッシュヒットを記録する。



結局、その1週間後に発表されたエミネムの再アンサーソング 「Kill Shot」でMGKはボコボコにされてバトルは終了するのだが、久々にエミネムを本気にさせた男として、MGKのヒップホップ・シーンにおける評価は揺るぎないものになったのだった。

MGKもこのバトルでラッパーとしてある種の到達点に達したと感じたのかもしれない。2019年発表の『Hotel Diablo』では、10年近い親交があったblink-182のトラヴィス・バーカーとヤングブラッドと共演したロックチューン「I Think Im Okay」を発表。同年にNetflixで公開されたモトリー・クルーの伝記映画『ザ・ダート:モトリー・クルー自伝』ではドラマーのトミー・リー役を演じるなど、ロックスター的なイメージを打ち出し始め、2020年にバーカーを共同プロデューサーに迎えたロックアルバムのリリースを宣言した。



当初は「ラッパーにロックができるわけがない」と疑問を呈されたMGKだったが、コロナの自粛期間中に「Lockdown Sessions」と題して、パラモア「Misery Business」やリアーナ「Loves On The Brain」、そしてオアシス「Champagne Supernova」のカバー動画を発表。そのクオリティーの高さでネガティブな見解を一蹴。女優のミーガン・フォックスを主演に迎えたリードトラック「Bloody Valentine」のMVは全世界で1億回以上のストリーミング数を記録した。

そして満を辞して発表された『Tickets to My Downfall』は2000年初頭のポップパンク・テイストを現代のヒップホップ的感性で解釈した音楽性が驚きをもって迎えられ、ビルボードでキャリア初の首位を獲得。MGKはヒップホップとロックを自在に行き来する唯一無二の存在として、今後の活躍が期待されている。

●【関連記事】マシン・ガン・ケリー、傷つきながらも必死に生きる若きラッパーの生き様



マシン・ガン・ケリー
『Tickets To My Downfall』
発売中
試聴・購入: https://umj.lnk.to/MGK_TicketsTo

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング