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米国史上唯一の未解決ハイジャック事件、運命を狂わされた客室乗務員の半生【長文ルポ】

Rolling Stone Japan / 2021年2月18日 6時45分

ハイジャック事件に遭遇した客室乗務員、ティム・マックロー(Courtesy of Tina Mucklow)

1971年に起きたハイジャック事件「D.B.クーパー事件」。現場にいた客室乗務員のティナ・マックローは、未だ謎に包まれたハイジャック事件解決のカギを握る存在とされてきた。彼女の口から語られる言葉は、真相究明への突破口となりうるのだろうかーー。

1971年11月24日、感謝祭を翌日に控えたその日、ミネアポリスのツイン・シティーズに住んでいたティナ・マックローと、3人の客室乗務員と3人の操縦士からなるキャビンクルーは、祝日をまたぐ4〜5日間のフライトに向けて準備を進めていた。マックローはクルーの中では最もキャリアが短く、客室乗務員としてのランクも一番下だった。オレゴン州ポートランドでの離陸準備時、乗客たちが搭乗を終え、上空には雷雲が立ち込めるなか、「乗客の目の保養」という役割も担っていた彼女は、搭乗客たちのグラスに次々と氷を入れていた。ノースウエスト航空では、離陸前に乗客に飲み物を出していたからだ。同僚のフローレンス・シャフナーはキャビンの後列から、彼女は前列から応対していた。

マックローとシャフナーが機体後部のジャンプシートのバックルを締めようとした時、シャフナーが立ち上がり、最後列に座っていた乗客の隣に着席した。「離陸直前に席を移動するというのは、通常では考えられない行動でした」マックローは本誌にそう語った。シャフナーは自身が残した紙切れを拾うように、マックローに身振りで示した。それにはこう記されていた。「私は爆弾を所持している。私の隣の席に座れ」マックローは反射的に近くに設置されていた受話器を上げ、操縦士たちに事情を説明した。その飛行機はハイジャックされようとしており、悪質なジョークだとは思えなかった。やがて彼女は、シャフナーとその乗客の席に近づいていった。その男性はダークカラーのスーツにネクタイ、ホーンリムのサングラスという出で立ちで、傍にはブリーフケースが置いてあった。シャフナーが聞かされたその男性の要求は、午後5時までに現金20万ドルとフロントパラシュートとバックパラシュートを2つずつ用意し、シアトルにタンクローリーを控えさせておくことだった。飛行機が高度を上げるにつれて、シャフナーが要求内容を記したメモを持ってコクピットへと向かうと、マックローが代わりに男性の隣の席についた。「『私はここにいるべきですか?』と自分から尋ねたか、その男から『そこに座っていろ』と言われたか、どちらかだったと思います」。事件について、これまで滅多に口を開かなかったマックローはそう話した。彼女はその瞬間から、インターホン越しに男とコクピット間のやり取りをする連絡係を担うことになった。「私の役目はハイジャック犯を興奮させず、落ち着かせ、起爆装置のスイッチを入れさせないことだった」


男性が手にしていたブリーフケースの中身には…

マックローが語ったように、彼女はただ任務をこなしているだけだった。その男性が開けたブリーフケースを開け、ダイナマイトらしき数本の円筒に起爆装置が取り付けられているのを見せると、彼女は目眩を覚えたという。「目の前のシートポケットに入っていた、嘔吐袋が目に入ったのを覚えています」。彼女はそう話す。しかし、ルター派の家庭に生まれ育った彼女は、嘔吐袋を手にするのではなく、ただ祈りを捧げた。彼女は乗客たちの後頭部を見ながら、感謝祭に彼らと会えることを楽しみにしているであろう家族の存在を思い浮かべ、彼らの無事を祈った。また家族や友人と2度と会えないかもしれないと思いながら、自分自身のために祈った。神に感謝を捧げ、自身の欠点や愚かさ、そして22歳の若さにしてこの世を去ることについて赦しを求めた。また彼女は、ハイジャック犯のためにも祈りを捧げた。「彼と彼の家族のために祈り、彼が赦されることを願いました」。彼女はそう話す。「私は諦念に似た安らぎを感じ、自分がすべきことにただ集中しました」

シアトルまでの飛行時間はわずか30分だったが、政府機関の人間が犯人の要求に応じようと奔走する間、機体は管制塔の指示に従ってピュージェット湾上空を2時間近く旋回し続けた。窓の外では雷光が走っていた。機体が湾岸上空を旋回していた理由が、爆弾が爆発した場合に地上の人々が乗客たちの下敷きになるのを回避するためだったことを、マックローは後になって知ったという。副操縦士のBill Rataczakは乗客に対し、機器の些細なトラブルのため燃料を消費し尽くす必要があると説明していた。機体が無事に着陸して降機してからも、乗客たちは機内で何が起きていたかを把握していなかった。マックローはハイジャック犯の指示に従い、政府が用意した金とパラシュートを男に届けるため、機体への出入りを何度か繰り返した。他の2人の客室乗務員は解放され、同機は燃料を補給した。

その男はメキシコシティに向かうよう指示した。燃料を補給する中継地点のネバダ州リノに向かって再び離陸した際、ボーイング727の客室にはスーツにサングラス姿の犯人、そしてマックローだけが残っていた。「絶望的なほど孤独に感じていました」彼女はそう話す。

【画像を見る】FBIが公開したハイジャック犯、D.B.クーパーの似顔絵



飛行機からパラシュートで飛び降りた犯人

犯人の要求に応じる形で、機体が高度を10,000フィートまで下げようとする中、マックローは時間の流れを異常に遅く感じていたという。時間は午後8時になろうとしていた。犯人の指示に従い、彼女が客室後部の階段へと通じるドアを開けると、客室内に轟音が響き渡った。彼女は階段を下ろす方法について説明しながら、犯人が脱出する際に自分が夜の雨雲の中に吸い込まれてしまわないよう願った。飛行機が離陸した4〜5分後の時点で、男は彼女がコクピットの操縦士のところに行くことを許可していた。「その場を去る前に、私はこう言ったと思います。『お願いですから、どうか爆弾を持っていって下さい』」。彼女はそう話す。彼女の記憶では、パラシュートの準備に集中していた男からの返事はなかったという。マックローと操縦士にとっての恐怖の時間は、ようやく終わろうとしていた。「クルーたちのいるコクピットに入った瞬間、心から安堵しました」彼女はそう話す。「危機が過ぎたわけではなかったけれど、少なくとも1人きりではなくなったので。相手の顔を見た途端、私たちは互いに胸をなでおろしました」

「コクピットのドアが開き、ハイジャック犯と対峙してくれていた魅力的な女性が入ってくるのが見えました」。副操縦士のRataczakはそう話す。「私は思わず、安堵のため息を漏らしました」

リノに到着し、機体の捜索が完了した時点で、彼女と3人のパイロットたちはようやく恐怖から完全に解放された。爆弾、現金、そしてハイジャック犯は姿を消していた。

滑走路に控えていたFBIの護送車の後部座席にRataczakと並んで座った時、マックローは溜め込んでいたものが溢れ出るかのように泣いた。「とめどなく泣きじゃくる私に、ビルはずっと『もう大丈夫だよ』と声をかけ続けてくれました」

その事件の奇妙さは、フィクションとしか思えないほどだ。ポートランド付近の深い森に向かってのスカイダイビング自体が極めて危険であり、嵐の夜にスーツとドレスシューズ姿で決行するなど、もはや自殺行為に等しい。だが大掛かりな捜査が行われたにも関わらず、その男の遺体もパラシュートも見つかることはなかった。1980年にはある少年が、ワシントン州からポートランド北部にかけて流れるコロンビア川の沿岸で、腐乱した20ドル札の束をいくつか掘り起こし、それが事件に用いられたものであることが判明した。しかし、それは謎の解明には結びつかなかった。FBIはその紙幣のシリアルナンバーを公開したが、事件に使用された現金の大半は発見されなかった。D.B.クーパー事件(犯人はダン・クーパーという偽名で搭乗券を購入していた)として知られるその一連の出来事は、以降約50年に渡って、警察とアマチュア探偵たちの頭を悩ませ続けた。2016年、FBIは捜査の終了を正式に決定した。現時点で、それは歴史上唯一の未解決の飛行機ハイジャック事件となっている。


事件後のマックローは多くを語ろうとしなかった

そのボーイング727に搭乗していた多くの人々にとって、マックローはヒーローたる存在だった。犯人を落ち着かせ、乗客たちが恐怖で混乱に陥るのを防ぎ、機体と乗組員たちが悲劇的な末路を辿るのを回避した。「彼女はとても冷静で、毅然とした態度で接していました。あのような犯罪を実行しようとしている人間の隣で、ああいった対応ができたのは彼女だけだったと思います」。Rataczakはそう話す。2人は現在でも連絡を取り合っており、彼にとってマックローは妹のような存在だという。「彼女はおおらかで、発言や行動からは実直さが伝わってきます。あの事件でティナが見せた勇気ある行動に、私は心から敬意を払っています」

当事者以外にしてみれば、彼女は謎を解き明かす鍵となり得る存在だ。事件以来、D.B.クーパーに魅了された人々は、彼女に接触を試みるようになった。その中には彼女を、狂おしいほどの好奇心に決着をつけられる救世主だとみなす者もいた。彼女は犯人と直接やり取りをしていたのだから、そう思われるのも無理はない。マックローが事件について滅多に語ろうとしなかったことは、彼女が何かを隠蔽しているという陰謀論者たちの見方を助長した。「私は精神に問題を抱えているか、犯人と結託しているか、あるいは重要な事実を隠していると思われていました」。彼女はそう話す。

ネット上では様々な噂が飛び交っているが、マックローが事件について積極的に語ろうとしないのは、口にできない秘密を抱えているからではない。彼女は証人保護の監視下にあるわけでもなく、客室内での犯人とのやりとりによって心的外傷後ストレス障害を患ったわけでもない。事件後に彼女はFBIの捜査に積極的に協力し、その役目を終えてからは、過去に囚われすぎないよう前を向いて歩み続けた。「私は日常に戻り、やるべきことに集中し、自分の好きなことをやろうとしました」。彼女はそう話す。「あの事件に、自分の人生を支配させるつもりはありませんでした」。唯一彼女を煩わせていたのは、事件の真相を探ろうと毎年のように接触してくる一部の人々だった。

最近になって、マックローは以前よりもやや積極的にインタビューに応じるようになった。歴史に残る怪事件から50年の節目に当たる今年、事件現場のクルーたちの体験に基づいた映画(ジョーイ・マクファーランドとDawn Bierschwalのタッグによるアクションスリラー)が制作されるにあたり、彼女はそのコンサルティングを務めている。彼女は2016年に放送された2部構成の『History』と、昨年HBOが制作したドキュメンタリー『The Mystery of D.B. Cooper』でも短いインタビューに応じていた。そして今回、彼女は本誌にこれまでになく詳細に、自身の経験について語ってくれた。「私が知っていることを、自らの中に抱え込むのではなく、歴史の一部として共有するべき時が来たと感じたのです」。彼女はそう話す。


マックローが客室乗務員になった理由

1960年代、客室乗務員は羨望の対象というよりも、飾りのような存在だった。1969年の春にノースウエスト航空にスチュワーデスとして採用された後、マックローは消火の方法や、乗客が心臓発作を起こした場合の対処について訓練を受ける一方で、スリムな体型の維持やメガネの着用禁止などの規定に同意させられていた。さらに彼女は、30歳までに「引退する」旨を記載した契約書にも署名していた。「当時は既婚者の客室乗務員が結婚指輪をつけることが許可されたばかりでした。その少し前までは、客室乗務員は結婚すること自体を禁じられていました」。マックローはそう話す。「当時の航空業界は、客室乗務員は独身であることが望ましいとされるような世界でした」

それでもマックローは、航空業界で働くことを望んだ。ペンシルベニア州バックスで生まれ、電気技師の父と看護婦の母を両親に持つ彼女は、14歳の時に初めて飛行機に乗って以来、航空業界に憧れるようになった。「空を飛ぶ感覚、最後部に座った時に感じるエンジンの振動、離陸する瞬間の興奮に、私は夢中になりました」。彼女はそう話す。「当時はスチュワーデスと呼ばれていた、客室乗務員たちの働く姿を見ているだけで楽しかった。彼女たちは皆優しく、そして魅力的でした」

彼女は母親と同じように看護婦になることも考えたが、空への憧れを捨てることはできなかった。夢を叶えることができたのは恵まれた容姿も一因だったが(彼女は高校3年の時、学校の創立記念日に行われたミスコンで優勝している)、マックローはその世界で自分を磨き続けた。


ハイジャック事件当時のマックローのパスポート(Courtesy of Tina Mucklow)

「忙しかったけれど、仕事は楽しかった」。彼女はそう話す。彼女はミネアポリスに友人とアパートを借りていたが、仕事で2週間近く家を空けることはざらだった。「長時間勤務の後、短い睡眠をとって、起床してすぐ制服に身を包み、時差のある地域に向かって飛ぶという生活でした。最初の5年間は主に国内線に搭乗していましたが、経験を積むにつれて国際線に乗ることが多くなっていきました」


客室乗務員から尼僧へ

1971年当時における航空機のハイジャックは、現在のそれとは大きく意味合いが異なった。1968年から1972年の間には130機以上のアメリカ航空機がハイジャックされ、その大半はハバナに帰還しようとするキューバ国民か、フィデル・カストロが率いる社会主義体制に奉仕すべく、渡航禁止令を無視して同国に渡ろうとするアメリカの革命家たちによるものだった。血を流すこと(および空港での金属探知機の導入)を避けるため、各航空会社はハイジャック犯の要求に全面的に従う方針を定めていた。目的地にかかわらず、コクピットにはカリブ海の座標が常備されていた。行き先がキューバに変更になることはさほど珍しいことではなく、一種のジョークとさえなっていた。『The Mystery of D.B. Cooper』で、Rataczakはこう語っている。「乗客が現地でラムのボトルとタバコを購入し、同じ飛行機でアメリカに戻るというパターンは、まるで楽しい経験のように思われていました」。マックローはD.B.クーパー事件以降ハイジャックが過激化し、9.11に代表される悲劇が起きるようになったと考えている。しかし当時は、事件後も業界に大きな変化は見られなかった。事件から1ヶ月経たずして、マックローは職場に復帰した。

彼女は再び空を飛ぶことを恐れず、事件によってトラウマを抱えることもなかった。「私は先に進もうとした。若く柔軟だったからこそできたことかもしれないけれど、私たちにはそういう心構えも求められていたので。それも自分たちの仕事の一部、そう考える必要がありました」

マックローはその事件が、後年に至るまで自分の人生に影響し続けるとは思いもしなかった。彼女は以降10年間に渡って客室乗務員の仕事を続け、その後は尼僧として修道院に入った。2000年代に開設されて以来、D.B.クーパー事件のマニア達が頻繁に意見を交換していた掲示板やブログでは「彼女が修道女となったのは、犯人から受けた何かしらの行為がきっかけだったのではないか?」「証人保護プログラムの一環なのではないか?」等、様々な憶測が飛び交った。どれも単なるゴシップでしかないと、マックローは話す。「私がカトリックの信者になったのは1978年で、自分の精神性と信仰を深めたかったからです」。彼女はそう話す。「FBIも事件も、まったく無関係です」


マックローこそがクーパー事件の鍵を握る存在?

犯人が捕まらないまま時が過ぎても、D.B.クーパー事件への世間の関心は絶えなかった。事件からわずか5年後の時点で、FBIは既に800人以上の容疑者をリストアップしていた。次から次へと出てくる、犯人かもしれないとされる人物たち(残念なことにその大半は既に死亡していたが)についての本やTVの特番も数多く見られた。FBIが本命と考えていたリチャード・マッコイは、クーパー事件のわずか5カ月後に全く同じ手口のハイジャック事件を起こし、現金50万ドルを手に別の727機のエアステアから飛び降りた。結局マッコイはクーパー事件との関連について自白せず、刑務所から脱獄を図った際に射殺された。1995年には、死の淵にあった退役軍人のDuane Weberがベッドに横たわったまま「私はダン・クーパーだ」と妻に告白し、彼女は彼に犯罪歴があることをその後知った。また70年代後半にプライベート機のアマチュアパイロットだったBarbara Daytonと知り合ったというあるカップル曰く、彼女はある晩のディナーの最中に自分が犯人だと告白したという。さらにMarla Cooperという女性は、自分の叔父がハイジャック犯かもしれないと語った。その男性L.D. Cooperは事件があった日に血まみれで帰宅し、その理由について「七面鳥の狩りに行っていた」と話していたという。各容疑者に関する状況証拠はどれも興味深かったが、FBIが求めていた確固たる証拠を提示できる者はいなかった。

素人探偵の多くは、マックローこそがクーパー事件の鍵を握る存在だとみなすようになった。2011年、ジャーナリストのジェフリー・グレーが発表した著書『Skyjack: The Hunt for D.B. Cooper』では、元ノースウエスト航空の従業員で落下傘兵の人物を犯人とする説が展開されている。マックローに話を聞こうとしていた彼は、彼女に再三接触を試みたことを同書に記している。「年老いた元スチュワーデスがリビングのソファに腰掛け、留守電の自動音声が再生されるのをただ見ている姿を想像しながら、私は彼女が受話器を上げ、長年その胸にしまい続けている秘密を明かしてくれることを夢見ている。ティナ、どうか電話に出て欲しい。彼女が受話器に向けて手を伸ばすよう、私は祈るような思いと共に念力を送り続けた」。しかし、彼女は取材に応じなかった。


無礼な自称ジャーナリストたち

マックローによると、取材を申し込んでくる人々の90〜95パーセントが男性だという。中には、過剰なハラスメント行為に及ぶ者もいる。長年彼女との接触を試みてきた人々の中には、礼儀をわきまえたプロのジャーナリストもいたが、ノーという回答を受け付けないアグレッシブなクーパー信者も少なくなかった。「『ノー』『興味ありません』といった返事、あるいは返答しないというこちらの対応を尊重してもらえないことが多くありました」彼女はそう話す。「返事がないというのは、『ノー』か『興味ありません』と同意義のはずです」。中には彼女の自宅に押しかけ、取材を断られてからも家の前に停めた車の中で粘り続ける人物もいたという。ある時には、彼女が職場の駐車場にいるところを盗撮されたこともあった。別の人物は、「クリスチャンの女性は電話を無視したりしない」といって彼女を非難した。また彼女を延々と追い回しているある人物は、取材申し込みを何度か拒否された後、ブログのある投稿で彼女について「社会的孤立者」「短気」「性悪」「世捨て人」「脆く傷ついた女性」「トラウマを抱えている」などと表現していた。


ネバダ州リノに着陸後、FBIにエスコートされて記者会見会場に向かう副操縦士のBill Rataczakとティナ・マックロー(Photo by AP)

ごく稀に取材に応じた時でも、彼女から期待した返答が得られなかった場合、相手は失望や不満を露わにした。「『それはクーパーかもしれません』と私が言わなかった時は、『かわいそうに、年老いて記憶がぼやけてしまってる』『眼鏡を必要とするくらい目が悪いから、判別できないらしい』などと言われました」

謎に思い悩まされる人の気持ちも、マックローは理解できるという。「気になっていることをはっきりさせたいというのは、ごく自然なことだと思います」。彼女はそう話す。「それは分かります。それぞれに言い分はあるでしょう。しかしだからと言って、それを他人に押し付けていいことにはならないはずです」

2016年にFBIがD.B.クーパー事件の捜査を打ち切った時、マックローは悲しみを覚えたという。彼女は彼らが犯人を突き止め、逮捕することを期待していた。「彼は犯罪者です」。彼女はそう話す。「彼は私の人生を脅かしただけでなく、何の罪もない大勢の乗客の命を危険に晒しました」。同時に、彼女は彼らの決断を尊重してもいる。「事件から経過した年月と、現在の世界における様々なニーズを考えれば、見切りをつけるべき時だったのでしょう」


マックローはその生涯を通じて、他人を幸せにしようと努めてきた

過去約30年間、マックローはオレゴン州ユージーンに住んでおり、助けを必要としている人々に手を差し伸べている。彼女は1993年に修道院をやめ、社会福祉について学んだ。「自分が属するコミュニティと繋がり、よりパーソナルかつ直接的な形でサポートをしたいと思っていました」。そう話す彼女は、市民からのSOSに対し、警察ではなくメンタルヘルスの専門家を派遣する支援団体や、精神病院を退院して社会復帰を目指す人々をサポートする施設に勤めた。また外来患者の学習とリハビリの支援センターの立ち上げや、ホームレスや統合失調症等の障害を抱えた人々のサポートにも携わった。

メアリー・アリス・ジョンソンは元精神病患者の社会復帰を支援する組織でマックローと出会い、信仰だけでなくと旅行が好きだという点でも共通していた2人は良き友人同士になった。ジョンソン曰く、マックローは他人を深く思いやることができる頑張り屋だが、誰とでも付き合うようなタイプではないという。「彼女は内向的で、世間からの注目を欲してはいません」。彼女はそう話す。

現在71歳のマックローは少し前に引退し、Covid-19パンデミックが収束した際には炊き出しのボランティアに参加し、友人たちと会って外食を楽しむつもりだという。彼女は現在もミネソタに住んでいるRataczakと、数カ月に1度は電話で話している。「彼女がこっちに戻ってきてくれたら、もっと頻繁に会えるんだけどね。そうなることを願うよ」。彼は冗談混じりにそう言った。


現在71歳のマックロー(Photo by Ricardo Nagaoka for Rolling Stone)

マックローはその生涯を通じて、他人を幸せにしようと努めてきた。離陸前に乗客にマティーニを振る舞い、その42名の命を守るべく危険なハイジャック犯の気を静めようとしたことは、彼女の人生の初期の出来事にすぎない。事件以来、彼女はただそっとしておいてもらうことを望んでいた。礼儀を重んじる彼女はそう口にしてはいないが、彼女には取材要請に応じる義務も、捜査に協力する責任もない。「私は他のクルーとともに、客室乗務員としての責任を果たそうと最善を尽くしただけです。目的があったとすれば、飛行機を無事に着陸させ、乗客たちを降機させることでした」。彼女はそう話す。「私たちの誰もが、そんな風に人々の記憶に残ることを望んでいると思います」

from Rolling Stone US

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