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細野晴臣の50年間に及ぶルーツ ノンフィクション本とともに読み解く

Rolling Stone Japan / 2021年3月2日 11時30分

『細野晴臣と彼らの時代』

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年2月の特集は、最新音楽本特集。今週は、文藝春秋から発売になった門間雄介の書籍『細野晴臣と彼らの時代』を素材にしながら、細野晴臣の特集をお送りする。



田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、細野晴臣さんの「ろっか・ばい・まい・べいびい」。1973年に発売となったソロの1stアルバム『HOSONO HOUSE』に収録されています。この曲を選んだのは、当時これを聴いて、はっぴいえんどのバンドサウンドとも違う、レトロなアメリカンミュージック風な曲を聴いて、細野さんはこういうのをやりたいんだな、と思った記憶があるからです。今日の前テーマ曲はこの曲です。

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2021年2月の特集は「最新音楽本特集」。今週は最終週、細野晴臣。2020年末に文藝春秋から発売された『細野晴臣と彼らの時代』、門間雄介さんがお書きになった力作で音楽ノンフィクションの金字塔です。細野晴臣さんは、日本のポップミュージックの巨人という言葉がふさわしい唯一の人と言っていいでしょう。はっぴいえんどの結成、セッションミュージシャンの走りとなったティン・パン・アレー。さらに日本のポップスを東南アジアや中南米に目を向けさせたソロ活動、YMO、テクノミュージック、映画音楽。この音楽ジャンルの広さ、多岐に渡る全体像の大きさを50年分辿られたというすごい本であります。細野晴臣さんとはどういう人なのか? 今日は門間さんに語っていただこうと思っております。こんばんは。

門間雄介(以下、門間):よろしくお願いします。

田家:あとがきに「評伝を書かせてくださいとお願いしたのは、2012年9月のことだった」と。8年かかっていますが、書き始めた当時のことはどんな風に思い出しますか?

門間:僕は一ファンに過ぎなくて。実は映画などの音楽以外のことに関して執筆する機会が多かったので、純粋な一ファンが憧れの人に会いに行くということでガチガチに緊張した夏の暑い一日でした。ただ、そんな時なので、僕は大事なことをお願いするにも関わらず、短パンを履いて行って。細野さんと初めて対した時に、細野さんの視線がずっと僕の短パンに注がれていたのを恥ずかしく覚えています(笑)。

田家:でも憧れの人ではあったんですね。あとがきに「好奇心が責任感と使命感に変わっていった」と書かれていましたが、それは取材しながら変わっていったという。

門間:評伝を書きたいです、とお願いした時は、興味のある人にインタビューするという気持ちだけだったんですよね。無邪気なものだったなと思うんですけど、そこで快諾いただいていざ取り掛かるとなった時に、50年の長さもありますし、その中で細野さんは領域を様々に横断して活動されていますから。これは軽率だったなと思ったんですよ(笑)。あまりに僕は重く考えずにお願いしてしまったと思って、そこから少しずつ調べや取材を始めていった中で、これは責任を持たないといけない。細野晴臣という人の歴史を辿ることが日本のロック史やポップ史を辿ることとイコールだなと思ったので、それについて使命感を抱かざるをえなかったと思います。

田家:そういう風に思えるようになったのは、始めてからどれくらい経ってからですか?

門間:重荷のようなものを感じたのはすぐだったんですけど、細野さんの世代って、それ以前の世代とは違ってデビュー直後からインタビューを掲載した雑誌もたくさんありますし、そこから追いかけていくだけでも膨大なんですよね。これだけのものを自分が見ていかないといけないのか、という時に、これはやばいと思いました(笑)。

田家:そういう話も追々お聞きしていこうと思います。私が本を読み切ったときの第一印象は、よく書ききったなあ、と(笑)。今日は門間さんに6曲選んでいただきました。1曲目はこちら。はっぴいえんどで「夏なんです」。



田家:この曲を選ばれたのは?

門間:はっぴいえんどの2ndアルバムですけど、元々はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールドの音楽を志向してスタートして。細野さんがそれを言い出したことなんですけど、そういうサウンド作りを進める中で、実は自分自身の曲作りや歌声に対してどこか居心地の悪さのものを感じていて。それがこの「夏なんです」の時に、自身の曲作りや歌声に開眼したという記念になる曲だなと思って選びました。

田家:書籍の120ページに、「細野は歌うことに自信がなかった。曲作りへの不安も抱えていた」という文章がありましたね。さっき仰った、細野さんへの憧れという中にはっぴいえんどもあったんでしょうね?

門間:やっぱりはっぴいえんどですね。僕は1974年生まれで、1990年代が僕の学生時代に当たるんですけど。1990年代に、おそらくサニーデイ・サービスなどのバンドの登場とともに、はっぴいえんどの再評価があって。どちらが先だったかは記憶が定かではないんですけど、その中で僕も初めてはっぴいえんどにたどり着いて、僕にとっての細野さんのファンとしての原点みたいなものなんですね。

田家:はっぴいえんどにたどり着いたときにはどんなことを思われました?

門間:新しいなと思いました。過去の音楽を聴いているという感覚が全くなかったですね。サウンドもそうですし、歌詞もそうだし、メロディもそうだし。あとはこの「夏なんです」のようなフォーキーなスタイルは、当時の1990年代の音楽と比較しても充分に新しかったです。

田家:なるほど。はっぴいえんどに取材していく中で、これが分かった時にこの本をやった意味があったと思えたということはありましたか?

門間:田家さんのように同時代にはっぴいえんどの音楽を体験されてきた方がいる中、リアルタイムで知らない僕がどうやったら田家さんのような方に納得していただけるものを書けるのか? ということを特にはっぴいえんどに感じていて。ただ、はっぴいえんども、これまで色々な方が分析したり、書かれてきていて。そういう中では、それを参照しながらもそこで触れられていないことは何か? ということを探していました。

田家:それは何だったんでしょう?

門間:はっぴいえんどというのはやはり神格化されているようなところもありますから、それ以外の人間としてはっぴいえんどの面々がどういう関係性を育んでいたのか? そういう部分に興味を持ちました。

田家:細野さん本人を取材する前に、周辺の話や過去の雑誌も調べていたということでしたね。

門間:そうですね。最初は、細野さんが暮らした港区の歴史を遡るところから始めて。実際に1960年代、1970年代の地図を見て、松本隆さんの家も割と近いのでその位置関係を把握するところからやっていました。当時の風景も、僕が細野さんが見たのと同じように見られるところまでなんとかいくところから取材を始めようと思いました。

田家:何しろプロローグで登場してくる人物が星野源さんでありまして、第一章が1968年、今仰った自宅を大滝詠一さんが訪ねるところから始まっている。これだけでもう拍手ですよね。それは実際に大滝さんが訪ねた時はどうだったんだろう? と想像しながら書かれたんですか?

門間:細野さんの家がどういう間取りだったか、どのように道に面していたのかなどを、今確認できる写真を見ながら、書くというより描写するという感覚で書いていきました。

田家:それは何処かから資料を探してきたんですか?

門間:港区の過去の写真を集めた本だったり、港区の図書館に行って。その図書館にしかない地図とかを掘り起こして見てみたりしたのは役に立ったなと思いますね。

田家:なるほど。いきなり細野さん本人の話をたくさん聞いて、本人の話を並べていくという作り方ではないというのが、この本が素晴らしいと思った要因の一つなんです。この本には色々な人が登場してくるでしょう。彼らの登場の仕方、させ方とか、その人たちがどう動いていったのかを書いていこうと思ったのもその時から浮かんでいたんですか?

門間:最初は細野さん個人の歴史を辿るというところに主眼があったんですが、どう取りかかればいいのか。インタビューを進めていって毎回話は面白いんですけど、どう構成すればいいのかはなかなか見えてこなかったんですよね。その中で初めて林立夫さんに関係者としてインタビューしたときに、林さんなりの考え方というのが聞けて。その時に初めて、細野さんの行動の裏側が見えることによって、行動自体のロジカルな筋道がようやく見えてきた。これはやっぱり、関係した方々の心境を書かなければ、細野さんの本当の歴史は辿れないなという風に思って、"彼ら"という部分にも重きを置くべきだと思ったんです。

田家:エイプリル・フールや、はっぴいえんどの周辺にいた人たちのことも克明に取材されていて。はっぴいえんどの結成の部分、98ページでお書きになっていた「新たなバンドを巡る決定的な動きはこの一週間に満たない間に起こった」と、出来事が時系列でありながら、いろいろな人たちが絡み合って登場していますね。

門間:細野さんは最初小坂忠さんとバンドを組もうとしていたんですけど、小坂さんがヘアーという舞台に立つことになってやめて、代わりに大滝さんが入るわけですね。そのことはこれまでも触れられてきたんですけど、実際に時系列に見ていった時に、一週間の出来事だった。細野さんはよく「まず何かが起きて、考えはその後からついていったんだ」と仰るんです。確かにボーカルが変わることがたった一週間の中で起こった出来事だって分かると、細野さんの言っていた事が確かにそうだと分かる。物事が起きて、細野さんはある意味巻き込まれている。首謀者ではあるけど、巻き込まれざるを得なかったんだということが分かってきた気がします。

田家:なるほど。それがどんな一週間だったのかは、実際に本でご覧ください。続いて門間さんが選ばれた二曲目は、1976年発売ソロの3枚目のアルバム『泰安洋行』から「蝶々-San」。



田家:この曲を選ばれたのは?

門間:これはトロピカル三部作という、細野さんがエキゾチックサウンドに移行した中の代表曲の一つだとは思うんですが、ここで細野さんの音楽性がはっぴいえんどのロックからシンガーソングライター、ニューオリンズの要素を取り入れたものに変わるわけですよね。ここでエキゾチックサウンドに移行していったことが、やはり非常に大きな飛躍だったなと思っています。

田家:どんな話が訊けたらと思われていたんですか。

門間:この時代の細野さんの心の動きがどういうものだったのかは、今回取材が進める中でのいくつかある大きなテーマの一つで。なぜここまで音楽性を大きく変遷させることができたのかということについて、なかなか理解し難いところもあるわけですよね。実際、ティン・パン・アレーの林立夫さんや鈴木茂さんにお話を伺うと、お二人ともやはりついていけなかったと仰っていたので。ここは僕も理解しないと書けないなと思ったところです。

田家:325ページに、細野さんの『泰安洋行』についての言葉がありまして「あれは100%狂気の世界ですね」と、ご自分でも語っていらっしゃいますね。

門間:田家さんもリアルタイムで聴かれていたと思います。

田家:面白いアルバムだなと思いましたね。僕はミュージシャンではないので、林立夫さんや鈴木茂さんみたいに、自分たちの音楽と違うものが出てきたという感じはなかったですけど、やっぱりどこに行っちゃうんだろう? という感覚はありましたよ。

門間:一緒に音楽を作っている仲間とは共通のものを見て、そこに向かって進んでいたと思いきや、この時期は細野さんが一人で作りながら孤立を深めていくようなことをされていて。それは、実はその後のYMOの結成とつながる重要なターニングポイントになっているんですよね。

田家:『泰安洋行』について、確かにそうだった思ったのが、228ページに「大滝の『ナイアガラムーン』と細野の『泰安洋行』はほとんど対になって生まれた」という部分で。こういうことも客観的に踏まえながらお書きになっているのが、とても目から鱗な部分もありましたよ。

門間:ニューオリンズの音楽を如何に消化して、自分の音楽にするかということを同時にお二人がされていて。ただ、出来上がったものの根っこは通じているかもしれないけど、聴き比べると別の音楽でもありますよね。そこが大滝さんと細野さんの個性が表れていて面白いと思います。

田家:当時の大滝さんのファンは細野さんの音楽をあまり聴かないとか、逆に細野さんのファンは大滝さんって何をやってるだろう? と見ていることもあったように思いますし。そして、『泰安洋行』の後に皆逃げちゃったという細野さんの話もありました。『泰安洋行』のあと、細野さんが過換気症候群を再発したということもお書きになっていた。

門間:細野さんが精神的に追い詰められるところまでいかれたというのが、その後の音楽の変化にも現れているし、取材をしていく上で細野さんの音楽というものが細野さん自身の心であったり生き方といかに密接だったかというのが分かった気がします。

田家:その中でYMOが結成された。こうして改めて辿り直すと、YMOが違って聞こえるのではないかということで、門間さんが選ばれたのはこの曲です。1978年のYMOの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』から「ファイアークラッカー」。



田家:この曲を選ばれたのは?

門間:やはりエキゾチックサウンドを感じますよね。元々マーティン・バリーの曲ですが、これをエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてプレイしたいというのがYMO結成当初のコンセプトだったりもしたので、YMOについてはここから始めざるを得ないのかなと。

田家:最初は林立夫さんと佐藤博さんと3人でこの「ファイアークラッカー」を演奏するという構想もあった、と260ページに書かれていますね。

門間:元々は高橋幸宏さんでも坂本龍一さんでもなくて、林立夫さんとマナさんという女性ボーカルを加えるという案もありましたけど、全然違うところからスタートしていたんですね。ただ、林立夫さんに断られるところからスタートしていて。実は細野さんの歴史っていうのは、明確なコンセプトはあるものの、結局自分の思い通りにいかないことが多くて。YMOに関しても、当初のイメージしたものから変わっていますし。

田家:はっぴいえんどもそうですね。

門間:だから、そこら辺がむしろ細野さんのイメージを超えて、音楽性を広げていった、広がっていった要因なのかなという気もしますね。

田家:YMOについてお書きになっている部分では、坂本龍一さんの青春というのもかなり丁寧に追っていらっしゃって。「彼らの時代」であるという本のサブタイトルの証みたいな要素にもなっていましたね。

門間:僕は、YMOは実は今も続いていると思っていて。はっぴいえんどは1985年に再結成ライブみたいなものをされていましたが、YMOは1990年代に再生したり、2000年代もライブを行なったり。

田家:細野さんの50周年の国際フォーラムのライブでも映像使ってやっていましたもんね。

門間:いまだにそうやって顔を合わせる機会があって。そういう意味では、今もYMOから始まる三人の青春時代が続いているようなものだなという感じがしたんです。あの三人の当時から今までというのを僕自身が知りたいし、一つの物語として残しておきたいという欲求になっていたのかなという気はしますね。

田家:なるほどね。YMOは最初の構想とは違ったものの、細野さんが坂本さんに「僕を踏み台にして世界に出ていかないか」と説得した、と272ページにあります。

門間:細野さんはその後に、その通りになったんだと自分を落とすんですよね。オチをつける。そこのユーモアが必ずあるところが、細野さんに人が惹かれていく要因だと思います。

田家:その世界的な成功を果たしたYMOにも陰の部分、反動というものがありました。1980年にワールドツアーを成功させて、レコード大賞のアルバム大賞を獲った後にバンドには深い亀裂が入り、一体感を失っていったと、321ページにあります。

門間:僕も微かに当時のブームを記憶しているんですけど、国民的スターでアイドルに近いような捉えられ方をされる中でメンバーの個を失っていったわけですよね。それがメンバー間の違和感を生むことになってしまって、それはYMOの時代だけでなくてもこの本の中でも焦点を当てざるを得ないと思っていたところです。

田家:YMO解散を正式に持ち出したのは細野である、と361ページに。今だから語られなければならないのは、このYMOの後なんだなと気付かされたのがこの本です。続いて、門間さんが選ばれたのは1989年のアルバム『オムニ・サイト・シーイング』から「プリオシーヌ」をお聴きください。



田家:この曲を選ばれたのは?

門間:これはYMOの後に細野さんがソロ活動をしていく中で、アンビエントの方向に進んでいって。先ほど仰ったように、僕もこのYMO以降の時代があまり語られてこなかったと思って、重要なところです。特に細野さんの精神の遍歴を追うときに一番重要なのがこの時代だなと思っていて。特にこの曲はその代表的な部分だと思うんです。ここをインタビューでも丹念に訊いた記憶があります。

田家:細野さんは、1984年にノン・スタンダードとモナドという二つの新しいレーベルを始めていて、とても実験的な音楽でした。その中にアンビエントがあって。観光音楽というのもこの時に作られ始めているんですね。

門間:この時に細野さんは、広がりつつあったワールドミュージックのブームを先取りする形で自分の音楽に取り入れてきたんですよね。一方で、この時期の音楽ビジネスの広がりと自分の音楽との間に細野さん自身がなかなか整合性を見出せずに、どんどん追い詰められていくような状況になっていく。そこで生まれた音楽を改めて聴いてみると、実はいろいろな発見があると思っています。

田家:そこなんです。376ページに「音楽に対しての気力を失っていた」という記述がありました。



田家:続いて、門間さんが選ばれたのは2011年に発売になったアルバム『HoSoNoVa』から「悲しみのラッキースター」です。このアルバムは、細野さんが全曲歌っていらっしゃって、これは1973年の『HOSONO HOUSE』以来で38年ぶりでした。

門間:これは最近の細野さんの音楽的傾向が表れている曲です。この曲はオリジナル曲ではありますけど、過去の良き音楽をカバーしたり、自分自身で歌って演奏するということに一番喜びを感じていて、それがYMO以降の精神的な葛藤を乗り越えてようやくたどり着いた細野さんの音楽を一番楽しめる場所なんだと思います。

田家:エルヴィス・プレスリーを歌っていたので、嬉しかったですよ。

門間:歌いたい曲はいっぱいあるみたいですね。

田家:YMO以降の細野さんの精神的な葛藤や精神世界の旅も、『細野晴臣と彼らの時代』の大きな柱だと思います。249ページにこういう記述があります。「細野の変身願望は、エゴイズムを超越したいという彼の切実なテーマから来ていたし、それは音楽に限らず、彼の人生に及ぶ壮大なテーマだった」と。よくお書きになりましたね。

門間:ここは今回かなり苦戦した部分ですね。音楽的な部分だけでなく、細野さんがどういう書物や思想に影響されたのかということを辿る上で、細野さんが実際に読んだ本を僕も読んだりして追いついていこうと思って、大変でした。一番重要なのは、カルロス・カスタネダが書いたドン・ファンシリーズで、一番細野さんに影響している作品なんです。これをシリーズで読んでみると、符合するものがあるんですよね。細野さんの今の考えや発言を見ると、ここがこういう風に参照されているんだなという部分があったりするので。そこを一回通ったことが今回大きかったなと思います。

田家:精神的なトリップやメディテーションなどのスピチリャリズム。

門間:ええ。ヒッピーカルチャーと繋がった本ですよね。ヒッピーカルチャーが、細野さんの音楽や考え方に影響していたんだなということを実は改めて知ったということだったかもしれないです。

田家:表紙にある、HOSONO HOUSE時代の長髪の細野さんの写真ですが、この頃はやはりそういう空気がありましたからね。僕もこれを見て「あ、俺だ」と思いましたもん(笑)。

門間:そういう意味ではあの時代の空気を吸い込んだ上で、あの時代にしかなし得なかったことをしていたんだなと思います。

田家:そこから音楽に戻ってきたのが、この『HoSoNoVa』になるわけですよね。2000年代になってから、小坂忠さんなど色々な人との再会がありますね。それがかなり劇的です。

門間:こんなドラマティックな展開があるのかという感じですね。フィクションで書いたらむしろうさんくさく感じてしまうくらい。アンビエントにある意味で引きこもるような細野さんを、皆が表に引っ張り出そうとするわけですよね。そこで細野さんが色々なことに気付いて、また表舞台に出てライブをするようになるところがとても感動的だと思いました。

田家:それが本のタイトル「彼ら」の由縁でもありますね。門間さんが選ばれた今日の6曲目、今年の2月に新作アルバムが出ました。『あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019』から、「Aint Nobody Here But Us Chickens」。



田家:これは細野さんの2019年に行われたアメリカツアーのライブ盤で、ソロになってから初のライブアルバム。この曲を選ばれているのは?

門間:近年の海外における日本のシティポップブームの中で、細野さんの音楽が改めて海外で評価されていて。細野さんもそれに合わせるように海外での単独ツアーを行うようになって、それが2019年に行われたこのアメリカツアーですね。僕もこのツアーを見に行ったんです。今お聴きいただいたのはロサンゼルス公演ですが、あとはニューヨーク公演もあって。僕はニューヨーク公演を見に行ったんですが、物凄い歓声と反応の良さで。若者たちが多かったんですよね。

田家:細野さんのドキュメンタリー映画『NO SMOKING』でもその様子が収められていましたが、そういう感じでしたね。こんなに若い客層なんだなと思いました。

門間:実際に触れてみて衝撃的でしたね。

田家:なんでそういう反応が起きてるんだろうと思いました?

門間:僕が学生時代にはっぴいえんどを聴いた時と同じように、この音楽は新しいと思うんじゃないですかね。今の曲はブギウギですけど、こういう曲をこれほど真剣に洗練されたバンドスタイルでやっているミュージシャンってそんなにいないと思うんですよね。高田漣さんをはじめとするバンドのアンサンブルというのも非常に研ぎ澄まされていて、ライブを観ていてこれほどいいバンドってなかなか無いなと思います。

田家:はっぴいえんどは3枚目のアルバムの「さよならアメリカ さよならニッポン」という曲で、もう日本にもアメリカにも学ぶものがないんじゃないかと言われてましたけど、このアメリカというタイトルがとても象徴的ですよね。

門間:アメリカに帰ってきて、アメリカで音楽を披露して。それは細野さんにとって意味があることだったんじゃないですかね。

田家:そういう新しい世代の中に星野源さんがいたりするのも、この本の一つの流れですね。細野晴臣さんという人は、何者だと思いますか?

門間:ここをずっと考えながら本を書いていたと思うんですけど、それを考えないようにすることによってようやく書けるようになったのかというのもありますね。細野さんを何かに定義づけようとした途端に、それとは違う顔が見えてきて。どうしても一つの何かに収まりきらない方だなと思っていて、とにかくその時代ごとに起きた出来事や心の動きを記録するということでしか、こういう本は書けないなと思ったんです。なんとか書き終えて、そこでようやく何者なんだろう? と考えはしたんですけど、結局は不思議な人だなあ、としか思えないというか(笑)。それ以上のことを定義づけることに意味があるのかな、と思いました。

田家:なるほど。ありがとうございました。2020年末に文藝春秋から発売された門間雄介さんの本『細野晴臣と彼らの時代』のご紹介を兼ねた細野晴臣特集でした。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、音楽本特集Part4。2020年末に文藝春秋から発売された門間雄介さんの本『細野晴臣と彼らの時代』を素材にしながら、細野晴臣さんの特集を送りしました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

細野さんの50年をこんな風に一冊の本にまとめられた。拍手でお送りしたい、そんな本です。「J-POP LEGEND FORUM」は2014年4月に放送を始めたんですが、そのきっかけになったのが大滝詠一さんが亡くなったことでした。そういう日本の音楽シーンの立役者が他界していく時代が来たんだな、そういう人たちの軌跡や功績を辿れる番組をやろう、ということでこの番組が始まりました。最初の一ヶ月の特集が大滝詠一さん。それ以降、はっぴいえんどは様々な形で登場したり、取り上げたりしてきているわけですが、細野さんの特集はずっとやってみたい、やらなければいけないという想いがありました。でも、どんな風にやればいいんだろう? これは手に負えないんじゃないか? と思って今まで特集を組まないままになってしまったんです。ですから、この本を最初に読んだ時によくここまで取材して書き切ったな、と頭が下がりました。同業ですから、時にはライバル心みたいなものも感じたりすることもあるんですが、今回はそういうのは全くなくて、恐れ入りました、お見事でしたという感じがありました。



改めて今月、サブスクの時代に音楽の情報はどうあるべきだろう? と思ったんですね。今回の本の中にも、今まで聴いてこなかった作品があったんですが、今CDを手に入れて聴こうとすると結構大変な作品もサブスクにはある。つまり、本を読みながらこのアルバム聴き直してみよう、ということがすぐできる。そういう音楽情報がたくさんある中で、音楽について書かれた本はどうあるべきか? 本当に音楽を整理して、音楽に関するきちんとした情報やストーリーを提供するべきなのではないか? というのが、今月の特集の大きな動機になっています。今回の細野さんの本は、こんなに役に立った本はなかったというくらいの本でした。そういう意味では、いい時代になったのかもしれません。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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