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『ノマドランド』クロエ・ジャオ監督、ジャーナリズム精神で社会に寄り添う映画づくり「人間って本当に面白い」

Rolling Stone Japan / 2021年4月15日 19時15分

2020年11月、カリフォルニア州南西部オーハイの自宅近くで米ローリングストーン誌の撮影に応じるクロエ・ジャオ監督。(Photo by Nolwen Cifuentes for Rolling Stone)

英国アカデミー賞授賞式で、アジア系女性監督としては初めて監督賞を受賞したクロエ・ジャオ。現在公開中の映画『ノマドランド』は作品賞も受賞した。幼少期を過ごした北京からロンドン、そしてアメリカの心の故郷の奥深くーー。クロエ・ジャオがハリウッドにたどり着くまでの道のりは長いものだった。

2020年11月7日、カリフォルニア州南西部のオーハイの町に垂れ込めていた雲の間から光が差し込んだ。クロエ・ジャオの顔がほころぶ。予定では、マーベルの新作映画『エターナルズ(原題)』のポストプロダクションのため、部屋にこもって鬱陶しい天気の土曜日をやり過ごすつもりだった。だが、ジョー・バイデンが5日間(それとも数世紀?)の悪夢の大統領選挙を制したというニュースが舞い込んだ直後に太陽の光が降り注ぐと、ジャオは予定を変更した。お気に入りのイタリア料理店からピザとティラミスを注文して祝祭だ。乳糖不耐症は、この際忘れよう。

「どういうわけか、太陽が顔を出したんです。それに、外は最高の天気。だから、今日は二度と口にしないと自分に誓った食べ物をめいっぱいオーダーして、お日様を満喫するつもりです」と、ジャオは楽しそうに言った。

お祝いムードは長く続かなかった。バイデン勝利が人々にもたらした高揚感は、トランプ支持者の否認主義と激しい暴動に取って代わり、新型コロナも猛威を振るい続けた。いまも続く深刻な感染状況にともない、『エターナルズ』の公開のみならず(現時点では11月6日に全米公開予定)、長編3作目であり、アカデミー賞最有力候補との呼び声が高い『ノマドランド』の公開も延期になった。もともとは2020年12月に公開予定だった同作は、ようやく2月に日の目を見る。2月19日に全米での劇場と定額制動画配信サービスのHuluで公開されるのだ(日本公開は3月26日)。

38歳のジャオにとっては長い道のりだった。2018年秋をスタートに、彼女は同時進行で取り組んでいた『エターナルズ』と『ノマドランド』に2年間のほとんどを捧げてきた。同年9月に『エターナルズ』の監督としてマーベル・スタジオに抜擢されてまもなく、ジャオは4カ月にわたるゲリラ的な『ノマドランド』の制作に身を投じた。同作は、車上生活を送りながら、生きるために季節ごとに場所を点々とする労働者階級の高齢者たちを描いた、観る人の心を揺さぶるアメリカの物語だ。息をのむほど美しいアメリカ西部の風景とグローバル経済から取り残された男女の繊細な描写が特徴的な同作、フランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン以外はすべて本物の車上生活者を配役し、現在のカルチャーを見つめた唯一無二の鋭い分析であると同時に、解毒剤のような作品だ。

「ビタミン剤のようなものね」とマクドーマンドは『ノマドランド』についてこのように述べた。「この状況下で人々の共感的な本質がにじみ出てきた。だって、誰もが社会をひどく必要としているから。私たちは、つながりに飢えているの。映画を観た人たちは、カタルシスのような作用があったと言ってくれた。『ノマドランド』は”自分”というちっぽけな世界から人々をひっぱり出し、世界では何が起きているのだろう? という問いを投げかけてくれたわ」

『ノマドランド』では、政府の取り組みとそこからこぼれ落ちてしまった人たちの痛々しい交差が主に描かれているものの、政治とは一切無関係だ。ジャオは登場人物たちを尊重しすぎるあまり、彼らをひとつの意見を象徴するアバター的な存在へと陥れるようなマネはしない。重要なのは彼らの物語であり、どの政党に投票するか? は問われていないのだ。彼らの生活は苦しく、政府の支援を必要としている。そんな彼らは、リベラル派なのだろうか? 彼らは高齢者で白人だ。だからトランプ支持者なのだろうか? 『ノマドランド』は、こうした問いには一切触れないし、観ている人もそんなことはまったく考えないだろう。


クロエ・ジャオ監督(Photo by (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.)

この中立さこそがジャオ作品の特徴だ。彼女の作品は、見過ごされてきた人々に徹底してフォーカスする一方、政治的な計略を押し付けるようなことはしない。(2015年の長編デビュー作『Songs My Brothers Taught Me(原題)』と複数の賞に輝いた2017年の『ザ・ライダー』の両作は、サウスダコタ州の先住民居留地・パインリッジ・リザベーションで暮らすラコタ族の人たちが主人公だった。)アーロン・ソーキン監督とはタイプが異なるのだ。実生活では左寄りであることを隠さないものの、映画監督としては、私たちに別の人間の世界をスクリーン越しに紹介することを唯一の目的としているようだ。ジャオが見せてくれる世界では、あらゆるディテールが極めて緻密に描かれているため、観る側は登場人物たちと同じ空気を吸い、同じリズムで呼吸しているような感覚を覚える。ジャオの映画は、人間の鼓動のように感じられるのだ。


「自分なりの政治的見解は持っています。とても強い見解を」とジャオは言う。「でも、自分の見解が正しいんだと他の人たちを説得させるのは、物語の語り手としては違うんじゃないかと思っています。ディナーの席は別として。ある世界とそこで暮らす人たちに惹かれると、その人たちをできるだけ忠実かつ誠実に表現できる体験を作り上げることに興味がわきます」

ジャオがこれまで手がけた限られた予算のインディペンデント映画においてそれは、映画の主人公にふさわしい、興味深い対象が見つかるまでコミュニティに溶け込むことを意味する。ジャオはバーに入り浸ったり、地元のイベントに顔を出したりするだけでなく、ガソリンスタンドなどでも人々と談笑しては、映画の題材となる真に迫る物語を探す。『Songs My Brothers Taught Me』の制作中、ジャオの視線はブレイディ・ジャンドローという若いカウボーイに注がれた。彼女は、ジャンドローがロデオで落馬して重傷を負ったあとも定期的に彼の様子を見に行った。ジャンドローが主人公ブレイディ・ブラックバーンとして登場する『ザ・ライダー』は、ジャンドローの痛ましい再生と、二度と馬に乗ることはできないかもしれないという後遺症の現実と向き合う姿から生まれた作品である。主人公の家族を演じたのは、ジャンドローの本物の家族だ。それだけでなく、ジャンドローの友人も落馬によって半身不随となった主人公の友人レイン本人として登場する。同作の脚本は、彼らの人生を逐一再現したものではないが、彼らの個性を生かしながら、各々が体験した重要なディテールを取り上げている。

「基本的にはジャーナリストね」と、マクドーマンドはジャオについてこのように語る。「キャスティングでは、私がいままで出会った人たちのことを聞かせてほしいと言われたわ。彼女は質問し、あなたの物語に触れ、こうしたものからキャラクターを作り出す。そうすることで彼女のストーリーテリングに奥深さが生まれる。こうした物語を同じ深鍋に入れることで何か素晴らしいものが生まれるかもしれない、という化学反応を信じているの」


『ノマドランド』主演でありプロデューサーのフランシス・マクドーマンドとクロエ・ジャオ監督(Photo by (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.)

見知らぬ人と会話を始めるのは驚くほど簡単だと、ジャオは言う。それは、人口が多くて忙しないアメリカ沿岸部の都市を離れて内陸に行けば行くほど顕著だ(「パインリッジ・リザベーションでは、住民たちの家のドアに鍵がかかっておらず、そのまま入れてしまいそうなときがありました」と語る)。だが、親密な関係になるにはもう少し努力が必要だ。メディアが年に1〜2回だけそこでの窮状を取り上げては消えていくような、都心から遠く離れた場所ではなおさらだ。ジャオは、物語の背後にある物語を探し求める。それに彼女は、信頼関係の築き方も心得ている。

「社会の主流から取り残されたコミュニティの人たちは、何を話すべきかわかっています。というのも彼らは、あなたがそういった話を聞きたがっていると思い込んでいるから」と話す。「だから普段は、じっと座って彼らの熱弁に耳を傾けるんです。それが終わったら『ところで、どのアメフトチームを応援してるの?』のように、人間味のある話題をふります。そして、どこかのタイミングで晩ご飯の献立や高校時代の初恋相手など、誰もがわかり、共感できる話題になれば、『ひょっとしたら、別の何かがあるのかもしれない』と思ってもらえます。そうなれば、あとは全力投球です」


この方法によってジャオは『ノマドランド』に極めて感動的な要素をもたらした。同作の登場人物の中には、ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーの2017年のノンフィクション作品『ノマド—漂流する高齢労働者たち』で取り上げられた人物もいる。それ以外の登場人物は、書籍の映画化権利を購入し、『ノマドランド』のプロデューサーでもあるマクドーマンドとジャオが道中で出会った人たちだ。4カ月間、ジャオがキャスティングと脚本の執筆を急ぎ足でこなすなか、撮影クルーは各々のワゴン車でサウスダコタ州、ネブラスカ州、アリゾナ州、ネバダ州、カリフォルニア州を巡り、行く先々で会った人たちの物語を積み重ねていった。マクドーマンドは、ノマド仲間たちとともにAmazonの倉庫での梱包作業、製糖のためのビーツの収穫、誰もいないキャンプ場のトイレの清掃に携わった。彼らの描写には同情もなければ、ヤラセもない。マクドーマンドが言うように、ジャオは「センチメント(感情)とセンチメンタリティ(感傷的なこと)との間に明確な一線を引いている」のだ。

「私たちは、自分にとっては世界の終わりのような、困難な状況を人生のどこかで経験します」とジャオは『ノマドランド』の登場人物たちについて語る。「闘いを強いられ、ときには自分という存在を見直さなければいけません。私たちを定義づけていたものが失われてしまったから……忍耐力、そして新しい人生と自分を見つけられることは、私にとって人間のスピリットなんです」

マクドーマンドが演じた主人公ファーンは、夫の死と工場の閉鎖にともなう街の経済破綻後の生き方を模索する。無職で家賃が払えない彼女は、ひとりで旅に出る。ファーンはストイックで頑固なまでに自立しているが、温かい心を持つ彼女は優しい存在感を放つ。それは、ジャオが実際のノマドたち、マクドーマンド、さらには自分自身から引き出した特徴の集大成なのだ。

「最初の映画の準備に取り掛かって以来、ずっと移動しながら生活しています。車の中、キャンプ場、モーテルなどですね」とジャオは言う。「ひとりの時間も多かったですし、それがすごく気に入っていました。穏やかさや孤独といった感覚を身につけるのはとても難しいですが、一度できるようになると素晴らしい力になります。それがあれば、たいていのことは乗り越えられますから」


『ノマドランド』フランシス・マクドーマンド(Photo by (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.)

ジャオは、子どもの頃からあちこちを転々としてきた。ひとりっ子として中国・北京で幼少期を過ごした彼女は、学校では”問題児”だった。教科書の表紙を破って漫画のカバーにし、授業中にこっそり読んだ。欧米文化に夢中になり、MTVや『ターミネーター』に『天使にラブ・ソングを』といったアメリカ映画を浴びるように観た(それ以来すっかり映画オタクのジャオが筆者とのビデオ通話に使っている背景画像はキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』)。両親はひとつの場所にじっとしていられない娘の性格を尊重し、彼女が14歳になるとロンドンの寄宿学校に入学させた。だが卒業を目前に控えた17歳の頃、アメリカへの憧れが爆発した。ジャオは両親に「ハリウッドサインがある場所に行きたい」と訴え、カリフォルニア州ロサンゼルスの高校に編入した。

「アメリカのことなんて、ほとんど知りませんでした」と、ジャオは声を出して笑いながら言う。「マイケル・ジョーダン、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス——他のことには無関心でした。どちらかと言えば箱入り娘で、無知だったんです。でも、1999年のロサンゼルスのダウンタウンにティーンエイジャーを送り込むことがどういうことかわかりますよね? いろんな発見をします」とニンマリ笑った。「本当に、いろんな発見がありました」

アメリカという新しい故郷の複雑な社会情勢をジャオがまったく知らないことに気づいた高校の教師が、放課後毎日ジャオにアメリカ史を教えた。その結果、ジャオは政治に強い興味を持った。マサチューセッツ州のアメリカ最古の女子大学である名門マウント・ホリヨーク大学に進学し、アメリカ政治学を専攻した。卒業後は、マンハッタンでバーテンダーとして働くなど職を転々とし、ニューヨーク大学(NYU)で映像制作を学んだ。大平原や山々といったアメリカ西部の大自然に愛情あふれる眼差しを注ぐジャオの作品がこの国の神髄をとらえているのは、自然と湧き出る好奇心と旅への渇望によるものなのだ。それ以外にも、中国出身であることから肩の荷は「いくらか軽い」と言う。「歴史やそれが意味するものなどの重荷が少ないんです。それは私の一部ではなかったから。その結果、より多くの自由を与えてもらっているのかもしれません」


ジャオがここ数年温めてきたプロジェクトのひとつに、バス・リーブスの伝記映画がある。バス・リーブスとは、1800年代後半にミシシッピ川の西側のオクラホマ準州でアメリカ初の黒人の連邦保安官となった人物だ。リーブスの物語は、デイモン・リンデロフが製作総指揮をとったドラマシリーズ『ウォッチメン』において重要な役割を果たし、原案のヒーローは黒人だったという着想によって従来のドラマ観を覆した。だがジャオは、リンデロフに先制パンチをお見舞いされたからといって、怒ってはいない。リーブスについて語るべき物語は山ほどあるのだから。

「もっと多くの映画やテレビ番組がリーブスを取り上げてくれることを期待しています」とジャオは言う。「すっかり過去の人物になってしまいました。それに、リーブスの若い頃の具体的なエピソードもあまり残っていません。現在のオクラホマ州である先住民の土地は当時、”無法地帯”と見られていましたから。ですから、さまざまなバックグラウンドを持つ人々がそこに集まりました。まさに人種のるつぼだったのです。それだけでなく、厳しい環境でもありました。だから緊張感に満ちていた一方、政府が介入してルールを設ける前は、人間同士の協働が多く見られたのです。これは、アメリカの素晴らしい点であり、私たちはこのことを忘れてはいけません。古き良きアメリカ西部の終わりという時代の何らかのエッセンスを探究し、表現できたら最高ですね」

その前に、ジャオの世界観による『エターナルズ』の公開が私たちを待ち受けている。同作は、MCUのフェーズ4の要となる作品だ。はやくも同作は、マーベル・スタジオが初の同性愛者のヒーローを登場させると公言したことで話題を呼んでいる。それに莫大な予算と豪華絢爛なキャスト(アンジェリーナ・ジョリー、サルマ・ハエック、クメイル・ナンジアニ、ブライアン・タイリー・ヘンリー)といった組み合わせが親密で自然なジャオの描写とはかけ離れていると思う人は、どうか考え直してほしい。

「クロエ(・ジャオ)は、小規模でパーソナルな優れた作品を見事に作り上げるだけでなく、宇宙規模のとてつもなく壮大な考え方を持っています。それは、まさに私たちが探し求めていたものです」と、マーベル・スタジオのトップであるケヴィン・ファイギ社長は述べた。ファイギ氏は、ここまで見事なアイデアに出会ったことはないと、ジャオを絶賛する。「『エターナルズ』は、数千年にわたる壮大で幅の広い物語です。でも彼女はそれをやってのけました」

『エターナルズ』のヒーローたちは不死身の異星人かもしれないが、ジャオは観る人がそれをリアルかつ実験的だと感じてほしいと思っている。「登場人物たちと一緒にその空間を体験しているような」感覚をオーディエンスに味わってほしいのだ。実際ジャオは、『ノマドランド』と同じ手法で『エターナルズ』を撮影した。たしかに超一流の俳優たちが目白押しだが、演者との対話や人間らしいタッチといったジャオの鉄板アプローチは健在だ。

「演じている人の個性が最大限に生かされるよう、いつも全力で闘います」と言う。「大規模なものであれ、小規模なものであれ、今後もこうした方法で映画を撮りつづけたいです。だって、いつも思うんです。人間って本当に面白いなって。そう思いませんか?」

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