歴代最高のメタルアルバム100選
Rolling Stone Japan / 2021年4月18日 12時50分
米ローリングストーン誌が2017年に作成した「歴代最高のメタルアルバム100選」。100枚を選出するにあたって、基本となったルールは以下である。
・60年代後半から70年代前半における先駆者たちなくしてメタルが生まれなかったことは確かだが、彼らの作品の多くはフォークやブルースのカラーが濃く、メタルのフォーマットと一線を画しているため、本ランキングでは選出対象外とした。
・またAC/DCやガンズ・アンド・ローゼズをはじめとした、テンションという点では共通するものの、サウンド面では必ずしも接点のないバンドも除外。
・さらに、正真正銘のメタルアルバムという定義と矛盾しないよう、やや邪道なバンドや、音楽性にムラのある作品も登場しない。
これらのルールによりランキングが作成された。なかには本誌が過去にこき下ろしたり無視した作品も含まれているが、これには我々自身への戒めの意味も込められている。この機会にメタルのヒストリーを存分に楽しんでいただきたい。
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Text by Christopher R. Weingarten, Tom Beaujour, Hank Shteamer, Kim Kelly, Steve Smith, Brittany Spanos, Suzy Exposito, Richard Bienstock, Kory Grow, Dan Epstein, J.D. Considine, Andy Greene, Rob Sheffield, Adrien Begrand, Ian Christe
Editor by Daishi Ato
100
アヴェンジド・セヴンフォールド
『City Of Evil』 2005年
バンド史上最も解放感に満ちた3rd
メタルコアのルーツから意図的に距離を置いた3作目。あえてクラシックなメタルの魅力を凝縮。笑えるほど仰々しくキャッチーなコーラスとポップ・クラシカルなギターのアルペジオが印象的なリード曲「Beast And the Harlot」がハイライトなのは間違いない。ジェットコースターのようなリフと地響きを思わせるドラミング、そして速弾きが全編で炸裂。フロントマンのM.シャドウズはシャウトを用いず「歌」に徹している。リリース当時、こういった古き良きメタルの様式美を見直そうとする動きはほとんど見られなかった。転換作『City Of Evil』以降、彼らはプラチナディスクを連発する。「セルアウトしたって見なされることも多かったけど、それを補って余るだけの反響があった」シャドウズはそう語っている。R.B.
99
エヴァネッセンス
『Fallen』 2003年
ゴシックメタルムーブメントの急先鋒
映画『デアデビル』のサントラに収録された、不穏な空気が漂うシネマティックな「Bring Me To Life 」が注目を集めたことで、エヴァネッセンスはゴシック・メタル・ムーブメントの急先鋒となり、世界で最も勢いのあるバンドの一つとなった。エイミー・リーのオペラを思わせるヴォーカルを武器としたバンドは、男一色だった2000年代前半のロックシーンにドラマ性とフェミニティを持ち込んだ。鬱、自殺願望、死といった重いテーマを掲げながら、『Fallen』は2003年で最も売れたアルバムの一つとなり、全世界で1700万枚ものセールスを記録。発表から15年以上が経った今でも、本作は叙情性を備えたヘヴィメタルの理想形の一つとして認知されている。B.S.
98
サン O)))
『Monoliths & Dimensions』 2009年
ドローンに宿る実験精神
「サン O)))の楽曲にはジャズの要素が少なからずあると思う。理論の面だったり、型にはまらないという点においてね」グレッグ・アンダーソンはThe Wire誌にそう語っている。エレキギターによる地鳴りのようなドローンを代名詞とするサン O)))とデイヴ・ブルーベックを混同する人は皆無に違いないが、アヴァンメタル界の大物デュオの音楽にはジャズ譲りの奔放な実験精神が確かに宿っている。エレクトリック期マイルス・デイヴィスの長尺でフリーフォームな作風にインスパイアされた6作目は、バンド史上最も壮大なレコード。16分間の光に満ちた瞑想曲「Alice」では、トロンボーン奏者のジュリアン・プリースターがコーダを演出している。C.R.W.
97
ゴジラ
『From Mars To Sirius』 2005年
ガッツと知性に満ちた音楽性で登場
ブラックメタル至上主義者や、エモとメタルのクロスオーバーを狙うトレンドセッターが台頭していた2000年代初頭に、ゴジラはスラッシュメタルとデスメタルが混じり合うガッツと知性に満ちた音楽性でシーンに殴り込んだ。初期のセパルトゥラから影響を受けた彼らは、後期モービッド・エンジェルを思わせるスラッジメタル系サウンドを確立。歌詞のテーマも音楽に匹敵するほどヘヴィで、ビッグなサウンドと自然音に合わせて、比喩を用いながらエコロジーや海洋哺乳動物の保護について歌っている。彼らは環境保護に取り組むバンドとして認知され、ジョー・デュプランティエはフランスが生んだ久々のギターヒーローとして崇められるようになった。I.C.
96
クヴァラータク
『Meir』 2013年
主流と地下の境界線を無効化する2nd
2010年代のメタルを語るうえで、バルカン半島各地のサブシーンについて触れないわけにはいかない。そのなかでも、不遜な態度と憎めないキャラクターで、クラシックなメタルの魅力を復活させたクヴァラータクは別格だ。メインストリームとアンダーグラウンドの境界線を無効化するかのような遊び心に満ちた2作目は、コンテンポラリー・メタルのお手本のようなアルバム。アーランド・イェルヴィックによるシャウトやうなり声はすべてノルウェー語だが、リフにはユニバーサルな魅力がある。ノルウェーのナショナルチャートの頂点に立っただけでなく、Spellemann Award(ノルウェーのグラミー賞)で最優秀メタルアルバム賞を受賞した。H.S.
95位 - 91位
95
ドリーム・シアター
『Images And Words』 1992年
プログレメタルの一大叙事詩
ドリーム・シアターは1992年の時点でレコード契約と結成時のシンガーを失い、キャリアは陰りを見せ始めていた。ニルヴァーナがシーンを席巻していた時代に、超絶ギターテクとイエス譲りの複雑な鍵盤サウンド、オペラを思わせるヴォーカルが満載のプログレメタルを発表することは、もはや自殺行為に等しかった。それなのに、本作は思いがけない成功を収めている。バンドの音楽性とテクニックを顕著に示しているのが、果てしなく壮大な「Metropolis」と、10分を超える最終曲「Learning To Live」。90年代を通してプログレの火に薪をくべ続けた彼らは、ペリフェリーやビトウィーン・ザ・ベリード・アンド・ミーといった後進に大きな影響を与えた。R.B.
94
デフヘヴン
『Sunbather』 2013年
ブラックメタルの無限の可能性を示す
カリフォルニア州モデストでの高校時代、スレイヤーのTシャツを着ていたジョージ・クラーク(Vo)と、シャツにデッド・ケネディーズのワッペンを貼っていたケリー・マッコイ(Gt)はお互いを意識し、ごく自然な流れでバンドを組むことになったという。ブラックメタルの無限の可能性を示した2作目には、モグワイを思わせるポストパンク的ノイズと、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインにも通じるシューゲイズサウンドが同居している。「激情的な音楽、実験的なサウンド、物悲しいインディーロック。俺たちはその3つに等しく夢中になっていた。いろんな要素を組み合わせるのが俺たちのやり方なんだ。誰が何と言おうとね」とマッコイは語っている。R.S.
93
ホワイト・ゾンビ
『La Sexorcisto: Devil Music Volume One』 1992年
下半身を刺激するグルーヴ
一説によると、ブラック・サバスはリハーサルに使っていた建物の向かいにあった劇場で放映されていたホラー映画からバンド名を拝借したという。ホワイト・ゾンビにとってもホラー映画は大きなインスピレーション源だ。見た目はもちろん、楽曲にもホラー映画からサンプリングされた台詞や叫び声が散りばめられている。最大の魅力は『ファスター・プシィキャット!キル!キル!』のようなエクスプロイテーション映画から引っ張ってきた、どこかユーモラスな音楽性。彼らは呪われし者たちの社交場に集うゴーゴーダンサーが喜びそうなグルーヴを追求し、リスナーの下半身を刺激する。ラウドで痛快なサウンドは多くのヘッドバンガーズの支持を得た。J.D.C.
92
アイヘイトゴッド
『Take As Needed For Pain』 1993年
ルイジアナを代表するレジェンドへ
歓喜に満ちたニューオーリンズ音楽の背後には必ずと言っていいほど闇が存在するが、それはルイジアナに住むドラッグ漬けのならず者たちが、地元シーンを代表するバンドへと生まれ変わる原動力となった。ブラック・サバスとメルヴィンズに影響を受けたというバンドのヴィジョンについて、マイク・ウィリアムス(Vo)はDecibel誌に「できる限りスローかつアグレッシブにプレイし、人類を叩きのめす」と語っている。この2作目は生々しさと攻撃性はそのままに、パンク・ブルースというべき原始的なエネルギーに磨きがかかり、もはやスタイリッシュと呼べるほど。この街の反骨精神をこれほど浮かび上がらせたレコードを作ったバンドは他にいない。H.S.
91
ネイキッド・シティ
『Torture Garden』 1990年
メタルと異形なジャズの不穏な融合
因習打破を命題とするジャズ界の反逆児ジョン・ゾーンは、どんなに過激なものも音楽的素養として飲み込んできた。彼のプロジェクトの中で最も悪名高いネイキッド・シティでは、英国発のグラインドコアと、日本で猛威を振るっていたノイズパンクを吸収。全26曲(最も長い曲でも79秒しかない)からなる本作では、ヒリヒリするようなゾーンのサックス、ダウンタウンのジャズシーンの精鋭たちによるアンサンブル、山塚アイの金切り声が渾然一体となり、濃密で狂気に満ちたサウンドスケープを描き出す。ゾーンの分裂症的アプローチは、マイク・パットンなど固定概念に縛られないアヴァンメタル界の先進的アーティストに大きな影響を与えた。C.R.W.
90位 - 86位
90
ボディ・カウント
『Body Count』 1992年
LAのホラーめいた日常を描き出す
ラッパーのアイス-T率いるボディ・カウントは、ラヴクラフトやキングの小説に色付けし、歴史上の残虐行為とテレビで報じられるニュースを並べるだけみたいな、80年代の空虚なスラッシュメタルとは一線を画す存在だった。彼らが描いたのは、LAのストリートにおけるホラーめいた日常。ギャングの抗争が繰り広げられる夜、黒人男性の人権を無視する刑務所のシステム、薬物によって人生を台無しにした友人たち、「アホで間抜けでチンカスまみれのクズ政治家ども」という体制批判が、本作の何たるかを物語っている。代表曲「Cop Killer」は、奇しくもロドニー・キング事件の直後に発表され、横暴な警察に憤りを覚える人々のテーマソングとなった。C.R.W.
89
ナイトウィッシュ
『Once』 2004年
オペラとパワーコードの融合
ハロウィン、サヴァタージ、ブラインド・ガーディアン等が80年代に確立したシンフォニックメタルは、抜群のインパクトを誇るフックと壮大なオーケストレーションを融合させた。オケにはシンセサイザーを用いることも多いが、ナイトウィッシュのそれはフル編成のオーケストラによるものだ。プロのソプラノ歌手であるターヤ・トゥルネンを擁するフィンランド発のバンドは、メタルにおけるオペラ的側面とパワーコードの破壊力を融合させることで絶大な人気を得た。彼らはこの5作目で、力強さとメロディの理想的なバランスを確立。ワーグナーのような壮大さを誇る一方、「Nemo」のような曲には音楽的素養なしでは生み出せない親しみやすさがある。A.B.
88
ピッグ・デストロイヤー
『Terrifyer』 2004年
シャワーを浴びたくなるほどダーティ
多くのグラインドコアのバンドは速さと正確さ、残虐さを追求するが、本作ほど凶暴なレコードは滅多にない。当時は3人組だったピッグ・デストロイヤーは、ブラストビートと超高速リフを武器にしつつ、最大の特徴はヘルメットやアンセインに象徴される90年代オルタナメタル譲りの軋むようなサウンドにあった。突進するブルドーザーのようなノイズパンクから、問答無用のドゥームメタルまで作風は多彩。「極めて細部に至るまで、俺たちはスピーディでダーティであることにこだわっている。洗練されてはいないけど、じっとしていられなくなるほど速く、シャワーを浴びたくなるほどダーティだ」スコット・ハル(Gt)は2003年にそう語っている。C.R.W.
87
マノウォー
『Hail To England』 1984年
馬鹿馬鹿しくて大げさでキャッチー
ブロンクスのパンクス集団ディクテーターズを脱退後、ロス・”ザ・ボス”・フリードマン(Gt)は思いがけない方向にハンドルを切り、メタル史上屈指の仰々しさを誇るバンドを結成する。ブラック・サバスのベースも務めたジョーイ・ディマイオをメンバーに迎え、マノウォーは自由なライフスタイルとバイクをこよなく愛する男たちの代弁者としてNYで活動開始。この3作目でバンドの基本形(あるいは当時のパワーメタルの典型)と、ロインクロス姿で剣を振り回しながら「偽メタルに死を」と唱えるイメージを完全に確立した。何もかもが馬鹿馬鹿しいほど大げさだが、フォーカスは一瞬たりともブレることなく、曲は抗いがたくキャッチーだ。R.B.
86
ラム・オブ・ゴッド
『As The Palaces Burn』 2003年
スラッシュの新たな地平を切り開く
ラム・オブ・ゴッドは3作目で目覚ましい進化を遂げた。デヴィン・タウンゼンドによるプロダクションは、マーク・モートンとウィリー・アドラーのカミソリのようなギターリフを一層研ぎ澄ました。クリス・アドラー(Dr)はヒステリックな馬車馬を引っ叩くかのようにバンドをリードし、ランディー・ブライ(Vo)はノイズの渦に血を注ぎ込む。グルーヴを極限まで突き詰めた彼らのスタイルは、スラッシュメタルの新たな地平を切り開いた。「最初の数曲に取りかかった時点で、このアルバムが簡単には真似できないものになると確信した。発売1週間でキッズたちがコピーできるようなものじゃないってことさ」。クリスは2003年にそう語っている。D.E.
85位 - 81位
85
ダークスローン
『Transilvanian Hunger』 1994年
救いようのない奴らのためのレコード
この4作目でギターとベースとドラムを担当しているフェンリツは、本作について「頑なに単調。救いようのないやつらのためのレコードさ。娯楽的要素が皆無だからな」と2009年に語っている。紙のように薄っぺらいプロダクション、フェンリツの未熟なテクニック、安物のレコーディング機材(4トラックレコーダーで録音)という組み合わせでなければ、チープで氷のように冷たいギターのトーンや、一定のパターンを刻み続ける瞑想的で音の篭ったドラム、首を傾げずにはいられないベースラインは生まれ得なかった。ここでの生々しく無防備なアティテュードとローファイなアプローチは、後進のブラックメタル・バンドに影響を与え続けている。K.K.
84
ハイ・オン・ファイア
『Blessed Black Wings』 2005年
最も無慈悲なメタルアルバム
スリープのフロントマン、マット・パイクによるストーナー/スラッジメタルプロジェクトの3作目を、デイヴ・グロールは「近年で最も無慈悲なメタルアルバム」と形容した。元メルヴィンズ/サン O)))のジョー・プレストンとスティーヴ・アルビニの2人が、本作のサウンドに大きく寄与しているのは間違いない。「生々しくパンチの効いた、臨場感のあるサウンドが欲しかった」パイクは2005年にそう語っている。彼は歌とギター、そして歌詞の面でも飛躍的な成長を遂げている。「Crossing The Bridge」は特に秀逸だ。「当時の俺はホームレスでどん底にいた。”自らを鎖で縛りつけた戦士”っていうフレーズは、あの頃の俺自身の心境を歌ったものなんだ」D.E.
83
バロネス
『The Red Album』 2007年
コンテンポラリープログレメタルの雄
サバンナ出身のバロネスは本作でもって、マストドンやカイリサが牽引するジョージア州のプログレメタルシーンの雄となった。職人芸というべきアレンジ、捻りの効いた高速リフやメロディックなギターハーモニー、ピンク・フロイドを彷彿とさせるドリーミーなサウンドスケープ、そしてジョン・ベイズリーによるしゃがれ声のシャウトのコントラストが見事だ。「『The Red Album』をリリースした時、過去のEPよりもずっと大きな反響があった」ベイズリーは2008年にそう語っている。同じく色にちなんだタイトルを付けた以降の数作でも音楽性をさらに拡大してみせたが、本作がバンドのヴィジョンを最も明確に示したレコードであることは疑いない。D.E.
82
エントゥームド
『Left Hand Path』 1990年
スカンジナビア半島から世界へ
このデビュー作に先駆けて、エントゥームドはニヒリスト名義でデモ音源を発表し、萌芽期のデスメタルシーンで頭角を現していた。モービッド・エンジェル、オートプシー、デスなどのライバルと彼らを隔てていたもの、それはメンバーたち(当時は全員が10代)のリズミックなグルーヴへの嗅覚だ。ファンの間で「サンライト・サウンド」と呼ばれている、シンコペーションの効いたリズムとディープで爆発的なディストーションギターは、血や骨といったテーマ一色の歌詞からは想像できないほど、ロックンロールへの深い洞察を窺わせる。本作はスカンジナビア半島から世界に飛び出した無数のバンドを導くオーロラのような存在であり続けている。I.C.
81
バソリー
『Under The Sign Of The Black Mark』 1987年
驚異的進化を遂げた唯一無二の存在感
ヴェノムの影響が顕著なパンクメタルのアルバムを2枚発表したあと、バソリーは驚異的な進化を遂げ、唯一無二の存在感を示してみせた。本作はのちにブラックメタルと呼ばれるジャンルの基盤を確立。エンペラー、サテリコン、ダークスローンなど、その後の30年に登場した白塗りの極悪人たちによるバンドは、すべて本作の影響下にあると言っていい。バンドのブレーンであるクォーソンは、金切り声のヴォーカルとミニマルなギターやドラム、トライ&エラーを繰り返すうちに生まれた奇妙な合唱隊のようなサウンドまで、すべてのパートを自身で担当している。ブラックメタルの再評価が進み始めた2004年に、彼は38歳の若さでこの世を去った。I.C.
80位 - 76位
80
ミニストリー
『Psalm 69: The Way To Succeed
And The Way To Suck Eggs』 1992年
インダストリアル界の反逆児へと進化
トレードマークだったシンセサイザーをギターに持ち替え、ニューウェイブ・バンドからインダストリアル界の反逆児へと進化したミニストリーは、濃密な悪夢のようなサウンドコラージュに満ちた5作目でブレイクを果たした。機関銃のようなリフの嵐の背後で、バンドの核であるアル・ジュールゲンセンは誘拐犯が脅迫文をしたためるかのごとく、様々なサンプルをつなぎ合わせている。バットホール・サーファーズのギビー・ヘインズが参加した「Jesus Built My Hotrod」はバンドにとって初のヒット曲に。アルバム自体もプラチナディスクに認定され、マリリン・マンソンやラムシュタイン、オージーなどインダストリアル系アクトが躍進する基盤を築いた。S.E.
79
アット・ザ・ゲイツ
『Slaughter Of The Soul』 1995年
後続に影響を与えた唯一無二の音世界
80年代後半から90年代前半にかけて、スウェーデン東部のストックホルムでは、エントゥームドやディスメンバーなどパンク寄りのアプローチを追求するバンドが台頭していた。一方、西部の港町ヨーテボリでは、ディスセクションやイン・フレイムズなど悪魔を崇拝するバンドがシーンを賑わしていた。同シーンを代表するバンドの一つだったアット・ザ・ゲイツは、初期作では表現力とパワーを売りにしていたが、本作では邪悪さを感じさせる類まれなメロディセンスにフォーカス。だがバンドは不運にも、その功績が正しく評価される前に解散した。2000年代初頭に商業的成功を収めたアメリカのメタルコア勢には、本作の影響がはっきりと見て取れる。I.C.
78
ヴォイヴォド
『Dimension Hatröss』 1988年
ディストピアンなコンセプトアルバム
ケベック北部の田舎町で育った4人の若者たちによるヴォイヴォイドは、ピギーによる超高速ギターリフとSF的テーマが印象的な初期3作で存在感を示したあと、本作でイノベーターとしての地位を確立した。冬のベルリンで制作を進めていた当時の彼らはアナーコ・パンクとインダストリアル、特にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンに傾倒。そのセッションが産んだディストピアンなコンセプトアルバムは、翌夏のメタルシーンを席巻する。スピード感と殺気はそのままに、自己規律とインダストリアル感漂うサンプル、変拍子、そして耳に残る歌メロなどが混在した本作は、トゥールやオーペス、ドリーム・シアターなどにも大きな影響を与えた。A.B.
77
メシュガー
『Destroy Erase Improve』 1995年
メタル突然変異種の基盤を確立
メシュガーの2作目は『ターミネーター』の世界観を思わせるが、その内容は決して名前負けしていない。デスメタルの凶暴さ、スラッシュの正確さ、イェンス・キッドマンのハードコア譲りの咆哮、フレドリック・トーデンダルのジャズフュージョン的高速ギターソロ、気が狂いそうなほど複雑なリズムパターンなど、以降の全作品に共通するバンドのアイデンティティは本作で確立された。バンドはのちにダウンチューニングの7弦/8弦ギターやドラムプログラミングを採用したり、アルバム1枚分に相当する長尺曲を発表したりするようになるが、ジェントと呼ばれるメタルの突然変異種の基盤を確立した本作のシグネチャーサウンドが揺らいだことはない。S.S.
76
トゥイステッド・シスター
『Stay Hungry』 1984年
極限までキャッチーな3分間アンセム
80年代初頭にアトランティックと契約したとき、バンドのキャリアは既に10年を超えており、グラマラスなイメージもLAの若手バンドに奪われていた。しかし彼らは、「Were Not Gonna Take It」や「I Wanna Rock」に象徴されるキャッチーなアンセムを生み出す作曲能力を備えていた。この2曲のヒットと、バンドの顔であるディー・スナイダーが俳優のマーク・メトカーフとドタバタ劇を繰り広げるMVの人気も手伝い、トゥイステッド・シスターはポップカルチャーに旋風を巻き起こす。過剰露出と内輪もめが原因で、バンドの人気はその後急速に衰えていったが、数百万枚を売り上げた本作が80年代のハードロックとMTVのイメージを刷新したことは確かだ。R.B.
75位 - 71位
75
モービッド・エンジェル
『Covenant』 1993年
キャリア史上最もダークなレコード
ライヴ前に腕をカミソリで傷つけるギタリストと、極端な悪魔崇拝で知られるモービッド・エンジェルは、最初から商業的成功を放棄していたように思える。しかし、ワーナー傘下のGiant Recordsと契約し、彼らはキャリア史上最もダークなレコードを完成させた。トレイ・アザトースのうねるようなリフと突発的なリードギター、ドラマーのピート・”コマンド”・サンドヴァルの連打スネア、そしてデヴィッド・ヴィンセントによる憎悪に満ちた咆哮からなる神への冒涜のようなサウンドは、本作で新たな境地に到達した。悪魔に憑依を懇願する「Rapture」、二部構成の悪魔挽歌「God Of Emptiness」など、キャッチーな曲群においてもカオスっぷりは健在だ。H.S.
74
ヴェノム
『Welcome To Hell』 1981年
猥褻さと大言壮語と不滅のカリスマ性
イギリスで起きた真の音楽革命、それはパンクではなく、悪魔崇拝と酒と女に溺れたヴェノムのデビューだ。常に上半身裸で汗だくのトリオが繰り出す超高速プレイには、あのモーターヘッドさえも慄いたという。何もかもを倍速にしたかのような、あの世のテーマソングたるタイトル曲、そして荒くれ者の賛美歌「Live Like an Angel (Die Like A Devil)」では、容赦ないギターとシンバルとシャウトが一体となって悲鳴のような不協和音を生み出す。だが、そのサウンドはどこまでも美しい。ラモーンズとも肩を並べる存在とされる彼らのデビュー作は、ブラックメタルやデスメタルのゼロ地点として、今なお世界中のメタルヘッズたちから愛されている。I.C.
73
スコーピオンズ
『Blackout』 1982年
バンドの魅力が見事に凝縮された1枚
ドイツのスコーピオンズは70年代を通じて、ウリ・ジョン・ロートのギタープレイが光るハードロック作品を発表し続けていたが、アメリカにおいてはブレイクを果たせずにいた。転機は80年代に入る直前に、ルドルフ・シェンカーとマティアス・ヤプスのギターチームがバンドの核となったこと。黄金期の到来を告げた8作目はバンドの魅力が見事に凝縮された一枚。豪速球のようなリフ、輪郭のはっきりしたプロダクション、ストレートなリズムが支える楽曲に、クラウス・マイネの憂いを帯びたシャウトとヤプスのブルージーなリードギターが華やかさを添え、タフでありながらメロディックというお茶の間に届くハードロックのテンプレートを確立した。R.B.
72
アイシス
『Oceanic』 2002年
後続に影響を与えたポストメタル
コンヴァージ、ケイヴ・イン、キルスウィッチ・エンゲイジといった同胞たちと出自こそ同じだが、アイシスは独自の音楽性を確立している。アーロン・ターナー率いるバンドには、メルヴィンズやスワンズ、ニューロシスからの影響が見てとれる。かけがえのない女性を探し求める男の物語を描いた本作は、バンドの転機となった一枚だ。前半ではターナーの悲痛な叫びとともに、バンドはダイナミクスの波を自在に操ってみせる。アルバムの最後を飾る「From Sinking」と「Hym」の2曲は、クライマックスに相応しい圧倒的感情の高ぶりを見せる。本作はポストメタルの先駆けとなり、ペリカンやカルト・オブ・ルナなどの後続バンドに絶大な影響を与えた。S.S.
71
リヴィング・カラー
『Vivid』 1988年
ソウルの守護者たる4人組による1st
NYのリヴィング・カラーによるデビュー作は、『Nevermind』前夜の80年代末にチャートを席巻した、スマートかつヘヴィなロックアルバムの一つだ。アート・ファンクなグルーヴ、アヴァンジャズ譲りの卓越したテクニック、速弾きを武器とするバンドのアンサンブルに、コリー・グローヴァーはオーティス・レディングがアクセル・ローズを真似たかのようなシャウトで応戦。4人のアフリカンアメリカンによるバンドは、唯一無二のサウンドでシーンを震撼させた。「俺が50年代にやったことを、彼らは90年代に蘇らせようとしている。ソウルの守護者たる彼らに神のご加護を」。ロック界のレジェンド、リトル・リチャードは1990年にそう語っている。C.R.W.
70位 - 66位
70
デス
『Human』 1991年
本質を失うことなく進化した4th
デスのフロントマン、チャック・シュルディナーは初期の活動でデスメタルの確立に大きく貢献した。その後、ポール・マスヴィダル(Gt)とショーン・レイナート(Dr)というジャズフュージョンに夢中だった2人を迎えた4作目で、彼らは初期デスメタルのエネルギーとプログレ譲りのテクニックを融合させ、意外ともいえる成長を遂げている。シュルディナーの苛立ちのこもった唸り声に加え、驚くほど緻密なアレンジも秀逸。後年にはゴーガッツやクリプトプシー、フェイスレスなどがデスメタルの複雑な定義をさらに拡大させてみせたが、このアルバムは本質を失うことなく進化したヘヴィミュージックの好例として記憶されている。H.S.
69
サウンドガーデン
『Louder Than Love』 1989年
メタル的側面をより明確に示した2nd
「Black Hole Sun」でメインストリームに殴り込む5年前、サウンドガーデンは商業的成功とは無縁のバンドだった。初期の彼らはパンクとメタルを融合させた原初療法的サウンドを特徴としていたが、この2作目はメタル的側面をより明確に打ち出している。ハイライトである「Gun」では、イントロのスラッジリフが貨物列車のごとくスピードを上げていき、クリス・コーネルが不吉なラインを歌い上げ、メタル魂全開で「クソくらえ」とシャウトする。本作はブラック・サバスが当初イメージしていたスリリングで恐ろしいメタルを体現しているのと同時に、メタリカによる最大のヒット曲「Enter Sandman」のリフに影響を与えたことでも知られる。K.G.
68
マリリン・マンソン
『Portrait Of An American Family』 1994年
セックスと社会的逸脱の悪臭
「俺はファックの神だ!」。本デビュー作に収録された「Cake and Sodomy」冒頭で囁かれるこのフレーズ以上に、脅威を感じさせるステートメントが存在するだろうか? 性的偽善と宗教によって神をからかうという冒涜行為はマリリン・マンソンの十八番であり、『マリリン・マンソン自伝: 地獄からの帰還』において彼は同曲を自身のキャリアにおけるターニングポイントと位置づけている。本作に薄ら笑いのような不気味さをもたらしているのは、トレント・レズナーのプロダクションとNINのメンバーたちによる演奏。セックスと社会的逸脱の悪臭だけでなく、ホルモンの分泌が盛んになり始めた子供たちを夢中にさせる媚薬のような魅力がある。J.D.C.
67
クイーンズライチ
『Operation: Mindcrime』 1988年
野心的なコンセプトアルバム
クイーンズライチの3作目となる野心的なコンセプトアルバムは、発売から30年以上が経った今でも不思議なほど時代を感じさせない。人を殺すよう教えられた修道女の命を救おうとする殺し屋の言葉には現代のビデオゲームのようなドラマ性があるし、アヘン中毒や宗教的堕落といったテーマもストーリー性に富んでいる。主役はフレディ・マーキュリーとロブ・ハルフォード、バウハウスのピーター・マーフィーを融合させたかのようなヴォーカルを聴かせるジェフ・テイト。腹の底から絞り出すような唸り声、鬼気迫るバリトン、ガラスが割れそうなハイトーンなど声色を使い分けながら、彼はアルバムの登場人物とストーリーに命を吹き込んでみせる。T.B.
66
デフトーンズ
『White Pony』 2000年
騒乱とメロディを共存させる術を確立
シューゲイズとトリップホップとメタルを融合させるという、前代未聞の離れ業をやってのけたデフトーンズの3作目は、2000年以降のロックの軌道を大きく修正した。フロントマンのチノ・モレノ、堅固なギタリストのスティーヴン・カーター、ターンテーブルとシンセ担当のフランク・デルガドを軸とするバンドは、本作で騒乱とメロディを共存させる術を確立。紗を重ねたかのようなアンビエンスは、抑制の効いた歌声から脅迫的なシャウト、甘く危険な官能性まで、ヴォーカリストとしてのモレノの魅力を最大限に引き出し、「Passenger」ではメイナード・ジェームス・キーナンによる不穏なスポークンワードが、モレノの存在感を一層際立たせている。S.E.
65位 - 61位
65
フェイス・ノー・モア
『Angel Dust』 1992年
予定調和を拒否して完成させた4th
予定調和を拒否するフェイス・ノー・モアが完成させた4作目は、揺るぎない反骨精神を備えたレコードだった。マイク・パットンは当時こう語っている。「このアルバムを買った人たちが『何だこりゃ?』って反応したとすれば、俺たちとしては満足さ」。サイモン&ガーファンクルの曲からパーカッションをサンプリングした「Midlife Crisis」では躍動するリズムを轟かせ、ファンク・ロックなリフとチアリーダーのチャントを用いたコーラスが印象的な「Be Aggressive」では男性どうしのフェラチオについて歌う。本作はデフトーンズやシステム・オブ・ア・ダウンからスリップノットまで、奇形のメタルを追求するあらゆるバンドに影響を与えた。R.B.
64
ゴッドフレッシュ
『Streetcleaner』 1989年
80年代後半のメタルシーンに衝撃
耳障りなサンプリング音とドラムマシンを駆使するゴッドフレッシュは、ギターとドラム以外の楽器が軽視されがちだったメタルの傾向に終止符を打ち、急速な進化を遂げていた80年代後半のメタルシーンに衝撃を与えた。ディストーションギターを除けば伝統的なメタルの要素はほとんど見られないが、彼らが20年前に同郷バーミンガムで生まれたブラック・サバスと同じフラストレーションを根底に宿していることは明らかだ。ゴッドフレッシュとしての作風を極限まで突き詰めると、ジャスティン・ブロードリックはニューロシスやサン O)))にその道を譲り、自身はポストメタルを標榜するイェスーを始動。よりソフトなアプローチを追求し続けている。I.C.
63
ソドム
『Agent Orange』 1989年
変わらぬスラッシュへの没頭
メタリカが「Blackened」でプログレ路線を追求し、スレイヤーが『South Of Heaven』で異形のドゥームメタルを鳴らしていた頃、ソドムは1983年頃と変わらずスラッシュに没頭しており、むしろ更にのめり込んでいるようにさえ映った。ストレートで緊迫感漂う本作には明らかにアメリカのバンドとは異なるダークさと危うさがあるが、それはトム・エンジェルリッパーのクセのあるアクセントと文法の怪しい英語詞、そしてフランク・ブラックファイアの鬼気迫るギタープレイによるところが大きい。ドイツのスラッシュ勢ではクリエイターやデストラクションが80年代に放った秀作も捨てがたいが、大胆極まりない本作が群を抜いていたのは間違いない。K.G.
62
スリープ
『Jerusalem』 1999年
伝説的な3人組によるマイルストーン
ストーナーロックの金字塔『Holy Mountain』を1992年に発表したベイエリアの3人組、スリープはその7年後に延々とマリファナを讃え続ける全1曲1時間の本作を発表した。コンセプトはシンプルそのものだが、その制作過程はサウンド以上に過酷なものだったという。マット・パイク(Gt)によると、バンドは同曲の制作に約4年を費やし、その過程で曲は当初のイメージよりもスローでトリッピー、そして遥かに複雑なものに変化していったという。「テイクを録ってはボツにするのを繰り返した」という制作に伴う苦行をきっかけにバンドは活動休止してしまうが(2009年に再結成)、本作は伝説的バンドによるマイルストーンとして歴史に刻まれている。D.E.
61
コンヴァージ
『Jane Doe』 2001年
希望と絶望を探し求める中で生まれた
凄まじいテンションで感情を爆発させるハードコアの重鎮コンヴァージは、パワーには事欠かなかったヘヴィメタルに痛ましさを持ち込んだ。予測不可能でエレガント、そしてプログレッシブでさえある本作は、スレイヤーの正確さとブラック・フラッグのエネルギーを兼ね備え、当時浸透しつつあった現実逃避としてのブラックメタルの対極にあった。冷酷な罠に囚われた小動物のように声を絞り出すジェイコブ・バノンは、脆さと苦悩を曝け出すアティテュードで圧倒的なカリスマ性を確立。カート・バロー(Gt)による肉厚で装飾のないプロダクションは、アイシスやハイ・オン・ファイア、ネイルズ、ダーケスト・アワーなど後続に大きな影響を与えた。I.C.
60位 - 56位
60
メルヴィンズ
『Bullhead』 1991年
メタルに急接近し、硬質に変化した3rd
ワシントン州で結成されてからの10年間、メルヴィンズは同時代のスラッジ寄りのパンクバンドとは一線を画す、ビーフハート的な抑揚を効かせたスタイルを追求していた。ブラック・サバスを倉庫に詰め込んで溶岩で溶かしたかのようなテクスチャーは、親交の深かったニルヴァーナにも影響を与えている。しかし彼らは、3作目となる本作でメタルに急接近。曲はより長く、演奏はより正確に、そしてプロダクションはより硬質に変化した。Borisのバンド名の由来となった同名曲では、ナマケモノのようなペースで進む3音のヒプノティックなリフが耳に残る。カミソリのように鋭い「Zodiac」は、グラインドコアの雄ブルータル・トゥルースがカバーした。C.R.W.
59
ナパーム・デス
『From Enslavement To Obliteration』 1988年
グラインドコアを確立した2nd
英国バーミンガム発のナパーム・デスは、アナーコパンクの精神と機関銃のようなサウンド、ミック・ハリスのコミカルなほどの高速ドラミング、そして極端に短い楽曲群のインパクトによって、グラインドコアというジャンルを確立した。この2作目は、ハリスの代名詞であるブラストビート、リー・ドリアンの獣のような雄叫び、ビル・スティアーのジェットエンジンを思わせるギター、以降30年間も一貫して在籍し続けるシェーン・エンバリーのベースという、クラシックラインナップによるクラシックサウンドが堪能できる唯一のアルバムだ。動物虐待や人種差別、男性上位社会などへの怒りをぶちまけた本作は、後年のシーンに絶大な影響を与えた。C.R.W.
58
ライフ・オブ・アゴニー
『River Runs Red』 1993年
自殺をテーマとするコンセプト作品
根深い鬱を描く本作は、自殺をテーマにしたコンセプチュアルなデビュー作。厭世、育児放棄、そして自殺(”我慢できず、俺は手首にカミソリの刃を押し当てた”というラインで幕を開ける「River Runs Red」)と、荒涼とした心象風景が浮かび上がる。ミナ・カピュートがバリトンボイスで歌い上げるグルームメタルとハードコアを融合させたような楽曲群だけでなく、自殺へと至る男の物語を描くヒップホップスタイルのスキットもインパクト抜群。アラン・ロバート(Ba)は絶望に満ちたラインの数々を、人生のどん底を経験していた頃に書いたという。本作の歌詞が辛い思いをしてきた人々を救ったことを知り、彼らはファンと積極的に交流している。K.G.
57
エンペラー
『Anthems To The Welkin At Dusk』 1997年
ダークな質感に満ちた暗澹たる作品
超高速のブラックメタルでシーンに衝撃を与えたデビュー作『In the Nightside Eclipse』を1994年に発表したエンペラーだが、その3年後には苦境に立たされていた。メンバーの1人が放火の罪で、また別のメンバーは殺人罪でそれぞれ収監されていたからだ。出所したサモス(Gt)が再加入したバンドは、前作の壮大な雰囲気を残しつつ焦点を絞った暗澹たるアルバムを完成させた。イーサーン(Vo,Gt)のドラマチックなストーリーテリングと悪魔崇拝、そして攻撃的なキーボードサウンドは本作における大きな魅力となっている。この作品はクラシシズムを備えたエクスペリメンタル系メタルバンドに大きな影響を与え、彼らが躍進するための土壌を築いた。K.K.
56
デリンジャー・エスケイプ・プラン
『Calculating Infinity』 1999年
型にはまらないリズムの徹底した追求
ロックにおける実験的リズムの追求の歴史は何十年にも及ぶが、デリンジャー・エスケイプ・プランの台頭によって、それはムーブメントへと発展した。彼らは徹底して型にはまらないリズムを追求。「これは音楽理論書に唾を吐きかけるようなアルバムだ」とベン・ワインマン(Gt)は語っている。本作の魅力は痙攣リズムや支離滅裂なハーモニー、鉄を切り裂く電動丸鋸のようなギターだけに留まらない。不思議なほどキャッチーでカタルシスを覚える楽曲は、ノイズやエネルギーを重視するハードコアバンドらしからぬロジックと構造に支えられている。拍子が目まぐるしく変化する彼らの音楽を、バンドの信奉者たちは「マスコア」と呼んだ。J.D.C.
55位 - 51位
55
オーペス
『Blackwater Park』 2001年
幽玄な迷路のようなランドスケープ
スウェーデン発のオーペスは90年代を通じて、デスメタルとドゥームとプログレを融合させたユニークな音楽性を育み、この5作目でスタイルを確立した。その原動力となったのは、ミカエル・オーカーフェルト(Gt)の磨きがかかった作曲能力とメンバー4人のケミストリーだが、プロデューサーのスティーヴン・ウィルソンが果たした役割も大きい。プログレの雄ポーキュパイン・ツリーの中心人物である彼は、雑多なアイディアを束ね、非の打ち所がないアルバムの枠組みを定めた。パワーと怒り、全編に見られるメロディックなパッセージがアルバム全体に優美なうねりとフロウをもたらし、幽玄な迷路のようなランドスケープを浮かび上がらせる。A.B.
54
ヘルメット
『Meantime』 1992年
削ぎ落とした装飾、シニカルなエッジ
ヘルメットの2作目は80年代のメタルから装飾を削ぎ落とし、ストリートで育まれた冷酷でシニカルなエッジを加えた。変拍子を用いた「Turned Out」で、ベーシストのヘンリー・ボグダンとドラマーのジョン・スタイナー(のちにトマホークやバトルスでも活躍)は癖のあるファンクネスを生み出している。ダウンチューニングを用いた緊張感のあるサウンドは、パンテラやデフトーンズ、リンキン・パークなどに影響を与えているが、リーダーのペイジ・ハミルトン(Gt)はイノベーターとして祭り上げられることに居心地の悪さを覚えていた。彼は1992年に、「ジャズとクラシックとロックの間に境界線を設けるのは非建設的な行為だと思う」と語っている。H.S.
53
タイプ・オー・ネガティブ
『Bloody Kisses』 1993年
1stとは大きく方向性の異なる2nd
タイプ・オー・ネガティブの処女作『Slow, Deep And Hard』は前身のスラッシュメタルバンド、Carnivoreの路線を踏襲していた。しかし、その3年後にバンドが発表したのは、ベールのようなシンセサウンドが歪んだギターを包み込み、フロントマンのピーター・スティールがクルーナーヴォイスで歌い上げるという、前作とは大きく方向性の異なるアルバムだった。あるリスナーは修道士のようなヴォーカルにゴスの感受性を見出し、別のリスナーはシールズ&クロフツ「Summer Breeze」の大真面目なカバーを単なるジョークだとみなした。いずれにせよ、本作がオリジナル版『ダーク・シャドウ』に匹敵するダークなユーモアを備えていることだけは確かだ。J.D.C.
52
デフ・レパード
『Pyromania』 1983年
世界クラスのソングライターへ仲間入り
「スピルバーグの映画みたいなアルバムを作りたかった」。ジョー・エリオット(Vo)は本作のイメージをそう語っている。そのヴィジョンを形にするため、バンドは変幻自在のプロデュースワークで知られるマット・ランジ(AC/DC、カーズなど)を迎えた。約9カ月と100万ドルを費やして完成させた3作目は、最新のシンセサイザー、ドラム音源の使用をはじめとした当時の最先端レコーディング技術、そして無数のレイヤーによって前代未聞の壮大さを演出したヴォーカルを堪能することができる。ヘヴィなリフとアンセミックで大衆受けするメロディを違和感なく融合させる術を確立した本作は大ヒットを記録。世界的人気バンドの仲間入りを果たした。T.B.
51
カーカス
『Heartwork』 1993年
独自の進化を遂げた複雑さと不気味さ
カーカスが本作で遂げた劇的な変化を要約することは、今日でも容易なことではない。ビル・スティアー(Gt)、ジェフ・ウォーカー(Vo, Ba)、ケン・オーウェン(Dr)がリバプールで結成したグラインドコアのパイオニアは、医療用語辞典から引用したグロテスクな歌詞と強烈なサウンドで独自の存在感を放っていた。しかし、1990年にマイケル・アモットをセカンドギターに迎えると音楽性は洗練され、1993年の時点で複雑さと不気味さは独自の進化を遂げていた。スティアーとアモットによるリフと変幻自在のリードギター、社会問題に言及したウォーカーの歌詞が組み合わさったストレートな楽曲は、セールス面での成功も呼び込んだ。S.S.
50位 - 46位
50
スリップノット
『Iowa』 2001年
ダークで無慈悲な美しいレコード
9人のメンバー全員がマスクを被り、打楽器奏者を数多く擁するスリップノットは、衝撃的なデビューアルバムによって中西部の田舎者からメタル界のスターへと転身したが、その自己破壊願望はバンドを自滅させる寸前だった。本作について、シンガーのコリィ・テイラーはRevolver誌にこう語っている。「あのレコードを作っていた頃、俺は何もかもに怒りを覚えてた。何に怒っているのかさえもわからなかったのにね。幸運にも、それはダークで無慈悲な美しいレコードを生み出した」。絶え間なく刻まれるギター、渦巻くようなスネアとタムの応酬、声帯がちぎれてしまいそうなテイラーのシャウト。最大の魅力はネガティブな感情の爆発ではなく、意外なほどフックに重点を置いたソングライティングだ。J.D.C.
49
ニューロシス
『Through Silver In Blood』 1996年
内面にあるものを絞り出す
1985年にサンフランシスコで結成されたニューロシスは、スローでヘヴィかつディープな音楽性を追求したアルバムを数枚発表していたが、本作ではその傾向をさらに推し進めてみせた。ハードコアとインダストリアル、スラッジメタルと様々なサンプリング音を組み合わせた96年発表の本作では、脅迫的なヘヴィネスとヒプノティックな反復パターンに満ちている一方で、意外なほど脆い部分をさらけ出している。「当時の世の中には暗いムードが漂っていて、俺自身も辛い思いをしていた。そういう背景があったからこそ、俺は自分の内面にあるものを絞り出すようなつもりであのレコードを作った」。ギターヴォーカルのスティーヴ・ヴォン・ティルは、2016年にDecibel誌にそう語っている。S.S.
48
レインボー
『Rising』 1976年
容易に理解できるストレートな魅力
ディープ・パープルのファンクへの傾倒に不満を覚えていたリッチー・ブラックモアは、1974年にバンドを脱退した後に、ロニー・ジェイムス・ディオと共にレインボーを結成した。やがて彼らは、ディープ・パープルの代表作にも匹敵する(凌いでいるとする声もある)2ndアルバム『Rising』を完成させる。「あのレコードでの俺のプレイは過去数年でベストだってよく言われるよ。一応褒め言葉として受け取ってるけどな」。短気なことで知られる名ギタリストは、1976年の作品リリース時にそう語っている。「お前に何がわかる、って言ってやりたいけどね」。ブラックモアが率いるバンドの圧倒的にダイナミックなパフォーマンスは、博識でなくとも容易に理解できるストレートな魅力を備えていたのだ。D.E.
47
スレイヤー
『South Of Heaven』 1988年
ソングライティングの魅力を証明
「速さという点では『Reign In Blood』を超えることはできないとわかっていたから、スピードを落とすしかなかった」。ギタリストのジェフ・ハンネマンはDecibel誌にそう語っている。「何をやってもあのレコードと比較されるのはわかりきっていたから、どうせなら思い切りスローダウンしようってことになった。後にも先にも、あんなことを試したアルバムは他にない」。彼の言う通り、本作のスローぶりは顕著だ。しかし、シタールのような雰囲気の静謐なリフで幕を開ける「South Of Heaven」は前作のどの曲よりも不気味であり、「Mandatory Suicide」におけるユニゾンのツインギターは死の香りを漂わせている。スピードとスタミナだけでなく、ソングライティングのスキルもまたバンドの魅力であることを本作で証明した。J.D.C.
46
マストドン
『Leviathan』 2004年
『白鯨』に基づくコンセプトアルバム
15年前の時点でマストドンは知る人ぞ知る存在だった。過酷なツアーの合間にハーマン・メルヴィルの1851年作『白鯨』を読んだドラマーのブラン・デイラーは、そのストーリーと復讐に燃えるエイハブ船長の姿に、自身の経験と重なる部分を感じ取った。「何年もの間、あちこちを転々としながら地下スペースやクラブでプレイしていた俺たちは、エイハブ船長の狂気とイシュメールの冒険への渇望に、バンドと通じるものを感じたんだ」。彼はModern Drummer誌にそう語っている。そのアイデアが2ndアルバムとなる本作を生み出した。津波を思わせるギターと腹の底から絞り出すようなシャウト、そして圧倒的な手数を誇るドラムフィルを聴けば、バンドによるその壮大な試みが成功したことは明らかだ。T.B.
45位 - 41位
45
エクソダス
『Bonded By Blood』 1985年
スラッシュ四天王に比肩する最高傑作
メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスの4バンドは俗にスラッシュ四天王と呼ばれるが、デビューアルバムとなる本作の破壊力からすれば、エクソダスはそれらのバンドと並べて語られるべきだ。懐疑的な奴らを力ずくで黙らせると宣告する「A Lesson In Violence」、流血するまでステージに頭を打ち続けろとファンに呼びかけるタイトル曲、そして悪魔に導きを求める「Deliver Us to Evil」でのパフォーマンスは、まるで何かに取り憑かれているようだ。一方、ギタリストのゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの2人を中心としたアンサンブル隊は、「And Then There Were None」ではメロディックかつタフでいかついコーラスを聴かせる一方で、「Strike Of The Beast」や「Piranha」等のアンセムではしなる鞭のような超高速リフを繰り出す。K.G.
44
モトリー・クルー
『Shout At The Devil』 1983年
悪魔に喧嘩を売った一枚
『Too Fast For Love』でハリウッドのメタルシーンを席巻した2年後、モトリー・クルーは『Shout At The Devil』で世界(と悪魔)に喧嘩を売った。絵に描いたようなグラムルックのメンバーの写真はサッカーのチームを結成したニューヨーク・ドールズのようだが、前作と比較すると、そのサウンドはヘヴィさを格段に増していた。(説得力には欠けるが)罪に屈するなとリスナーに呼びかける扇動的アンセム「Shout At The Devil 」「Looks That Kill 」「Too Young To Fall In Love」等、バンドの方向性をはっきりと示したシングル曲は、ジューダス・プリーストを崇めるラジオ局と、ヘアメタル一色だったMTVの両方にアピールする魅力を備えていた。「当時の俺たちはすごくフラストレーションを感じてた」。ニッキー・シックスはアルバム発表の直後にそう語っている。K.G.
43
ジューダス・プリースト
『Stained Class』 1978年
メタルの歴史における重要な転換点
英国が誇るジューダス・プリーストの1978年作の本作は、バンドのキャリアだけでなく、メタルの歴史においても転換点となった。彼らは本作で、初期のプログレロック志向を完全に放棄する。スピード感とタイトさ、そして凶暴ぶりを増し、過去作に見られた装飾は削ぎ落とされている。同作でバンドはアメリカのチャートに初めて登場し、後に大きなうねりとなるブリティッシュ・ヘヴィ・メタルの発端を生み出すとともに、英国のシーンがパンク一色ではないことを証明してみせた。「あの頃はバンドにとってすごくエキサイティングな時期だった。『俺たちはメタルバンドであり、これが俺たちの出したい音だ。目にもの見せてやる』って感じだった」。ロブ・ハルフォードは、2011年にClassic Rock誌にそう語っている。D.E.
42
ダイアモンド・ヘッド
『Lightning To The Nations』 1980年
ハードロックの汗臭さと装飾を剥いだ
1980年の発売当初は曲名の記載がない真っ白のスリーブが採用されていたダイアモンド・ヘッドのデビューアルバムは、同年に発表されたブリティッシュ・ヘヴィ・メタルの歴史的名作のひとつに数えられる。サクソンやデフ・レパード等のライバルたちと同様に、ダイアモンド・ヘッドはハードロックの汗臭さと装飾を剥ぎ取った。簡潔にまとめられた楽曲も手伝い、シーン・ハリスの憂いを帯びたヴォーカルと、スタジアム級のギターリフを繰り出すブライアン・タトラーによるコンビは、レッド・ツェッペリンのペイジとプラントへの回答と評された。2人の手による「The Prince」や「Sucking My Love」、そして超絶リフをやすやすと弾きこなしている「Am I Evil?」等は、まるでオーケストラ曲のように緻密に構成されている。I.C.
41
カイアス
『Blues For The Red Sun』 1992年
ジョシュ・オムの原点
多くのギタリストは耳をつんざくような重低音にただ酔いしれるが、カイアスの結成メンバーであるジョシュ・オム(のちにクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのリーダーとなる)のアプローチは科学者を思わせる。オムはバンドのソングライティングのルーツとして、かつて地元カリフォルニアのパームデザート郊外の砂漠で行われていた「発電機パーティ」(ガスを燃料とする発電機から電気が供給されていたことにちなんでいる)を挙げている。ダウンチューニングとベースアンプを駆使する、粉々に粉砕されたベルベットのようなファズギターのサウンドは、脅迫的なまでにラウドでありながらも気品を漂わせている。カイアスのサウンドの核が常にオムだったことは疑いないだろう。J.D.C.
40位 - 36位
40
メイヘム
『De Mysteriis Dom Sathanas』 1994年
疎外感とニヒリズムに満ちた作品
ノルウェーのブラックメタル界の重鎮メイヘムがデビューアルバム『De Mysteriis Dom Sathanas』を完成させるまでの道のりは、呪われているとしか思えないほど苦難に満ちていた。ヴォーカルのデッドは、レコーディング前に自ら命を絶った。さらにベーシストのカウント・グリシュナックはギタリストのユーロニモスを殺害し、殺人の罪で収監されてしまう。ホラーストーリーそのものの背景ばかりが注目されがちだが、オーシェトの切り裂くようなギター、セッションヴォーカリストのアッティラ・シハーの奇声とデッドのゴシックで恐ろしい世界観を反映した歌詞、ヘルハンマーによる地響きのようなドラムがせめぎ合う本作が、身も凍るような疎外感とニヒリズムに満ちた唯一無二の作品であることは確かだ。S.S.
39
パンテラ
『Far Beyond Driven』 1994年
ポピュラー音楽史上最も過激な首位作
パンテラのベーシストであるレックス・ブラウンは、本作について本誌にこう語っている。「レコード会社からは(チャートの頂点に立った)メタリカの『Metallica』みたいなのを求められてた」。パンテラは当然のごとくその要望を無視し、バンド史上最も速く(冒頭曲「Strength Beyond Strength」)、最もヘヴィで(サバスを思わせる「Im Broken」)、最も厭世的な(堕落した「Good Friends And A Bottle Of Pills」)楽曲を収録したレコードを完成させた。Billboard 200で初登場第1位を記録した本作は、ポピュラー音楽史上最も過激なNo.1アルバムとして人々に記憶されている。同作の破格の成功を支えていたのが、90年代中期のパンテラの圧倒的存在感、「一切妥協しない本物のヘヴィメタルのレコードを作る」というメンバーたちの決意だったことは疑いない。R.B.
38
アイアン・メイデン
『Powerslave』 1984年
確固たる評価を得ていた5人の傑作
アイアン・メイデンが1984年に『Powerslave』を発表した時点で、ブリティッシュ・メタルの代表格であるバンドは既に4枚の傑作アルバムを発表していた。ライブバンドとしても確固たる評価を得ていた彼らは、次のワールドツアー中にライブアルバムを制作することも決めていた。「(前作の)『Piece Of Mind』の最も優れていた部分に、(1982年発表の)『The Number Of The Beast』の攻撃性を加えた」。本作に関してブルース・ディッキンソンはそう語っている。「素晴らしいレコードだと自負してるよ。売れるっていう意味じゃなくてね」。アルバムの最後を飾る13分に及ぶクラシック「Rime Of The Ancient Mariner」、そしてディッキンソンが古代エジプトの王になりきり、どんなに偉大な人物にもやがて死が訪れるという真実に抗おうとするタイトル曲も秀逸だ。T.B.
37
ブラック・サバス
『Heaven And Hell』 1980年
ディオがバンドに新たな命を吹き込む
ブラック・サバスの最初の10年間では、オジー・オズボーンのいないバンドなど想像することもできなかったが、1979年の時点で彼の無責任さとドラッグ依存は目に余るようになっており、我慢の限界に達したメンバーたちは彼を解雇する。オジーの後任を務められる地球上で唯一の存在、それがメタル界屈指のヴォーカリストにして、元レインボーのシンガーだったロニー・ジェイムス・ディオだった。ディオは存在感が薄れつつあった70年代後半のサバスに新たな命を吹き込み、威厳に満ちた「Heaven And Hell」、ドラマチックな「Die Young」等の名曲を生み出した。ディオがリリシストだったことで、歌詞担当だったベーシストのギーザー・バトラーはプレッシャーから解放され、バンドはかつてない貫禄を醸し出すようになる。A.G.
36
ヴァン・ヘイレン
『Women And Children First』 1980年
過去作よりも格段にヘヴィなレコード
「音楽性は進化したけど、それは成熟したっていう意味じゃない」。デイヴィッド・リー・ロスは本作のインタビューでそう語っている。ライトなアコースティック曲もいくつか見られるものの、トライバルなドラミングとギターノイズが印象的な「Everybody Wants Some!!」、ベースがリードする「Fools」、インタールードの「Tora! Tora!」、ギターテクが光る「Romeo Delight」と「Loss of Control」、そして他の追随を許さないエディの表現力が存分に発揮された「Take Your Whiskey Home」等を収録した『Women and Children First』は、過去作よりも格段にヘヴィなレコードだった。よりダークになる次作『Fair Warning』では影を潜めるものの、ロスは本作の全編で奇声を発し、嘲笑し、大声を張り上げ、スキャットを披露し、金切り声で叫び、ロック史上屈指のひょうきん者の本領を発揮している。K.G.
35位 - 31位
35
メタリカ
『Kill Em All』 1983年
スラッシュメタルの立役者
モーターヘッドのスピードと、ダイアモンド・ヘッドやヴェノム等に象徴されるニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルの精巧さを組み合わせたメタリカは、80年代前半にスラッシュと呼ばれるメタルのサブジャンルを確立し、ヘッドバンガーズを狂喜乱舞させた。脳を揺さぶる強烈な9曲とベースソロ1曲(ワンテイクの一発録り)からなるデビューアルバム『Kill Em All』は、スラッシュメタルのグラウンドゼロだ。発表から30年以上が経った現在でも、凄まじい速さで突き進む「Whiplash」は、バンドが成し遂げようとしていたことを雄弁に物語っている。”心の奥深くにお前を狂わせる何かが眠ってる / 流れ出るアドレナリンに身を任せ お前は何もかもを切り裂き やがて狂人のように振舞い始める”。K.G.
34
ブラック・サバス
『Master Of Reality』 1971年
メタル史上最もヘヴィなリフのひとつ
ブラック・サバスの最初の2作が実質的にスタジオライブ音源だったのに対し、本作『Master of Reality』は真の意味でのアルバムだ。過去2作と同様にプロデュースを務めたロジャー・ベインは、ニュアンスに満ちつつもダイレクトなサウンドをバンドに意識させた。脈打つような「Children Of The Grave」において、ドラマーのビル・ウォードによるティンバレスはファンキーさを演出している。ギタリストのトニー・アイオミは同曲のアウトロ部で実験的なノイズを生み出しているほか、バラードの「Solitude」ではフルートを吹き、「After Forever」(ベーシストでキリスト教徒のギーザー・バトラーが歌詞を手がけた同曲は史上初のクリスチャンメタル曲とされている)ではシンセサイザーを操っている。「Into the Void」はメタル史上最もヘヴィなリフのひとつだ。K.G.
33
メガデス
『Countdown To Extinction』 1992年
バンドの特徴が全編に詰まった成功作
1991年に発表されたメタリカの『Metallica』はシーンの構図を一気に塗り替えてしまったが、デイヴ・ムステインとメガデスは流行に迎合することなく、本作で独自のサウンドを確立してみせた。クロスオーバーな成功を収めた破壊力抜群の「Symphony Of Destruction」が、フロントマンのムステインの最高傑作であることは疑いないが、揺らぎを感じさせるリフやスピーディなソロ、そして正確極まりないリズムといったメガデスのトレードマークは、本作の全編で堪能することができる。狂気のサイコドラマを描く「Sweating Bullets」、緊張感に満ちた「Skin o My Teeth」、そして凝りに凝ったタイトル曲まで、メインストリームにアピールするフックとメタルバンドとしてのプライドの両方に支えられた本作は、Billboardチャートで2位を記録した。A.B.
32
ブラック・サバス
『Sabotage』 1975年
深い闇に満ちた6作目
1975年初頭、ブラック・サバスはドラッグへの依存、そして前マネージャーとの醜悪な法廷闘争で疲弊しきっていた。「誇張じゃなく、レコーディングスタジオで延々と宣誓供述書に署名したりしていた」。バンドの6作目の制作背景について、ギーザー・バトラーはそう語る。「『Sabotage』っていうタイトルはそういう背景を反映してる。あのレコードの制作過程は、俺たちから金を毟り取ろうとする連中に妨害されっぱなしだった」。だが不思議なことに、バンドが置かれていた退廃的状況は作品に深みをもたらすことになった。初期のクラシックのような明快さにこそ欠けるものの、オジー在籍時の他の作品にはない切実さが宿っている。バンド史上最も深い闇に満ちたレコードのひとつであることは確かだ。H.S.
31
スレイヤー
『Seasons In The Abyss』 1990年
格の違いを見せつけた5作目
1986年作『Reign In Blood』のようなシーンを一変させるほどのインパクトこそないものの、1990年に発表した5作目『Seasons In The Abyss』は、バンド史上最も焦点が定まったレコードと言えるかもしれない。本作では初期のストレートなスラッシュの攻撃性と、1988年作『South Of Heaven』の不吉な迫力が違和感なく融合している。「War Ensemble」「Expendable Youth」「Hallowed Point」、そして特に「Dead Skin Mask」(エド・ゲインにインスパイアされた悟りを開こうとするかのような同曲は、連続殺人犯を題材にしたスレイヤーの曲群の中でも屈指の出来だ)の歌詞には、暴力と死と流血というテーマが一貫して見られる。「俺たちが意識したのは、ただスレイヤーであり続けることだった。周りに格の違いを見せつけてやる必要があった」。ギタリストのケリー・キングはかつてそう語っている。D.E.
30位 - 26位
30
Korn
『Korn』 1994年
ニューメタルの幕開け
肉厚で重心の低いリフとラップのリズム、そして制御不可能な怒りを噴出させるジョナサン・デイヴィスの悲鳴のようなヴォーカルを組み合わせた彼らの音楽は、メタリカの信者でありながらニルヴァーナやトゥパックも聴く新世代のメタルヘッズたちに大いにアピールした。デイヴィスによる歌詞の内容は極めてパーソナルであり、アンフェタミン依存について歌った「Blind」や、幼少期に受けた性的暴行に言及する「Daddy」のインパクトは強烈だった。後者は当時のトラウマ的記憶をあまりに鮮明に蘇らせてしまうという理由で、バンドは本作の発表から20年間に渡って同曲をライブで一度もプレイしていなかったが、本作の発表20周年に際して行われた2014年のツアーの際に解禁している。B.S.
29
セパルトゥラ
『Chaos A.D.』 1993年
確固たるオリジナリティを確立
スラッシュメタル/デスメタル界隈のいちバンドに過ぎなかったセパルトゥラは、5作目となる本作でオリジナリティを確立してみせた。母国ブラジルの音楽の伝統的リズムの導入やオペラのようなヴォーカル(「Amen」)、そして「Refuse/Resist」の冒頭のアブストラクトなサウンド(死産したフロントマンのマックス・カヴァレラの子供の心拍音)に象徴されるテクスチャーへのこだわりには野心が感じられる。さらにハードコアやパンク、インダストリアル等を飲み込んだサウンドのプロダクションはよりクリーンになり、カヴァレラの社会政治的な歌詞が一層際立っている。マックスの弟でドラマーのイゴール・カヴァレラによるパーカッションは、バンドのグルーヴに沸き立つようなトライバル感をもたらした。K.K.
28
セルティック・フロスト
『Morbid Tales』 1984年
エクストリームメタルの原型
フロントマンのトム・G・ウォリアーとベーシストのマーティン・E・アインが初めて結成したデスメタルの先駆的バンド、ヘルハンマーは幾度となく屈辱を味わっていた。当時発行されていたアンダーグラウンドのファンジンはこぞってバンドのデモ音源をこき下ろした。だからこそ彼らは新たに結成したセルティック・フロストで何としても成功を収めなくてはならなかった。結果的に、バンドのデビュー作『Morbid Tales』は後に隆盛を誇るエクストリームメタルの原型となる。オビチュアリーのようなデスメタルバンドに大きな影響を与えた一方で、「Into The Crypts Of Rays」における躍動するリズムと艶のあるギターサウンドは、ダークスローン等のブラックメタルのバンドを感化した。K.G.
27
システム・オブ・ア・ダウン
『Toxicity』 2001年
9.11以降のアメリカを覆った不安を体現
気まぐれで怒りっぽく、確信犯的に感情をかき乱す、システム・オブ・ア・ダウンが2001年に発表した2ndアルバム『Toxicity』は、9.11以降のアメリカを覆っていた不安を見事に体現していた。ヘヴィなリフで幕を開ける冒頭曲「Prison Song」で、シンガーのサージ・タンキアンは「やつらは刑務所を建てようとしている」と囁く。アルメニア系アメリカ人4人からなるバンドが産み落とした本作は、チャールズ・マンソンの環境に対する姿勢(「ATWA」)や、アメリカの歪んだ司法制度(「Prison Song」)に言及しつつ、ジャズ、中東の音楽、ギリシャ音楽、そしてハードロックのあらゆるサブジャンルとミュータントを飲み込んだ、まさに変幻自在な音像を浮かび上がらせる。「特定のスタイルにこだわる必要なんてないだろ」。タンキアンは本誌にそう語っている。B.S.
26
アリス・イン・チェインズ
『Dirt』 1992年
不吉な予感に満ちた1枚
ニルヴァーナやパール・ジャム、サウンドガーデン等のバンドが音楽性を押し広げていったのに対し、アリス・イン・チェインズはメタルからの影響とタッチを明確に残しつつ、ダークで重厚かつ不吉な予感に満ちた『Dirt』を生み出した。凶暴なリフが悪夢を思わせる「Them Bones」から、アンセミックで不気味な「Would?」(1992年に発表された『シングルス』のサントラに収録)まで、ジェリー・カントレルの硬質なギターサウンドとレイン・ステイリーの金切り声が絡み合う本作には、冒頭から最後までただならない緊張感が漂う。重々しいアート・メタル的リズムが印象的な「Sickman」や「God Smack」、そしてアルバムにおける陰鬱なムードを一変させる、ステイリーがベトナム戦争に赴いた父親について歌った悲痛なバラード「Rooster」も強烈だ。B.S.
25位 - 21位
25
メタリカ
『Metallica』 1991年
誰にも媚びることなく頂点に立つ
メタリカはキャリア10年目にして、初のNo.1アルバムを生み出した。アイコニックなリフが脳裏に焼き付くダークな「Enter Sandman」、重苦しくもパワフルなバラード「The Unforgiven」、カーク・ハメットによるシタールのようなギターが印象的な「Wherever I May Roam」、そして新鮮味のあるアコースティックギターがリードする繊細な「Nothing Else Matters」等、本作にはバンドの代表曲が多数収録されている。「俺たちは誰にも媚びることなく頂点に立った」。アルバムの発表に際し、ドラマーのラーズ・ウルリッヒは本誌にそう語っている。「俺たちは俺たちのやり方を徹底的に貫いた。そのことについては自己満足を覚えてるし、この業界におけるビジネスのセオリーと、80年代半ばから俺たちが耐え忍んできたあらゆることに中指を突き立ててやった気分だ」B.S.
24
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン
『Rage Against The Machine』 1992年
バンドが好きなようにやった末の成功
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが1992年発表のデビューアルバムでシーンに衝撃をもたらした時、その反響に誰よりも驚いたのは発売元のレコード会社だった。「レコード会社の人間は俺らのことをこれっぽっちも理解してなかったけど、俺たちの思うようにやらせるのが一番だってことだけは分かってた」。トム・モレロはそう語る。ヒップホップをメタルとパンクと融合させることで生まれた「Killing In The Name」「Bullet In The Head」「Bombtrack」、そしてブラック・サバスを彷彿とさせる「Freedom」等の強烈なインパクトは、現在でも少しも薄れていない。「俺たちの音楽はロックやヒップホップのリスナー、パンクやメタルのファン、そして活動家たちの本能にアピールし、それはあっという間に世界中に広がったんだ」 A.G.
23
ダンジグ
『DANZIG』 1988年
黄金時代の到来を予感させた1st
「アグレッシブさやアティテュード等、彼がバンドに求めるものは俺のそれと完全に一致してたからやりやすかった」。パンク界で活躍していたアンダーグラウンド・ヒーロー、グレン・ダンジグは本作のプロデューサーであるリック・ルービンとの仕事についてそう語っている。しかし本作を普遍的たらしめていたのは、エルヴィスやボー・ディドリーといった自身のアイドルに近づこうという意図が見て取れる秀逸な楽曲群だった。PMRCの顔であるティッパー・ゴアを標的にした「Mother」はハイライトのひとつだが、デス・ブルースというべき快活な冒頭曲「Twist Of Cain」、奇妙なパワーバラード「Soul On Fire」、鬱を克服してバイク乗りになる男を描く「Evil Thing」等も決して見劣りしない。H.S.
22
モトリー・クルー
『Too Fast For Love』 1981年
圧倒的オリジナリティとエネルギー
ベーシストでメインのソングライターであるニッキー・シックスは、スウィートやデヴィッド・ボウイといった70年代のグラムロックのアーティストにインスパイアされつつ、パンクのエネルギーと男性ホルモンをふんだんに盛り込んだ独自の音楽性をデビューアルバム『Too Fast For Love』で確立。「『Too Fast For Love』は俺たちのお気に入りのレコードだった。すごく生々しいからね」ギタリストのミック・マーズはかつてそう語っている。「あれはもともと、レコード会社にプレゼンするためのデモ音源だったんだ」。自主レーベルからのリリースでありながら大きな話題となり、のちにElektraから再発売された本作は、全米各地でフォロワーを大量に生み出し、サンセットストリップは彼らの聖地となった。A.G.
21
メタリカ
『...And Justice For All』 1988年
80年代に追求し続けたスタイルを集約
1988年に発表された『...And Justice For All』で、メタリカは数多くのブレイクスルーを達成する。バンドにとって初のダブルアルバムであり、新加入のジェイソン・ニューステッドがベースを弾いている(中域を強調したミックスにほぼ埋もれてしまっているが)。本作は、バンド史上初めてBillboardのトップ10入りを果たすとともに、反戦を唱えた「One 」(バンド初のミュージックビデオも制作)はシングルチャートでもトップ40に初めてランクインした。「The Frayed Ends Of Sanity」「To Live Is To Die 」、そして約10分におよぶ「..And Justice For All 」等を収録した本作は、バンドが追求したプログレッシブなスラッシュの到達点であり、次作での音楽性の変化のきっかけにもなった。「それまでの方向性を極限まで突き詰めたレコードだった」とラーズ・ウルリッヒは語る。D.E.
20位 - 16位
20
アンスラックス
『Among The Living』 1987年
オーディエンスと同じ目線のリアルさ
アンスラックスの3作目『Among The Living』をスラッシュメタルのクラシックたらしめているのは、「Caught In A Mosh」等の楽曲で発散される若者たちの怒り(”俺ん家から出て行きやがれ!”)と、その表現手段としてのスラムダンスだけではない。テンポの急加速やリズムチェンジがインパクト大な「One World」等、楽曲そのもののユニークさもまた大きな魅力だ。ベナンテを含むメンバーたちは多くの点において普通なのかもしれないが、彼らが圧倒的なテクニックによってオーディエンスを熱狂させる超一流のミュージシャンたちであることは確かだ。「Efilnikufesin(N.F.L.)」「I Am The Law」「Indians」等、バンド史上最もキャッチーで親しみやすい楽曲群では、興奮をオーディエンスと分かちあおうとするバンドの姿が目に浮かぶようだ。J.D.C.
19
メガデス
『Rust In Peace』 1990年
スラッシュメタル第一波の最高到達点
メガデスが堅固なソングライティングと超絶テクニックを高次元で結びつけた『Rust In Peace』は、スラッシュメタルの第一波における最高到達点だ。機関銃のようなパッセージで幕を開ける2部構成の冒頭曲「Holy Wars...The Punishment Due」から、スタッカートのリズムが小気味良い最終曲「Rust In Peace…Polaris」までの40分をフルスピードで駆け抜ける本作では、デイヴ・ムステインの変態フィンガリングが生み出す迷宮のようなリフ、戦争と宗教をテーマにした歌詞(ムステインはこう語っている。「当時は冷戦がまだ続いていて、アメリカは核兵器を旧ソ連の方角に向けて配備していた」)、急展開を見せるアレンジ、そして全曲に共通するパンク譲りの爆発的エネルギーと性急なリズム等、バンドの魅力を存分に堪能することができる。R.B.
18
トゥール
『Ænima』 1996年
オルタナメタルの開拓者による2nd
2ndアルバムの原題『Ænima』は造語だが、ユングが提唱した「アニマ」または生命体の意味を含んでおり、全編を通して「我々はなぜ存在するのか」という実存的疑問が反芻される。シンガーのメイナード・ジェームス・キーナンが悪意を浮かび上がらせようとするのに対し、プログレ譲りのドラミングとギターが織りなすリッチなテクスチャーは、歪んだ世界観を増幅させている。本作はダブルプラチナムを記録し、オルタナメタルの開拓者として登場したトゥールは、以降20年以上にわたってヘヴィロック界の最重要バンドの1つであり続けている。「俺たちはただ、今起きている無数の形而上の変化、そして精神面と感情面における変化を反映しようとしてるだけだ」。キーナンは1996年に本誌にそう語っている。J.D.C.
17
マーシフル・フェイト
『Melissa』 1983年
多くのブラックメタルバンドを感化
フロントマンのキング・ダイアモンドによるヘリウムガスを大量に吸い込んだかのような金切り声シャウトが炸裂する『Melissa』の冒頭の20秒間は、メタル史上最高のシーケンスのひとつに数えられる。「ホラー映画があれだけ人気なのは、人々が常にちょっとした恐怖感を欲していることの証拠さ」。キング・ダイアモンドは1987年頃に、ショックアピールを狙った本作の歌詞についてそう語っている。「ホラーストーリーだと思えばいいんだよ」。悪魔を歓迎する「Black Funeral」、メリッサという名の死んだ魔女について不気味に囁く「Satans Fall」等は、教会に火をつけようとするノルウェーのフェイスペインティングを施したブラックメタルバンドたちを感化した。サタンは実在しないかもしれないが、キング・ダイアモンドは本物だ。K.G.
16
ディオ
『Holy Diver』 1983年
今作でメタル界最重要人物の1人へ
70年代後半から80年代前半にかけて、レインボーとブラック・サバスで圧倒的歌唱力を見せつけたロニー・ジェイムス・ディオは、1983年発表のソロデビューアルバムによってメタル界の最重要人物の1人となる。若干20歳のアイルランド人ギタリストのヴィヴィアン・キャンベル(泣き叫ぶようなリードは、ディオの甲高いヴォーカルとの相性が抜群だった)という強力なパートナーを得たことで生まれた、ディオ史上最もストレートなメタルアルバムとなった本作。「Stand Up And Shout」や「Rainbow In The Dark」等のアンセム、そして『ダンジョンズ&ドラゴンズ』めいたファンタジーと社会問題を結びつけるタイトル曲を収録している。「俺のソングライティングには常に中世の世界観が反映されてる」。ディオはArtist誌にそう語っている。D.E.
15位 - 11位
15
オジー・オズボーン
『Diary Of A Madman』 1981年
オジーとランディの魅力を凝縮した2nd
本作のリリースツアー中だった1982年に飛行機の墜落事故でこの世を去ったギタリストのランディ・ローズは、前作でもその圧倒的スキルを存分に発揮していたが、本作ではテクニックと優れたソングライティングをより高次元で結びつけることに成功している。アコースティックなイントロと迫力に満ちたエレキギターのパッセージが冴え渡る「Diary Of A Madman」こそ、オジーの魅力が凝縮された究極の1曲だ。「あの曲を作ってた時、ランディが『ギターのパートに納得がいかない』って言うから、気が済むまでやればいいって言ってやった」。オズボーンはそう語っている。「それから数日間、やつはスタジオにこもりっぱなしだった。ようやく出てきて弾いてもらった時、首の後ろの毛が逆立つのを感じたよ」K.G.
14
ブラック・サバス
『Vol. 4』 1972年
よりヘヴィな音楽性を追求した4作目
デビューアルバムからわずか2年後に発表された4作目。1971年作『Master Of Reality』で、トニー・アイオミは指の負担を軽減するためダウンチューニングを用いたが、本作ではその手法が逼迫感に満ちたエモーショナルなリフ(「Wheels Of Confusion」)、暴れまわる奔放なグルーヴ(「Supernaut」「Cornucopia」)、そしてアイコニックなギターソロ(コカインのアンセム「Snowblind」)を生み出した。バンド史上初のピアノバラード「Changes」(オジー・オズボーンは1993年にソロとして同曲のライブバージョンをヒットさせる)、アコースティックギターのソロをフィーチャーした「Laguna Sunrise」、そして99秒間にわたってエコーのかかった電子音が乱れ飛ぶドラッギーな「FX」(後年に活躍するニューロシス等のアート志向で型破りなバンドに大きな影響を与えたと思われる)等も印象的だ。K.G.
13
アイアン・メイデン
『Iron Maiden』 1980年
NWOBHMの転換点
1970年代末、俗にNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)と呼ばれるムーブメントが、スピードとメロディと攻撃性を徹底的に追求したスタイルでメタルのシーンを活性化させた。黎明期にあった同ムーブメントの転換点のひとつは、アイアン・メイデンのバンド名を冠したデビューアルバムだった。スティーヴ・ハリスのスピーディな指弾きが生み出すベースラインはリズムセクションというよりもメロディ楽器として機能し、タフな唸り声を武器とするポール・ディアノをフロントマンに据えたバンドは、攻撃的な曲(「Prowler」「Running Free」)だけでなく、ムーディなトラック(「Remember Tomorrow」「Strange World 」)や、ジェスロ・タルを思わせるドラマチックな「Phantom Of The Opera」など、多様な作風も魅力のひとつだった。A.B.
12
ジューダス・プリースト
『Screaming For Vengeance』 1982年
バンドによるシーンへの復讐劇
タイトルが示しているように、ジューダス・プリーストがその実力を世界に知らしめた本作は、まさにバンドによるシーンへの復讐劇だった。かつてアンダーグラウンドな存在だった彼らは、何百万枚ものレコードを売り上げ、Billboardチャートにシングル(「Youve Got Another Thing Comin 」)をランクインさせ、アメリカでのフェスティバルでヘッドライナーを務めるまでになった。「新たな時代の到来を感じていた」シンガーのロブ・ハルフォードは後に本誌にそう語っている。「気づけば多くの人が俺たちの音楽に共感してくれるようになっていた。『俺はこの音楽に自分の姿を投影できる。俺の目標や生き方のことを歌っているように感じる』そんな風に言ってくれるんだ」。また本作では、愛も大きなテーマとなっている。J.D.C.
11
メタリカ
『Ride The Lightning』 1984年
ヴィジョンを最も明確に示した2nd
メジャーレーベルとの契約前に制作されていたメタリカの2ndアルバムは、独自のサウンドを確立したバンドのヴィジョンを最も明確に示すレコードだ。やがて訪れるであろう核の悲劇を描いた「Fight Fire With Fire」や、全ての生物の最初の子供は神の意志によって殺されるという『出エジプト記』の一節をモチーフにした「Creeping Death」等では、アドレナリンの噴出する音が聞こえてくるようだ。のちに「One」等でさらに磨きがかかる、バンドのダイナミックな一面を体現したダークなパワーバラード「Fade To Black」や、アルバムの最後を飾る不吉なインストゥルメンタル「The Call Of Ktulu 」も秀逸だ。「あのレコードのサウンドは気に入ってるよ、まるで風化していないからね」。カーク・ハメットは2014年に本誌にそう語っている。T.B.
10位 - 6位
10
パンテラ
『Vulgar Display
Of Power』
1987年
装飾を排除し
グルーヴメタル先駆者へ
80年代のパンテラはテキサスのいちグラムバンドに過ぎなかったが、1990年発表の『Cowboys From Hell』によって、リフに重点を置いたグルーヴメタルの先駆者へと転身した。しかし彼らがその本領を発揮したのは、タイトルがバンドの本質を物語る『Vulgar Display Of Power』だった。装飾を完全に排除し、ダイムバッグ・ダレルの断続的なリズムと悲鳴のようなソロ、ドラマーのヴィニー・ポールとベーシストのレックス・ブラウンによる鉄壁のリズムセクション、フィル・アンセルモの猛るシャウトという必要最低限の要素以外を削ぎ落とした。敵意をむき出しにするオープニング曲「Mouth For War」から、躍動するパワースラッシュ「Fucking Hostile」、不気味な殺人バラード「This Love」、2音を淡々と行き来する重厚な「Walk」まで、『Vulgar Display Of Power』に収録された楽曲はメタルにおけるクラシックと呼ぶに相応しいものばかりだ。R.B.
9
オジー・オズボーン
『Blizzard Of Ozz』
1980年
寄せ集めが生んだ
華麗なるカムバック
ブラック・サバスからの醜悪な脱退劇のせいで、業界におけるオジーの株は著しく低下しており、当時は忠実なファンさえも、彼がソロとしてシーンの最前線にカムバックを果たすとは思っていなかった。1980年9月にイギリスでリリース(アメリカでは6カ月遅れで発売)された本作は焦点が明確で楽曲は粒ぞろいであり、ハイライトと言える曲群(「I Dont Know」「Crazy Train」、議論を呼んだ「Suicide Solution」等)はサバス時代の作風よりもはるかに洗練されている一方で、メタルの破壊力にも満ちている。「『Blizzard Of Ozz』は70年代のメタルを80年代仕様にアップデートした美しいレコードだ」。速弾きの達人スティーヴ・ヴァイは2011年にそう語っている。本作の原動力となったのは故ランディ・ローズであり、彼のクラシック譲りの超絶フィンガリングは無数のメタル系ギタリストに絶大な影響を与えた。「寄せ集めだった俺たちは、一緒にスタジオに入って曲を書いた」。彼は1981年にそう語っている。D.E.
8
メガデス
『Peace Sells ...
But Whos Buying?』
1986年
冷めやらぬ怒り、
果たしたリベンジ
メガデスの2作目となるアルバム。辛辣なウィットが効いたタイトル曲「Peace Sells」についてデイヴ・ムステインはこう語っている。「あの曲を書いた時、俺は倉庫みたいなところに住んでた。俺たちみんなホームレスで、歌詞は壁に書いた。紙さえ持ってなかったからな。俺たちが出ていった後、誰かがその部分を削り取って持ち去ったんだろう」。ムステインの緻密かつハードな曲を書くスキルと、インパクト大な歌詞は本作の他の曲群にも反映されている。「The Conjuring」には彼の後のガールフレンドに向けた本物の黒魔術の言葉(ムステイン談)が含まれており、不倫をテーマとする「Wake Up Dead」は彼が女性との付き合いが苦手な理由を示している。音楽性の面にもまるで隙がなく、クラシック音楽に影響された「Good Mourning/Black Friday」「Bad Omen」「My Last Words」は圧倒的にドラマチックだ。全編において、ムステインは喉が張り裂けんばかりの声でシャウトし続ける。K.G.
7
モーターヘッド
『No Remorse』
1984年
不滅のシンプルな
フォーミュラ
ヘヴィメタルのバンドの多くはアルバムごとに音楽性を変化させるが、モーターヘッドは例外だった。彼らは40年以上にわたるキャリアにおいて、唸るベースラインとヴォーカル、猛スピードで突進するドラム、そしてごく基本的なリズムギターというシンプルなフォーミュラを実践し続けた。そのスタンスについて、レミーはSounds誌にこう語っている。「チャック・ベリーは決して変わらなかった。リトル・リチャードも然りだ。彼らがそうだったように、俺は自分の信じるフォーミュラに忠実であり続けたい」。『No Remorse』の29曲は基本的に全て同じと言っていいが、全曲が文句なしに素晴らしい。不運を嘆く「Ace Of Spades」、突進する貨物列車のような「Overkill」、アグレッシブなギターが炸裂する「Bomber」、どこまでも馬鹿げた「Killed By Death」、そしてアンフェタミン漬けの「Motörhead」のライブ音源まで、その勢いは一瞬たりとも衰えない。J.D.C.
6
スレイヤー
『Reign In Blood』
1986年
誰よりも
速くありたかった
スピードメタルの最高峰である本作は、BPMが210に達する「Angel Of Death」で幕を開けると、以降29分間にわたってその圧倒的テンションとスピードをキープし続ける。メタリカ、ヴェノムといった同時代のスピード狂たちのレコードと、スレイヤーの3rdアルバムとなる本作を差異化していたのは、プロデューサーのリック・ルービンの手腕だ。ヒップホップアクトとの仕事で名を馳せた彼は、当時流行していたリッチなリヴァーブを排し、まるで右ストレートのような即効性のあるサウンドを生み出している。「彼らのようなスピードと正確さを追求するパフォーマンスを広い空間でやると、何もかもぼやけてしまうんだ」。ルービンは2016年にそう語っている。「彼らの精密機器のようなプレイを際立たせるには、クリアで輪郭のはっきりしたサウンドが必要だった」。それは死の宣告たる「Necrophobic」や「Criminally Insane」のインパクトを強調し、最終曲「Raining Blood」(と不吉なイントロ)のおどろおどろしさを増長させている。K.G.
5位 - 2位
5
ブラック・サバス
『Black Sabbath』
1970年
ヘヴィメタルの
始祖の誕生
1970年、現在ヘヴィメタルとして知られる音楽の始祖であるブラック・サバスのデビューアルバムが産み落とされた。ギタリストのトニー・アイオミによる長尺でゴージャスなソロが登場する最終曲「Warning」には、バンドのルーツであるブルースの影響が色濃く現れている。アメリカ盤にのみ収録されたジャジーな「Wicked World」では、オズボーンが人々を戦場に送る政治家や死に至る病について歌い上げる。そういったトピックは今でこそロックにおけるクリシェだが、その冷徹なほどに率直な視点は当時の世に衝撃を与えた。「レコード会社の人間を前に演奏するショーケースライブをよくやってたよ、3曲目ぐらいになると誰もいなくなってたけどな」。デビュー前の日々について、ベーシストのギーザー・バトラーはそう語っている。「あるプロデューサーから、楽器の弾き方と曲の書き方について学んでから出直してこいって言われた時のことは永遠に忘れない」K.G.
4
アイアン・メイデン
『The Number
Of The Beast』
1982年
5週間で生まれた
メタルの金字塔
ポール・ディアノの後任として、オペラを思わせる歌唱法とカリスマ性を誇るブルース・ディッキンソンが加入し、バンドが更なるブレイクを果たすための条件は整っていた。だが唯一の問題は、彼らが既存の楽曲に飽きてしまっていたことだった。「気に入ったアイデアは使い果たしてしまっていた」。ディッキンソンはそう語っている。「俺にとっては歓迎すべきことだった。ポールやスティーヴ(・ハリス、ベーシスト兼メインソングライター)が考えた歌詞を歌わなくてよかったからね。だから俺たちは、どういう曲を書くかを考えるところから始めた」。ハリスとメンバーたちは難題を見事にクリアし、緻密に構成された楽曲と、新ヴォーカリストの圧倒的レンジに見合ったハイテンションな歌詞を生み出した。レコーディングからミキシングまでをわずか5週間で終えた本作は、メタル史に名を残す金字塔となった。スピード感溢れるシングル曲「Run To The Hills」は各国でヒットを記録した。S.S.
3
ジューダス・プリースト
『British Steel』
1980年
メタルにメロディを
持ち込んだ革新性
70年代のブリティッシュ・メタルは強度とヘヴィさに重点を置いていたが、ジューダス・プリーストはそのメタファーをレーザーのような鋭いものに変えようとしていた。「初期の俺たちのレコードはすごく手が込んでて、自己満足的なリードブレイクなんかも入ってた」。ギタリストのグレン・ティプトンはMusician誌にそう語っている。「でも俺たちは、より簡潔でテンポの速い曲を書き始めた。そして何より、ヘヴィメタルの世界でタブーとされていたメロディを持ち込んだ」。激しく歪んだギターと、ロブ・ハルフォードの攻撃的なヴォーカルこそメタルそのものだが、パワーコードで突っ切る「Living After Midnight」から、フットボールファンのチャントで締めくくられる「United」まで、本作の直線的で旋律に満ちたソングライティングはポップとさえ言える。だがアルバムの真のハイライトは、ファンキーそのもののドラムとベースのグルーヴを燃料として暴れまわるロボットのような「Metal Gods」だろう。J.D.C.
2
メタリカ
『Master Of Puppets』
1986年
一瞬の隙もない
正真正銘の傑作
不吉なウェスタン調のアコースティックギターがスパニッシュ調のメロディを奏でる「Battery」のイントロは、以降約1時間にわたって繰り広げられるスピード感と攻撃性に満ち、無慈悲で好戦的なリフの嵐の前触れにすぎない。『Kill Em All』の発表からわずか3年で、メタリカはスラッシュメタルの完成形を提示してみせた。長尺で多様な楽曲群。BPMが190に達する「Battery」、半狂乱のようなペースで刻まれる断続的リズムに圧倒される最終曲「Damage, Inc.」、マーチングバンド的リズムとキャッチーなリフに合わせてヘットフィールドがとシャウトする、スラッシュメタルの教科書のような「Disposable Heroes」も非の打ち所がない。『Master Of Puppets』はバンドの真骨頂であり、メタリカという存在を確立したアルバムだ。「あのレコードを聴くと『マジかよ、よくこんなの作ったな』って自分でも思うんだよ」ラーズ・ウルリッヒは2016年に笑いながらそう語っている。「とんでもないパワーに満ちたアルバムさ」K.G.
1位
1
ブラック・サバス『Paranoid』
1970年
ヘヴィメタルのグラウンドゼロ
「Iron Man」の不穏でアイコニックなリフ、「War Pigs」の分厚いアンサンブル、「Paranoid」のマシンガンのようなリズムギターが存在しなければ、ヘヴィメタルという音楽は全く異なるものになっていただろう。目前に迫った破滅、薬物中毒による死、核戦争、蛮行、無慈悲な独裁者、時空を超える愛、現実への失望など、オジー・オズボーンの切れ味鋭いヴォーカルが紡ぐ本作のあらゆるテーマは、以降無数のメタルバンドたちによって掘り下げられることになる。
戦後の暗いムードが漂っていた英国バーミンガムで育ったベーシストのギーザ・バトラーにとって、「War Pigs」や「Electric Funeral」で描かれるディストピアは現実味を帯びたものだった。ボンゴとジャジーなフラメンコギターのラインがヒッピー感を演出するラブソング「Planet Caravan」の冷たく非現実的な歌詞は、宇宙の彼方に放置される孤独感を描いている。「Paranoid」に登場する、”お前のジョークに俺はため息をつく お前は笑い、俺は涙を流す”等の堂々たるウィットに満ちたフレーズの数々は、彼自身が経験した鬱症状を表現したものだ。だがそれは人々の共感を呼んで大ヒットを記録した。
『Paranoid』はブラック・サバスの現実を音像化したものでありながら、同じように人生に不満を抱えた無数の人々の理解と共感を呼んだ。その中には、後にメタルと音楽の歴史を刷新していくメタリカやパンテラ、スリップノットといったバンドバ等のメンバーも含まれている。「オズフェストに出てるバンドの連中は、一番影響を受けたのはサバスだって言ってくれる」。オズボーンはそう語っている。「俺自身はヘヴィメタルとの接点をまるで見出してない」。バトラーはかつてそう語った。「それでも、フォロワーよりはパイオニアって言われる方がいいよ」K.G.
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