1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Isn't Anything』 ケヴィンが明かすシューゲイザー革命の裏側

Rolling Stone Japan / 2021年5月24日 19時0分

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(Photo by Paul Rider)

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(以下、MBV)の4タイトル新装盤CD/LPがいよいよリリースされた。Rolling Stone Japanでは日本盤ライナーノーツのために収録されたケヴィン・シールズの最新インタビューを2週連続でお届けする。『loveless』編に続いて、今回はデビューアルバム『Isnt Anything』について。当時の制作背景だけでなく、独自のギター論についても語っている。聞き手は音楽ライターの粉川しの。


ーあなたにとってこの『Isnt Anything』は、MBVの3枚のオリジナル・アルバムの中でどのように評価、位置付けられている作品ですか?

ケヴィン:まあ、あれが自分たちにとっての1stアルバムだったね。初めてスタジオで長く時間をかけたアルバムでもあったし、それに……あれはとにかく、なんというか、かなり自由で、実験的な時期だった。1988年の夏のことで……そうだな、もっとも楽に作れたアルバムだったのは間違いない。


『Isnt Anything』ジャケット写真

ー『Isnt Anything』は何度もリイシューを経ていて、本作は2012年のリマスター版と同じ音源になると伺っています。

ケヴィン:そう。

ーちなみに2018年にはアナログ・リマスター版も出されましたよね。

ケヴィン:ああ、限定エディションとしてね。2018年に『Isnt Anything』と『loveless』のアナログ・ヴァージョンを出したけど、あれは僕たちのウェブサイト上でしか購入できない、数カ月限定で販売したものだった。以降は販売していないよ、あくまで限定版として出したものだから。

ーで、2012年版と2018年版の比較で言うと、今回(2012年版)の音源の特色、聴き処、あなたが特に注力した部分はどこだと言えますか?

ケヴィン:いや、アナログ・ヴァージョンには違いはないよ。アートワーク/パッケージに差はあるけれども、レコードそのものとしての内容はどちらも同じだ。ただ、『Isnt Anything』と『loveless』のヴァイナル盤向けに、今年改めてカッティングをおこなってね。だから今回(のアナログ)は新しいカットだ。その意味では、うん、基本的に、このリイシューまで存在してこなかったアナログ盤(=発売当時のアナログ・プレスとも、2018年の限定版重量プレスとも異なる)ということになる。

ー今回の再発CD等のベースになる2012年版デジタル・リマスター、あれが、あなたが発表当時以降では初めてオリジナルのマスター・テープを使っておこなったリマスターだったんですよね?

ケヴィン:ああ、そうだね。

ーその2012年版リマスターをおこなった際に、あなたがもっとも注力した点とは?

ケヴィン:フム、そうだな。だから、僕が全音源に、あれらのテープ群に触れることができたのはあの時が初めてだったし、基本的にもっとも注意したのは、良いコンバータを使い、オリジナルのアナログ・テープを可能な限り最上の音質でデジタルに変換することだったね。うん、とにかくできるだけ良い音に仕上げた。あのリマスター作業に僕たちはかなり長い時間をかけたし、とてもうまくいったから、今回(2021年版向けに)僕がまたわざわざリマスターする必要はなかった、という。

極限まで切り詰められた睡眠時間

ー『Isnt Anything』のレコーディングにまつわる逸話として有名なのが、あなたたちが毎日2時間くらいしか寝ていなかったというものです。

ケヴィン:ああ、うん。



ーそうしたあなたたちのコンディションによって作業に、本作のサウンドメイクにどんな影響がありましたか?

ケヴィン:あの当時、うん、僕たちは……レコーディング中に睡眠欠乏状態になるとどうなるか?ってことを実験したっていうかな。その主な理由としては、レコーディングに5日間しかなかったからで。それまで、僕たちがひとつのレコーディング・セッションにつきスタジオで過ごしたのは5日が最長期間だった、と。ところがこの作品では、6週間も時間をもらえてね。というわけで、睡眠欠乏状態の実験をそこでも続けていったんだ、あれはやるのがかなりクリエイティヴな実験だなって風に感じていたから。ところが、1カ月経ったところで、「これ以上無理、たくさんだ!」と(苦笑)。実験の結果僕たちの学んだ教訓があれだったというのかな。

だから、実際にああやってみたし、僕は『Isnt Anything』のレコーディング作業のほとんどを、それこそロクに寝ないで、1日3時間以下かそこらの睡眠時間でやっていった。とにかく、必要最低限の睡眠時間でね。ただ、1カ月ほど続けたところで、僕たちもとにかく消耗し焼き切れてしまった。そこで、睡眠不足な状態をレコーディングのテクニックとして使うのはやめにしたんだ。あれが長期間にわたって使えるテクニックではないことを僕たちも察したわけ。短い期間にガーッと集中して作る際には適しているけれども、1カ月以上のレコーディング作業には向かない。でも、あれはたしかに意識が変容した状態を生み出してくれたね。それが、音楽を作る際の姿勢に役立ったっていう。

ーそれは肉体/精神の両面でどういう状態だったんでしょうか。疲れて朦朧としていたのか――

ケヴィン:いやいや! そうではなくて……

ー逆にアドレナリンが出てギンギンに冴えた状態?

ケヴィン:そう、一種のアドレナリンが出ていた、そっちに近い。僕たちも若かったからだし、若ければ、ああやってかなりのエネルギーを消耗できるんじゃないかな? もっとも、本当はそこまで体力を消耗すべきじゃないんだろうけど。僕たちは若さにまかせてああいうことをやっていたし、概して疲労は感じなかった。いったん眠りに落ちてしまうと、次に起きるのが厄介だったとはいえね。ただ、僕たちはとにかく、スタジオで過ごせるのが楽し過ぎたし夢中だったんだ。でも、あの実験をやっていた当時は、別に”何かすごいことをやっている”という意識はなかった。で、さっき話したように、やってみた結果、あまり長い期間やれることではないなと僕たちも学んだわけ。しばらく経つと自分の身体の方が「ノー、限界です」とシャットダウンしてしまうんだ。

レコーディング・プロセスの真相

ーレコーディングの時間自体はわりと短時間で済んだと伺っています。

ケヴィン:うん。

ー『loveless』が膨大な時間を要したのと対照的にも思えますが――

ケヴィン:その後は22年かかったし、次のアルバムは44年後かも(苦笑)。

ー(苦笑)ご冗談を。で、実際この2枚のアルバムではレコーディング時の環境、メンバーのコンディション、苦労の度合い、ゴールの設定は全く違うものだったんでしょうか?

ケヴィン:いや、大差なかったよ。さして違いはなかった。僕たちの暮らしぶりにせよ、日常にせよ、あの2枚の間では大体似たようなものだった。でも、思うに……要するに、スタジオでの作業がやや難しくなった、そういうことだろうね。どうしてかと言うと、『Isnt Anything』を作った時、僕たちはかなりラッキーだったと思うんだ。あの作品で一緒に仕事した相手は全員良い連中だったし、その意味で自分たちは非常に運が良かった。ところが『loveless』がどうだったかと言えば、その面であんまり運に恵まれなかったっていう(苦笑)。だから、スタジオがちゃんとしていないと別のスタジオに移ったし、こっちを理解してくれない仕事相手(エンジニア等)がいたら代わりの人に来てもらったり……だからまあ、レコーディングのプロセスがそれまでに較べるとやや運の悪い、当たり外れの多いものになった(苦笑)。うん、自分としては「少し運が傾いた」、そう形容するな(苦笑)。ただ、ひとつ言えるのは――僕たちが実際にレコーディングをやっていた間、それはほぼすべて良い経験だったんだ。良い時間を過ごしたし、レコーディング環境も良くて、一緒に作業にあたってくれたのはみんな良い人たちだった。だから基本的に、僕たちが(『loveless』の)レコーディングのごく初期段階で決意したのがそれだったんだよね、「オーケイ、分かった。Creation Recordsや金銭面等々、たしかにいくつか問題がある。ただ、肝心なのは、自分たちの中に本当に良いレコードが潜んでいるってことなんだ」と。

要するに僕たちは、スタジオ内での問題他、いかなる外的要因も自分たちに一切影響しないようにしたんだ。スタジオで何か問題が起きたら、とにかくレコーディングはそこでストップ。別のスタジオを探し始めたり、色々と手を打った。だからまあ、僕たちは主に、音楽そのものを守ることに専念していたんだ。そうやって、自分たちが実際にレコーディングをおこなう場面では、何もかもが満足のいく良い状況であるように、確実にそうなるよう努めた。実際、そうだったしね。だから、僕たちが録音して残った音源、あれらはいずれも、良い雰囲気の中でレコーディングしたものだったよ。

ー運が良かった/悪かったの差こそあったものの、あの2作であなたの目指したゴールは基本的に「良いレコードを作ろう」であり、その意味では2作の間にあまり違いはなかった?

ケヴィン:そうだね。だから、僕たちとしては単に「次のアルバムを作るぞ」という思いだったし、実際、僕たちのやっていたのはそれだったわけで(笑)。ああ……だけど、失敗に終わったレコーディング・セッションを何度かやったことがあったんだ。1989年の始め、1月と5月だったと思う。あれらは完全にボツのセッションだったわけではなく、「Moon Song」と『Glider E.P.』収録の「Dont Ask Why」はどちらもあのセッションから生まれたものだ。ただ、あの時点で僕たちはEPをすべて完成させてはいなかった、と。だから、『loveless』に取りかかり始めた時、「前回はちょっとしくじったな」という意識が自分たちの中にあったというか? というのも『Isnt Anything』ではすべてうまくいったし、万事が好調。制作プロセスも楽だった。要するに、何もかもとてもすらすら運んだ、と。ところが『loveless』では――いや、『loveless』ではなくその前の、『Isnt Anything』と『loveless』の間にやったセッションだな。1月に5日間スタジオに入り、そこでEPを録るはずだったのが、そうはいかなかった。4曲録ってミックスまでやったものの、とにかく自分たちは出来に満足できなかった。だからあれらは発表しなかったんだ。で、5月に再び5日ほどスタジオ入りし、そこで2曲録ったもののいい出来とは思えなかったし、セッションを2回やってもまだ良いEPが仕上がっていないぞ、と。

というわけで、自分が言いたいのは、要はあの時のセッションで初めてちょっとしくじってつまずいたようなものだったし、だから『loveless』に着手した時の僕たちは気を引き締め直し、良いレコーディングをやれる場/環境に改めてフォーカスした、という。だから、スタジオ内で何かトラブルが生じたら、そこで……レコーディング作業を一時停止し、何もかもが満足のいく良い状況になるまで待ち、その上で作業を再開する、と。それがあったからなんだよ、以前よりもっと時間がかかったのは。それに、『loveless』制作中に僕たちが一時的に奇妙な期間に陥った、というのもあったし。あれは1990年の夏だったな、3カ月くらいの間、僕たちはフィードバックをさんざん録音して実験し、フィードバックのためにあれこれこさえていた。そういった、頭がおかしくなっていたとまでは言わないけれども、確実にこう、エキセントリックになっていた期間は若干あったね。そうは言いつつ、あのレコードの大半は、かなりノーマルな流儀で録ったものだよ。僕たちはこれだというサウンドをモノにするのには時間を費やしたとはいえ、レコーディング作業そのもののほとんどは、非常にこう、のびのび本能的にやったものだった。大概は1、2テイクか3テイクくらいしか録らなかったし、それらを皆で聴き返して、「うん、2テイク目で決まり、これだ」みたいな。何も、”苦痛に満ちたつらいレコーディング・プロセス”ではなかったんだよ(苦笑)。だから、あれらの音源を実際にレコーディングしていた際の自分の記憶は良いものばかり、みたいな。ただ、あの期間、僕たちの周囲ではクレイジーな出来事がたくさん起きていた、それだけのことであって。

新しいアイディアが生み出された過程

ー『Isnt Anything』のレコーディング時のあなたを突き動かしていた最大のモチベーションとは?

ケヴィン:そうだな……僕たちはとにかく、自分たちはとても自由だし、かなり意欲を掻き立てられている、そう感じていた。それに、僕たちはとても、とても生(き)のままで純粋なレコードを作りたいと思っていたし、だから、自分たちは……そうだな、僕たちがやろうとしていたサウンド、求めていたプロダクション、そして「こうなりたい」とあこがれていたのは……基本的に、僕たちは多くの音楽につきまとっていた姿勢の多く、それらを拒絶していたんだね。かつ、僕たちはあの頃、プロダクションに対するそれまでとは異なるアティテュード、パブリック・エネミー等々のヒップホップ・ミュージックのプロダクションだったり、あるいはダイナソーJrといったバンドにもインスパイアされていた。ああした音楽の生々しさには強い霊感を受けたし、ただ、僕たちはそれと同時に、あれらとはまったく違うもので実験も重ねていた。だから総じて言えば、僕たちはかなりこう、自分たち独自の方向感覚で進んでいた、というか? ここで自分が言いたいのは、きっとこういうことだろうな――自分たちはとても自由だったし、非常にオリジナルなことをやろうとしていたわけではないにせよ、とにかく、優れたアイディアが自分たちには山ほどあった。でも、僕たちはまた、自分たちの受けた影響を表に見せることにも抵抗がなかった、と。




ー極度の緊張感と脱力感、荒れ狂うカオスと唐突な静寂、死と官能といった具合に、『Isnt Anything』はあらゆるアスペクトで分裂や矛盾を感じるアルバムです。

ケヴィン:なるほど。

ーたとえば”Sue Is Fine”が途中で”Suicide”に転じる「Sueisfine」などもありますし――

ケヴィン:ああ、でも、興味深いのは……「Sueisfine」の歌詞、あれは……(一瞬ためらう)。オーケイ、だから、あの曲にはちょっとしたストーリー/背景があるんだけれども、でも、でも……根本的に、あの歌詞は実験の一部というのかな。”意識の流れ”の実験、すべてを試しに即興でやってみた結果、という。だから要するに、あの曲を聴いていると色んなことがたくさん起きているのが聞こえるし、ちゃんとした「これ」というひとつのものには聞こえない。コーラス部では”Sue is fine….sueisfine…suicide”とスライドしていく、と。で、僕はあそこで、ある意味、あのどちらともを歌っているんだ。完全に本能的で自然に浮かんだまま歌っている。とにかくインプロみたいなものだったし、それに、そうなった理由は……あの曲は、僕たちのとある知り合いにインスパイアされたものだったからなんだ。その人はメンタルヘルス面で問題を抱えていて、脈絡なく色んなことを口走る状態になることがあってね。それは基本的に、意識の流れがそのまま出て来るようなものだ、と。なので、あれは素直に表したものというか、自分たちが実際に知っていた人々についての歌に過ぎないんだ。それに、僕たちは一時期、スーって名前の子と同居していたこともあったし(苦笑)。そんなわけで、あの曲はそういったことを詰めた一種のちっちゃなタイム・カプセルというのかな。歌の歌詞を思いつくというよりも、精神面で少々異常をきたしている人の状態になり、そこに共感して書いた歌詞、みたいなものだ。



ーなるほど。その「Sueisfine」も含め、先ほども言ったように、『Isnt Anything』の総体的な美学には矛盾、時にカオスとすら言えるコントラストがあると思うのですが、これはあなたが意図した表現だったと言えますか? それとも、このアルバムで重要だった自由さゆえに様々なことを試した結果、こうなったのでしょうか?

ケヴィン:まあ、あのアルバムのどの曲も……すべてではないかな、でもあれらの曲のほとんどにおいて、僕たちはそれぞれの曲で毎回何かしら違うことをやっていたんだ。僕たちは別に他のバンドを模倣しようとしてはいなかったし、既に誰かのやってきたことをそれと同じ方法でやるつもりもなかった。だから……僕たちからすればあれはカオスではなかったというか。そうではなく、あれは新しいやり方に過ぎなかったんだ。ただ、他の人々にとっては、あのやり方はどうもあまり一般的ではなかったらしい、と。でも、僕たちは一緒に暮らすことで様々な極端な場面を味わってきたし、そんな僕らからすればあれはノーマルだった。それに、様々なアイディアを始めとする、僕たちのやっていたことの多くは、とにかく実験であり、新しい発想だったわけで……だから、ほんと、あれは新たなアイディア群の誕生みたいなものだったんだね。

ケヴィン・シールズにとってギターとは?

ー例えば「All I Need」や「Several Girls Galore」でのあなたのギター・プレイは、本当にユニークで過激で予測不能、何度聞いても背筋がゾクゾクしてしまいます。それは時に、ギターがギターであることを拒んで暴れているようにも聴こえますし、ギター・サウンドの可能性を深掘りしているようにも聴こえます。

ケヴィン:とにかくまあ、何か違うことをやっていたってことだよ。これまでとは違う新たなやり方を見つけ出していた、という。例えば「Several Girls Galore」のような曲で言えば、あそこでのギター・プレイはレーシング・カーが出す音からも影響されていたし。

ー(笑)。

ケヴィン:(笑)だから、F1のレースなんかを想像してもらえば、車が「ギュワァァァ……ン、ギュワワワワァァン!」みたいな轟音を出すわけでさ。純粋に音楽からだけではなく、そういった音楽以外のものからも僕は同じくらい影響される。「All I Need」なんかにしても、あの曲には実際、波がぶつかって砕けるような感じのエフェクトがかかっているわけだし。あれにしたって、僕は……単に自分が聴いたことのある他のバンドのサウンド云々以上のことを考えていたし、とにかく何か新しいものだ、自分にはそう感じられた。あのギターを弾いていた時、僕は他の既存の音楽のことは考えず、無心でやっていた。だから、何であれ、演奏していた時に自分の頭の中を過っていたものは、音楽的なあれこれではなく、むしろ非音楽的なものの方と強く関わっていただろうね。



ーそんなあなたにとってギターとはいかなる相棒ですか? 自身の一部、手の延長で直感的に鳴らしうるものか、もしくはより手ごわい道具、いわば飼いならせない野生の馬のようなものなのか。

ケヴィン:その両方だな。というのも、リズム感、それに基本的な演奏というのは本来、直観的にやれるようになっていくものだから。だから自分自身の延長であり、ギターと自分とはその一部に、演奏していると音楽とひとつになる。自分がやっている何もかもを逐一考えたりしないし、とにかくプレイするのみ。そうだな、だから、歩行するのにちょっと似ている。自分は一歩、また一歩、また一歩踏みしめている……という具合に歩を進めていくわけだけど、細かく考えずにただ実際に歩いている。それでも、「自分は歩いている」という意識はちゃんとあるし、やっぱり注意して歩きもするし、自分が何をやっているかのアウェアネスはあるわけ。それと同じことで、とにかく音楽を演奏しているし、そこで自分自身もギターの一部になっていく、と。けれどもまた、サウンドそのもの、という面もあるんだよね。特に音量に関してそうだけれども、演奏中に一定の法則に沿わない動きをすると、ギターの音がとんでもないことになる場面が生じる。だからある意味、一体化していつつ、同時にそれをコントロールしてもいる、と。その面では少し、野生の雄馬に似ているね。

【関連記事】マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『loveless』 ケヴィン・シールズが語る30年目の真実



マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
新装盤CD/LP
2021年5月21日世界同時リリース
国内盤:高音質UHQCD仕様/解説書付

【画像を見る】国内盤CD/LP+Tシャツセットの商品一覧

商品詳細:
『Isnt Anything』
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11779

『loveless』
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11780

『m b v』
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11781

『eps 1988-1991 and rare tracks』
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11782

CD購入・ストリーミング:https://fanlink.to/mbv2021

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください