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米陸軍エリート部隊、上層部がひた隠しにするタブーの正体

Rolling Stone Japan / 2021年6月7日 6時45分

グリーンベレー隊員マーク・レシカー(左と、右の写真のタトゥーのある方)はそれぞれの幼い娘が目撃する中、麻薬の効果で激化した口論の末、親友で同じく特殊部隊員のビリー・ラヴィーン(一番右)に射殺された。数年後にはラヴィーンも胸を撃たれて死亡し自分のトラックの荷台で発見された。特殊部隊内で薬物絡みの事件が連続する中、フォートブラッグで麻薬を密売していたとして当時取り調べが行われていた。(Courtesy of Laura Leshikar, 2)

2020年に最低でも44人の米フォートブラッグ所属軍人が国内で死んでいる――そのうち複数が他殺だ。遺族が真実を求める一方、軍は口を閉ざしたままでいる。長文ルポでその内幕に迫る。

【写真を見る】遺体は頭部のみ 旅行中に斬首された特殊部隊員

クリスマスの3週間前、鹿猟師がノースカロライナ州のフォートブラッグ基地周辺の松林で発見したのは謎の銃撃戦の跡だった。マットブラックのホイールにレーシングタイヤを履いた改造シボレー・コロラドがマッカーサー湖付近の土の道に出来た轍にはまっていた。トラックの荷台と横の地面には2人の男の死体。どちらも射殺されており、地面には薬莢が散らばっていた。しかし現場に銃はなく、2人を撃った人物の手がかりもなかった。

右のこめかみを撃たれ地面に横たわっていたのは44歳のティモシー・デュマス。典型的なアメリカ人だったと生前の彼を知る人たちは語る。特殊部隊気取りの、周りを威圧するためだけに元奇襲隊員だと言いふらすような男だった。彼は19年間陸軍に所属し、フォートブラッグの第7特殊部隊に一時いたこともあったが、保有物品簿記、補給係下士官としてだった。

一方、トラックの荷台に乗っていた男は別だ。14回にわたる戦地への派遣から多数の記章やワッペン、勲章を授与している特殊部隊員で、合衆国一のエリート部隊デルタフォースに所属していたビリー・ラヴィーン二世は37歳にして真のTier 1所属軍人、陸軍の謎多き最精鋭部隊の曹長だった。レンジャー、グリーンベレー、ネイビーシールズ隊員の基本的な訓練に加え、破壊活動、爆破、人質救出、戦術的運転、ピッキング、さらには尾行、デッド・ドロップ、潜伏などのスパイ活動に必要な技術も叩き込まれている。

そんな彼がまるで寝ている間に殺されたかのように死んでいた。陸軍で通称「レンジャー・パンティー」と呼ばれる短いランニングパンツのみを身につけた彼の胸には複数の弾痕があり、「ウービー」と呼ばれるナイロン製の布に包まれた状態で彼が所有する灰色のシボレーの荷台に乗せられていた。

現場から麻薬は発見されなかったが、フォートブラッグに拠点を置く統合特殊作戦コマンド(JSOC)は最近特殊部隊内で頻発している薬物関連事件と同様のものに至る要素は十分あると見ている。常習的にコカインやMDMAの使用、睡眠薬の過剰摂取、深酒をしていたとラヴィーンを知る複数の人が語り、彼の親友の妻ローラ・レシカーさんは「どうにもならない状態でした。ビリーに会う時はほぼ毎回何かで酩酊していました」と言う。

遺体が発見された翌日、ラヴィーンとデュマスは死亡当時フォートブラッグに薬物を持ち込んだ疑いで調査されており、「取引で問題が発生したため殺された」と見て調べが進められていると、ある陸軍当局者がCBSにリークした。


特殊部隊内で流行するハードドラッグ

近年、特殊部隊内でハードドラッグの使用が常態化していると内部告発者は言う。薬物乱用問題が「深刻化」している中、複数の同僚からコカイン、メタンフェタミン、MDMA、ヘロインの陽性反応が出たと2017年に匿名のネイビーシールズ隊員3人がCBSに伝えた。2014年にはアンヘル・マルティネス=ラモスというシールズ隊員がマイアミの空港に手荷物として10キロのコカインを持ち込み逮捕され、その後罪を認めた。2015年には元シールズ隊員ジェイムズ・マシューズがニュージャージー州で140万ドル分のマリファナを積んだトレーラーを牽引しているところを警察に止められた。2018年には元特殊部隊曹長のダニエル・グールドとヘンリー・ロイヤーがサンドバッグに詰められたコカインをコロンビアから輸入しようとして逮捕された。これらは氷山のほんの一角である。

全ての特殊作戦部隊の指揮を執るリチャード・クラーク大将は2019年8月、「包括的な倫理調査」を命じた。2020年初めに公表された報告書はほとんどが指導や説明責任を徹底するという旨の曖昧な言葉で濁されていたが、隊員たちの「自覚の欠如」は確認されたと記されている。

国防総省の複雑で多岐にわたる行政活動のうち最も重要なものを担う2つの機関がフォートブラッグに拠点を置いている。第75レンジャー連隊やグリーンベレーなどを統轄しているアメリカ陸軍特殊作戦コマンド(USASOC)と、軍の「秘密作戦」を取り仕切るJSOCだ。謎に包まれ、潤沢な資金を持つJSOCは2019年に行われたイスラム国指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーの暗殺など、最も政治的リスクが高く、失敗が許されない作戦を遂行する海軍のシールズ・チーム6や、陸軍のデルタフォースを含む各軍一のエリート特殊部隊の作戦統制権を持っている。ヒンドゥークシュ山脈の雪道からソマリアの荒野まで、過去20年間戦闘を続けて来たJSOCの予算と権力が増し続けると共に、作戦の幅も広がっていった。フォートブラッグ内に厳重に警備された拠点を置く、軍の中の極秘の軍だ。


(写真)グリーンベレー隊員マーク・レシカー(左と、右の写真のタトゥーのある方)はそれぞれの幼い娘が目撃する中、麻薬の効果で激化した口論の末、親友で同じく特殊部隊員のビリー・ラヴィーン(一番右)に射殺された。数年後にはラヴィーンも胸を撃たれて死亡し自分のトラックの荷台で発見された。特殊部隊内で薬物絡みの事件が連続する中、フォートブラッグで麻薬を密売していたとして当時取り調べが行われていた。(Courtesy of Laura Leshikar, 2)

「この組織に関することは実質全てが国家機密です」とJSOCの歴史を記す『Relentless Strike』の著者ショーン・ネイラー氏は言う。「ほとんど活動していなかったのが9.11以降、毎晩全世界で10以上の作戦を同時に遂行するようになりました」

これらの作戦はアメリカの存在感が薄い国で行われ、兵士たちは「目標が達成され、戦術が公や権力者に知られない限りモラルや倫理が見る者に委ねられるような”グレーゾーン”で動いている」と、フロリダに軍用機で50キロのコカインを密輸しようとした罪で連邦刑務所に収容されている元グリーンベレー隊員が著者宛の手紙に書いた。「エリート兵士なら娼婦、銃、薬、欲しい物なら何でも手に入る。司令部から遠く離れた場所で清廉潔白でいられると思われているんだ」

ラヴィーンとデュマスの遺体の発見は地元警察にも大きな衝撃を与えた。国内最大の陸軍基地であるフォートブラッグが所在しているとはいえ、ファイエットビルは白い時計台を中心に赤いレンガ造りの古い建物が立ち並び、そのすぐ外をディスカウントストア、ドライブスルーのハンバーガー屋、銃販売店、バプテスト教会が囲む比較的小さい南部の町だ。デュマスはノースカロライナ州で脅迫や官名詐称で何度も逮捕されているが、起訴されたことはない。ラヴィーンも複数回起訴を逃れて来たが、彼が疑いをかけられたのは脱獄犯の蔵匿、薬物の製造を行う場所及び道具の所持、そして殺人まで含む重罪だ。

ラヴィーンは2018年に親友のグリーンベレー隊員マーク・レシカーを麻薬の効果で激化した口論の末、射殺した。目撃者は幼い女の子2人だけ。保安官代理が署まで同行したが逮捕や起訴されることはなく、その夜デルタフォースの同僚に家まで送られた。「彼らの行動は極秘にされています」と多数の現役及び退役したデルタフォース隊員が家を持つヴァスという小さな町のダイアン・バラード刑事は言う。「やりたい放題です」

しかし、ラヴィーンの死体発見で一番困ったのはフォートブラッグの上層部だ。陸軍は2020年に基地内で亡くなった兵士の合計人数を発表していないが、ラヴィーンの死で他殺と自殺を含む死者の数が最低でも44人に達し、フォートブラッグは大差をつけて不名誉な1位を獲得した。2020年の死者が28人で2位だったフォートフッドには議会の調査が入り、”悪習”が一掃され、指揮官のほとんどが解雇された。国家軍事委員会は未だフォートブラッグの類似性に気がついていないようだ。


フォートブラッグで出た初めての「死者」

最初に死者が出たのは2020年1月、テキサス州出身の19歳の男性の腐敗が進んだ死体が彼の寝床で発見された。陸軍は死因を発表しておらず、1年が経過した今でも調査は続いている。3月にオハイオ州出身の若いグリーンベレー訓練生が兵舎で「反応がない」状態で発見された件についても同様だ。5月下旬には落下傘部隊の仲間6人とキャンプをしていたカリフォルニア州出身の21歳の兵士が斬首されたが、この事件についてもまだ誰も逮捕されていない。11月に寝床で「反応がない」状態で発見されたテキサス州出身の24歳の兵士についても陸軍はそれ以上の詳細を発表していない。この1年でフォートブラッグでの自殺者は21人に上り、他のどの米軍基地よりも多い。

フォートブラッグの狂った一年はラヴィーンとデュマスの死体の発見から3週間後に起きた事件で締めくくられた。特殊部隊所属の31歳の衛生兵キース・ルイスが元空軍兵の臨月の妻サラ・ルイスさんを射殺した。2016年にサラさんに暴行を加え、ファイエットビル警察と武装した状態で睨み合いになった時に息子は陸軍から解雇されるべきだったとキースの母、リンダ・ルイスさんは著者に話した。「息子は私に電話して来て『母さん、今頭に銃を突きつけてる。サラを傷つけてしまったし、キャリアは終わった』と言いました。私が長い時間をかけて話すとようやく銃を下ろしてくれました」。その後「問題は特に何もなかった」とリンダさんは言う。

カンバーランド郡は証拠不十分のため不起訴にしたが、「懲戒処分」と、薬物依存症及び結婚カウンセリングの受診の指示は受けたと、ルイスが所属する第1特殊部隊のスポークスマン、ダン・ルサール少佐は述べた。

問題は解決しなかった。サラさんの母、ロンダ・フィリップスさんによるとサラさんは2020年に少なくとも2度、最後は12月11日に身の危険を感じているとルイスが所属する部隊に報告している。「大量に酒を飲みステロイドを使っていたので兵舎に戻すよう部隊に連絡しましたが、全く対応してもらえませんでした」

「12月11日にそのような問い合わせがあったかまだ確認出来ていません。今その作業を進めています」とルサール少佐は言う。

わかっているのは12月22日にサラさんが911に通報し隣人の家に避難したということだ。ルイスは片手で3歳の娘を抱え、もう片方の手で銃を構えながら外まで追いかけた。サラさんが隣人の家の扉を叩くと彼女に向けて発砲した。凶弾はサラさんが後ろに身を隠そうとした隣人の車を破壊し、死ぬ間際に娘が生まれた。イザベラと名づけられる予定だったその子が生き延びることは叶わなかった。キースが降ろしたのか自分ですり抜けたのか、3歳の娘は駆けつけた警察官の一人に飛びついた。複数人の警官が銃を向けながら武器を下ろすよう叫ぶと、ルイスは銃を自分の額に当てそのまま撃ち抜いた。

「フォートブラッグは”爆破”されなければいけません」、つまり隅々まで調べられなければいけない、とサラさんの叔母タミー・デ・ミルザさんは言う。彼女が持っている写真にはルイスのクローゼットから発見された使用済みの注射器や、深刻な気分障害を引き起こす違法アナボリックステロイドのプロピオン酸ドロスタノロンや酢酸トレンボロンの小瓶が入った大きな入れ物が写っていた。

真実が知りたい遺族は彼女だけではない。「フォートブラッグでこんなことが起きて、それについて誰も知らないなんておかしいです。絶対に何か隠しています。そう思えてなりません」と殺害されたラヴィーンの父、ビリー・ラヴィーン・シニアさんは語る。


(写真)アメリカ国内最大の基地フォートブラッグが指揮するのはデルタフォースやグリーンベレーなど、陸軍の最精鋭部隊。アフガニスタンやイラクとの終わりの見えない戦争を一身に背負ってしまっている彼らは「戦闘による心的傷痍や精神的損傷」だけでなく酷い外傷性脳損傷にも苦しんでいる。(Photo by Airman 1st Class Clayton Cupit/U.S. Air Force)



同じ隊員たちでコカイン三昧

高校を卒業してすぐの2001年2月、無料の視力矯正手術と新しいオフロードバイクを買う金欲しさにビリー・ラヴィーンは陸軍に入隊した。すると9.11が発生し、アメリカ史上最長の戦争が始まった。「彼は毎日楽しく過ごし、これを一生の仕事にすると決めました」とビリーがスケートボードやモトクロスをして育った、遠く離れたミシガン州のアッパー半島に今も暮らす彼の父が言う。ビリーは2006年に特殊部隊に入隊し、グリーンベレーに入り、その後10年間平均して年に1度は戦地に派遣された。

その頃の彼の出征先を、父も常には把握出来ていなかった。「ソマリア、イラク、アフガニスタン。アメリカが2006年から2018年の間に関わっていた場所ならどこへでも行っていました」。2012年には数多のレンジャーやグリーンベレー隊員が挑戦するも関門をくぐれるのはほんの一握りである、最精鋭部隊デルタフォースに入隊した。

その年の5月、彼は同じく北部出身の頑固な男マーク・レシカーと出会う。アイダホ州の田舎で生まれ、ワシントン州のカナダとの国境近くで育ったレシカーはラヴィーンの2つ下で、Qコースと呼ばれるフォートブラッグの過酷な殊部隊入隊試験を合格したばかりだった。2人はすぐに親友となった。

「もはや兄弟のようでした」と2018年2月に2人と3週間ほど過ごしたレシカーの妹、ニコールさん(31)は言う。海軍の潜水艦乗組員である夫とノースカロライナ州に引っ越す際、レシカーの家に一時期泊めてもらっていた。「兄はどうしても私に会わせたい人が2人いました。そのうちの1人がビリーでした」

スピリチュアルライフコーチでレイキ(レイキヒーリングは民間療法であり、エネルギー療法の一種)について教えているニコールさんによると、ラヴィーンは兄が普段付き合っている非番の兵士たちとは違っていた。「私は争いごとを好みません。戦争なんかより平和な世界を望みます。ビリーは私と考えが似ていたようで、他に紹介された特殊部隊員と比べると変わった人でした」

パブリックドメインとして唯一公開されているラヴィーンの写真、つまり陸軍公式の個人写真に写る彼の頭はまるで白い卵のようだ。髭と髪を剃り落としたばかりなのか顔色は悪く、やつれた表情をしている。「ひどい写真です」とニコールさん。「まるで死人みたいです」。実際は背が高く、坊主頭に綺麗に整えられた髭を貯え、ハンサムだったと言う。「兄と顔立ちがよく似ていました」

ほとんどの写真に髭を生やしたしかめっ面で写るレシカーは身長約193センチ、髪は明るい茶色で顎は四角く、肩にはタトゥーが入っていた。「頑固で自己中心的な男でした」とハワイ出身でパラリーガルとして働き、元海兵の父を持つ妻のローラさん(39)は第一印象を振り返る。しかし、そんな彼が「だんだん好きになった」と言う。

どちらの男にも幼い娘がいた。離婚後何人もの女性と交際しては別れていたラヴィーンは「父親でいるのが好きだった」とニコールさんは言う。兄も同様だった。レシカーは実に男性的な男だったが、可愛い娘にお茶会にはドレスを着て来なければならないと言われれば、文句一つ言わず「自分に合ったサイズのドレスを買いに行きました」とローラさんは語る。

ニコールさんも夫との間に幼い子供がいた。子供を預けられる友人やベビーシッターがいれば、30代半ばの5人はファイエットビルの都心部に出かけた。「ぶっちゃけると、私とビリーとマークでコカインもやりました」と彼女は言う。

他の特殊部隊員がコカインを吸入しているところも複数回見たそうだ。「他にも一緒に飲んで遊んでいる人たちがいて、皆どうやらビリーをはじめとする共通の知り合いがいたようです」

ローラさんの話もニコールさんのと同様の内容だった。「私の前でも他の隊員たちと一緒にコカインを使っていました。ビリーの家に入るとそこら中に散らかっていることもありました」

彼女も「毎回同じ4人組」が白い粉で線を引き鼻から吸うところを「2、3度」直接目撃しており、全員デルタフォースの同僚だったと認識している。というのも、彼らをそう紹介されたことに加え、訓練の後車で家までラヴィーンを送って来たことや、参加した作戦についてふざけて話しては互いをやり込めようとしていたことがあったからだ。「お前42人殺ったんだって? 俺120人だから」とローラさんが男の低い声を真似る。

USASOCのスポークスマン、テイジ・レインズフォード大佐はデルタフォース隊員のコカインやMDMAの使用や薬物検査の有無についての書面での取材に応じなかった。JSOCの報道官カラ・スールズ大佐も同様だった。


軍の任務に伴う代償

レシカーの母、タミー・メイビーさんは息子の薬物乱用問題を知っていた。2017年にタジキスタンで路上爆弾により外傷性脳損傷を受けてしまった息子に、依存性の高い鎮痛剤であるトラマドールを処方した陸軍に原因があると主張している。「家に帰って来ると明らかに目に生気がないんです」

その後1年間でレシカーはベンゾジアゼピンに移り、MDMA、コカインへとエスカレートして行った。母にはグリーンベレーでは不眠で作戦に参加しなければならない時はコカインを吸うのだと説明し正当化しようとしていた。「抗うつ剤みたいなものだよ」と彼が言うとメイビーさんは「『いいえ違うわ、だって違法だもの』返しました」。

アルコールはさらに深刻な問題だった。「コカインを使っている時はごく普通に振る舞っていました。マーキーがひどく落ち込むのはお酒を飲み過ぎた時です」とメイビーさんは言う。「俺が悪い人間だって知ってるだろう?俺は人を殺して生きてるんだ」などと妻に言っていたそうだ。

十数回目の派遣を終える頃にはラヴィーンも同じくらい精神的ダメージを受けていた。ニコールさんによると、酒を飲むと「見透かされているような」「魂が抜けた」表情をしていた。過去に一度少年兵を殺したことがあると告白したことがあった。「まだ幼い男の子だった」「だが銃を持っていたんだ」と彼の言葉をニコールさんは繰り返す。特に頭から離れない記憶がもう一つあった。瓦礫の山と化した町の中を連れ歩いていた軍用犬のベルジアンマリノアに、「ご褒美」と称して死体を食べさせていた。

『Eagle Down: The Last Special Forces Fighting the Forever War』の著者ジェシカ・ドナーティ氏によると、2014年以降アメリカのアフガニスタンとの終わりの見えない戦争の重荷はほぼ完全にグリーンベレーが背負い込むようになってしまった。その理由として、歴代の政権が「政策の穴を埋めるための政治的道具」として使い、アメリカが戦闘活動から足を洗ったという幻想を維持しようとして来たことを挙げている。家から遠く離れた場所で長い間暴力に晒され、また暴力を振るう側にも立ち、自分の任務に幻滅した特殊部隊員は離婚やアルコール依存、薬物依存、アンガーマネージメントの問題に陥るリスクが激増するとドナーティ氏は言う。

「戦闘による心的傷痍や精神的損傷だけが問題ではありません。外傷性脳損傷も大きな問題です」とネイラー氏。「100日間で40回襲撃を行ったとすると、そのうち15回では10ヤード以内で扉爆破の衝撃を受けています。その時に加え、空爆の指示を出す際や装甲車がIEDで大きく揺れる時に脳が頭蓋骨の中で十数回跳ね返り、このダメージが毎回蓄積されていくのです」

ニコールさんはラヴィーンを、他のデルタフォース隊員と比べて「内向的」で思いやり深く、「精神的に苦痛」に侵され傷つけられた人だと形容した。「私は彼の言動を見て来ました」仲間たちと違い、ラヴィーンは殺した人数を自慢することはなかった。アメリカは中東に核爆弾を落として早々に決着をつけるべきだと言うレシカーに対して反対の意思を示した。「向こうには違う社会があるんだ。同意は出来ないけど、我々が向こうでしていることは間違っている」というラヴィーンの発言をニコールは回顧する。


(写真)ラヴィーンと共に射殺された遺体が発見された陸軍獣医のティモシー・デュマス(44)。捜査当局は未だ容疑者の特定に至っていない。「常に敵意を剥き出しにしていた人物でした」とデュマスから家を借りていた刑事は言う。「あまり人に威圧されることないのですが、彼は恐ろしかったです」(Photo by FBI)

2018年3月、マークと妻のローラ・レシカーさんは娘の5歳の誕生日にディズニー・ワールドへ連れて行った。1週間の休暇には「ビリーおじさん」と呼んでいた名付け親のラヴィーンも、彼女と従姉妹のように親しくしていた自分の娘を連れて同行していた。

娘たちの視界に入らないところで、レシカーとラヴィーンは酒と薬を続けた。死後薬物検査でレシカーはジアゼパム、トラマドール、MDMA、コカインを使用していたことが確認されている。「最後の1回にするつもりだったんです」とセント・パトリックス・デーに兄と最後の会話を交わしたニコールさんは言う。「今回で足を洗うつもりでした」

ノースカロライナに戻る8時間の道中で、ローラさんは姉をローリーの空港まで送るために別れた。夫とラヴィーンは後部座席に娘たちを乗せたファイエットビル行きの車に残った。


口論の末に親友を射殺

その後の出来事には未だ説明がつかない。側から見れば正気を失ったようにしか見えなかっただろう。レシカーの死が勤務中の出来事だったか陸軍は取り調べを行い情報をかき集めたが、詳細は依然謎のままだ。午後1時頃、まだ帰りの車を走らせている最中にラヴィーンはレシカーの様子がおかしいとローラさんにメッセージを送った。後をつけられている、車に盗聴器が仕掛けられていると信じ込んでいた。しかし、ローラさんがFaceTimeで電話をかけると特に変わった様子はなかったため、からかわれているだけだと結論づけた。「あの2人はいつもふざけてばかりいたので、真剣に取り合えません」

午後4時頃、一行は袋小路にある建て売りの一軒家、ラヴィーン家に到着する。すると、レシカーはホンダ・アコードのボンネットを開け、まだ熱いエンジンを分解し始めた。私設車道で取っ組み合いの喧嘩に発展し、ラヴィーンは娘たちを家の中に避難させ、レシカーを締め出した。

2人はその後の顛末を全て見た。「パパはビリーおじさんが鍵をかけたことに怒ってた」とレシカーの娘は母と祖母に伝えた。父が自分の名前を呼ぶのが聞こえると、扉を開け中に入れた。「パパがビリーおじさんの方に歩いて行ったら、ビリーおじさんはパパに向かって銃を撃ち始めたの。パパは踊ってるみたいだった。地面に倒れてもビリーおじさんはずっと撃ってた。パパの顔が見えた時にはもう死んじゃってるのがわかった」

カンバーランド郡保安官代理たちが現場に駆けつけた。日は暮れ、住宅街の袋小路は緊急車両の明かりで照らされていた。ラヴィーンは街まで連行されたが警察署に長く留まることはなかった。郡捜査官にはレシカーがドライバーを持って襲いかかって来たため、子供達を守るためにも正当防衛として発砲するしかなかったと供述し、レシカーの母、妹、妻にも同じ説明をした。

その釈明は説得力に欠けていた。レシカーの遺体の近くでドライバーは発見されなかった。検視の結果彼は背後からを含むあらゆる角度から撃たれていた。たとえレシカーがドライバーを持って襲いかかって来ても「ビリーが武器を取り上げるという選択肢を忘れるわけがありません。彼はその訓練をして来ています」とニコールさんは言う。

『Connecting Vets』のジャック・マーフィーが入手した情報によると、勤務中の出来事であったかの調査をしていた陸軍の捜査員はドライバーの件を含め、ラヴィーンの供述と実際に集められた証拠にいくつか矛盾点があると指摘している。「このことから(ラヴィーンの)供述に信頼性はないと判断した」と2019年3月11日にまとめられた報告書で結論づけられている。

にもかかわらず、地元警察はラヴィーンの釈明に満足したようで、特に記録もされなければ写真も撮られず、保釈審問も行われなかった。留置所で一晩も明かさなかった。カンバーランド郡のスポークスマン、ショーン・スウェイン氏はラヴィーンが薬物検査を受けたか「全く知らない」が、個人所有の45口径ハンドガンで優秀なグリーンベレー隊員を射殺しても逮捕されていないところを見ると、受けていない可能性が高いだろうと話している。

レシカーの殺害は「正当殺人」と判断されたが、そのような経緯でそれに至ったかスウェイン氏は説明しなかった。地方検事局もこれについての複数回の問い合わせに応じなかった。保安官事務所がレシカー家に調査報告書を見せなかったことについてスウェイン氏は所の方針だと弁明した。「捜査は打ち切られてもこの事件は一般には公開されないと伝えられました」とローラさんは言う。

陸軍の犯罪捜査司令部(CID)も事件を公表しないのと同じ理由で殺人の正当性を認めた。スポークスマンのクリス・グレイ氏はメールで事件の捜査はカンバーランド郡が「管轄」していたが、CIDも全ての証拠や証言に目を通していると答えた。「CIDは完全で公平な捜査を行い、それを否定する意見は認めません」

レシカーの母、タミー・メイビーさんは警察官として18年間勤め、通信指令室のオペレーターや看守に加え、カリフォルニア州、アイダホ州、ネバダ州で巡査として働いた。「刑事になったことはありませんが、限られた事件捜査経験からでも何もかもおかしいということはわかります。殺人犯を野放しにするとは一体どういうことですか?」と彼女は言う。

隅々まで検閲されたCIDの報告書を受け取ったニコールさんは「紙の無駄」だと表現した。「まともに捜査をしていればこの2年半の薬物事件や死亡事件は起きなかったはずです」


対テロ特殊部隊、デルタフォースとは?

ネイビーシールズは近年あらゆるスキャンダル見舞われて来たが、デルタフォースは12月のラヴィーンの不審な死まで数々の薬物乱用事件の責任を逃れて来た。実際、正式名称を第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊といい、戦闘適応グループの名でも知られるこの部隊が引き起こした事件についての記事を探すには相当な時間を要するだろう。

JSOCの予算は公開されていないが、一般的な特殊部隊員の訓練に1人当たり1〜2百万ドルかかっていると言われており、デルタフォースやシールズ・チーム6などの特殊任務部隊のレベルに達する頃にはさらに莫大な金額が一人一人に投資されている。隊員数も明かされていないが、イラク戦争にも参加した元デルタフォース所属の大佐が2年前、約250人の隊員に加え、支援部隊が2000人いると著者に話している。大佐は選抜に関わっており、高度な射撃技術だけでなく、芸術的才能も持ち合わせている内向的な性格の人材を探し、楽器を演奏出来る者や絵を描く者を選んだ。矛盾しているように聞こえるが、「チームプレイヤーの傾向にない人間」を基準として挙げた。

パブリックドメインとして公開されている数少ないデルタフォース隊員の写真は個人を特定出来ないよう顔が黒く塗り潰されていたりぼかしが入っていたりする。アメリカ的軍国主義の象徴、特殊部隊へのカルト的信仰の中で、目を覆う黒い線は後ろ暗い歴史を物語っている。長髪に伸びた顎髭、首に巻いたチェック柄のクーフィーヤから始まる隊員像は、顔にかかったモザイクで完成される。Tier 1所属軍人たちは存在をなかったことにされるほど必殺部隊の中で高い地位まで上り詰めた、もはや幽霊なのだ。

しかし、彼らの顔や名前、よく乗っているのが見られる特大のトラックは、フォートブラッグ周辺に住む人たちの間ではよく知られている。サザンパインズのODonnells Pubなどのバーでバイカー的な装いに顎髭、タトゥー、筋肉、つばがボロボロの日焼けした野球帽、そして隠し持った拳銃が加えられた典型的な非番軍人の姿を見つけるのは容易だ。「この地域にはデルタフォース隊員が多く住んでいます」とヴァスのバラード刑事は語る。「いい人もいます。優しい、普通の人たちです」。しかし、「自己陶酔的」で何をしても許されると思う傲慢さが滲み出る「問題行動」を起こす者もいると彼女は言う。

ヴァス唯一の常勤刑事のバラード氏はビリー・ラヴィーンと面識がなかったが、共に殺されているのが発見された44歳の元軍人ティモシー・デュマスとは知り合いだった。

実際にはただの兵站係だったが、「特殊部隊員を自称」していたと彼女は言う。「強烈な人物でした。敵意を剥き出しにしていて、何か違法なことや犯罪組織に関わっていそうだという印象を受けました。手に入る銃やパーツの話をしていたので、銃絡みの何かではないかと思いました」

当時、バラード氏は海軍を辞めたばかりで、刑事はおろか警察官にもなっていなかった。2013年10月のある夜、コンセントを直しに来たデュマスに言い寄られていることにバラード氏はすぐに気がついた。「夫がどこにいるか詮索して来ました」、今は別居していると伝えると「もし消して欲しければ応じると言って来ました。一生関われないように。冗談を言っているようには聞こえませんでした。彼は本気でした」

笑い飛ばすふりをしたが、デュマスが金物屋に部品を買いに出ている間に隣人を呼び、側にいてもらった。寝室からグロックを持ち出し、ソファのクッションの下に隠した。「あまり人に威圧されることないのですが、彼は恐ろしかったです」と彼女は言う。

LinkedInに載っているデュマスの写真にこれといった特徴はない。ウィスカー加工のされたジーンズに縦縞のシャツを着た坊主頭のがっしりとした体格の黒人中年男性が夜、どこかの駐車場の前で立っている姿が写っている。表情は硬く、眉は上がっており、カメラをじっと見つめる目がフラッシュで赤くなっている。

2016年に軍を離れ、一時ファイエットビルでナイトクラブを経営していたが、法的問題が絶えなかった。税を払っていない酒の所持や借用品の返却拒否、未成年者への酒の販売で何度も逮捕された。しかし、全て不起訴に終わった。

デュマスの妻によると、ナイトクラブは「もう存在せず、建物は周辺地域ごと取り壊され、新しい建物が建って」いる。一面に松葉が落ちた庭の中に建つ、窓がクリスマスリースで飾られた美しい平屋の扉が開くことはなかった。インターフォン越しに「他の誰しもと同じように何も知らない」、彼女とデュマスは「違う人生を歩んでいる」と話した。

新型コロナウイルスがアメリカに上陸した2020年初め、警察沙汰は増えるばかりだった。3月28日、彼が他人の家に発砲したとしてファイエットビル警察が現場に駆けつけた。重罪だったが、これでも起訴されなかった。

「罪を問われなくても事件が起こらなかったことにはなりません」とバラード刑事は言う。フォートブラッグ周辺の群の刑事司法制度は軍人たちを特別扱いしているのではないかと彼女は考えている。「実際に見たことがあります。クラスA制服を着込んでお高くとまった彼らが出頭すると、『ああ、もう帰っていいですよ。お国のためにありがとうございます。良い一日を』と同情を得るんです」


新たな犠牲者

取材のため事件の報告書に載っていた住所に向かうと、クロス・クリークの近くにあるくすんだ色のアパートの1LDKに4人の男女、男性2人女性2人、が住んでいた。カリブ訛りのスペイン語を話す彼らはティモシー・デュマスという名前に聞き覚えはなかったが、一人の女性がハッと顔を上げた。「ここを撃った人だ」と壁に開いた小さな黒い穴を指差しながら言った。

もう1人の女性、ここではエステラさんと呼ぼう、が英語で事の顛末を話した。夜遅くに表でタバコを吸っていると「どこからともなくこの背の高くて坊主頭の黒人の男がドレッドヘアーの細い黒人の男と現れて、タバコを吸うなら裏に行かないと撃つと言われた」

エステラさんは冗談だと思い、無礼さに苛立った。デュマスとドレッドヘアーの仲間は通路を挟んだ反対側の部屋に入り、彼女も自分の部屋に戻った。数分後、幼い名付け子が居間のカーペットの上で踊っている姿をスマートフォンで撮影し始めた。著者も動画を見せてもらうと、腰の高さほどの身長の男の子がテレビから流れて来る音楽に合わせて洗濯カゴの横で踊っている。粉を飛ばしながら石膏板に小さな黒い穴が開く瞬間がはっきりと写っている。トーラス・ミレニアムG2から放たれた9mm弾は男の子から18インチ(約45センチ)外れたところを飛んでいった。

エステラさんははファイエットビル警察を呼び、被害届を出した。それにはデュマスの名前と使った拳銃が記載されていたが、拘留されたかは不明だ。ファイエットビル警察はこの件についての複数回の取材依頼に応じなかった。警察が到着した時に彼がまだ敷地内にいたかエステラさんは知らない。彼女と家族は奥の寝室に隠れた。いずれにせよ、彼が起訴されたという記録はどこにもない。


(写真)フォートブラッグの第82空挺師団に所属していたエンリケ・ロマン=マルティネスは他6人の軍人と共に出かけたキャンプ旅行中に斬首された。(Photo by 37th Brigade Engineer Battalion)

デュマスとラヴィーンの死体が発見された2日後、エンリケ・ロマン=マルティネス特技兵が戦没将兵追悼記念日の週末にノースカロライナ州のビーチへ落下傘部隊の仲間6人とのキャンプ中に行方不明になった事件についての新しい情報が上がって来た。事件から数日後にロマン=マルティネスさんの遺体の一部がシャックルフォード・バンクスに流れ着いたが、それから半年間、手がかりはほとんど見つからなかった。

12月4日に捜査当局はついに検視結果を公表し、何らかの事件に巻き込まれていると断定した。検視官によると、ロマン=マルティネスさんは首を切り落とされていた。頭部しか発見されておらず、複数の切り傷や裂傷に加え、顎と頚椎の骨折が確認された。サメや船のプロペラによるものではない。死因は他殺だ。

ロマン=マルティネスさんは何度もパラシュート降下訓練を受けて来たが、人事管理専門家を担当していた。迷彩服を着ていたが勤務先はオフィスの仕切りに囲まれた机だった。ロサンゼルス郊外にあるチノという町の出身だった。

「うちはいつも貧乏でした」と姉のグリセルダさんは言う。弟は安定した収入と復員軍人援護法のために入隊した。夢は薬学部への進学だった。「マジックマッシュルームについての記事を読み、それだけの合法化を支持し、それ以外の薬物については反対していました。鬱やPTSDなどの心の病を治す鍵だと信じていました」と彼女は話す。

ロマン=マルティネスさんは目が悪く、分厚い眼鏡の下には優しい笑顔があった。最近脚の手術を受けたため、うまく走ることが出来ない。姉は彼を「親切」「スピリチュアル」「フェミニスト」といった言葉で表現する。「彼はヒッピーで、水晶に力があると信じていました」「仏教にも興味を示しており、カトリック教徒である私や母には理解が難しかったです」と彼女は言う。


キャンプの同行者の詳細は明らかにされていない

フォートブラッグは自主隔離のため軍人たちに基地周辺から出ることを禁じていたが、第82空挺師団に所属していた落下傘部隊員7人が戦没将兵追悼記念日の週末に、南北カロライナ両州の灰色の沿岸に浮かぶ防波島、ルックアウト岬国立海岸へキャンプをしにこっそりと抜け出した。金曜の夜に激しい雷雨があり、翌日の夜7時頃に一人が911に通報した。「友達がいなくなった、どこへ行ったかわからない」とオペレーターに話し、「起きたらいなくなっていた。一日中探して、パークレンジャーかその事務所、誰かに助けを求めようとした」と付け加えた。

後半部分は嘘だったと後に判明した。小さい島は木が少なく、その週末は人で溢れていた。フォートブラッグから来た一行の車が砂丘の保護区域に侵入していたため、移動させるようパークレンジャーが土曜日の昼下がりに指示している。「その時に彼らは一度も行方不明者について話していません」と国立公園局のスポークスマンがABC11に語った。

911に通報した若い軍人は特に裏付けもなくロマン=マルティネスさんに「自殺願望」があったとオペレーターに話したが、姉は強く否定している。フォートブラッグで別の落下傘部隊に所属する親友のクリスチャン・ロメロさん(21)も同意見だ。中学からの友人であるロマン=マルティネスさんが行方不明になっているのをFacebookで知った時、彼はサウジアラビアに派遣されていた。

「失意のどん底に落とされました。彼は僕の人生の支えだったんです」とロメロさんは言う。夜中にスマートフォン、財布、眼鏡を置いてどこかへ行ってしまったと言う6人の説明を彼は信じていない。「エンリケは眼鏡がないと何一つ見えません。彼は景色を見るのも好きで、自然を愛しています。スマホと財布は置いていっても、眼鏡を置いていくのはありえません。絶対に」

キャンプに行っていた落下傘部隊員の一人をロメロさんは知っている。兵舎のパーティーでLSDを使っているのを見たことがあると言う。彼の推測によるとLSDは基地内で最も乱用されている薬物で、尿検査で見つからない(そんな事実はない)と乱用者が思っていることを理由として挙げている。ロメロさんもキャンプに行った一人を含めた複数人から錠剤を買わないかと声をかけられたことがある。「この事件が起きたのも薬物が原因だったかもしれません」と考えるが、追って説明はなかった。友人がLSDを使っていたか質問すると「ええ、まぁ、そうかもしれません」と答えた。

「CIDは被害者が薬物を乱用していた疑いがあることを把握しています」「現在全ての可能性を考慮して操作を進めています」とスポークスマンのグレイ氏は言う。

今年の5月で捜査開始から1年が経過したが、容疑者の特定には至っていない。陸軍の捜査当局は若い女性一人を含むキャンプに同行した軍人たちの名前を含む全ての情報を公開していない。「彼らが誰なのか知りたいと何度も懇願しましたが、ひたすら拒否されました」とグリセルダさんは語る。しかしグレイ氏はプライバシー保護法により名前は公表出来ないと言う。

「弟の遺体の一部が発見された時、彼には目がありませんでした。魚に食べられてしまっていたのです」と話し、泣き始めてしまったグリセルダさんは涙を拭う。「少し前にFBIが海に潜って周辺を探しましたが何も見つけられませんでした。でも弟が殺されたのは5月のことです。どうして12月までかかってしまったのでしょうか?」


(写真)「弟の遺体の一部が発見された時、彼には目がありませんでした。魚に食べられてしまっていたのです」と彼の姉は話す(写真は弟の葬儀と、遺体の一部が発見された海岸にて)死因は他殺と断定された。(Photo by Keith Birmingham/MediaNews Group/Pasadena Star-News/Getty Images; 37th Brigade Engineer Battalion)



父と子の最後の会話

CIDによるとデュマスとラヴィーンの事件の捜査もFBIが引き継いだ。2月2日、シャーロット市出張所は2人の男の死の直前の動向について市民から情報提供を求めた。彼らが知り合ったきっかけや関係性は依然謎のままだ。「ビリーの友人や仲間は大体会ったり話したりしたことがあります。デュマスという名前は聞いたことがありません」と彼の父は言う。ニコールさんとローラさんも同様だ。今判明している2人の共通点はフォートブラッグしかない。

「彼らが遺体として発見されるまで何があったのか、どんなことでもご存知の方はご連絡ください」とFBIのスポークウーマン、シェリー・リンチ氏は言う。FBIは「別の場所に放置されていた」デュマスの暗い青色の2015年型ダッジ・ラムと、彼本人の顔がよりはっきりと写った写真を公開した。レストランと思しき場所で紫色のワイシャツに灰色のベストを着た姿が写っている。

アメリカ国内の新型コロナウイルス感染者が100万人を超える直前の4月11日、デュマスはウィンストン・セーラムで逮捕された。今度は不法侵入、脅迫、官名詐称の3つの容疑がかかっていたが、全て起訴されずに終わった。6月20日、カーセッジのマクドナルドで食べ物の入った袋を持った女性を殴り、その場で逮捕された。最後に逮捕されたのは9月17日、ファイエットビルで買春の容疑がかけられていた。いずれも起訴されたという記録はない。

2020年の狂乱が落ち着くのに連れ、薬物乱用や暴力事件が全国的に急増し出した頃、ラヴィーンの様子もおかしくなっていった。レシカー殺害以降、彼は負のスパイラルに陥っていた。「短期間で随分変わってしまいました」と事件後一緒にいるためにミシガン州から来た父は語る。「考え事をしているようで、ずっと宙を見つめています」。独立記念日に花火を見に息子とフォートブラッグに行き、打ち上げが始まると「すぐにここから逃げなければならないと言い出しました。幻覚を見ていたようです」

2カ月後、ラヴィーンの家を訪ねていた人物がヘロインの過剰摂取で死にかけ、駆けつけた警察にコカイン、電子計り、吸引パイプ、リボルバー、猟銃、短銃身ピストル、ポンプ連射式散弾銃の所持で逮捕された。翌日、脱獄犯の蔵匿と薬物の製造を行う場所及び道具の所持で起訴された。脱獄犯が誰で、何の刑から逃げたのかはわからず仕舞いだったが、カンバーランド郡はラヴィーンに対しての全ての起訴を取り下げた。州検察官のビリー・ウェスト氏はコメントの依頼に応じなかったが、ラヴィーンの家にいた別の人間2人が薬物の罪を問われているとファイエットビル・オブザーバー紙に話した。

「まだまだ現役の立派な軍人なのに悪い人とつるんで、薬物を使う量も増えて、いろんな警察沙汰に巻き込まれていましたが、誰も止める人がいませんでした」とレシカーの母、タミー・メイビーさんは語る。

2020年2月17日に日付が変わった1分後、ラヴィーンはファイエットビルで女性が運転する車にトラックで突っ込んだ。現場から逃走し、轢き逃げで起訴された。逮捕状が発行され、今回はどういうわけか起訴が取り下げられなかった。しかし、出廷予定日を前に遺体で発見された。

父が彼と最後に話したのは感謝祭の日だった。「比較的普通」に振舞っていたが「落ち着きがなく」「うわの空だった」と言う。退職の申請が出来るまで残りわずか2カ月。37歳という若さで、軍に20年勤めたため、今後一生年金をはじめとしたあらゆる手当てが受けられるようになる。「帰って来てうちの敷地内にログハウスを建てるつもりでした」と父は語る。「それが最後の会話でした」


誰が何のために殺したのか?

著者が取材出来た中で彼と最後に会ったのはジェジー・マリー・パティノさんというタトゥーアーティスト兼廃品整備士だった。ラヴィーンとは仲が良く、コカイン、メタンフェタミン、ヘロインを使っているところも見たことがあると言う。11月下旬のある日、客の車を整備していた時に振り返ると、黒いスキーマスクを被り手にクロスボウを持ったラヴィーンが立っていた。

薬物で酩酊しており、レシカーのことで涙を流していた。「俺は化け物だ。親友を殺してしまった」と言っていた。パティノさんはラヴィーンの胸にタトゥーを彫り、形はCIDがメイビーさんに説明したものと一致している。「マーク・レシカーのイニシャルM.L.と彼が亡くなった日付、そして『ヴァルハラまで』という銘を彫りました」

12月2日にナイロン製の布を剥ぎ、裸足で上半身裸の彼の胸に複数の銃創があるのを見た時、捜査官たちはその姿を撮影しただろう。1月下旬のある寒い晩に、著者は彼が発見されたおおよその位置へ向かうと、森は全く動かず音もなく、鳥すら鳴いていなかった。何列にも並んだ単調な松の後ろにオレンジ色の太陽が沈みゆく。

生きて立ち去った相手の手がかりもなければ、思い当たる人物もいない。当局は何も喋らない。これらの事件で彼らは市民を締め出し、質問への返答を拒否し、犯人を逮捕しないという捜査方法を示した。FBIが捜査を引き継いだことにビリーの父は「少し気が楽になった。CIDは信頼出来ない」と話している。

2020年にフォートブラッグで亡くなった軍人の正確な数すらわかっていない。数カ月かけて連絡を取った結果、広報課はようやく自殺者と他殺された人数を公表したが、薬物の過剰摂取を含む事故や病による死者の数は明かさないままだ。基地のスポークスマン、ジョー・ブッチーノ大佐はフォートブラッグの軍人たちが巻き込まれた全ての殺人事件で薬物の乱用が共通していることを把握しているとした上で、それらのうち1つを除く全ての事件に関わっている特殊部隊についてそれ以上のことは何も話せないと強調した。「特殊部隊で起きたこれらの出来事はフォートブラッグ司令部の管轄外です」。しかしJSOCとUSASOCのどちらもコメントを求める複数回の依頼に応じていない。葬儀の時に棺の蓋を開けられないほど腐敗が進んだ状態で発見された19歳のケイレブ・スミザーさんのように、若者が兵舎で「反応がない」状態で発見される不可解な事件についても基地は何の説明もしなかった。

皮肉にも、海外で亡くなったフォートブラッグに拠点を置く軍人についての方が情報収集が容易だった。第82空挺師団に所属する軍人2人はアフガニスタンで路上爆弾に巻き込まれ、別の落下傘部隊員の工兵がシリアで車両の横転により命を落としており、合計3人が海外で亡くなっている。ラッカやカンダハールよりファイエットビルの方が危険な任地だと言うのは大袈裟だが、ブッチーノ大佐が公表したデータや陸軍が以前McClatchyに提供した情報、地元メディアの報道を合わせると、少なくとも44人の現役軍人が2020年にフォートブラッグで死んでいる。この数字は他のアメリカ軍基地、それぞれで事件の多かったフォートフッドやフォートブリスを含めて比べても圧倒的に多い。

「フォートブラッグでの出来事は最悪です」と妊娠中の妻を射殺した衛生兵の母、リンダ・ルイスさんは言う。アフガニスタンに派遣された、動物好きな心優しい19歳の青年が帰って来る頃には別人になっていたそうだ。「人が死ぬところを見て、即席爆弾に巻き込まれて、偏頭痛や悪夢に悩まされ、人格が歪んでいってしまいました」

息子の遺体は今もアラスカ州で冷凍保存されている。陸軍が検視結果や医療記録を開示しないため、彼が外傷性脳損傷に苦しみ、PTSDの治療を受けていたという証拠を失いたくないのだ。「正気ではなかったと証明しなければなりません」と彼女は言う。「毎月電話しました。フォートブラッグの人間は誰も私と話したがりません。弁護士をつけろとだけ言って来ます」

「今軍で何が起きてるのかまるでわかりません」とメイビーさん。「私が何人と連絡を取ろうとしたか信じられないと思います。誰も話を聞いてくれないんです」

「私の息子は誰よりも正直で忠誠的な愛国者でした」と続ける。「彼に道を踏み外させる悪魔はいました。薬物や酒、コカイン、トラマドールで苦しみました。彼と同じ道を辿った軍人で同じように苦しまなかった人を私は知りません」

ラヴィーンも同じように苦しんだ一人だ。「ビリーは自分の悪魔と戦っていたんだと思います。ただ上手く立ち回れなかったんです」と彼女は言う。2018年7月、父と行った独立記念日の花火から逃げ出した辺りの時期に、彼はメイビーさんに電話で息子が彼女の息子を殺めてしまったことを許してほしいと伝えた。彼女は電話を切ったが、後に考え直した。レシカーの墓前でなら話を聞くと言う条件をつけ、メールを送った。彼から返事はなかったとメイビーさんは話す。「二度と返答はありませんでした」

追記:この記事の公開後、陸軍特殊作戦軍のスポークスパーソンがビリー・ラヴィーンの引き起こした事件にどのように対応したか、ローリングストーン誌宛に声明文を送った:「我が軍に長く勤めているラヴィーン曹長は様々な法的保護の対象になっていました。ラヴィーン曹長が死亡した時期に、彼が犯した罪に対する適切な対処の最終調整が行われていました」

from Rolling Stone US

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