精神障害・疾患は特別なことではない、求められる正しい認識
Rolling Stone Japan / 2021年6月9日 11時30分
音楽学校教師で産業カウンセラーの手島将彦が、世界の音楽業界を中心にメンタルヘルスや世の中への捉え方を一考する連載「世界の方が狂っている 〜アーティストを通して考える社会とメンタルヘルス〜」。第40回は、世界的な課題でもある精神障害・疾患に関するスティグマを産業カウンセラーの視点から伝える。
最近、深田恭子さんが適応障害で休養すること、大坂なおみさんがうつに悩んでいること、Little Glee Monsterの芹奈さんがADHDや双極性障害で休養していること、などが立て続けに公表されました。ADHDやうつ病、双極性障害についてはこの連載でも以前に取り上げたことがあり、また適応障害については今回多くのメディアが紹介していますので、この機会にぜひ参照していただきたいと思います。そして、今回この連載ではこの機会に、未だに根深い精神疾患・障害に対するスティグマ(偏見・差別)と、その対策について考えてみたいと思います。
関連記事:moumoon・YUKAと手島将彦が考える、アーティストが「悩みを相談できる場所」
スティグマとは、元々は鋭利な器具で刺された後に皮膚に残る消せない傷跡を示す言葉です。転じて、道徳的なことも含めて何らか劣っているために身体にシミをつけられた「汚れた人」を指す比喩として用いられるようになりました。精神障害・疾患に関するスティグマは世界的な課題のひとつで、①知識(無知)②態度(偏見)③行動(差別)の3つの要素に分かれます。「知識(無知)」はメンタルヘルスに関する無知とともに、間違った情報や固定観念を持つことも含みます。「態度(偏見)」は、例えば「うつ病は怠けているだけだ」とか「弱い人がなるものだ」というような誤情報や固定観念に同調したり、精神疾患を持つ人を恐れたり批判したりと、否定的な反応を示すことです。「行動(差別)」は、偏見に基づいて実際に排除しようとする行為などです。こうしたスティグマは、メンタルヘルスに問題を生じている人の精神科受診を遅らせて症状を悪化させてしまったり、社会復帰を困難にさせてしまったりする原因となります。
スティグマが生じる要因の一つに、マスメディアによる報道のあり方の問題があります。何かの事件に精神障害者が関わっていると判明すると、入院歴や通院歴があることなどがセンセーショナルに報道され、それによって「精神障害者は危険である」といったスティグマが助長されてしまっています。日本では新聞報道でも1970年代まで「野放し異常男」「精神病者荒れ狂う」などの露骨な表現とともに強烈な負の印象づけがなされたため、今日に至っても未だにそれによって生じたスティグマが消えていないのです。全国精神障害者家族会連合会は「病歴を報道することは精神障害者への偏見を助長し、精神科への受診を阻害することになる」ため、病歴報道をすべきではないという要望を報道各社に行いましたが、あまり実質的な変化は見られていないようです。実際は、犯罪白書の統計などを見ても精神障害者の犯罪率は極めて低いことがわかっています。また、かつて日本では精神障害者を危険で社会に迷惑をかける存在として、家族の責任として「座敷牢」に閉じ込めておくということが国の政策として行われていたり、過去の一部の精神病院の劣悪な環境のイメージが社会に流布したりしたことなども影響していると思われます。
こうしたスティグマは、当事者だけでなくその家族にも矛先が向けられます。他の親族や仕事の同僚、地域住民などから家族が直接偏見を持たれたり排除されたりすることに加え、当事者家族が当事者の受けた差別や偏見に気づき、それによって苦しみ、悲しむということも生じます。また、時には当事者家族自身が周囲の影響から偏見や否定的な考え方を持ってしまう場合もあります。家族のスティグマは、当事者をケアする時間が長い、家族の負担感が多くストレスレベルが高い、支援がない、ことなどによって深刻さが増してしまいます。
こうしたスティグマを減少させるための方法は数々の研究によって提示されています。そのひとつは、学校の授業などで教育的に介入することです。これまでの精神保険福祉行政史を伝える、偏見の実態や、精神疾患に関する正しい知識を心理学的、生物医学的(脳のメカニズムなど)に学ぶ、実際に地域社会で暮らす精神障害者の話を直接聴く、そして精神障害・疾患は特別なことではないということを知ること、などが効果的であることがわかっています。
この「特別なことではない」ということに関して、1993年にトロントで始まった「マッド・プライド」という運動があります。もともと精神病歴のある人に対する差別への抗議の運動としてはじまり、精神的な病気に対する悪いイメージを取り払い、前向きなイメージに置き換えようとするユーモアも交えた運動なのですが、この運動は世界中に広まりを見せています。この運動の参加者の一人は「私たちは大小さまざまな問題を抱える他の人々と同じだ」と言っています。また、企画者たちは「今は身体の健康と同じようにメンタルヘルスについて語れる。つまり、うつや統合失調症が、がんや心臓病と同じように語れるようになった」、「精神病は私たちの生活で全ての人に関係する可能性がある」と語っています。
一方で、教育の効果は単発では一時的なものに留まってしまう傾向があることも指摘されており、スティグマを払拭するためには、継続的な取り組みが必要になります。また、知識だけでなく、当事者や家族が充実した人生を送れるような具体的なサポートも同時にとても重要です。2022年からは高校でもメンタルヘルスについて授業で取り上げられるようになります。その内容には「精神疾患への差別や偏見」も含まれています。こうした新しい流れを歓迎しつつ、今まで知る機会のなかった全ての世代も、アーティストやアスリートたちの勇気ある発言や行動をきっかけに、新しい価値観を新しい世代と共有し、精神疾患に対して正しい認識を持ち、社会的なサポートも広がっていくことを期待します。また、それはアーティストやアスリートとファンの相互に良好な関係を構築し、さらに素晴らしい作品やパフォーマンスを生むことにもつながることだと思います。
参照:
「精神障害者に対する差別・偏見を軽減するために歴史を伝えることは有効か〜精神保健福祉行政史を伝えることの有効性をアンケート調査から考察する」 宮沢和志 金城学院大学論集. 社会科学編 2013
「精神障害当事者の家族に対する差別や偏見に関する実態把握全国調査」公益社団法人全国精神保健福祉連合会 2020
「精神障害者に対する偏見の研究〜認知・感情・社会的距離に着目して〜」山中まりあ・森永康子・古川善也 広島大学心理学研究 第17号 2017
「精神障害者に対する偏見減少のための教育的介入の効果〜高校生における教育的介入の評価」山口創生・三野善央 第54巻 日本公衛誌 第12号 2007
「精神疾患の生物医学的知識は、スティグマ(差別・偏見)の軽減に役立つか〜これからのスティグマ軽減戦略〜」小塩靖崇・山口創生・太田和佐・安藤俊太郎・小池進介 東京大学大学院総合文化研究所 2019
精神病や患者への偏見をなくそう! スイス初のデモ行進 swiss info 2019/10/11
<書籍情報>
手島将彦
『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』
発売元:SW
発売日:2019年9月20日(金)
224ページ ソフトカバー並製
本体定価:1500円(税抜)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909877029
本田秀夫(精神科医)コメント
個性的であることが評価される一方で、産業として成立することも求められるアーティストたち。すぐれた作品を出す一方で、私生活ではさまざまな苦悩を経験する人も多い。この本は、個性を生かしながら生活上の問題の解決をはかるためのカウンセリングについて書かれている。アーティスト/音楽学校教師/産業カウンセラーの顔をもつ手島将彦氏による、説得力のある論考である。
手島将彦
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライブを観て、自らマンスリー・ライヴ・イベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。Amazonの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり、産業カウンセラーでもある。
Official HP:https://teshimamasahiko.com/
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