甲斐バンドの70年代・80年代 新しい時代を切り開いた軌跡
Rolling Stone Japan / 2021年6月23日 9時30分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年6月は甲斐バンド特集。第2週はシングル『HERO(ヒーローになる時、それは今)』でヒットする前後の、1977年から1979年までの甲斐バンドを振り返る。
田家秀樹(以下、田家)こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、甲斐バンドで「嵐の季節」。1978年に発売の5枚目のアルバム『誘惑』からお聞きいただいております。
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今週の前テーマ、というより1曲目という感じですね。いかがですかこの曲? 当時も好きな曲だったんですが、今回改めてずっと聴き直していてこの曲は響きましたね。今だからこそ響く要素がたくさんある曲だなと思いました。コートの襟を立てて雨や風をやり過ごそうとする、この毅然とした姿勢。背筋が伸びていて、視線は遠くまで見ていますね。テレビのアナウンサーや新人のコラムの年寄りが象徴するという世間、世の中に氾濫している偽りだらけの情報に流されまいとするこの意志。甲斐バンドは1970年代の終わりから、1980年代に入って特にハードボイルド路線が強まってくるんですが、この曲がその序章だったなと思いますね、街角に立っております。
今月2021年6月の特集は、甲斐バンド。1974年のデビューで、1986年に解散公演としては史上最大だった武道館5日間公演で解散しました。あの解散公演から35年ということで、改めて軌跡を辿ってみようと思いました。1970年代のはっぴいえんどから、1980年代のBOØWYに至る過程での最重要というのも今回の一つの大きなテーマになっているのですが、はっぴいえんどとBOØWYという二つのバンドを挙げることでより分かりやすくなるかな、という一つの例えみたいなものなので、厳密にどこが違うのかという議論をしようとするのではありません。まだロックバンド不遇の時代に、不退転の活動を続けたロックバンド・甲斐バンド。栄光の十二年間、十二年戦争を辿ってみようという一ヶ月です。
1977年から1979年にかけて、彼らを取り巻く状況は激変しました。作風も変わりましたが、これは彼らだけでなかった。1970年代をどう終えるかというのは、当時のミュージシャン誰もが必死に追い求めていたテーマで、最後に鞭を入れている場面です。先週のテーマは、福岡から上京して東京と色々な形で格闘していた、ということでした。今週は先週にはなかった官能的な艶、妖しさのようなものが加わってくる時期です。少年性に男の魅力が備わってくる。バンドの充実、骨太なバンドロックバンドとしての新しい扉が開いてきます。何よりもヒット曲の誕生で、ライブの動員も飛躍的に増えてきました。時代の先端に躍り出た瞬間がありました。その1970年代の終わりの象徴が、1979年12月の初めての日本武道館2日間公演です。その中からお聞きいただきます。1977年のアルバム『この夜にさよなら』の中から「きんぽうげ」。
この曲は作詞が長岡和弘さんで、作曲がドラムの松藤英男さんと甲斐よしひろさんですね。1979年12月の初めての日本武道館2日間公演のライブバージョンからお送りしました。この武道館2日間公演が最初で、解散まで複数回公演を続けました。この曲が収録されている1980年3月に出たライブアルバム『100万$ナイト』は、日本の音楽史上最強の1枚でしょうね。名盤の1曲目がこの曲、ライブ1曲目もこの曲ですね。これは余談ですが、BOØWYのマネージャーの故・土屋浩さんがこの「きんぽうげ」を好きだったんですよ。踊るようにこの曲を歌っておりましたね。懐かしいなと思って聴いていました。
1977年のアルバム『この夜にさよなら』の中から「氷のくちびる」をお聴きいただきました。劇的な曲ですね。こんな風に曲が展開していくというインパクトがある曲は、ロックバンドの曲の中にも歌謡曲の中にもあまりなかったな、というのが当時の印象でした。アルバム『この夜にさよなら』は、過渡的な作品だと思ってるんですね。東京と福岡というテーマが歌われる最後のアルバムでもあるんでしょうし、フォークロック的な曲調もここから変わっていくという1枚です。この1977年、1978年というのは、バンドだけでなく甲斐さん自身の経験というのも大きかったなと思います。1977年3月にはじめてニューヨークに行くんです。彼は、ハドソン川が凍りついていたという話をよくしてましたね。厳寒のニューヨーク。その後の10月に『この夜にさよなら』が出ている。そのあと1978年1月に、ナッシュビルに行ってソロのカバーアルバム『翼あるもの』を作ります。ザ・ピーナッツ、ザ・キング・トーンズ、ザ・ジャガーズ、かまやつひろしさんとか浜田省吾さん、THE MODSの森山達也さんのアマチュア時代の曲も入ったりしています、早川義夫さんの「サルビアの花」とかかなりマニアックなカバーアルバムなんですね。
このアルバムを改めて聴いて思ったのが、ザ・フォーク・クルセダーズの「ユエの流れ」がカバーされてるんですね。毎回言っていますが、自分も含めて当時の音楽ライターの力不足。甲斐さんがなぜこの曲を取り上げたのか? と指摘した人がいたかなと。この曲はザ・フォーク・クルセダーズの解散コンサートでも歌われた曲なんですが、元々ベトナムで歌われていた曲で、第二次世界大戦が終わって、日本に帰れなかった日本の兵隊さんに向けて、ベトナムの民謡に日本語の歌詞をつけたという歌です。1968年というのはベトナム戦争の真っ最中ですが、加藤和彦さんはこの曲を反戦歌というニュアンスで取り上げたと思うのですが、当時はそういう議論はほとんどされなかったんじゃないでしょうか。
このアルバム『翼あるもの』は、甲斐さんが聴いてきた日本のフォークロックへのオマージュと大袈裟に言えば総括にしようとしたアルバムなのかなと思うと、この作品で彼が何にさよならしたのかを考えたくなる流れでもあります。そういう転機と言うと、1978年3月に出た、中野サンプラザでの公演を収録した初のライブアルバム『サーカス&サーカス』もありますね。やっぱりここから次の扉を開けて、1978年10月のアルバム『誘惑』につながります。その中からお聴きください、「カーテン」。
二人きりの素敵な夜です。アルバム『この夜にさよなら』の中には、「そばかすの天使」という曲がありまして、夜の街の女の子なんですね。どこかネオンの陰に咲いている花というイメージがあって、MVは歌舞伎町のゴールデン街が舞台だったりもしてました。当時の中島みゆきさんに通じるような曲で、アルバム『誘惑』は、それまでの光と影の影の部分が見えるような恋の歌から、色っぽい大人の恋愛を感じさせる歌までが入ってますが、この曲は後者の代表的な1曲ですね。街角の恋愛からインドアな恋愛という変化も感じられたり。これも改めて聴いていると歌のテーマだけでなく、自分たちの音楽も新しくなったんだよ。カーテンを開けて、さあおいで。という新しい音楽の誘いへの歌にも聞こえました。
「そばかすの天使」もシングルになって、「氷のくちびる」もシングルになったんですが、あまりヒットはしなかった。オリコンは100位までの中で下の方に入っただけですが、アルバム『この夜にさよなら』はアルバムチャート14位。ロックバンドのアルバムは売れない時代でした。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」も、先週の放送では当時売れていたロックとして挙げましたが、この1977年のチャートを賑わせていたのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのベスト盤が年間50位、あとは矢沢永吉さんのソロアルバム『ドアを開けろ』くらいですよ。ツイストがこの後出てくるんですが、まだバンドとしての全体像などは見えてませんから、こんな風に語れるところまで来ていませんでした。そして、こういうライブとアルバムで地固めしていたのが、1977年から1978年だったと言っていいでしょうね。その転機になった『誘惑』から「シネマ・クラブ」。
官能的なロックという感じですね。番組ディレクターがこの曲を聴いて、ブライアン・フェリーみたいですね、と言っていましたが、まさにその頃のイギリスのロックシーンとかデヴィッド・ボウイなどと同期しながら、日本の音楽を作っていた。さっきの「嵐の季節」と「シネマ・クラブ」には、先週お送りした『英雄と悪漢』、『ガラスの動物園』の中にあった青春の感傷、葛藤という感じではもうありませんね。大人のアルバムを作り始めているのが、この1977、1978年、そして大爆発の1979年です。
1970年代から1980年代にかけての新しい時代を切り開いた栄光のロックバンドの軌跡。全てがここで変わったという曲です。1978年12月20日に発売になったシングル『HERO (ヒーローになる時、それは今)』。SEIKOのCMのタイアップですね。甲斐バンドというとこの曲が出てくるわけですが、それはヒット曲の宿命でもあります。改めてこうやって聞くとやっぱりいい曲ですね。甲斐バンドらしいキーワードが随所に散りばめられていて、勢いもある。ここから俺たちはヒーローになるんだというエポック・メイキングな1曲です。
1979年1月1日、午前0時に彼らも出演していたCMの放映が始まって、時計屋の店頭に等身大のPOPが並んだ。2月26日付のシングルチャートで1位になって、ミリオンセラーになりました。前作のシングル、1978年8月にリリースされた『LADY』という曲があって。これはアルバム『誘惑』にも収録されているんですが、セールスは50000枚いくかどうかだったんです。それがいきなり100万枚になった時にどうなるか? アルバム『この夜にさよなら』の1曲目の「最後の夜汽車」では、”スポットライトはどこかの誰かのもの”、と歌っていた。彼らにスポットライトが当るようになりました。
彼らはそれをどう跳ね除けようとしたか? 象徴的だったのは「ザ・ベスト10」に出演した時の出来事ですね。バンドは東芝EMIのスタジオにいて、そこにTBSがカメラを持ち込んで放送した。その東芝のスタジオで行われていたのは、NHK-FMの彼が出演していた番組「サウンドストリート」の1周年記念ライブだったんですね。本来はNHKのスタジオでやるはずだったんですけど、NHKのスタジオにTBSのカメラは持ち込めないということで、東芝EMIのスタジオでやったと。甲斐さんはそこで水割りを片手に歌を歌って、茶の間の顰蹙を買いました。あの若者はなんだ! テレビに水割りなんか飲みながら出るのは不謹慎だ! とバッシングされたことがありました。番組には出るけど、俺たちは媚を売らないということを身をもって示した。「HERO (ヒーローになる時、それは今)」が収録されたベストアルバム『甲斐バンド・ストーリー』も発売されて、シングルとアルバム両方でチャート1位を席巻している時に作られたアルバムが、1979年10月に出た『マイ・ジェネレーション』からお聴きください。これも1979年12月の武道館ライブver.です。「三つ数えろ」。
三つ数えろ [Live] / 甲斐バンド
ザ・ローリング・ストーンズが「俺たちにはストリートで踊ることくらいしかできない、俺たちはストリートで戦うことしかできないんだ」と言った、1970年代の終わり頃の東京、大都会の若者たちの彷徨えるパッションというんでしょうか。ザ・ビートルズに始まり、ザ・ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリーらイギリスの洋楽をモチーフにしながら、日本の若者のリアリティをずっと歌い続けてきたのがその頃の甲斐バンドだったと言っていいでしょうね。
この「三つ数えろ」も映画がありまして、1955年に公開されたハンフリー・ボガートの主演作です。原作はレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』という小説で、映画の中には私立名探偵のフィリップ・マーロウが登場する映画でした。これが「三つ数えろ」というタイトルで、1970年代の終わりに蘇っている。映画好きと小説好きの一面であり、それからハードボイルドというのは、今後さらに色濃くなっていくテーマです。甲斐バンドの歴史は、「HERO (ヒーローになる時、それは今) 」以前、以後に明らかに分かれていますが、これはヒット曲ということだけではなく、1979年の前半のツアーの最終日でベースの長岡和弘が抜けて、休止期間があった。そして、1979年の秋のツアーに入っていくのですが、初日はNHKホールです。NHKホールをロックに初めて使ったのが甲斐バンドですね。それまでは小椋佳さんやユーミンはやってましたけど、ロックバンドにはなかなか敷居が高い場所でした。そこで甲斐バンドが初めてコンサートを行なって、テレビでも放映されました。アルバム『マイ・ジェネレーション』もアルバムチャートで1位になった。『マイ・ジェネレーション』のリリースと同じ月に、シングル『安奈』が出ました。これはチャート4位のヒット作となりました。今日は、1979年12月の武道館ライブでの「100万$ナイト」で締めたいと思ったのですが9分以上あるので、この「安奈」を1983年のライブ「THE BIG GIG」のバージョンでお聴きください。
安奈 [Live] / 甲斐バンド
この話は来週のテーマにもなるんですが、この「THE BIG GIG」は、1983年8月7日に新宿の都有五号地、今の東京都庁がある一角で行われた甲斐バンド3回目の野外ライブですね。あそこで2万人くらい集まってこういう一夜を過ごしたということを、小池百合子都知事はご存知ないでしょうね(笑)。この音源は、2019年に発売のデビュー45周年のライブベストアルバム『サーカス&サーカス2019』にも収録されております。
田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、甲斐バンド栄光の軌跡Part2。1970~1980年代にかけての新しい時代を切り開いた栄光のロックバンド・甲斐バンドの12年間を辿っております。今週は1977~1979年までお話しました。今流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。
1970年代から1980年代の変わり目というのは、本当にいろいろなことがありました。1人のアーティストやバンドのコンサートが象徴していることで言うと、この甲斐バンドの1979年と1980年の12月に2日間ずつ行われた武道館公演ですね。ロックバンドがメジャーになっていく瞬間と、時代が変わっていくんだということの記録として、今でも鮮明に思い出すことができます。1979年の武道館の「100万$ナイト」では、甲斐さんが「1979年のドラマは全て終わりました。俺たちは1980年代に行きます」と、歌い始めた。その1年後、1980年12月の武道館での「100万$ナイト」、この日はジョン・レノンが殺された日だったんですね。甲斐さんは、集まってくれた人たちへの感謝を口にしながら、最後に「逝ってしまったジョン・レノンのために」と言って歌いました。1979年12月と1980年12月、それぞれの「100万$ナイト」は時代の変わり目を物語っていました。
先週も今週もRCサクセションの名前が出てきていません。RCサクセションのファンはたくさんいらっしゃるでしょうし、日本のロックバンドの歴史で言うとRCサクセションは欠かせない存在です。はっぴいえんどからBOØWYの間にRCサクセションが抜けてるよ、とつっこまれる気がしているんですが、実はその頃RCサクセションはまだ見えてなかったんですよ。渋谷・屋根裏で爆発寸前ライブを繰り広げるようになったのが1978年の終わり。チャボさんが加入して5人体制になるのがこの頃。1979年12月は武道館ラッシュがあって、その中の1組Charさんが武道館ライブをやった時に、まだどうなるか分からないRCサクセションがゲストで呼ばれていました。当時のバンドシーンの最前線は甲斐バンドだった、と声を大にしながらまた来週。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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