なんでもないような光景が、156年前に終わったはずの奴隷制度を想起させたと思う。
Rolling Stone Japan / 2021年6月23日 19時0分
コロナ以降、ミュージシャンとしてはほぼ開店休業となってしまった脱サラ中年のニューヨーク通信。今回は日々の暮らしのなか、彼がふと気づいてしまった違和感を起点に、構造的差別の一端を垣間見てみるシリアス回です。
※この記事は2021年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.14』内、「フロム・ジェントラル・パーク」に掲載されたものです。
幼稚園の年少だったか年長だったか、私は運動神経において、早くも同い歳から遅れを取りつつあった記憶がある。そんなわけで息子が3歳になったころ、パーク・スロープにある体操教室に通わせることにした。週1で1時間、15週で465ドル、安かない。安かないけど、自分みたくみじめな気持ちを息子に抱かせたくない、という身勝手なドグマに後押しされて申し込みを済ませた。
トランポリン、でんぐりがえし、平均台。お教室の内容は取り立てて書くべきこともない。そこらの公園か庭でやれるようなことばかりだ、インストラクターが超絶おだててくれる以外は。ただ送迎を繰り返すうち、学生やミュージシャンだけやっていたら見えてこなかったかもしれない、この国の別の側面が見えてきた。
息子のクラスは全員揃えば10人か11人いるのだが、ふだん実の親が送迎に来るのは、うちとチャイニーズの1家族、北東アジアンの2組だけだ。あとの子供は、黒人かヒスパニックのナニーが迎えにくる(話が複雑化するが公正を期すため記しておくと、白人のナニーも1人いた)。
なぜナニーだと認識されるのかといえば、迎えに来るのは有色人種だが、子供のほうは全員白人だからである。いや、もしかしたらひと組くらい黒人の母親に白人の養子という家庭があったかもしれない。が、確率的にはほぼないだろう。
ナニーは乳母と訳されることが多いものの、いまいち日本では馴染みがない職業だ。ベビーシッターと地続きな仕事ではあるけれど、シッターと較べると家政婦としての側面がより乗っかってきて、労働時間もフルタイムに近いことが多い。減少傾向らしいけど住み込み形態も多く、家庭運営へのコミットメントは概してシッターより大きい。もともとはナーサリーメイドという言葉が使われていたようで、この言葉のほうが業務の実態を言い表していると思う。
さておき教室が終わる時間になると、ジム前の歩道はお迎えのベビーカーでいっぱいになる。黒人女性が押すベビーカーに白人の子供。黒人女性の押すベビーカーに白人の子供。ヒスパニック女性の押すベビーカーに白人の子供。
エイリアンである私の目にこの光景がどう映ったかといえば、オブラートに包んでも仕方ないので直截的に言うけれど、アメリカはいまだ奴隷制度下にあるのかな。というのが偽らぬ感想である。DCの国立アフリカンアメリカン歴史文化博物館を訪れずとも、画像検索に「black nanny」とか放り込んでみれば、白人の子女に有色人種がお仕えする白黒写真がいくらでも出てくると思う。
もちろん。奴隷解放宣言から150余年、公民権法から55年、彼女らが労働を強制されたりすることは一切ない。機会平等の原則のもと、ナニーという職業を自由意志に基づいて選択している。誰にも後ろめたいことはないし、ポリティカリーにインコレクトなこともない。けれども。目の前で繰り広げられている光景だけを切り取ってみれば、それは前々世紀から何ら変わらない。
顔馴染みになるうち、ナニーのひとりが私に言った。「アジア人ってだいたい親が迎えに来るよね。なんか不思議~」。いやこっちはナニー雇う余裕なんてないから自分で来てるだけなんだけど。
たまに仕事の都合がついたりナニーがお休みだったりして、白人の親御さんが迎えに来ることがある。話してみると、いかにも資産家って感じの人はいなくて、共働きのスペシャリストかエグゼクティブばかりだった。Graduate(院卒)なことが多い。となると世帯年収は20~40万ドルってとこだろうか。ナニーの年収は平均4万ドルと言われているので、収入の1~2割を突っ込んで、そのぶんバリバリ稼いでるというわけだ。
言うまでもないけれど彼らは、全米でももっともリベラルな街のホワイトカラーだ、差別意識なんてまずもって持ち合わせない。ただ高学歴な白人どうしが結婚して、キャリアを守るために家事負担をアウトソーズする必要があり、派遣会社に連絡したらやってきたナニーが有色人種だったっていう、ただそれだけ。別に奴隷制のバトンを未来に渡してやろうなんて微塵も考えたことはないだろう。けれども。
以前書いたように私は黒人教会に通っていた時期があり(いろいろあって今は行っていない)、そこに通ってくる信者さんたちの多くは、決してサラリーの良いとは言えない仕事に従事していた。女性ならスーパーのレジ打ちとか、ホテルのベッドメイキングとか、日本ならパートさんって言われるような仕事。ナニーもそのうちのひとつだ。
彼女らと話していて感じたのは、私が勝手に想像していたよりだいぶ、被差別感情がないことだった。生まれたブロックの先輩も、高校を卒業したらだいたい、掃除かメイドかスーパーの仕事。ママもお姉ちゃんもそうだし、私もそう。ムカつく同僚はいるし暮らしは楽じゃないけれど、でも仕事があることには感謝してる。とか、そんな感じ。雇用されてる側だって、奴隷制を再生産させられてるなんて意識は持ち合わせていない。当たり前のことをしているだけ。……けれども!!
40を過ぎてから、何の縁もなくポコっとアメリカにやってきた私は、いまでもエイリアンとしかいえない立ち位置で暮らしているけれど、ほんとは街やみんなの当たり前に溶け込んで、もっと居心地よく過ごしていたいし、早くそうなったらいいと思っている。ただ寄る辺ないエイリアンだからこそ抱くことのできる違和感とか、視点みたいなものもやっぱりあると思っていて、いまはそれを大事に取っておきたいような気持ちにもなっている。
唐木 元
ミュージシャン、ベース奏者。2015年まで株式会社ナターシャ取締役を務めたのち渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移して「ROOTSY」名義で活動中。twitter : @rootsy
◾️バックナンバー
Vol.1「アメリカのバンドマンが居酒屋バイトをしないわけ、もしくは『ラ・ラ・ランド』に物申す」
Vol.2「職場としてのチャーチ、苗床としてのチャーチ」
Vol.3「地方都市から全米にミュージシャンを輩出し続ける登竜門に、飛び込んではみたのだが」
Vol.4「ディープな黒人音楽ファンのつもりが、ただのサブカルくそ野郎とバレてしまった夜」
Vol.5「ドラッグで自滅する凄腕ミュージシャンを見て、凡人は『なんでまた』と今日も嘆く」
Vol.6「満員御礼のクラブイベント『レッスンGK』は、ほんとに公開レッスンの場所だった」
Vol.7「ミュージシャンのリズム感が、ちょこっとダンス教室に通うだけで劇的に向上する理由」
Vol.8「いつまでも、あると思うな親と金……と元気な毛根。駆け込みでドレッドヘアにしてみたが」
Vol.9「腰パンとレイドバックと奴隷船」
Vol.10「コロナで炙り出された実力差から全力で現実逃避してみたら、「銃・病原菌・鉄」を追体験した話」
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