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90年代ベストソング50選

Rolling Stone Japan / 2021年7月4日 9時0分

90年代ベストソング50選

ブリトニー・スピアーズ、エイス・オブ・ベイスからベック、ニルヴァーナまで。90年代を彩った名曲の数々を振り返る。(※US版記事初出:2019年8月)

90年代はシングル曲のゴールドラッシュで、ラジオからは常に様々なビートの楽曲が流れていた。グランジやギャングスタ・ラップから、ダンスホールやディスコ、ライオット・ガール、MTV「トータル・リクエスト・ライヴ」(TRL)の常連だったヘソ出しルックのモール・ポップまで、あらゆるスタイルの音楽がもてはやされた。星の数ほどエレクトロニック・ミュージックの流派があり、同じく実に多くのラップのソロ・レコードが世に出た時代でもある。90年代には、どんなジャンルの音楽ファンをも魅了する音があった。

あの時代を、ひとつのランキングで総括することなどとてもできない。1994年の夏だけでも、2〜300曲の素晴らしい楽曲がある。以下のランキングには、90年代の輝かしい音楽シーンを代表する楽曲の数々が集約されている。ヒット作だけでなく隠れた名作もあり、ダンスフロア・ジャムからギターメインの楽曲、さらにカラオケのスタンダード曲まで、あらゆる作品が網羅されている。さあ、あの時代にタイムスリップしよう。

【動画を見る】90年代ベストソング50選プレイリスト+まとめ動画


50位 ファジー「Flashlight」(1994年)

どこからともなく現れて、やがてどこかへ消えていったボストンのポスト・グランジ。ただ1曲だけ、素晴らしい曲を残した。ほとんど意味不明だが、ひとりの少女が暗闇の中で懐中電灯の光を頼りにさまようといった内容の歌だ。全く売れなかった曲だとはいえ、MTVのオルタナティブ専門番組『129 Minutes』で観たラッキーな人もいるかもしれない。ニルヴァーナのもたらしたゴールドラッシュに続いてメジャーレーベルからリリースされたものの、「Flashlight」のように埋もれてしまっている素晴らしいポスト・グランジの楽曲は、まだまだあるだろう。「Flashlight」を超える曲はなかなか無いだろうが、探してみる価値はある。



49位 ブリトニー・スピアーズ「Sometimes」(1999年)

ブリトニーにとって2度目のヒット作。つまり彼女の最初のカムバック作品ということになる。前作「…Baby, One More Time」をヒットさせた少女が、1999年の春まで持つかどうかなど、誰も期待していなかった。ところが2ndシングルの「Sometimes」はMTVの番組「トータル・リクエスト・ライヴ」で人気に火がつき、彼女の健在ぶりをアピールすると同時に新種のポップスターの出現を予感させた。21世紀へようこそ!



48位 ザ・オフスプリング「Self Esteem」(1994年)

オレンジ・カウンティ出身のよくあるハードコアバンドがマゾヒズムを歌い、メガ・プラチナを売り上げた。”俺はアホかもしれないが、嫌な奴ではない”(I may be dumb, but Im not a dweeb)という歌詞は、たまたま自分がアホで嫌な奴でもない限り、共感を覚えるだろう。その時は既に、自分が曲の中の主人公になっているのだ。



47位 セレナ「Fotos y Recuerdos」

テハーノの女王が、ザ・プリテンダーズ「Back on the Chain Gang」をスペイン語で焼き直した曲。彼女がこの世を去った週に、ビルボード・ラテン・チャートでトップ5に入った。



46位 シルヴァー・ジューズ「Random Rules」(1998年)

もしもホンキートンク・ラウンジなる店があるとしたら、ジュークボックスから流れる閉店を知らせる曲は、この作品になるだろう。デヴィッド・バーマンが寂れたバーのカウンターで口ずさむ感傷的な歌。



45位 リル・キム feat. リル・シーズ「Crush on You (Remix)」(1997年)

典型的なバッド・ボーイのヒット曲。妙にメランコリックなシンセ・ループに乗せてリル・シーズがビギーの歌うフックに絡み、威勢のよいクイーン・ビー(キム)に挑む。ビデオの中でキムは、色とりどりのウィッグとファーを身にまとっている。「続けてもいい?」「もちろん!」



44位 ステレオラブ「Cybeles Reverie」(1996年)

ヨーロッパでは、ビンテージ・キーボードをフィーチャーした劇的でアジプロ的なトランスプログレのアルバムが次から次へとリリースされた。この曲はその代表格と言える。



43位 スーパーグラス「Alright」(1995年)

映画『クルーレス』のサントラから1曲を選ぶのは、ポーリー・ショアの映画作品に意味を見出そうとするのと同じくらい難しい。



42位 エイス・オブ・ベイス「The Sign」(1994年)

スウェーデン出身のナンバー1・レゲエ・バンドによる難解なヒット曲。”人生は厳しい/訳もなく”(Life is demanding / Without understanding)と歌う。正にその通りだが、歌詞を読むと曲作りに英語のネイティブスピーカーが参加していなかったのだと思われる。90年代のスウェーデンのレゲエを代表する楽曲のひとつだ。



41位 ソフィー・B・ホーキンス「Damn I Wish I Was Your Lover」(1992年)

自由奔放なセックスの巫女が、報われない片想いを歌う。彼女の発する「damn」も酷い言葉には聞こえない。



40位 ビッグ・パン feat. ジョー「Still Not a Player」(1998年)

アップタウンさ、ベイビー。今は亡き偉大なるブロンクスのMCとR&Bシンガーが軽快なピアノに乗せて、プエルトリカンやブルネットのラテン系など異文化の「若いインテリ女」を求めて卑猥な言葉を吐く。パンよ、安らかに。彼はプレイヤー=女たらしなどではなかった。ただ十分に遊んだだけだ。



39位 セバドー「Brand New Love」(1992年)

狼に育てられたパンク少年たちが、人間へと成長する過程で大きな一歩を踏み出したような曲。静かなフォーク調から激しいギターのフィードバックへと展開する。自分のちっぽけな厳しい世界を切り開いて新たな恐怖感を味わい、部屋の向こう側にいる女の子に微笑みかけるのだ。



38位 ゲトー・ボーイズ「Mind Playing Tricks on Me」(1991年)

背筋も凍るようなギャングのストーリー。淡々と流れるジャズ・フュージョンのループをバックに、最後はウィリー・Dが血まみれの拳をコンクリートに叩きつける。



37位 ニュー・ラディカルズ「You Get What You Give」(1998年)

最も典型的な一発屋。壮大で光り輝くプロムのアンセム。MVではグレッグ・アレキサンダーがバケットハットを被り、モールを荒らす。そして最後にはベック、ハンソン、コートニー・ラヴ、マリリン・マンソンらを小馬鹿にして締めくくる。ニュー・ラディカルズのメンバーが作曲に関わり、映画『はじまりのうた』にも使用された別の楽曲が2015年のオスカーにノミネートされたものの、残念ながらレッドカーペットをバケットハット姿で歩くチャンスはなかった。



36位 ポーティスヘッド「Glory Box」(1994年)

エレガントなトリップ・ホップのメランコリー。アイザック・ヘイズによる70年代の不滅のファンクで、ベス・ギボンズが悲しみを紛らす。この頃はまだ生まれていないアレシア・カーラも、2015年のヒット曲に同じヘイズの楽曲からサンプリングしている。



35位 シェリル・クロウ「If It Makes You Happy」(1996年)

シェリル、「パンのカビを削ぎ落として」という歌詞にみんな釘付けになったよ。典型的な90年代のハイになったロックンロール的な生き方だ。



34位 アン・ヴォーグ「Dont Let Go (Love)」(1996年)

ファンキーなディーヴァによるメイクラヴ、ハートブレイク、ソウル・シェイクをテーマにしたセクシーなスロー・ジャム。クライマックスでは”あなたのドレスを着てあなたになりすまして、コントロールを失ってみたい!”と歌う。



33位 ヘリウム「XXX」(1994年)

ギターヒーローのメアリー・ティモニー(後にワイルド・フラッグやエクス・ヘックスに在籍)が、甘く切ないバラードをささやく。街角で彼女をイラつかせ、あなたは命をかけて償うこととなる。なぜなら彼女のギターがあなたを殺すから。ティモニーの弾くギターは正にそんな感じだ。そして彼女は真面目くさって言い放つ。”私のハートは乗り捨てられるタクシー。あなたの愛は一時の気まぐれ。所詮あなたはドラッグよ”



32位 フォクシー・ブラウン feat. ジェイ・Z「Ill Be」(1996年)

フォクシー:”もう我慢できない。卑猥な感じ” ジェイ・Z:”俺の前でそのセクシーなケツを振るな” この時のジェイ・Zはアルバム『Reasonable Doubt』でデビューしたばかりだったが、このティーンエイジの弟子とのヒット曲は、彼の技量を披露するひとつの場に過ぎなかった。その後何十年間も彼がトップに君臨しようとは、誰が想像できただろうか?



31位 アンダーワールド「Born Slippy (Nuxx)」(1996年)

感覚に訴えるテクノ爆弾。映画『トレインスポッティング』の中で繰り返し流れた「ラガー、ラガー、ラガー、ラガー」のフレーズで、爆発的な人気を得た。とはいえサウンドから推測するに、この曲を作るにあたりラガービールは使われていないようだ。



30位 サー・ミックス・ア・ロット「Baby Got Back」(1992年)

もちろん、お尻。英語圏の人なら、このお尻讃歌から引用したくなる表現もいくつかあるだろう。



29位 フィオナ・アップル「Paper Bag」(1999年)

彼女は彼が十分大人だと思っていたが、中身はただの子どもだった。



28位 ウィーザー「Pink Triangle」(1996年)

「オーバーシェア」と言う言葉が生まれる何年も前(ほとんどの人はキルスティン・ダンスト主演の映画『チアーズ!』で初めてこの言葉を耳にした)、リヴァース・クオモはこのラヴソングを通じて、オーバーシェアと言う言葉に、ストレート男のダメな状況という新たな意味合いを持たせた。ニルヴァーナを目指した彼だったが、そう上手くは行かなかた。



27位 ダフト・パンク「Around the World」(1997年)

フランスのテクノ・ロボットが、シック「Good Times」のベースラインを天空へのモノレール旅行に取り込んだ。彼らのフィルターハウスのサウンドは、その後数えきれないほどのイミテーションを生んだ。



26位 ナタリー・インブルーリア「Torn」(1998年)

カラオケソングはたくさんあるが、「Torn」はカラオケに最適な曲と言える(カラオケソングに関しては、1998年の夏は史上最高の作品が多い)。「Torn」は、今なお涙を誘うストーリーだ。とはいえオーストラリア出身のナタリー・インブルーリアと彼女を取り巻くセレブの男たちの姿を想像してみれば、ガールフレンドが泣く時に肩を貸してやる必要など全くないことがわかる。



25位 ハーヴィー・デインジャー「Flagpole Sitta」(1998年)

「Flagpole Sitta」もまた、カラオケ向きの楽曲だ。”自費出版の雑誌を出したいし、政治マシーンには怒りを感じる(バンド名のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに由来)”と、当時の世相を反映している。”テレビもいらない”というヒップスターの決まり文句も、90年代の終わりと共に聞かれなくなった。



24位 アリーヤ「Are You That Somebody」(1998年)

ティンバランドがプロデュースした最も極端でアヴァンギャルドな作品のひとつ。さらにアリーヤが、クールな歌声で正真正銘のポップに仕上げた。



23位 オアシス「Wonderwall」(1995年)

ノエル・ギャラガーは後に、「Wonderwall」という言葉に意味などないと認めている。誰にとっても意味不明だ。当時も今も、そんなことはどうでもいい。どんな場所でもこの曲が流れると、皆が調子はずれの歌で合唱し始めるパブと化すのだ。



22位 モブ・ディープ「Shook Ones Pt. II」(1995年)

クイーンズブリッジ出身のデュオによるヒップホップ版「Gimme Shelter」。プロディジーとハヴォックが、都会のヤバイ地域では死と隣り合わせの恐怖の中で生きている、と訴える。中途半端な悪党には味わえないリアルな感覚だ。モブ・ディープは、90年代半ばを代表するイーストコースト出身のラッパーの中で、最もハードなグループだった。彼らの確固としたヒット作は、当時も今も変わらずクールだ。



21位 スマッシング・パンプキンズ「1979」(1995年)

ビリー・コーガンによる、米中西部の郊外で夏を過ごす思春期の若者たちの葛藤をテーマにした讃歌。ジェームズ・イハのリバーブを効かせたギタートーンが印象的なサビには、コーガン嫌いであっても惹きつけられた。さらに、「仲の良かった」ペイヴメントがカバーして歌った曲としても有名だ。音速よりも、自分が想像しているよりも速く人生は過ぎるのだ。



20位 ベック「Loser」(1993年)

90年代には多くの詩人がいた。ひとつの時代にこんなにも多くの詩人が存在したことはない。ジョージ・ルーカス作品ばりのミュージックビデオには、ビートボックスに乗せたブルーズのリックを歌うベックが、リーフブロワーを担いで登場する。神様にチーズ・ウィズを捧げよう。



19位 ホイットニー・ヒューストン feat. フェイス・エヴァンス&ケリー・プライス「Heartbreak Hotel」(1998年)

ダメ男は切り捨てるホイットニー。彼女の歌声が、飾り気のないささやきから、やや抑えた感じのハイトーン・ヴォイスまで駆け上がる。物語の裏には小気味よい復讐劇が流れている。完全に新しいホイットニーによる新たな1ページの始まりだという期待があった。しかし残念ながら、物語の終わりの始まりだった。



18位 ガービッジ「Queer」(1995年)

オルタナティブ・ロックのスーパープロデューサー、ブッチ・ヴィグによるデラックスなスタジオ・エフェクトが、シャーリー・マンソンの歌声を怪しく輝かせる。”したければしてもいい/でも後戻りはできない”(You can touch me if you want / But you cant stop)と彼女はささやく。彼女の魅力的な声は、いつまでも耳に残る。怖さすら感じる。



17位 ビースティ・ボーイズ「Sure Shot」(1994年)

”すべての母親と姉妹と妻たちと友人たちに捧ぐ”というアダム・ヤウクのシャウトアウトに合わせ、チェック柄のビースティーズが頭を振る。もう止まれないし、止まる気もないし、止まってはいけない。



16位 スリーター・キニー「Get Up」(1999年)

喪失感と孤独に包まれた時代。それでも大人しくしていられない人々を、ポートランドから来たパンクの女神たちが盛り上げた。バケツ一杯の星屑を宇宙にばら撒いたかのようなギターサウンドが印象的。



15位 アウトキャスト「Rosa Parks」(1998年)

このダーティ・サウスのブーティ・チャントは90年代を代表するファンキーなジャムで、時代を特徴付けるハーモニカ・ソロをフィーチャーしている(失礼、ブルーズ・トラベラーの存在を忘れていた!)。ビッグ・ボーイとアンドレによる、とことんダーティでアトリアンな世界を全米に知らしめた楽曲。「クランク」という言葉を広めた曲でもある。今なお常軌を逸した魅力が感じられる。



14位 R.E.M.「Nightswimming」(1992年)

1989年の大みそかには、「R.E.M.の最高傑作となるアルバムがやがてリリースされる」とは誰も予想していなかっただろう。実際にその後、バンドは最高傑作となる4枚のアルバムを世に出すこととなる。マイケル・スタイプは次期大統領の就任を祝うステージで、ナタリー・マーチャントとスローなデュエットを披露した。「そう、民主党出身の大統領だ。お巡りさん、ディナーでビールを一杯飲んだだけだ。なぜそんなことを聞くのさ?」という時代だった。ビタースウィートなピアノに乗せて、ジョージアの松林をバックに全裸で泳ぐ姿を想像する。日常の生活に戻って記憶が失われてしまう前に、スタイプは思い出を心に刻んでおきたいと願う。



13位 オール・ダーティ・バスタード「Brooklyn Zoo」(1995年)

ウータン・クランの世界を凝縮したアルバムの中で、最もラジオ受けした本物の楽曲。オール・ダーティ・バスタード(別名:ビッグ・ベイビー・ジーザス)が、RZAの弾くブロークンなピアノに合わせてシミーを踊る。ウータンは子ども向けの音楽だということの証明だ。



12位 ザ・ブリーダーズ「Cannonball」(1993年)

オルタナティブ・ロックの代表的バンドだったピクシーズが解散した後、キム・ディールはザ・ブリーダーズを結成した。双子の姉ケリーをギタリストに迎えた「Cannonball」は、シャギーヘアの自由奔放なバンドの雑多さが詰まった楽曲だ。90年代、いやそれ以前の時代を含めて最も変わったヒット曲のひとつと言える。



11位 ホール「Doll Parts」(1994年)

コートニー・ラヴの繊細な時期の作品。夜になると母親がこの曲をかけ、外に停めた車の中で一人泣いているのを知っているか? いつか自分も、母親と同じ心の痛みを感じるようになるのだ。



10位 TLC「No Scrubs」(1999年)

おお息子よ、母が君に語りかけているのだよ。クレイジーでセクシーでクールなアトランタのトリオが、ストリート・ハラスメントに対抗する陽気なセリフで90年代を締めくくる。それだけではない。レフト・アイよ、永遠に燃やし続けろ。



9位 リズ・フェア「Fuck and Run」(1993年)

信じ難い話だが、1993年は、自分に問題があるのではないかと考えさせられた年だった。リズ・フェアが淡々と歌う行きずりの情事は、心に刺さる。残念ながら、今なお時代遅れではないストーリーだ。いつの世も男の子は、拷問のような愛を求めるものだ。



8位 パルプ「Common People」(1995年)

ジャーヴィス・コッカーは、他のシンガーがキャリア全体で表現する情熱と信念を、いとも簡単に1曲に込めている。英国のポップシンガーによる最高傑作はセックスと皮肉と絶望をテーマにしているが、大部分はセックスが占めている。



7位 ミッシー・”ミスディミーナ”・エリオット「The Rain (Supa Dupa Fly)」(1997年)

ミッシー・エリオットとティンバランドは、90年代を征服した代表的なアーティストだ。2人は70年代のR&B曲をサンプリングし、コオロギの鳴き声や雷鳴もフィーチャーしてスウェットな南部の長い夜を表現した。ミッシーよ、そのまま続けて欲しい。



6位 ペイヴメント「Gold Soundz」(1994年)

ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』で描かれたような、少年らしく焦る素直な気持ちを3分間に凝縮した作品。スティーヴン・マルクマスとのんきな仲間たちは、この曲の1秒たりとも無駄にはしていない。全てのギターフレーズからヴォーカルの息づかいに至るまで、感情の高まりを完璧に表現している。まるで彼らが全てを計算尽くしているかのようだ。



5位 ドクター・ドレー&スヌープ・ドッグ「Nuthin but a G Thang」(1992年)

既にキャリアを積み重ねてきた元N.W.A.のプロデューサーが、新顔を連れてさらに強力になってカムバックした。ベースラインは、”リアル・ディール”・ホリフィールドよりもリアルで、彼らのグルーヴに合わせて多くの車が上下に跳ねた。



4位 ビキニ・キル「Rebel Girl」(1993年)

過激なシンガー、キャスリーン・ハンナ率いる3人のライオット・ガールと、オマケ的な存在の男性ギタリストがジョーン・ジェットとスタジオ入りし、伝統的なパンクロックの過激さを踏襲する7インチ・シングルを作り出した。「Rebel Girl」は、どこにでもいそうだが革命的な志を持つ女の子のアンセムとなった。政治力や感情的な影響力を持つロックンロールとは、何と風変わりな音楽だろう。



3位 ノトーリアス・B.I.G. feat. メイス&パフ・ダディ「Mo Money Mo Problems」(1997年)

今は亡き偉大なるノトーリアス・B.I.G.には、ほとんどのラッパーがキャリアの全てをかけても叶わないような魂と信念があった。彼にとっては、歌い出す前の咳払いのようなものだったろう。図らずも彼の追悼作品のひとつとなった本作は、彼の死後にナンバー1となったが、まるでまだ彼が生きているかのようだった。どうしても聞いてみたい質問がある。「メイスは、小型飛行船に自分の名前が書かれているのを既に見ただろうか?」



2位 ブラックストリート「No Diggity」(1996年)

米国の音楽業界での成功を夢見る男たち。ハーレムからヴァージニアへと移ったビートマスターのテディ・ライリーがドゥーワップをベースにしたグルーヴをミックスし、ドクター・ドレーが伝統的なR&Bのハーモニーやピアノのフレーズを加え、ビル・ウィザースのブルーズギターをサンプリングした。今の我々は、曲に描かれた未来を生きている。なお一層幸運なことだ。



1位 ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」(1991年)

世界を吹き飛ばした曲。4つの単純なコードとシンプルなギターソロにむき出しの感情を込めて音楽として成立させ、従来の音楽のルールを全て破った曲。未来に真正面から蹴りを入れた曲。予定調和の政治で我慢している状況を打ち砕いた曲。この曲はカート・コバーンからオーディエンスに対するチャレンジでもあった。そして年月が経った今もなお、チャレンジは続いている。

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From Rolling Stone US.





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