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ライブ完全復活、「生の興奮」を取り戻したアメリカの音楽ファン

Rolling Stone Japan / 2021年7月8日 20時35分

2021年6月20日、MSG出演のフー・ファイターズに応える最前列のファン(Photo by Griffin Lotz for Rolling Stone)

6月20日、マディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ったフー・ファイターズ。最前列に構えるファンは誰もマスクを着けていない。日本ではフェス中止が発表されるなど困難な状況が続いているが、ワクチン接種が進んでいるアメリカでは、夏に向けてライブイベントが復活しつつある。大音響の熱気の中でしか味わえない興奮、これぞまさしく音楽ファンが夢見てきた瞬間だろう。歓喜の声をお届けする。

ライブミュージックが帰ってきた。なんと壮観だろう、見知らぬ人だかりのなかにただ1人――肌で感じられるほどに密着している。わずか数カ月前には、2021年に満員御礼のショウを開くなど、夢のまた夢のように思えた。だが週を重ねるごとに、新たなステージやツアー、フェスティバルが雨後のタケノコのように現れている。みな飢えていた。僕らはもう長いこと待ちわびていた。大音響の熱気の中でしか味わえない興奮がある。他では得られない体験を求めて、熱狂したファンがこうした会場へ詰めかける。音楽ファンなら、過去18カ月間この瞬間を夢見てきたはずだ。そしてついに転換期が訪れ、僕らは音楽ファンであることを改めて噛み締めている。歓喜がついに戻ってきたのだ。

大半の人々はワクチン接種後、社会復帰するのに苦労した。僕も実に1年ぶりにATMを利用し、思わず「ありがとう!」とつぶやいた。ロックダウン中は自分が長身であることを完全に忘れ、今では樹木や戸口に頭をぶつけてばかりだ。歩き方、話し方、髪の梳かし方を改めて思い返し、作り笑いや、たわいないおしゃべり、パンツを履いてヒールを履いて、ナプキンを頼み、バーカウンターで一度に様々なドリンクを注文する――昔はごく当たり前にやっていた、些細な対人コミュニケーションだ。今や僕らはみな『地球に落ちてきた男』のデヴィッド・ボウイになって、この見知らぬ惑星をまごつくエイリアンよろしく、だましだましやっている。

そこには音楽ファンの姿もある。検疫中、僕らは配信ライブを愛するようになった。だが、群衆がノイズと一体化する場に居合わせるという経験は何物にも代えられない。観客が喜びを分かち合い、音楽を胸いっぱいに吸い込むことに勝るものはない。狭い地下室、大規模なアリーナ、ダンスフロア、カラオケバー、安っぽいクラブ、どこも同じだ。様々な感情が渦巻くが、あの独特の歓喜がすべてを可能にする。歓喜なしではショウは始まらない。

フー・ファイターズによる「栄光の一夜」

僕にとってワクチン接種後初めてのライブはフー・ファイターズだった。6月20日、営業を再開したマディソン・スクエア・ガーデンで、ライブミュージックの新時代の幕が開けた。あの夜のポイントは、会場のガーデンやニューヨーク・シティだけじゃない。みんなで一緒に祝うことを思い出させてくれた、象徴的な出来事だった。

この大役にふさわしいバンドは他にいない。デイヴ・グロールほど、ライブの観客を酔わせることを生きがいとする者はいないからだ。なにしろ数年前、スウェーデン公演のステージで足を骨折し、その後ギブス姿で戻ってきて(しかも担架に運ばれて!)最後まで演奏した男だ。心が洗われ、胸が締め付けられ、幸福感に満ち溢れた栄光の一夜だった。だが誰よりも、グロール本人がこの日を待ち望んでいたようだ。「会いたかったかい?」と、彼は冒頭でこう観客に問いかけた。「俺もだよ」

これまでにもフー・ファイターズの最高のショウをいくつか見てきたが、この日はクライマックスの「Everlong」に至るまで、まるで別格だった。グロールの勢いはとどまることを知らず、僕らも口出ししなかった。僕の好きな「Walk」が演奏されると胸の鼓動が高鳴った。2万人の観衆がグロールに合わせて「Learning to walk agaaaaain」と熱唱する。「フォエーヴァー! ウェンネヴァー! 死にたくない! 死ぬもんか!」のパートを迎えるころには、声がすっかり枯れ果てていた。


6月20日、マディソン・スクエア・ガーデンのデイヴ・グロール(Photo by Griffin Lotz for Rolling Stone)

僕は最上段席の安いチケットを購入した。バンドはもちろん、観客の姿も見ておきたかったからだ。ステージの横、文字通り最後方の席で、後ろは石壁、目の前には恍惚とした人々の波。セクション221にいた憎めない暴れ者どもに乾杯――君たちと盛り上がれて光栄だった。次にお互いビールを掛け合う日が待ちきれない。会場にいた誰もがパット・スメアのように満面の笑みをたたえていた。座席に腰かけている者は誰もいなかった。他人のドリンクや、たばこの煙、汗、忘れかけていた匂いが染みついたTシャツのまま、歩いて帰宅した。まさに、再び歩き始めたのだ。

かつてアリーナ公演でイライラしていたものすべてが、今夜は心地よかった(おい、トイレの行列だ――久しぶり! ハグしてくれ、「Free Bird」の時以来だ!)。ワクチン証明書を持参しないと入場できなかったので、感染の心配は無用。会場の外にはワクチンに反対する人々が、「MSGとフー・ファイターズは人道犯罪の共犯者だ」とか「カート・コバーンこそロックンロールの魂だ」といった看板を掲げて抗議をしていた。だが悲しいかな、「ちょっと一言物申す」とか「ファイザー貯蔵庫」とか「企業ワクチンはごくつぶし」という看板を持っている人は1人もいなかった。



この日の山場は、デイヴ・シャペルが登場してレディオヘッドの「Creep」を歌ったこと。誰も予想していなかったサプライズだ。だが、一番感動した場面は終盤、シャペルがマイクを置いた後に訪れた。彼がギターを爪弾きはじめると、まるで立ち去りがたいというかのように、ステージの端にしばらくたたずんで観客をじっと見つめた。他の観客同様、シャペルもこの時間を終わらせたくなかったのだ。

コメディ・ショウやカラオケも復活

この18カ月は素晴らしい新作が満載だったが、ライブ経験がないとなんだか物足りない。テイラー・スウィフトの「Betty」を聞いても、彼女がスタジアムであの転調を披露し、友達連中をぎゃふんと言わせるのを見るまでは、本当に聴いたことにはならないだろう? カーステレオで「Thot Shit」を鳴らすのも一興だが、ミーガンがライブで炸裂するのを聞くのとは違う。長い渇望の末に観客は時期が来たとばかりにワクチンを打って、盛り上がる準備を整えた。Pod(ごく限られた集団)といえばブリーダーズのアルバムのことを指し、viral load dynamics(ウイルス負荷ダイナミクス)といえばガイデッド・バイ・ヴォイシズのB面ソングかと思うような、パンデミック前夜のように。



ロックダウンの期間中ずっと、こうした渇望が収まることは決してなかった。僕は12月、つかの間の甘いひと時を味わった。大好きなライブバンドのひとつ、ホールド・ステディがブルックリンのボウリング場で配信ライブをすることになり、サウンドチェックの合間にファン向けのハッピーアワー・トークの司会を任されたのだ。会場には僕とバンド、数名の助っ人だけ。空っぽの部屋に足を踏み入れ、約1年ぶりにロックバンドと顔を合わせるのは何ともシュールな気分だった。暗がりでただ一人、フロアには他に誰もいない状態で、盛り上がって踊るのはダサイんじゃないか、と一瞬頭をよぎった――だがこれまで僕が踏みとどまった時があっただろうか? 僕は誰もいないボウリング場の壁に飛び跳ね、「Killer Parties」に合わせて声を上げた。「そう、これだよ、この感じ!」という気持ちと、「いいや、この先しばらくはもうないだろう」という気持ちがほぼ同時に訪れ、エクスタシーと悲哀が入り混じった。

ライブストリーミングの画面には、世界各地のファンの姿があった。友人や、ホールド・ステディのコンサートで毎年顔を合わせる知人の顔もあった。いとこもアイルランドからアクセスしていた。長いこと会っていない人たちを思った(ライブストリーミングで友人の顔を探すのは、リプレイスメンツの「Left of the Dial」に出てくる”ダイアルから君の面影を探す”という歌詞さながらの新鮮な経験だった)。バンドは3月にも配信ライブを行い、これまた大盛況だった。偉大なバンドを無観客状態で見るのは複雑な心境だったが、それでも土曜日に人生を無駄に過ごすよりは99.99%マシだった。ホールド・ステディも歌っているように、そうさ、僕らはきっと再び立ち上がる。



ワクチン接種後、僕が初めて経験した屋内イベントは、ニューヨーク・シティのクラブで行われたジョン・ムレイニーの新作コメディ・ショウだった。ワクチン証明書がないと入場不可で、携帯電話は磁気ポーチにしまわなくてはならなかった(すべてのショウがこうあるべきだ)。観客はただその場で、緊張気味に笑った。久々の夜の外出に観客が戸惑っているのを感じ取ったムレイニーはこう言った。「みんな2020年2月以来久しぶりにアパートを出て、よしライブショウに行くかと心を決めて、僕が人生で最悪の1年を語るのを聞きに来たのかい? わざわざ金を払って?」

ムレイニーは薬物中毒と依存症からの回復を、赤裸々に、歯に衣着せず、ずばりと語り、リハビリ中に起きた1月6日の議事堂占拠についてジョークを飛ばした。「君たちアホどもを置いて60日間のリハビリに行ったら、このざまか? 僕が目を光らせていた時は一度も起こらなかったのに!」 彼は最後に公衆の前に姿を見せて以来、重苦しいな変化を経験した。僕たちみんながそうだ。ショウのあと、僕は友人と一緒に蒸し暑い夏の夜のマンハッタンを、ハドソン川からイーストリバーまで横断しながら、今しがた目にした素晴らしい出来事を反芻した。ショウのあとの感想――ショウそのものと同じぐらい、僕はこうした会話に飢えていた。

カラオケのない人生なんて味気ない。人によってはセラピーであり、自分へのご褒美であり、宗教的体験でもある。僕もこの秋まで、まさか再びカラオケができるとは思ってもいなかった。だがLAの友人がコリアタウンに、禁酒時代さながらの秘密のカラオケ部屋を併設した場所を見つけた。僕らは待ちきれず、ヒット曲を歌いまくった(ちくしょう、会いたかったぜ「Celebrity Skin」!)。僕はオリヴィア・ロドリゴの「Brutal」が歌いたくて仕方がなかったが、もちろん最近の曲が載っているはずもない。そこでエラスティカの「Connection」に合わせて「Brutal」を歌った――完璧にマッチした。ワイヤーからエラスティカ、そしてオリヴィアへ。すべてが1本につながった。

それから1週間後、友人たちが公園で屋外カラオケをやるというので、6月の夜ブルックリンの星空の下で、僕は「Brutal」をあらためて歌うことになった。共犯者数名とバッテリー駆動のスピーカー、ラップトップ、それにディスコライト。バッテリーの容量がなくなるか、警察がくるまで大騒ぎ。公園を通りかかった赤の他人も参加したがり、マイクがほうぼうに回された――酔っ払った男2人がチーフ・キーフをラップし、子供がシナトラを甘くささやき、イラン人観光客が「Another Brick in the Wall」を熱唱した。バッテリーが切れると、順番待ちしていた女子高生4人組がアカペラで「イマジン」を歌った。全員で大合唱。ぶっちゃけ、あの曲は二度と聞かなくてもいいと思っていたが、あの夜は今までで一番心に響いた。

ハッピーエンドは訪れない、それでも音楽がある

ブロードウェイは今週末から正式に営業を再開した。最初の公演はなんとブルース・スプリングスティーン。小規模なソロ公演の再演だ。「今夜みんなに会えてうれしいよ」と彼は言った。「マスクなしで、肩を並んで座っている。ここまで長かった。喜びもひとしおだ」 彼の言わんとすることは明らかだった。ブルースは2018年、「ふだんの仕事に戻る」といってブロードウェイ公演に幕を閉じた。だがスプリングスティーンの曲に出てくる大勢の野郎ども同様、彼もまたなじみの仕事が消えてしまったことを知った。予防疾病管理センターの指示で、最近ではスタジアムを沸かせる仕事もほとんどなくなってしまった。


6月28日、ニューヨークのセント・ジェームズ・シアターで行われた「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」再演でのブルース・スプリングスティーン(Photo by Taylor Hill/Getty Images)

観衆を圧倒することにかけては天下一のスプリングスティーンは、昨年秋に『A Letter to You』をリリースした。演奏する場を失ったみじめな気持ちを歌ったコンセプトアルバムは、まるで「Bobby Jean」のように、ある日突然目が覚めたら観客からソッポを向かれたかのように、彼がどれほど観客を待ちわびていたかが痛切に表われていた。新作にはドラマティックなシンガロングのパートが満載で、僕らが加わるのを待ちわびていた。彼も僕らと同じぐらい、ライブの歓喜を求めていた。古巣に戻る彼の姿を見るのは鳥肌ものだ。おそらくブルースは正しかった――ひょっとしたら、死に絶えたものもいつかすべて戻ってくるかもしれない、と。

パンデミックにハッピーエンドはないし、現実には終わりすら見えない。僕らはみな惨劇の中で、数えたり並べたりする間もないうちに、自分の一部を失った――火事ですべてを失ったかのように。大勢が家族を失い、友人を亡くした者もいる。はた目には、その人がパンデミックで失ったものが何かを知るすべはない。だが無傷ではない。すべてが終わるまで、まだ長い道のりが待っている。

だが僕らは、危機を克服するよすがとして音楽にすがるように、音楽が未来へと導いてくれると信じている。デイヴ・グロールはフー・ファイターズのショウで、こうした気持ちを言い当てた。「この1年、俺は何度も同じ夢を見た」と彼は「Best of You」の途中でこう語った。「ステージに向かって歩いて行き、そこで初めて互いに顔を見合わせるんだ。数分経っても、俺たちは顔を見合わせている。『助かった、今夜はここに集まれた』ってね。今夜はマジでステージの上に立てた。本当に夢のようだ」

「今夜はここに集まれた」、この気持ちがこの日のショウのすべてを物語っている。絶対必要な場所ではないが、これまではなかった場所。ソファから身を起こし、人ごみに紛れ、冷凍庫で積もった霜を落とすとき。これこそ祝福するべき瞬間だ。僕らが再び歩みを共にする中、なぜライブ音楽が今も、そしてこれからも、足を運ぶ価値があるのかを思い出させてくれる。歩み出すのだ、再び。この言葉を口にする日を僕はずっと待ちわびていたが、ようやく言える。みんな、会場でまた会おう。



From Rolling Stone US.

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