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ウッドストックからトゥモローランドまで 悲惨な結末を迎えた音楽フェス5選

Rolling Stone Japan / 2021年8月5日 20時0分

ウッドストック99から2015年のトゥモローランドまで、本来の想定と異なる悲惨な結末に終わった音楽フェス5選を紹介する。


Photo : Getty

1990年 グラストンベリー・フェスティバル
イギリスで最も有名な音楽フェスでもある「グラストンベリー・フェスティバル」の1990年の回について、当時取材を行ったロンドン・テレグラフの記者ジェームズ・デリンポールは、「3日感にわたってひどい雨、泥に見舞われ、ひどい悪臭を放つ便所や人混みによりほぼ窒息しているような状態だった」と語っている。水浸しになった地面の上には、ザ・キュアーやシネイド・オコナー、アシッドハウスの先駆者であるアダムスキーを一目見ようと、信じられないほどの人が集った。しかし、それだけでは収まらず、フェスの終了直後にはまさに災害としか言いようのない悲惨な事態になってしまった。

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フェス会場の横では、1970年代からこのフェスに参加していた観客や地元の住民たちに対しては、オズリック・テンタクルズやホークウインドのようなバンドが出演する無料の音楽イベントも開催されていた。フェスが終了すると、観客がゴミの山とかした会場付近にたむろし始めた。こうした観客らと会場のセキュリティが騒動を引き起こし、のちに「ヨーマン橋の戦い(ヨーマン:14〜15世紀ごろのイングランドの独立自営農民)」と呼ばれる暴力的な争いが起こった。この争いの一部始終を見ていた観客は、「ひどく暴力的な戦争のような状態だった。昔の西部劇か、マッドマックスを見ているみたいだと思った」と語っていた。翌年、グラストンベリー・フェスティバルはセキュリティの見直しを行うとして開催されず、騒動の様子を写していた画像は徐々に闇に葬られていった。



1999年 ウッドストック
1999年のウッドストックは1969年のオリジナルや1994年の記念公演と比べ、極めて荒々しい状態で開催された。この年は、当時のトレンドであったハードロックや、メタリカ、コーン、リンプ・ビズキットや、政治的に過激な主張の目立っていたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどが目玉として出演を予定していた。ローリング・ストーン誌のジェニー・エリスクが当時行った取材記事では、ウッドストック99は「『平和や愛や相互理解の何が面白いんだ?』という質問に、顔面へのパンチを食らわせてくるような世代たち」を象徴していると書かれている。この年のフェスで発生した問題は、仮設トイレの行列だけではとても済まなかった。会場となったグリフィス空軍基地の舗装された道路は、連日の日差しで強烈な熱を放ち、会場中で飲み水が不足する事態を引き起こした。自分で飲み物を用意してこなかったフェス参加者たちは、会場で売られていた水がボトル1本で4ドルだったことに驚愕していた。また、ホラーコア・デュオのインセイン・クラウン・ポッシーはステージ上から観客に向けて100ドル札をばら撒いており、人が殺到する事態になった。チケットの本人確認がまだなかった時代にはフェイクの入場用リストバンドが大量に出回っており、主催者側の予測を遥かに上回る観客がフェス会場に押し寄せていた。また、男性の観客が女性の観客をレイプしていたなどという報告も数多く寄せられた。


Photo : Joe Traver/Newsmakers/Getty

この年のフェスは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズによるジミヘンの「Fire」のカバーに触発された観客たちが実際に会場内に火を放ち、幕を閉じた。カナダのトロント・スター紙のコラムニスト、ベン・レイヤーはフェスの終了後に「ウッドストック99がまるでナンセンスで目的のない暴力に終わってしまったことに驚きを隠せない。いや、どうだろうか。考えてみれば、このフェスのあらゆる側面、プログラムは怒れる若い男の激情に満ち満ちていたし、会場は少し前まで核兵器が保管されていた場所だ。アルコールとドラッグによって自我を失った人々、『蝿の王』の終盤のような火の手、アナーキズム。これらは60年代のヒッピーたちに対し、まさに90年代を象徴するものだったと言える」と記した。


Photo : Samir Hussein/Getty

2012年 ワイト島音楽祭
2012年の夏、イギリス中に猛威を振るった大嵐があったにも関わらず、55000人もの観客が3日間の野外フェスに押しかけた。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、パール・ジャム、ブルース・スプリングスティーンなどが出演する予定だったが、嵐の影響で島内の道路や島へ繋がる交通機関に影響がでていた。デイリー・メイル紙が伝えたところによると、車で会場へ向かおうとした参加者たちは、車の中で居眠りできるほどの渋滞に巻き込まれ、さらに、350台ほどの車が泥にはまり、5マイルほどの渋滞と10時間の遅延を引き起こした。フェリーによって島へ移動しようとした観客も同様、港でのトラブルで長時間身動きが取れなくなっていた。遅れた観客たちが会場へ着くと、テントサイトには大量の泥が溜まっていた。これらの問題にもかかわらず、フェス出演者たちのパフォーマンスは大成功だったようで、ロンドン・テレグラフ紙のジェームズ・ラクノ氏は「極めて混沌とした状況の中ではあったが、今回のフェスは最高な出来だった」と報告した。


2012年 ロンドン、ブロック・フェス
スヌープ・ドッグやMF DOOMに加え、多くの有名DJの出演とフライング・ロータス、リカルド・ヴィラロボスらをイベントのプロデューサーに迎え、2日間の開催となる予定だった2012年のロンドン・ブロック・フェスティバル。しかし、実際には多くのトラブルで、成功とはいえなかった。



フェスの初日、早い時間からフェス参加者たちが入場の列を作り、2時間ほど待機していた頃に問題が発生した。複数の参加者らが会場に設置されたバリケードを飛び越え会場に侵入した。会場内のバーではビールを全てあっという間に売り尽くし、公演場所となるテント内はあり得ないほどの人でごった返した。あるSNSユーザーが「交通事故の真っ只中にいるみたいだ」と投稿するほどの混乱となった初日は、予定より終了時間が早められ、2日目は開催がキャンセル。フェスの主催者は、「私たちの予定が今日の混乱でめちゃくちゃになってしまった。しかし、場内の安全を確保することが最も重要だ」と発表した。この混乱は会場設備の問題に原因があるようだった。フェスの会場であったロンドン・プレジャー・ガーデンは、早い段階で主催者側に対し、2800人の観客を収容できる会場がフェスの開催までには完成すると報告していた。しかし開催2週間前になって初めて、プレジャー・ガーデン側からその会場の完成が遅れており、使用できないことが明かされた。しかも、プレジャー・ガーデン内の他の施設はロンドン五輪のために使用禁止になっていた。それから3年を経てやっと同フェスが再開されたが、その翌年を持って最後の開催となった。


Photo : Marcus Ingram/Getty

2015年 トゥモローワールド
ベルギーで毎年行われる世界最大級のEDMフェスのトゥモローランドが、アメリカで別イベントのトゥモローワールドとして行われるようになり、3回目の開催となった2015年。EDMのDJとして超ビッグネームのカスケイドやデヴィッド・ゲッタに加え、元NBAプレーヤーのシャキール・オニールが会場のゲストを務めることになっていたが、連日続いた豪雨によりフェスは困難な状況に陥った。8000エーカー(東京ドーム約700個分)の面積を誇るジョージア州の農場が開催予定地だったが、豪雨の影響で地面は泥のような状態になっていた。2日目までに、主催者側により最寄りのアトランタまでのシャトルサービスに制限がかけられ、会場内でキャンプをする予定がなかった参加者たちはヒッチハイクかウーバーを自分で手配して戻るしかなくなってしまった。3日目に関しては、会場内で前日からキャンプをしていた参加者のみに向け開催されることになったが、それ以外の参加者たちも翌朝になると会場に押し寄せ、閉じたゲートを無理やりこじ開けた。本国ベルギーでは現在も好評を博すフェスだが、このような結果になった2015年以来、トゥモローワールドがアメリカで開催されることはなくなってしまった。

From:5 Festivals That Ended in Disaster

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