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清春が初ブルーノート東京公演で魅せたヴォーカリストとしての進化・深化

Rolling Stone Japan / 2021年8月14日 12時0分

「KIYOHARU LIVE IN BLUE NOTE TOKYO」photo by 森好弘

清春が2021年8月9日、自身初となるブルーノート東京でのライブを開催した。ここでは第2部のステージのレポートを掲載する。

東京にブルーノートがオープンしたのは1988年。

2021年8月9日、この日、ブルーノートのステージに立った清春は91年に黒夢を結成し、94年にメジャーデビューを果たしている。その黒夢は所謂ビジュアル系にくくられていたことを思えば、清春がブルーノートのステージに立つことはミスマッチだと思う人がいるのかもしれない。実際本人もライブ中のMCで「この場所に慣れてなくて飲まれそうになる」とは語っていた。

関連記事:清春が語る「少数派」の生きる道、コロナ禍の配信で新たな表現を模索



その一方で、ソロになってからの清春はボーカリストとして驚異的な進化・深化を遂げてきた。

コロナ前のインタビューでも「良い歌を歌い、歌い手として評価されたい」と語っていたが、実際、コロナ禍における清春の進化・深化は著しかった。多くのミュージシャンがコロナ禍でライブが出来ず、翼をもがれ苦しんでいる中で、清春は『A NEW MY TERRITORY』というストリーミングによるパフォーマンスを月に2公演行い、ボーカリストとして新しい境地へと辿りついていた。少しだけ説明すると、『A NEW MY TERRITORY』は毎回映像監督がディレクションをし、魅せることに特化した無観客のライブ・パフォーマンスだ。シアトリカルの要素が強く、所謂〝配信ライブ〟とは本質的に違う。更には同時に全曲をライヴレコーディングし終演後にダウンロードが可能となる。

その対にあるのが清春が今年の5月から始めた『残響』という有観客のライブ。こちらはクラッシックコンサートが行われるホールで行う歌に特化した有観客のライブだ。(7月のライブレポートを参照

魅せる『錯覚リフレイン~A NEW MY TERRITORY~』と、聴かせる『残響』の二つのことなるパフォーマンスをコロナ禍で行ってきた清春が他のアーティストよりも頭一つ、否、二つ以上抜けているのは当然だ。そしてその流れでいえば、清春のブルーノートのステージは必然でしかない。

開演の直前に会場に入ると、顔なじみの清春の制作チームのメンバーと会えた。彼の表情が各段に明るかったので、夕方からの1部が大成功だったことは直ぐにわかった。それでも「1部はどうでした?」と聞くと満面の笑みで「いいステージでした。2部も期待してください!」と即答だった。

会場を見渡すと、いつもはロックTでライブハウスに来ているファンがブルーノートモードのファッションに身を包み、注文したソフトドリンクを飲んでいる(緊急事態宣言中につきアルコールの提供はなし)。


photo by 森好弘

そのよそ行きな感じが会場に緊張感を与えてはいる。
筆者もビールではなくソフトドリンクを注文し開演を待った。
ほぼ定刻。
SEが流れ、まずはギターのDURANが客席を通りステージへ。
それを追うように清春がステージへ上がった。
この日のステージは清春とギターのDURANの二人きり。
しかもギターはアコースティックギター。実力がもろに出る編成だ。

DURANの艶っぽいギターで1曲目の「下劣」が始まった。最初の一声から清春の歌の圧がすごい。しかも曲の終わりにはエモーショナルなシャウト一発でオーディエンスを魅了した。

2曲目は「洗礼」。ささやくような声と、シャウトを自在に織り交ぜ、歌の世界を表現してみせた。
ここまでも素晴らしいパフォーマンスだったが、硬さがなかったわけではないように思えた。

が、3曲目の「cold rain」でスーパーボーカリストの本領を発揮した。この曲は最初の2曲よりもテンポが遅い。テンポが早い方が勢いとノリで会場を盛り上げて、自分の空気に染めやすい。が、テンポがかなり遅いこの曲で、清春は身体をゆっくり揺らしながら伸びのある声をオンマイクで会場に響かせた。現在、清春が行っている『残響』という有観客ライブはクラッシックコンサートのハコを使用していて、マイクは使うものの、マイクを外して、素の声をホールに響かせるパフォーマンスを随所でしている。その『残響』と対をなすようにこのブルーノートのステージではオンマイクで、ブルーノートの会場に自らの歌を隅々まで響かせた。


photo by 森好弘

この戦略は素晴らしかった。『残響』で使用しているクラッシックコンサート用のホールは、音を響かせることにプライオリティが置かれてホールが作られている。だが、ブルーノートはいい意味で違う。食事やドリンクの楽しみながらライブを観る空間で、ホール内にはそのための機材やデコレーションが多々ある。そうした物に音が吸われてしまい、素の声ではホールの隅々までは生声は響かないはずだ。この空間に声を響かせるのはオンマイクで歌うのがベスト。「cold rain」のゆったりとしたテンポでオンマイクの清春の圧のある歌は、確実にホールの隅々まで行き渡わたり、会場の空気を完全に支配した。

実際、この清春の緊張も完全なくなったように見えたし、いい意味での余裕のパフォーマンスに変わっていった。

直後、4曲目の「悲歌」ではスカーフを手に巻くなどして視覚的にもオーディエンスを楽しませてゆく。特に凝った演出はないが、オンマイクで響かせる圧倒的な歌と、「A NEW MY TERRITORY」で培ってきた魅せる部分で清春の世界に引き込む。

6曲目「TWILIGHT」は叙景的な歌詞なのだが、映像など全くなくても、歌の景色が目の前に現れるようで驚いた。

「TWILIGHT」の後、長めのMCを挟んだ。「ブルーノートってことでみんなも緊張してるようだけど、もうちょっと楽にしていいみたいよ」といつも通りのリラックスしたMCで会場からも笑い声が起こる。「楽屋に歴代の出演者がサインしてるサイン帳があって、そこに俺とDURANでサインを入れたんだけど、いつか僕に恨みがある人がそのページだけはがすかもね」「楽屋まわりをケアしてくれる方がいてもう外タレ気分です」などブルーノートをネタにしたトークもしっかり挟み、客席も完全にリラックスしている。


photo by 森好弘

「僕はいつも通りのことをやっているだけだけど、DURANとハコが素晴らしいから違う景色に連れてってくれるよね」と、演奏者とハコへのリスペクトを表し、ライブは終盤へと突入した。

実はこのMCで時間が押し、終盤の曲を1曲削る可能性が出たようだが、ブルーノートの計らいで予定曲は全部演奏した。

ラストの3曲「空白ノ世界」「アロン」「美学」は兎に角素晴らしかった。

その中でも「空白ノ世界」は清春の進化・深化が可視化されたパフォーマンスだったと思う。
歌の終盤で、マイクのグリップの部分を清春は指にしていたリングで時を刻むように叩いた。その音をマイクが拾う。マイクを通したおかげですこしリバーブがかかり、その音は心臓の鼓動のように聞こえた。

ステージはアコギ1本のDURANとマイク1本の清春。ステージ上にはセットも何もない。だが、幻想的なギターと、清春のノスタルジックな歌声と、マイクを叩く心臓の鼓動のような音でタルコフスキーの映像の中にいるようだった。

ラストの「美学」の演奏が終わると「またブルーノートでやりたいと思います」と確かな手ごたえとともにメッセージを放ちステージを去る清春。
惜しみない拍手を送るオーディエンス。

筆者がかつてNYのブルーノートに足を運んだ際、現地の客から聞いた「ブルーノートには実力がないと上がれない。だから、ブルーノートに来れば毎晩名演を楽しめる」という言葉を思い出した夜だった。


<ライブ情報>

「Streaming live『錯覚リフレイン ~A NEW MY TERRITORY~』」 2021年8月25 (水)、26日 (木)東京・Veats Shibuya
2021年9月23日 (木・祝)、24 日(金) 東京・LDH kitchen HANEDA

清春 OfficialTwitter:https://twitter.com/ki_spring

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